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土浦の自然

茨城県の土浦市から,身近な自然を紹介します。

石岡市上曽の綿引邸

2010年03月07日 | 歴史
綿引邸





石岡市上曽(旧八郷地区)にある綿引邸は元旅籠だったそうです。
現在も住まいとして使われている為か,しっかりしています。
かつての交通の要衝にあったのでしょう,道標がありました。

板敷山大覚寺

2010年03月03日 | 歴史
板敷山大覚寺







茨城百景の一つにもなっていて,茨城県旧八郷町(現石岡市)にある親鸞聖人縁の板敷山大覚寺です。親鸞がこの辺りで布教活動中に,そのことを快く思わない地元の山伏に殺されそうになったということで,親鸞聖人法難の遺跡となっています。現在も浄土真宗本願寺派の寺院として立派な佇まいを残しています。
桂離宮の庭を模したと言われている「裏見無しの庭」も,とても素晴らしい庭です。

佐久良東雄の旧宅

2010年03月02日 | 歴史
佐久良東雄旧宅









水戸藩開藩400年を記念して,映画「桜田門外の変」の撮影が進んでいるようです。
この事変(地元では義挙と呼んでいます)に連座して,徳川の飯は食わないと獄死した勤王の歌人佐久良東雄の旧宅がもとの茨城県八郷,現石岡市にあります。
今日は冬が戻ってきたような寒さでしたが,八郷方面に行ってきました。

小田城址

2009年07月14日 | 歴史
小田城址

小田城跡は昭和10年に国の史跡に指定されました。昭和13年に建てられた史跡を示す石柱です。


小田城は,1189年常陸国守護に任じられた八田知家を祖とする小田氏の居城として鎌倉~戦国時代に整備されました。


南北朝時代には南朝方の関東における拠点となり,北畠親房が「神皇正統記」を著した城としても知られています。


戦国時代,小田氏は佐竹氏などと争い,1569年の佐竹軍小田城総攻撃で落城しました。以後,何回か奪回作戦を試みたようですが失敗し,小田城は佐竹氏が支配するところとなります。


1602年,佐竹氏の秋田移封により,小田城は廃城となります。

つまり,小田城は戦国時代の終わりとともに主を失い,遺跡として現存していることになります。






案内板の地図によると,かつて関東鉄道筑波線(地図上の茶色の線)が城跡の真ん中をつっきていました。
平成26年頃には,発掘調査や復元整備工事が完了し,歴史広場としてオープンするようです。