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かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

今日は3月11日、東日本大震災、巨大津波と原子力発電所の屋根が吹き飛んだ日です。

2016-03-11 | 気ままなる日々の記録

  数日前安部総理が記者団にそれを聞かれて答えていた内容が思い出されて悲しくなった。

 「原子力発電は我が国にとって欠かすことのできない電源だ」とあっさり言ってのけ、

 復旧工事に国と予算をたっぷり計上したと云わば自画自賛の答弁をしていて、

 我が国は政治的リーダーに恵まれない国だなあと改めて思ったからだ。

 東京電力の幹部が記者団の前でお決まりのポーズで頭を下げればそれでよし、

 と云う次元の低い問題ではない。人々の生活や苦しみがまるで見えていない。東京電力の幹部も総理も感性が悪いというか、国語の力が乏しいとしか言いようがない。

 ドイツが脱原発を宣言して見事にやってのけている。

 日本にできないはずがないが、

 ただリーダーの力量が違う。

 日本でよきリーダーが育たない原因を考えないとこの国はまた第二第三の敗戦を迎えることになりそうである。

 ドイツで脱原発を推し進めたのは知識人と中産階級の人々であった。

 最初に興した国民運動が住宅の断熱化であった。窓や戸口のアルミサッシを二重ガラスの物に替え室内の熱を外へ逃がさない、これらを政府の補助金なしで愛国運動として展開したといいます。赤字国債を発行して補助金を付けて貰っても、ゆくゆくはその赤字は増税で返すしかない理屈だから。

 初めから家計に余裕のある家庭から住宅の断熱化を進めたと云います。次が暖房ののオンドル化といいますか、石油を焚いて作った暖かい水をうまく各部屋へ給湯し無駄なく暖房をする。

 最後が太陽光発電で発電装置を買う家の屋根に取り付け石油を燃やして空気中に発生させるCО2を無くす装置であった。ドイツにある市民運動は日本のように政争の具としての市民運動ではなく、愛国的建設的世界に模範を示そうという運動であると聞きます。こうした中から世界のリーダーとなる政治家もそだつというものである。どこかの総理のように右顧左眄しアメリカの番犬になることばかり考えていてどうなりましょう。そのうえ共和党の大統領候補のトランプ氏に揶揄されて、それでも番犬を続けるのか。独自外交を展開しソ連とも中国とも友好条約を結べばよいと思います。《チヨット過激でしょうかね) 

最期に技術立国日本で。太陽光発電で起こした電気を使って水から水素造りその水素を貯蔵しておけば、今度はその水素と空気を反応させて電気をお越し水が造れると聞いたことがあります。つまり、エネルギーを水素にして貯蔵できるということだから。太陽光クリーンなエネルギーを得て貯蔵できるということだから国民がその気になれば、放射線も炭酸ガスもない綺麗な高度産業社会の建設も可能だということになったとえいます。世界に先駆け我が国が世界に範を示そうではありませんか。つまり春から夏にかけて自分の家の屋根で作った水素を晩秋から冬にかけて燃やしその熱で暖房すると云う家です。(T) 

 

 

 


はる

2016-03-09 | 気ままなる日々の記録

                   

            

   上の写真はこの施設の同じ階に入居中の尊敬すべき書家の作品です。1月1日から12月31日までの365日が日曜日や祭日は赤色で書かれています。書家にどのようにしてこの書をお書きになったかをお尋ねしましたら次のような作業手順を教えてくださいました。

①大筆で先ず「春爛漫」と書き、次に木綿糸を用意して、大筆で

②書かれた文字の外側を木綿糸を這わせ、その糸の長さを365で割って、小筆で書き込む1日分の幅を決め、③大筆で「春爛漫] と大書した紙の上に新しい紙を重ね月日を書くスペースの四つの隅に小さい点を書き込む。

  ④最後に小筆で色分けに注意しながら1月1日から順に月日を書き込んでいく。と云う手順だそうです。

  書家によると構想を練っているときが一番楽しく、作業に入ると集中して3時間ぐらいで完成させてしまわれるというお話でした。

 気の散りやすい僕はこんな細かい作業を3時間も集中して続けられる根気力に「脱帽!,最敬礼!」です。お聞きするところによると書家は大正15年生まれで現在89歳と数か月だそうです。改めて集中力と根気力に最敬礼です。(T)

 

 

  戴いたこの書は我が家の「家宝」にし子どもたちや孫たちに見せてやりたいと思っています。(T)


ギターとマンドリンの演奏会。

2016-03-07 | 気ままなる日々の記録

  日曜日ギターとマンドリングループの演奏会があった。指揮者を入れて14名。全部男性ばかりのグループであった。若い方は30代、ほとんどが50代から60代の年齢とお見受けしたがいかにも楽器を楽しむ人の集団と云う雰囲気があった。

 クラシックギター3名、マンドリン・チエロ3名中型のマンドリン2名、普通のマンドリンが5名と云う構成でメロデイーはマンドリンが弾くという感じであった。何と言ってもマンドリンが奏でるトレモロが圧巻であった。

 1時間通して観客も一緒に歌って楽しむという趣向でカジュアルな演奏会はあっという間に時間が過ぎた。

演奏された曲目の一部を紹介すると①「ふるさと」②「喜びも悲しみも幾年月③鐘の鳴る丘④月の砂漠⑤冬の夜

⑥富士山⑦高原列車は行く⑧旅の夜風⑨いつでも夢をなどで,どの曲も聞けば確かに聞いたことがある懐かしい曲であった。

(E_)

 

 

      

 

 


敗北宣言。

2016-03-06 | 気ままなる日々の記録

  2~3ヶ月前「重力波」が話題に、なったときアインシュタインの相対性原理の入門書を読んで、

 偉そうに重力波のことをこのブログで書き「電磁波の一種か」などと書いて学生時代の友人から「それは違うぞ」とメールを貰いました。

 「数か月時間を頂いて相対性原理を勉強し直し、重力波についても正解をこのブログで書きます」などと偉そうなことを書きましたがタイトルの通りここに謹んで訂正・前言取り消しをお願いいたします。

 ただし、ここ数か月遊んでいたわけではなく、

 アマゾンで本を買い込み必死に勉強したことは事実です。

 いい本にも出会いました。

 しかし、「相対性原理」があまりにも常識とかけ離れていて何となくイメージできたとしても、それをわかりやすく文章化できません。

 重力波についても「空間にひずみが生まれる」と云う事実をどう説明したらいいか分かりません。

 買い込んだ本の中で一番わかりやすかった本を紹介させていただき最後はアインシュタインと云う人がすごい天才であったことがよくわかりました。

 と云うご報告で宿題の答えとさせていただきます。重力波も電磁波ではなく「空間の歪み」でした。

 あえて言えば重力波は空間の歪みのことでした。イメージとしては、長方形の四隅に4本の支柱を建て、地上1mの所へ網を張ったとします。

 この網にサッカーボールを転がしますと網がたわみます。このときの網の状態が空間にひずみが生じたということのようで宇宙空間に質量の大きい物体があると《サッカーボール》網がたわみます。

 これが空間の歪みのようです。ここでサッカーボールが揺れると網も揺れます。これが重力波で、網の揺れが空間の歪みでこれが波のように広がります。つまり、重力波です。日本でも、国際基準に合わせた観測をしようと云うことで例の神尾銅山の廃坑を利用して観測装置を造って観測しているようです。(T)

 

光文社新書774「ブラックホール・膨張宇宙・重力波《一般相対性理論の100年と展開》真貝壽明著《900円+税》この本はアインシュタインが出てくる前の世界の理論物理の現状と課題から説明していてくれますからアインシュタインの偉大さが良くわかります。

 

 


スッカリ春めいて、暖かくなりました。《蟄虫啓戸)(ちつちゅうこをひらく)

2016-03-05 | 気ままなる日々の記録

 今日3月5日は『日本の72候によると、見出しのような日で冬籠りしていた地中の虫たちが春の陽光に誘われてゴソゴソ動き始める時季だそうです。

   確かに冬眠から覚めた虫たちがあるものは羽化し花々の密を求めて飛び回り受粉を助け、また或る者はゴソゴソ這い回り,新芽を食い漁り冬の間に使い切った体内養分の補給にせいをだしている。この虫たちもよく太って小鳥たちの餌になり小鳥たちの産卵を助け,小鳥たちは虫を食べて草たちの生育を助けている。

  自然界は本当に自己犠牲を伴う助け合いで見事に繁栄している。

   こうした中にあって人間だけがともすれば勝手なことをして自然の営みを壊したりしている。人間もお世話になった大自然のために命を投げ出す覚悟が必要だろう。(T)

 

 


ユーチュウブでヴァイオリン協奏曲を聴く。

2016-03-05 | 気ままなる日々の記録

    今日は土曜日で10時からのお風呂。明日は日曜日で何もないと思うとどこか嬉しい。

 朝食後早速パソコンでクラッシック音楽を聴き始めた。僕のパソコンはヤマハで音質は良好。

 寄ってチョット音量を上げて部屋中に響き渡らせる。

 となると、やはり、ヴァイオリン協奏曲だ。メンデルスゾーンかチャイコフスキーだ。

 ヴァイオリン奏者の顔もアップで映し出される。

  よく見ると演奏中に眉間と目で指揮者と会話しているようだ。多分指揮者が「イイゾイイゾ」とサインを送りそれを受けて奏者も一層調子を出すようで音が弾んでくる。部屋から溢れた音楽が廊下にも響きチョット通る人を驚かせているかもしれない。

 でも多くの人が明日が日曜日ということで、許してくれるだろうと勝手に想像している。

 僕の思いは高校時代、初めてこの曲を聴いた友人の家のことを思い出している。

誘われるままに彼の家に行くと何と応接間に通され御母さんが紅茶とショートケーキを出してくださり、(註;「紅茶」と「お紅茶」を当時は使い分けていた。お部屋へ運び込まれただけで素敵な紅茶の香りがするものは「お紅茶」色は紅茶の色だが香りが全然しないものは「紅茶」と呼んでいた。香りは

 

 田舎者の僕は緊張して動くたびに骨がガクガク音を立てるほどだった。その応接間にはLPレコードと電蓄《電気蓄音機》と呼んでいた素敵な音楽再生装置があって、彼がお薦めのクラッシック音楽を聞かせてくれた。しばらくすると彼が「今までの曲でどの曲が一番好きか」と聞いてきたのには正直困った。

 「メンデルスゾーンとチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲が良かった。心が震える感じがした」と随分背伸びして答えたら彼が「やはり、メン・チャイ派か!」と云ったことを覚えている。

 クラッシック音楽はメンデルスゾーンとチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲から好きになる人が多く、そういう人をメン・チャイ派と云うと云っていた。僕はそれ以後自信を持って「僕はメン・チャイ派でねえ」などと云っている。

   今、この年になってしみじみヴァイオリン協奏曲を楽しむことができるのも彼のおかげと感謝している。(T)


愚考

2016-03-02 | 気ままなる日々の記録

   数日前NHKテレビで暖冬の年は海苔が不作で値段が高騰すると云っていた。理由は、暖冬の年は海水温も高めで海の小魚が人間が好きな海草を食べてしまうから例の海苔を収穫するために海面すれすれに張った網に巻き付いて成長した海苔が小魚に全部食べられてしまうからだという。つまり、海の小魚は日本人が好きな海苔が好きで食べてしまうという話であった。聞けば予想通りコンビニの「ごはんですよ」は値上がりしているそうだ。

  所で、今日オソマツ君は珍しく自主トレで平行棒に捕まって立ち座りの訓練をしているとき、突然「あれは間違いだ」と思いついた。

  正しくは「海の小魚が好きな海草を日本人も好きで先に海の小魚にたべられてしまうから」というべきではないか」と思いついた

 。高校時代の生物で習った発生と進化理論によると、深海の熱水鉱床で偶然にも出来上がった単細胞動物がDNAを内包した単細胞生命体に進化し、さらに「接合」と云う活動を通して遺伝と進化を繰り返し、小魚は食べ物を求めて両生類から爬虫類へさらに爬虫類から鳥類へと進化し鳥類から哺乳類がうまれ、突然変異と適者生存の原則に従って人類まできたわけだから、小魚が好きな海草を日本人も好きでと云うべきだと気が付いた。何故なら、日本人の先祖が海の小魚の先祖と同じだからである。

   NHKもちょっと軽率だったといえるのではないか。これを何の関係もないリハビリ中に思いついたから人間の脳はふしぎである。(T)


3月1日(火)今朝4時半ごろよく冷えてガタガタ体が震えて目が覚めた。

2016-03-01 | 気ままなる日々の記録

 お風呂でその話に、なったとき駐車場に止まっていた車の上にうっすらと雪が積もっていたと聞きました。

 雪を見るとすぐにスノータイヤにしなければと思うし、

 普通タイヤとスノータイヤの付け替えにお金が掛かるし、

 スノーばかりで走っているとスノーのタイヤが減って買い替えにお金が掛かるしスノーの付け替え位あなたやってよと主人にいっても、「そんなら自転車で行け」というだけでやってくれないし。

 若いころは平気だったけどスカートで自転車に乗ると腿が冷えて全身の骨まで冷えて震えが止まらなくなってしまうし、困ったものだわ」とおっしゃる。

 こんなとき、ついうっかり「もっと大きな船で春を運んでほしいね」などと云ってしまう。例の吉野弘の詩の「2月の小舟」のことである。

 しかし聞く方はそんなことはわからないから、オソマツ君はついに、気が狂ったなあと思うだけである。

 それでも、今日は午後からグーと暖かくなって大分大きな船で春を運びこんでくれたようだ。

 文句を云わずに自然に感謝する心が大切だと知ったところです。(T)


菅原道真事件で気が付いたこと。

2016-03-01 | 気ままなる日々の記録

  知的教養で右大臣まで上り詰めた菅原であったが、藤原氏の誹謗中傷で九州の大宰府へ左遷された道真であった。ここで、失意のうちに死亡するが、その後恨みが藤原氏に向かうことは無く天皇家に向かったり京都の神社仏閣へ向かうことに違和感を持った。

  此処で考えられるのがこの事件を記録した歴史的な文書がそのように描いているのだろう。このあたりが今日的な感覚と大いに違っていて面白い。どうしてそうなったか?。考えられるのは次の2点である。①藤原氏はその後も勢力を持ち続けたので、自分たちの先祖の悪口を書いた文書は破棄させた②貴族社会には他者への批判中傷は日常茶飯事だから大切なのは天皇の冷静な判断である。だからこの事件でも責任は天皇にあると当時の人は考えた。

  オソマツ君としては多分②であったのではないかと考えている。そして当時の人たちの判断力に現在のわれわれより優れた所があるのではないかとさえ思っている。事実、京都に落雷が続いた時も天皇が真っ先に反省し「北野天満宮の建設に尽力し」落雷はなくなっている。

  現在の最高裁判決でもおかしな判決もちょくちょくみられる。企業側がカネをかけて大弁護団を組織し責任逃れに成功する例である。最近では、認知症の老人が線路内に入り電車がその老人をひき殺した事件で、鉄道会社が損害賠償を老人の遺族に起こしそれを裁判所が認め老人の妻のお婆ちゃんに監督不十分と云うことで損害金の支払いを命じた。これには、世論が驚いた、老人の死を悼んで喪に服している最中に鉄道会社が何百万円かの損害賠償を請求し裁判所がそれを認めたのだ。認知症の老人の監督は24時間5分の油断も許されない仕事である。鉄道会社は乗客に謝金を払ったわけでもない。司法関係の人は何時の間にか常識的な判断ができなくなっているのだ。(T)

(追記》3月2日にこの追記を書いています。此処で、鉄道会社が認知症の老人をひき殺してその時の損害賠償を遺族に請求したことを批判して司法関係者の常識がおかしくなったと批判したが、最近のニュースによると最高裁の小法廷が先の判決を否定して損害賠償を認め無かったとか。一歩前進ではあるがまだ疑問が残る。

どうやら、法体系が子どもと認知症の老人を同じとみているようだ。これがまた、酷い誤解で、司法関係者の社会常識がまるで信用できない。その点、裁判員裁判に制度を改めたのはよかったと思われます。このブログも100万分の一ぐらい今回の最高裁小法廷の判決のお手伝いをしたかもしれないと自負しています。(T)