ゆとろぎへの道 仲村峯夫 一隅を照らす素晴らしきかな人生 照らさずとも好し また素晴らしきかなこの人生(とき)

日々、つれづれなるままに、心のおもむくままに、趣味的ハルサーの想いを…
自分探しの旅は 違う景色の見える道

似て非なるものー「想い」と「こだわり」

2011-07-12 13:19:54 | 日記
   似て非なるものー「想い」と「こだわり」

 「想い」も「こだわり」もある特定の対象に対する愛着や特別の感情を示す言葉である。

「想い」は○○が好き、○○になりたい、○○のために~したいのように対象物に対する強い憧

れの気持ちが強く、その気持ちを肯定的に集約し、そして純化していくパターンが多い。

それに対し「こだわり」は○○でなければダメとか、○○だけは譲れないと言うようなタイプの

愛着、執着が強く、拘ればこだわるほど執着心が強くなり、それがいき過ぎれば対象物以外

の否定、排斥、排除につながる可能性が高い。

いずれにしても、こだわりの究極は対象物以外の否定に繋がりやすく、否定の究極は排除、

破壊に行きやすい。

 昔から「思いは叶う」と言うし、昨今は「思考は現実化する」と言われても違和感を抱か

ない人も多い。

量子力学の世界でも 「人間の想い、想念、意識がこの世の現実を創りだす」と受け取れる

ようなことを言っている。

「念ずれば花開く」とも言う、世の中は想った通りにしかならない。全身の力を抜き去り、

想いを集約する。

こだわりを抜き去り、「想いを込めてあるがまま、成るがまま」、心しなやかに生きる。

それは恬愉(てんゆ)の心、「恬愉の心」は「ゆとろぎ」の心なのである。