ゆとろぎへの道 仲村峯夫 一隅を照らす素晴らしきかな人生 照らさずとも好し また素晴らしきかなこの人生(とき)

日々、つれづれなるままに、心のおもむくままに、趣味的ハルサーの想いを…
自分探しの旅は 違う景色の見える道

新たな呼吸法との出会い

2019-07-29 10:45:13 | 日記
  新たな呼吸法との出会い
 最近簡単な呼吸訓練器具を使った新たな呼吸訓練に取り組んでいる。
二度目の入院の時、主治医に指示されたものである。
今回の治療にはかなり重要な訓練らしく、看護師が実地指導までしてくれた。
3,700円で購入したインセンティブスパイロメトリーというごく簡単な呼吸訓練器具を使い、毎日2~3時間ごとに10回ほどの呼吸訓練をするよう指示された。
起きている間、3時間ごとに10回の訓練(一回14~15分)となるとかなりの頻度である。
6時起床で22時就寝とすれば、起きている16時間の間、3時間ごとに6回づつの計算になる。
トータルで60回の回数よりも、毎日3時間おきの訓練頻度はさすがに気が重い。
昨日までの1週間、先生に指示された回数は実施できていない。
その代わりと言うか、器具を使わないでの同様の自己流訓練(カラバンチ)はそれなりに実施しているつもりである。
 事実のみを白状すれば、呼吸法の実践は私の人生指標の一つにもなっている。
かなり昔の話だが、東京渋谷の西野流の呼吸道場に半年間通ったこともある。
その後の成果の内実は別にして、現在も私的には自己流の呼吸法を実施しているつもりでいる。
私が現在実施している自己流の呼吸法は一般的というか、「呼気」(吐く息)を重視した所謂オーソドックスな呼吸法である。
しかし、今回病院で指導された呼吸法は完全に「吸気」、所謂吸う息をメインにした呼吸訓練法である。
多少の戸惑いはあるが、呼気と吸気の組み合わせが呼吸なので極力指示通りの練習をするつもりでいる。
問題は指示された回数をどの程度、実施できるかである。
今までの実績からすると呼吸法の訓練を習慣化できているとは言い難い。
習慣化は全てのものごとの効率化であり、あらゆる修行の入り口でありそしてその、近道なのかもしれない。
これを機に、呼吸法の完全な習慣化を目指したいと思う。
その為には一念の集約が不可欠の条件になるのだろう。
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ゲーテと荘子のコラボ、「ただ今の一念、これより他なきなり」「何もできない時は寝て過ごせ」

2019-07-28 07:00:20 | 日記
     ゲーテと荘子のコラボ、「ただ今の一念、これより他なきなり」&「何もできない時は寝て過ごせ」
 想定外の体調不良で入退院を繰り返している。
入院生活は体調面や病院独特の生活パターンなどから色々の制約がある。
今の苦しい入院生活や将来のことを考えると、大げさに言えば絶望的になるほど気がめげたりもする。
気力も体力もよれよれの今思うのは、今をどう生き抜くかだけで明日以降のことを考える心の暇などありはしない。
そんな時,ふっと心に思い浮かぶのは「送らず 迎えず 応じて 納めず」という言葉である。
中国の故事(荘子)に出てくる言葉だが、現在の私の心境はまさに「ただ今の一念 これより他なきなり」の心である。
今現在を何とか生き抜くのに、アップアップしている。
過去や未來に思い煩っているゆとりなど全く無いのである。
 半面、生来生真面目で小人者の性格から日常的には、簡単に自分の心を解き放ち真のゆとろぎを感じることはそう多くはない。
ともすれば、日常的に「一歩でも、半歩でも前に進めたらいい」の小心者根性が先立ってしまう。
人生のピンチに望み、このような小心者根性は何の役にも立たないどころか、ダブルパンチとなってめげそうな心に決定的なダメージを与えかねない。
やはり、ここは彼のゲーテおじさんの出番である。
今のような心身ともに、「何も考えられない、何もできない時はただ寝て過ごせ」である。
 ゲーテと荘子の格言は今の私にとっては最強の応援コラボである。



 
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