餘慶寺(よけいじ)は,中国三十三観音霊場第二番札所であり,
また,山陽花の寺二十四箇寺の第十六番でもあります。
上寺山からは岡山市街からとおく瀬戸内海が見渡せる展望が楽しめました。
写真の三重塔は江戸時代後期1815年(文化12年)建立のものです。
餘慶寺(よけいじ)は,中国三十三観音霊場第二番札所であり,
また,山陽花の寺二十四箇寺の第十六番でもあります。
上寺山からは岡山市街からとおく瀬戸内海が見渡せる展望が楽しめました。
写真の三重塔は江戸時代後期1815年(文化12年)建立のものです。
餘慶寺(よけいじ)は,平安時代に円仁(慈覚大師)によって本覚寺と改められましたが,
近衛天皇の勅願所となって現在の上寺山餘慶寺となり,
その後,宇喜多氏や,岡山藩主池田氏の庇護の元で栄えました。
写真の本堂は,1570年(永禄13年)の建立で,国の重要文化財に指定されています。
餘慶寺は,国道2号線岡山バイパスを西大寺に向かい,
吉井川にかかる雄川橋をわたって高台を上ったところにあります。
寺の縁起では,奈良時代749年(天平勝宝元年),
備前国の伝説的僧侶,報恩大師により開かれたとされています。
西大寺を有名にしている会陽(裸祭り)は,夜間,褌姿の大勢の男が集い,本堂の御福窓から
投げ入れられる宝木(しんぎ)を手に牛玉所大権現に参り,本堂西の四本柱をくぐり本堂に向かいます。
そして一着となった者がその年の福男になるというものです。
毎年2月第三土曜日に行われるもので,今年は来週の16日となります。
高祖堂・18世紀末の建築とされています。
西大寺の起こりについて,寺伝によれば奈良時代の777年(宝亀8年)に堂宇が建立したとされています。
元々は犀の角を戴き鎮めた地に建立したことから、犀載寺と称したが後に改称したとされていて,
奈良の西大寺とは名の由来が大きく異なっていることが分かります。
本堂は江戸時代末期1863年(文久3年)の再建で,三重塔と共に県の重要文化財に指定されています。
西大寺は,地元岡山では観音院とも呼ばれ,中国観音霊場の第一番札所でもあります。
寺伝では奈良時代の創建とされています。
三重塔は,江戸時代初期1675年延宝6年に再建されたもので,県の重文に指定されています。
西大寺といえば,東大寺に対比される奈良市内にある寺院を思い浮かべますが,
岡山には日本三大奇祭「はだか祭り」で有名な西大寺があります。
岡山駅前からは相生,姫路方面に5駅,JR赤穂線下車徒歩10分ほどです。
備前市の真光寺は,行基により奈良時代739年(天平11年)に創建され,
その後,報恩大師が孝謙天皇の勅命により,
備前四十八箇寺の一つに加えたとされています。
本堂は1516年(永正13年)に修理増築されたもので,三重塔ともに国の重文に指定されています。
国道2号線を兵庫県相生市側から岡山県に入って少し進むと
ほんの一瞬ですが道からわずか右手に朱塗りの塔が見えます。
真光寺の三重塔です。
もう少し正確に位置を書くと,備前焼の里,JR伊部駅よりも一つ手前
JR西片上駅から国道沿いに徒歩5分ほどにあります。
塔は,室町時代中期に建造されたものといわれ,江戸時代初期の
1613年(慶長18年)牛窓町の蓮華頂寺にあったものを移築したとあります。