百醜千拙草

何とかやっています

20年の雌伏

2009-09-08 | Weblog
床屋政談はやめるつもりだったのですが、ちょっとだけ。
  週末、図書館で1991年発行の松下政経塾魁の会が出したフィクション、「2010年霞ヶ関物語」という本を見つけて、ちょっとだけ立ち読みしました。もちろん、既に絶版となっているので、こんな本は普通の本屋にはおいていません。約20年前の政治関係者が2010年に霞ヶ関、日本の政治はどうなるだろうか、という予想をしているわけです。当時は自民党の小沢一郎のインタビューもあって、彼は、二大政党制となることを予想していました。鋭いなあ、と一瞬思ったのですが、日本のシステムはだいたいアメリカのマネをして発展してきていますから、今のアメリカを見れば日本の将来も見える、そう考えれば、二大政党制の予測というのは、誰でもが考えたことではなかったか、とも思いました。また、彼は現在の小選挙区選挙への政治改革を実現させましたし、小選挙区制は中選挙区で複数の候補が同党から立候補することでおこる派閥間対立を減弱し、政権の交代の可能性を上げるためのものでしたから、もともと、派閥間権力闘争にうんざりしていたのかもしれません。事実、当時、竹下派の金丸直下にいた小沢一郎は、リクルート事件で議員辞任にいたる金丸の力の衰退で、反小沢派の強い反発を受けて、自民党の権力中枢の竹下派を去らざるを得なくなり、自民離党することになります。結局、小沢さんは自民党を飛び出して、現在は政権政党となった民主党の中枢にいるという状況を考えると、二十年前に小沢氏の権力を摘み取ったと思ったであろう自民の反小沢派は、雌伏の後、再自民の外から小沢氏が再び権力を手にしたというこの歴史の皮肉をどう思ったことでしょう。
 ところで、同書には、日本のどこかの大学で教鞭を執っていたクラーク教授という外人(きっと有名な人なのでしょうが、知りませんでした)の人が、「イデオロギーに乏しい日本人に二大政党制は似合わない、日本は派閥政治が似合っている」というような話を書いていて、私もおもわず頷いてしまいました。思えば、現在の民主党と自民党というのは、形上は確かに別の政党ではありますが、アメリカ流の二大政党とはちょっと言えません。そもそも、どちらも、もとを正せば、多くが自民党で、派閥権力闘争の結果として、党が分裂しただけのものです。政党の主義、イデオロギーというものがあって、党があるというわけではないように思います。その点では昔の社会党みたいな党が大政党であったころの方がアメリカ的とも言えます。ただ、結局、実際には社会党は自民党に反対することだけが、そのレゾンデトールであったのに、現実派の村山委員長が自民党の権力欲のために自民に担がれて連立政権となった結果、その唯一の存在理由を無くし崩壊してしまいました。自民も民主も、視点が違うだけで、その内容は、頭に「自由」がついているかついていないかぐらいの差しかないのかも知れません。事実、今回の自民対民主は、政党間のイデオロギー闘争ではありませんし、むしろ、角栄の弟子の小沢氏と、福田赳夫の流れを汲む小泉とその後継の闘いであって、つまり、第二次「角福戦争」という(党内)派閥抗争に過ぎない、と見る人もいます。中卒で叩き上げの角栄と東大エリートの福田、庶民目線の民主党と霞ヶ関目線の自民、なるほどと頷けます。しかし、疑似二大政党(その実は派閥権力闘争)という政治でも、権力のためには国民の支持が必要なわけで、それで国民の生活や社会が改善するなら、どんどん競争してもらえればよいわけで、むしろイデオロギーなどという厄介なものを扱わずに済むのなら、それに越したことはないと思います。特に若者がそんなものにかぶれたりすると、学園紛争盛んだった時代の革マルと中核の内ゲバや日本赤軍事件みたいな不幸な事件に発展する危険があります。私は、イデオロギーのような怪物は麻薬の様なもので、正しく使用する方法を知らないのなら、うかつに近づくべきものではないと思っております。(とは言うものの、とりわけ秋口には、バイロンではありませんが「人は恋愛と革命のために生きている」という若者の情熱をうらやましく思ったりすることもしばしばあります)
  こんなことを考えていたら、 たまたま読んだ「 カフェ ヒラカワ店主軽薄」で、もっと詳細かつ納得できる今回の政権選択の解釈が披露されておりました。一読をお奨めします。これもシンクロニシティーですかね。
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