かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

「腰のネクタイ」について。

2016-09-06 | 気ままなる日々の記録

  今日は昨日のリハビリが理学療法士の都合で午後に入り、

午前はお風呂と云う忙しい日程になった。

 午後初めての男の若い理学療法士のお世話になった。

この理学療法士が午前中に担当した患者さんが中年の明るい性格のご婦人であったそうだ。

このご婦人が理学療法士《S君》に「あんた、真ん中の足は使っているかね」と聞いたという。

この理学療法士は意味が分からずキョトンとしていたら、このご婦人が「下ネタの話しよ」と云って笑われたという。おそろしいことを聴くご婦人がいたものだ。

 そこで、偶然近くにいた自主トレ中のご婦人に声をかけ「真ん中の足」ではわかりませんよ」と云ったら彼女が「じゃあなんていうの?」と聞き返しててきた。

 チョット慌てたがとっさに「せめて、腰のネクタイと云ってよ」と答え。皆を感動させた。「首のネクタイ」も「腰のネクタイも、下がっているだけで価値があり、ネクタイは男子専用と云うところもよかった。お蔭で皆で大笑いし楽しいリハビリとなった。

 これで、数日中にこの話は有名になり、「腰のネクタイ」と云う綽名(あだな)を頂戴するかもしれない。

 くだらない話で、シツレイしました。(T)

 


三木清の「人生論ノートを読む」岸見一郎著 を読む。

2016-09-05 | 気ままなる日々の記録

   今日9月5日(月)は理学療法士の都合でリハビリの予定が明日に変更され、予定が全くなし、オール・フリーと云う恵まれた日になつ た。

 そんなわけで、朝からわくわくしてチョット骨のある本を読み始めた。

 その本がタイトルに書いた本である。 

最初に三木清と云う人を紹介します。

 生まれは1897年《明治30年神戸で生まれ、旧制中学までは自宅通学。旧制高校は東京の第一高等学校に進学。

 此処で哲学に興味を持ち、京都大学へ進学、西田幾多郎氏に師事卒業後、岩波書店の援助をえて、1922年から1925ねんまでヨーロッパに留学、ドイツでは、リッケルト、ハイデッカー、に学び日本の哲学会をリードする思想家として帰国します。

 事実帰国後岩波の顧問として出版会を指導し、自分も各種の雑誌に論文を発表した。

 三木の経歴を一瞥しただけでものすごい秀才であることがわかる。

 蛇足ながら日本の場合、人生とは何か、とか、結婚の意味はどこにあるかなど、哲学と云われる分野に関して大いに問題にし、若い人に考えさせることが重視される時代と、

そんなことは見向きもせず、学問は就職の手段で経済《収入)のことばかり問題にする時代との差が大きいと云えます。

 身近な例で云うと戦前の明治、大正時代の学生は哲学志向が強く、戦前学生たちに人気のあったでかんショぶしなどでこのことがよくわかります。デカンショは、デカルト,カント、ショウペン・ハウエルの省略で、旧制高校の学生が良く歌ったデカンショ、デカンショ、で半年暮らす、ヨイヨイ、

 後の半年は、寝て暮らす、の歌はこの様子を良く歌っていると思います。一方、戦後は一気にお金儲けへの近道に熱中することになりました、又「人生これ不可解」と木の幹に書き込み滝に身を投げた一高の学生が出たのが戦前ならば、東大の学生たちが会社を興し何と大学入試模擬試験を行い全国規模の会社に育て上げたのが戦後である。

 戦前の学生たちがよく問題にしたのが「死」とは何かであり「人生とはなにか」あるいは「善」とは何か?であった。

 江戸時代や明治時代に尊重された中国の古典「論語」なども戦後は見向きもされず封建的と一語で捨てられた。

 どうも我が国の思想界は軽々しく先進国の真似をしようと云う意識がつよすぎるようです。

  特に文化系の学問に関して日本の学会は底が浅いと思われます。

 一方、論語には「我未だ『生』を知らず。いわんや『死に置いておや」と云う一文があるそうです。前記の本にでてきます。オソマツ君は中国人のこうした態度は大したものだと思います。

 カントが死について考えているという時中国人はそのあとを追うことを考えず、興味ないと切って捨てる態度と思われます。

 我が国もそろそろ先進国の後追いをやめて、自分で考え世界に発信する学問を打ち立てたいものだ。(T)


これが典型的な年寄りの愚痴か?

2016-09-02 | 気ままなる日々の記録

   入浴の時、ケアーさんとよく雑談をする。彼女たちは、近郷近在の主婦で子どもが学校へ行っている間だけパートで働きに来ておられる30歳前後の方々だ。

昨日も台風や洪水のはなしになって、オソマツ君が「折しも二百十日《二百とうか》だし」と云ったら「何ですかそれは」と云われてしまった。

立春から数えて210日目と云うことで台風シーズン到来と云われていたものだ。

220日《二百二十日》もよく言われていたものでオソマツ君は子供の頃よくきかされていたものだ。

 そういえばひな祭りも端午(たんご)の節句もあまり聞かなくなってしまった。江戸から明治にかけてわが大和民族が農耕生活の中から生み出した民族の伝統文化を敗戦によって一気に失い、クリスマスだのバレンタインだので騒いでいる商店のハシタナイ儲け主義に踊らされてしまったようだ。クリスマス、バレンタイン、とくれば忘れられないのが、「ハロウーン」だ。旭ヶ丘の高校生服部君が「ハロウーン」の日にアメリカの一般家庭で銃殺された。この日はアメリカでは子供たちが魔女の服装をして、近隣の住宅へ入り「お菓子を呉れ!呉れないとイタズラをするぞ!」と云って、お菓子をたくさんもらえる日だそうだ。服部君はホームステイ先の友人と仮装してお菓子を貰いに民家に入りそこのご主人が「フリーズ」と云ったのにそのことが良くわからずうろうろして射殺されてしまった。服部君のご両親の気持ちを思ったらいてもたってもいられない。この事件を知ってほとんどの日本人は、アメリカとは、何と恐ろしい未開な国だろうと思ったものだ。

 このハロウィーンだけは、日本の商業主義も敗北したようだ。服部君のご両親はアメリカから寄せられた弔問のお金を一括アメリカの銃規制の運動を展開しているNPOに寄付されたと聞いた。アメリカでは何と銃規制の法律が議会を通過しないと聞いた。市民の反対と同時に銃メーカーの反対が根強いからだという。

西部開拓時代の価値観が市民の潜在意識となっているからだ。恐ろしいことではある。

 

 マスコミも日本文化の伝統を尊重し、次の世代に確実にバトンを渡したいものだ。むしろ江戸や明治の伝統文化を掘り起し光を当ててほしい。低俗なアメリカ文化に傾倒することだけは止めて貰いたい。(T)


直して欲しいもう一つの癖。

2016-09-02 | 気ままなる日々の記録

   夜なかにメールを見る癖と、もう一つ、何とかしてほしいと思う癖がある。パソコンを使ってアマゾンで本を注文することである。

  始めのうちはリハビリにもなるし本を読むことはとても良い趣味だと考え容認していたが、そのうちに、毎日本が届くようになった。そしてとうとう請求書も月3万を超してしまった。ざっと計算してこのペースで本をかったのだとすると、3年で100万を超してしまう。経済的にも困ったことになる。

  よく見ていると買った本は半分ぐらいしか読んでいないようだ。部屋の中に読んでない本がどんどん増えていく。狭い部屋が余計狭くなる。大変な事になると思って、強く抗議した。

 それでも、付いた習慣はなかなかすぐには治らない。どうしようかといろいろ考えた挙句、A4の用紙に太いマジックで「本の注文禁止」と書いてパソコンにガムテープで張り付けた。次に部屋へ行くと影も形もない。綺麗にはがされていた。「どうして、取ってしまったの」と聞くと平気な顔をして「みっともないから取った」という。よしこうなったら根気比べ何回でも貼り付けようと覚悟を決めた。確かに人は何かに夢中になると他のことが見えなくなってしまい、軌道を修正するのが難しいものだ。

それでも、何とか功を奏したのか、今は休息状態である。(E)

 

    

  蓮池の鯉