かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

3月1日(火)今朝4時半ごろよく冷えてガタガタ体が震えて目が覚めた。

2016-03-01 | 気ままなる日々の記録

 お風呂でその話に、なったとき駐車場に止まっていた車の上にうっすらと雪が積もっていたと聞きました。

 雪を見るとすぐにスノータイヤにしなければと思うし、

 普通タイヤとスノータイヤの付け替えにお金が掛かるし、

 スノーばかりで走っているとスノーのタイヤが減って買い替えにお金が掛かるしスノーの付け替え位あなたやってよと主人にいっても、「そんなら自転車で行け」というだけでやってくれないし。

 若いころは平気だったけどスカートで自転車に乗ると腿が冷えて全身の骨まで冷えて震えが止まらなくなってしまうし、困ったものだわ」とおっしゃる。

 こんなとき、ついうっかり「もっと大きな船で春を運んでほしいね」などと云ってしまう。例の吉野弘の詩の「2月の小舟」のことである。

 しかし聞く方はそんなことはわからないから、オソマツ君はついに、気が狂ったなあと思うだけである。

 それでも、今日は午後からグーと暖かくなって大分大きな船で春を運びこんでくれたようだ。

 文句を云わずに自然に感謝する心が大切だと知ったところです。(T)


菅原道真事件で気が付いたこと。

2016-03-01 | 気ままなる日々の記録

  知的教養で右大臣まで上り詰めた菅原であったが、藤原氏の誹謗中傷で九州の大宰府へ左遷された道真であった。ここで、失意のうちに死亡するが、その後恨みが藤原氏に向かうことは無く天皇家に向かったり京都の神社仏閣へ向かうことに違和感を持った。

  此処で考えられるのがこの事件を記録した歴史的な文書がそのように描いているのだろう。このあたりが今日的な感覚と大いに違っていて面白い。どうしてそうなったか?。考えられるのは次の2点である。①藤原氏はその後も勢力を持ち続けたので、自分たちの先祖の悪口を書いた文書は破棄させた②貴族社会には他者への批判中傷は日常茶飯事だから大切なのは天皇の冷静な判断である。だからこの事件でも責任は天皇にあると当時の人は考えた。

  オソマツ君としては多分②であったのではないかと考えている。そして当時の人たちの判断力に現在のわれわれより優れた所があるのではないかとさえ思っている。事実、京都に落雷が続いた時も天皇が真っ先に反省し「北野天満宮の建設に尽力し」落雷はなくなっている。

  現在の最高裁判決でもおかしな判決もちょくちょくみられる。企業側がカネをかけて大弁護団を組織し責任逃れに成功する例である。最近では、認知症の老人が線路内に入り電車がその老人をひき殺した事件で、鉄道会社が損害賠償を老人の遺族に起こしそれを裁判所が認め老人の妻のお婆ちゃんに監督不十分と云うことで損害金の支払いを命じた。これには、世論が驚いた、老人の死を悼んで喪に服している最中に鉄道会社が何百万円かの損害賠償を請求し裁判所がそれを認めたのだ。認知症の老人の監督は24時間5分の油断も許されない仕事である。鉄道会社は乗客に謝金を払ったわけでもない。司法関係の人は何時の間にか常識的な判断ができなくなっているのだ。(T)

(追記》3月2日にこの追記を書いています。此処で、鉄道会社が認知症の老人をひき殺してその時の損害賠償を遺族に請求したことを批判して司法関係者の常識がおかしくなったと批判したが、最近のニュースによると最高裁の小法廷が先の判決を否定して損害賠償を認め無かったとか。一歩前進ではあるがまだ疑問が残る。

どうやら、法体系が子どもと認知症の老人を同じとみているようだ。これがまた、酷い誤解で、司法関係者の社会常識がまるで信用できない。その点、裁判員裁判に制度を改めたのはよかったと思われます。このブログも100万分の一ぐらい今回の最高裁小法廷の判決のお手伝いをしたかもしれないと自負しています。(T)