オソマツ君の母親は戦前布袋町にあった旧制高等女学校の卒業である。
その母親から聞いた話であるが、お習字の時間、B4の用紙を縦にした習字用紙に6字くらい漢字の諺を書くと左はしの一行に「愛知県平民○○次郎左衛門五女○○××子」と書かねばならなかったという。母は五女と云うのが恥ずかしくて、隠していたと云っていた。せいぜい三女までなら隠さなかったと笑っていた。
そこで僕が「クラスに平民以外の人がいたの?」と聞けば「士族」と云う人が一人いた」と云っていた。
昔は女性の結婚年齢が大体決まっていたので僕の高校の同級生に親が僕の母親と同級生と云う友達が沢山いた。
この母と同級生の士族さんの子どもも僕の同級生だった。
まあ愛知県北部の江南市のことだから、平民以外は士族がチラホラだが、
名古屋のお城に近くに行けば士族は沢山いて華族などもいたことであろう。勿論名古屋には皇族はいない。
今の若い人はまるで知らないことだろうが、戦前には「身分制度」というものがあって、生まれたときから身分で差別されていた。
この問題で有名なのが例の「」問題である。
島崎藤村の小説「破戒」もこの問題を扱っていた。
そういえば僕の知人に犬山市池野に「士族」出身の人がいた。
彼の先祖は尾張藩が造った貯水池としての入鹿池の水門を管理するお侍さんだったとのことである。
つまり、五条川の水門管理の侍である。水田を耕し米を作っている農民にとって、用水の管理は命がけである。
一方で水門を開けてくれと云う百姓がおれば、他方には閉めてくれと云う百姓がいるという難しい仕事を担当した侍であった。多分水門の開閉計画を相当早くから発表し農民に徹底していたことだろう。
それでも、「切り捨て御免」の侍でないと務まらない水門管理だったかもしれない。
歴史的には血の流れたこともあったであろう五条川で今は長閑な花見である。平和を始めとする政治がまあまあうまくいっている御蔭である。(T)