ゆとろぎへの道 仲村峯夫 一隅を照らす素晴らしきかな人生 照らさずとも好し また素晴らしきかなこの人生(とき)

日々、つれづれなるままに、心のおもむくままに、趣味的ハルサーの想いを…
自分探しの旅は 違う景色の見える道

安倍離れは地元から始まるのか?

2020-02-17 14:39:46 | 日記
     安倍離れは地元から始まるのか? 
 預貯金、株式、債券、投信などの純金融資産保有額が、1億円以上の富裕者層は127万世帯(2017年)で、その資産規模は300兆円になるという。
2013年のアベノミクス開始以来、格差は増加し続けており、2%強で国内個人資産の2割を保有する計算になる。
17日に内閣府から公表された数字によると、昨年10~12月期の国内総生産(GDP)は実質で1.6%の減少となっている。
それでも、安倍首相の国会答弁は「景気は回復し続けている」と訳の分からぬ答弁を繰り返している。
 狂信的なゼロ金利政策を金看板に掲げる、アベノミクスの経済政策は資本主義経済の心臓部であり、血脈ともいえる市中銀行を壊滅的な現況に追い込んでいる。
大企業目線の大胆な金融緩和政策や無節操なゼロ金利政策は、戦後最長・最悪な消費の停滞を招いた。
のみならず、資本主義経済の根幹ともいえる銀行の命脈ともいえる利ザヤを枯渇させたのである。
当然銀行の収益は致命的に悪化し、メガバンクの外国債券の含み資産も大幅に低下したという。
更に市中銀行はその約6割が再編の危機にあるといわれる。
基本的に金利は資本や企業の利潤率を保証する基本的なバロメータである。
その金利を長期的にゼロ金利状態にするアベノミクスの経済政策は常軌を逸しており、資本主義の経済システムそのものを破壊する、自爆的な劇薬投与としか思えない。
 国民生活の観点からも、メリットは全くないどころか、負担増しか見られない。
2012年アベノミクス開始以来の6年間で、名目賃金は2.8%しか上昇していないが、物価は、増税分を含め6.6%も上昇している。
つまり、実質賃金は96.4%レベル(3.6%も目減り)しており、実生活に影を落としている。
目を覆いたくなるような不誠実な国会答弁も含め、それでも日本国民は安倍内閣を支持し続けてきた。
支持の理由は、「安倍内閣に変わる政権が見つからない」である。
モリカケ問題で一時支持率を41%に落としたが、2~3か月で支持率は回復し、その後も問題が起こるたびに一時支持率を下げるも、すぐに回復を続けてきた。
今回も、菅原一秀前経産相や河井前法相などの不祥事や「桜を見る会」の政治と国家予算の私物化疑惑で支持率を落としている。
これまでの例を見れば早晩、支持率は回復することになるのだが今回は今までと少し様相が違うのかもしれない。
 独裁と民主政治など、体制・形態は違えども統治する側とされる側の関係は古今東西共通するものがある。
独裁政治も民主政治もどちらも、統治する側は常に専制・独裁志向に走ることが多々ある。
一方統治される側は、いつの世の大衆もお任せ志向と無縁ではいられないようである。
大衆は平和の時も恵まれない時も、常に大勢の視点の「他人事目線」でものを見る。
ややもすればチッポケな自我を信じ、その他大勢の自分の分別をひたすら信じ愛する。
為政者が大きな声で、単純な情報を何度も発信すれば何となくそれを信じてしまう。
政治には無関心でカリスマ的な指導者やマスコミ、有名人の意見を何の抵抗もなく自らの意見の如く取り入れる。
もちろん、面倒なあらゆる変化も好まない。何となく現状維持をこよなく愛するのが大衆の大衆と言われる所以と言われる。 
かくて、無恥や無知からくる発信力は、ときとしては信じられないほどの説得力を持つといわれる。
週刊プレイボーイは大昔の若かりし頃、ドキドキしながらグラビアをめくった記憶がある。
政治・経済関連の記事などは一切記憶にはないが、何となく週刊プレイボーイ誌のネット記事が目に留まった。
安倍さんの選挙区の山口4区の有権者の動向が掲載されていた。
キーワードは「恥」と「共犯者」である。
桜を見る会の「説明から逃げる安倍さんは恥ずかしいけど、自分も恥ずかしい。
共犯者になったという自責の念もある」『各界で功績・功労のあった人』でもないのに、首相に招待されたからと、お上りさんのように集団で新宿御苑に行き、公金で飲み食いしたのですから。
『さすがにこの体たらくでは格好がつかない』という愚痴が漏れ出ている」                     
 山口晋友会メンバー
 週刊プレイボーイ6号(1月27日発売)巻頭特集
真偽のほどは明らかではないが、本日2月17日のネット記事の内容である。
いずれにしても、週刊誌にこんな内容の記事が掲載されること自体が従来は考えにくいことだろうとも思う。
安倍さんもやりつくしたな」感があるのは、私一人なのだろうか?。
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やっと解った安倍首相の底力、偉大さは「無知の突破力」

2020-02-04 11:22:42 | 日記
    やっと解った安倍首相の底力、偉大さは「無知の突破力」
 「無知の知」なる言葉は、おそらく、人類の永遠のテーマの一つと言っても過言ではないのかもしれない。
我らの英雄長嶋さん流に言えば「永遠不滅の言葉」なのである。
 アベノミクスという歴史的な愚策を7年も継続し、日本の政治経済を混迷停滞させながら、未だなおかつ国民の多数の支持を得ている安倍首相の存在がほぼ理解できなかった。
先日のネット記事で、「安倍晋三という『無知の突破力』」という言葉を目にした。
憲法学者で早稲田大学の水島朝穂教授の言葉である。
この言葉をネット記事で見たとたんに、この間の胸のつかえがスート取れた気がした。
安倍首相の処世術と言うか政治手法のトリックが丸見えになった気がしたのである。
 デフレにもがき苦しむ日本社会で、まったくの的外れな経済政策(アベノミクス)を取り続けてきた。
明らかな需要不足のデフレ経済下での無節操なゼロ金利政策、大企業や富裕層への減税、輸出奨励策など徹底した供給サイド重視の経済政策は単なる、思い付き的な富裕階層への富のバラマキ政策でしかなく、必然的に国民の貧困と経済格差を常態化させた。
 国会運営においても安倍首相はじめ、閣僚や官邸さらには官僚が総出で情報を隠蔽し、無責任な公文書破棄を繰り返す。
それを追及されれば言葉の言い変えでゴマカシ、それでも飽き足らず恥も外聞もなく公文書を書き換える。
それがばれたら真っ黒に塗りつぶした公文書を臆面もなく国会に提出するというモーレツ官僚たちに守られる安倍内閣の結束力は尊敬に値する。
水島教授によると、無知の突破力の原点というかその原動力が安倍政権の独善性を体現する「トンデモ閣議決定」だという。
それでは「無知の突破力」なる安倍内閣の「笑えない閣議決定」の内容、つまり突破力となっている秘策の具体例をいくつかランダムに列挙してみよう。
国連での環境対策会議での小泉環境大臣の「環境対策はセクシーに進めるべき」発言が国際的に揶揄されると、安倍内閣はすかさず伝家の宝刀を抜き放った。
セクシーとは「考え方が魅力的なという、意味がある」という、それこそ意味不明な閣議決定を公表した。
世界の批判の目は環境対策にに対する日本の消極的な姿勢を批判しているにもかかわらず、閣議でご丁寧にも言葉の意味だけの解説をしている。
 本省の課長クラスを秘書につけ、平成の水戸黄門様気取りで大活躍した「総理夫人は私人」という閣議決定も記憶に新しい。
 自衛隊の海外派遣の問題では「侵略」についての定義が確立していないという、閣議決定を下し、さらに派遣そのものが憲法にもかかわる重要議題にもかかわらず国会閉会中に閣議で派遣決定を既成事実化し正当化するという、憲法無視の暴挙も平気でやってきた。
 少し古い話になるが、笑うに笑えない例もある。
当時の島尻安伊子沖縄地方相が歯舞の読み方に窮した、「えー何だっけー」発言の際にも安倍内閣はご丁寧にも「島尻大臣が歯舞の読み方を知らないという事実はない」との閣議決定をしている。
 麻生副総理兼財務大臣の「セクハラ罪という罪はない」発言についても、強制わいせつ罪を否定するかの閣議決定を行ってきた。
最近の桜を見る会に際しても「反社会的勢力」についても定義が困難で明確な答弁もできない旨の茶番的な閣議決定もしている。 
ほんの一部を列挙したが、政権の不祥事、不条理、不合理もすべて安倍友内閣の閣議決定ですべてがクリアされ闇に葬られるのだろうか。>いやはや世にも恐ろしきは憲法をも凌駕する安倍内閣の閣議決定力である。
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「今さら」or「今だから」、夫婦の愛を考……

2020-02-02 09:11:15 | 日記
    「今さら」or「今だから」、夫婦の愛を考……  11月22日は、語呂合わせでいう「いい夫婦の日」だそうだ。 総務省の発表によると、20~30代の既婚女性368人へのアンケート調査の結果、「自分のパートナーは愛妻家」と考えている、女性の割合は実に90.8%にも達するという。 (どちらかというと愛妻家37%)を含めての数字にしても、予想外の高さにも思える。 対象が20~30代の比較的若い夫婦だけに、結婚初期の「若サルエ~ダー肌がなさ」シンドロームが端的に現れた数字なのかもしれない。 いずれにしても結婚生活は長い、結婚生活をいかに過ごすかで人生の質が決まるといっても過言ではないだろう。  結婚や、夫婦の愛については古今東西多くの偉人、有名人たちが己の人生をかけて色んな説を展開している。 結婚や夫婦の愛についての世界の偉人たちの思いを聞いてみる。   ゲーテは「結婚生活は多くの幸福をもたらす、一切の文化の始めであり、頂点である」と言いきる。  「とにかく結婚したまえ。良妻を持てば幸福になれるし、悪妻を持てば哲学者になれる」と喝破する、ソクラテスの結婚哲学は最高にカッコいい。  サミエル・ジョンソンは「結婚には多くの苦痛があるが 、独身には喜びがない」と現実的な視点から結婚を肯定している。  また、モンテニューは「素晴らしい結婚は盲目の妻と、耳の不自由な夫の間でうまくいく」と結婚生活の知恵を示唆している。  「老夫婦の友情は最も美しい芸術である」と賛美する、三島由紀夫の感性も心に残る。  「結婚したまえ、君は後悔するだろう。結婚しないでいたまえ、君は後悔するだろう」(キルケゴール、デンマーク哲)  「結婚するやつは馬鹿だ、しないやつはもっと馬鹿だ」(バーナード・ショー英) など、結婚生活は「人生の選択そのもの」と突き放す人生論的視点もみられる。   「夫婦の愛情はお互いが鼻についてから、やっと湧き出てくるもの」(オスカー・ワイルド)  「愛とはお互いに相手を知らない男女の間に発生するものである」(w・sモーム)  「愛する人の欠点を美徳と思わないほどの者は、愛しているとは言えない」(ゲーテ)など、結婚生活の本質を指摘する言葉も多い。  「結婚はお互いの誤解に基づくもの」(オスカー・ワイルド)  また、帝政ロシアの文豪トルストイは「夫婦喧嘩はケンカではなく、あれは性欲がやんだ結果現れたお互いの本当の姿に過ぎない」と男女の究極の性と愛をストレートに指摘する。  人間は常に怠惰で我儘な存在であり、「人間は不幸か、貧乏カ、病気が必要だ。でないと人間はすぐに思い上がる」と、人間の怠惰で我儘な習性を指摘するのはツルゲーネフである。  ゲーテは「愛の終わりはいつも善悪を超えたところで起こる」と言う。 人生とは時の流れである。万物流転は世の常である。 時が経てばすべてが変わる。  「神は移ろいやすいものだけを美しくした」と言い切る、ゲーテの言葉は痛烈に心に響く。 時とともに草原の輝きも、美しく咲く花も色あせてくる 絶世の美女も白馬の王子様も、すべては過去のものでしかない。 「生きてる者は変化に対する覚悟を持つべきだ」という、ゲーテの言葉は重い。
いつの世も、夫婦のいさかいも熟年夫婦の離婚も絶えることはないだろう。 人間が人間であある限り。  オードリー・ヘップバーンは実にうまいことを言っている。 「愛は筋肉といっしょ、鍛えなければ衰えていく」そうだ。 「夫婦は縁あって今生を共に生き抜く同志」であり、お互いの存在はお互いが成長しあっていくための「筋トレ用の重し」なのかも知れない。 マラソンレースは撰ばれし強者しか参加しない。しかるに人生といういのちを繋ぐバトンリレーは全員参加が原則である。 得手不得手なんか言っていられないのである。やはり長い人生のレースを完走するには鍛錬は欠かせないのだろう。  「人間が人間のことを想う、これ以上に美しいものはない。人生で大事なものはたった一つ。 心です」と銀幕の大スター高倉健は言う。 やはり、思いやりに勝る夫婦の絆はないのだろう。  「若サルえーだー肌がなさ、年トレーから肝がなさ」という、ウチナーの古い教えもある。 ドイツの哲学者エーリッヒ・フロムは、「愛は感情でなく、決意であり、決断であり、約束である」と言い切る。 これはまさに、愛の真実を語る言葉のような気がする。 少し寂しい気もするが、このフロムの一言が、夫婦の愛のすべてを物語っているのだろうと思う。 結婚生活も夫婦の愛もそのベクトルが乱れぬように常に心掛けねばならないのかもしれない。
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