かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

此処のマイクロバスのお世話になり「お花見」に連れて行って貰いました。

2016-03-31 | 気ままなる日々の記録

行き先は五条川堤でした。

五条川の水源は入鹿池とか聞いた覚えがあります。

天下分け目の戦いが終わって日本は徳川幕府の時代に入りました。

江戸に居を構えた徳川家康将軍は水戸、紀伊、尾張を御三家として、

江戸に攻め込もうとする反対派を防御し、挟み撃ちにするよう盤石の布石を敷きます。各藩は今までの戦闘モードを改め自国の産業の振興を図り豊かな藩になるような政策をとります。

明治になっても同じですが平和な時代が30年も続くと直ぐに人口爆発に困りました。

いわゆる農家の次男・三男問題です。彼らには耕す田畑がないのです。明治になってもこの問題の解決策が見つからないまま、中国東北部に進出して、其処に農地を確保して国内にあふれている農民をそこへ移住させようとしたのが太平洋戦争の始まりです。つまり、工場労働者として農村の次男三男を働いてもらうという政策を思いつかなかったのです。明治の御三家尾張藩も田畑の開発に力を入れます。最初に手掛けた大工事が入鹿池を堤で囲んで貯水池・水源地として、荒野に用水を造り田畑にしようという政策でした。この工事によって造られた用水が「五条川」で当時江戸で突然変異として人気の高かった「ソメイヨシノ」と云う桜の苗を堤に植えたわけです。桜の名所を造ると大勢の人がそこを通るので堤を踏み固めるのに絶好だったといいます。

 今我々が楽しんでいる五条川の桜もその名残だと云えると思う。この五条川ですが岩倉の方も流れていてここ大口町よりも周辺の人口密度が高いので、花見客が岩倉方面の方が断然多い。

桜の木が驚くとは思うのだが、岩倉の方は桜の木の枝枝にぼんぼりを付けたりして夜の花見を楽しむ人が多い。ここはそこまでもいかない。

これはこれで素朴でいい。東京の上野公園まで行くともう狂気である。

とはいえ、発病前の自分は狂気の真ん中にいつもいて、お酒を飲みすぎ翌日は半病人だったから大きな口は叩けない。

 今日はお天気にも恵まれ狂気ではない健全なお花見を楽しんできた。ありがたいことです。(T)


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