かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

真面目と不真面目について。

2016-09-14 | 気ままなる日々の記録

 今日は水曜日だから11:15分からリハビリだった。いつも僕を担当してくれている理学療法士が都合が悪いとかで別の人が僕を担当してくれた。僕は早速予防線を張った。「あまり、真面目にやらないでくれよ」と。

「不真面目な真面目ぐらいがちょうどいいんだ。」「最悪は真面目なふまじめだけどね」と云った。

 理学療法士というのも気の毒な仕事で、患者だが痛がることをやってこそ褒められる商売だ。硬縮が起こった筋肉を伸ばして良くほぐして、必要な収縮を脳の命令によって自由にコントロールしてできるようにしようという訓練士だ。硬縮した筋肉を強引に引っ張ってのばし柔らかくしようという極めて原始的な江戸時代のマサージとお灸を合わせたような医療行為である。

 いずれにせよこんなことを真面目にやられたら、患者はたまったものではない。患者が痛がることを次々とやらせる。オソマツ君はついに「僕は別にオリンピックに出ようというのではないから。もし例の障害者がでるオリンピックに出ないかと云う話があっても、即座におことわりするから。僕はもう、日本の男の平均寿命は生きたんだから、あとは気ままな余生で十分満足且つ感謝だから、つまらぬことをやれやれと云うんじゃないぞ」とくぎを刺しておいた。

 かくして、例の新顔理学療法士もホッとしたようで「分かりました」と云った。どうやら僕は厄介な反抗的な患者として彼らの間で有名になっていたようだ。僕の思う理想は新しい患者については理学療法担当者と患者がよく話し合って余生の生き方について話し合い、双方の合意の上治療が始まるというような制度である。(T)