生きる力・勇気・志――「ブッダの言葉」を中心に

大阪の禅寺 天正寺住職 佐々木奘堂(じょうどう)のブログです。人間が本来もっている自由で活発な身心を探求していきます。

もし明日命が終わるとすれば・・・

2011年03月18日 | 思ったことなど
「もし明日命が終わるとすれば、先生は何をしたいですか?」と、
ある方から問われましたので、このブログでも、
それに応えてみたいと思います。

 もちろん、その都度の自分や状況や、周りの状況の中で生きているので、
自分や周りの状況次第で、「何をしたいか」も、変わってくるでしょう。
ですが、どのような状況にあろうとも、
「ここで自分は何をしていこうか」と考え模索さながら生きていく、
という基本の姿勢は、仮に明日死のうとも、何も変わらないと思います。

 以前、どこかで北野たけしの言葉を読んで、
「私も全く同感だし、私も死ぬまでこのようにありたい!」と思った言葉が
あるのでご紹介します。

 ただ生きてるんじゃなくて、何かこう、やりたい、やるべきものを
死ぬまで努力だけはしているかたちだけは取りたいね。

 仮に、がんを宣告されて、3日後か、1週間後に、あんた死ぬよって言われても、
下手すると、毎日家でタップダンス踊ってるだけだと思う。

 世界中のうまいもの食って世界一周旅行くらいしてきなよって言うヤツが
いるかもしれないけど、そんなバカなことは絶対にしない。

 今までどおり、ピアノのレッスンして、タップ踊って、ネタ考えて
コテッていけばいいのであって。
その生活パターンを絶対に崩さないよね。

 私も、明日とか、1週間後とかに死ぬとなっても、
自分が、やろうと思ったこと、やるべきだと思ったことを、
死ぬまで、その都度の自分で、できる限りのことを、していきたいです。

 今、仮に、私が、3日後か1週間後に死ぬと宣告されたとしたら:
 もちろん、約束していたことのキャンセルを伝えたり、身辺整理は、
当然ですが、それ以外に、何をするでしょう?
思いつくままに、下に箇条書きにしてみます。

・手紙やメールで、家族や友人たちと連絡を取り合い、やりとりしますし、
 ぜひ会っておきたい人と会えるよう努力するでしょう。

・坐禅をします。
 一人でもしますし、共に行ずる人がいてくれるなら、その人たちと一緒にもします。

・ブッダの言葉を読みます。
 一人でも読みますし、あるいは共にブッダの言葉を学びたい人がいるなら、
 共に読み学んでいきます。

・「ブッダの言葉」や身体のことに関して、どうしても伝えておきたいことが
 ありますので、それを本の形にしたいと努力するでしょう。

・本にならなくとも、人に伝えたいと思うことを、ブログでも書くでしょう。

・現在行なっている坐禅会や講習会などの準備もするでしょう。

 これら全部はできないでしょうから、限られた命の中で、
どこからどうやっていこうか、その都度考えてやっていくでしょう。
 
 今、書いたように
「限りある命の中で、自分や周りの状況の中で、
その都度判断をして、できる限りのことをやっていく」
という基本の姿勢自体は、明日死のうとも、数十年後に死のうとも、
変わらないと思います。

 実際、私たちは誰でも、いつか死ぬことはわかっていますが、
それがいつかは本当のところは誰にもわかりません。
 この先、1日しかないか、50年命があるか、全然わかりませんが、
いずれにせよ、限られた命の中で、
自分がやろうと思ったこと、やるべきだと思ったことを、
命ある限り、努力している形だけは取りたいとおもいます。


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コメント (2)
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