百醜千拙草

何とかやっています

富士山大噴火

2013-03-29 | Weblog
一票の較差が違憲であるという裁判所の判断は、前衆院選前からありましたが、前政権は違憲状態を改善することなく、自爆解散を強行し、筋書き通りに自民党政権に戻しました。選挙そのものについても、選挙の票数が余りに不自然であり、票の統計を一手に握っていたのがムサシという会社であることもあって、不正選挙の疑いがいまだに消えません。その衆院選に関して、広島高裁は、先日、違憲状態である選挙であることから選挙そのものが「無効である」という当然の判決を出しました。「画期的な判決」と評価する人もありますが、違憲選挙が無効なのは当たり前のことで、これが画期的と感じられるほど、日本は異常な無法国家であったということです。ルールを無視して勝っても勝ちとは認められないのはスポーツなどではあたり前でしょう。それが国の政治家を選ぶ選挙という民主主義で最も重要、かつ国民の生活に直結する制度において、裁判所がルール違反であると以前から指摘しているのに、改善することもなく解散総選挙に踏切り、しかも、その選挙そのものもイカサマだった可能性もあるというのです。デタラメが出来事があたり前のように日常茶飯事のようにおこるのが現在の日本という国です。というわけで、悲しいかな、あいにく日本は法治国家とは言えませんから、いくら高裁で無効の判断が出ても、最後はウヤムヤにされてしまって、選挙は無効なのだけど、議員はそのまま、国民の意思は無視されたまま、結局、何もかわらないということになるのでしょう。小沢氏秘書の裁判を見てもわかるとおり、この国の司法の三審制というのは形だけ、やってるフリ。そして、国が相手の裁判は最高裁で、必ず国が勝つことになっているイカサマの国です。イカサマでもデタラメでいいじゃないか、国が腐っていても良いじゃないか、運が悪けりゃ死ぬだけよ、この国を責任をもって運営すべき人間が、自分さえよければ良い、今さえ良ければ将来はどうなってもよい、と世紀末的な刹那主義でやっているのです。そりゃ、真面目な人は自殺もしたくなるでしょう。

ま、アベ氏がTPPで売国の道筋をつけて、辺野古埋め立てで、米軍の恒久的日本支配を確定させたら、役目も終わりと、選挙無効判決を機会に衆参同時選挙をするという筋はあり得るかも知れません。辺野古といえば、普天間が危ないから辺野古を埋め立てて基地をつくって移すのだ、というバカげた理屈ですが、その前に、そもそも、敗戦後70年近く、沖縄返還から40年も経つのに、なぜ米軍がいまだに沖縄に居座っているのか、を真面目に考えてもらいたいです。沖縄は事実上は返還されずに占領されたままだということです。普天間が危ないのなら、米軍は日本から出て行け、というのが普通でしょう。「出て行け」と言って、カドが立つなら、「70年間、占領してもらって、安全保障という名目で、散々、県民に迷惑をかけ、思いやり予算という名前の要心棒代をカツアゲしてもらって、どうもありがとうございました。おかげで日本人もすっかり忍耐強くなりました。もう十分です。お帰り下さい」とお願いしてみればどうでしょうか。沖縄基地で程度の悪いアメリカ兵が不祥事を起こすのは日常茶飯事、世界で一番、危険なのは、テロリストでも共産主義でもなく、米軍でしょう。米軍が日本にいないことが一番の安全保障だと私は思いますね。

話戻って、アベ政権はそう長くはないだろうと思います。例によって、誰が思いつくのか(多分、どこかの国民をなめ切っている大蔵官僚でしょうが)、本質隠しの空虚なキャッチフレーズ、「アベノミクス」とかいう名前で、失敗することが最初からわかっている単なるバブル経済政策、を持ち上げていますが、こんなものはすぐ化けの皮がはがれて、物価と株価は上がっているのに収入は上がらず、実質経済は低迷、そうなることは火を見るより明らかです。だいたい、景気などというよくわからんものを「株価」みたいなこれまた中身の無いバクチの指標を使って表そうとすることからしてイカサマです。(イカサマばっかしですね)株価の代わりに「エンゲル係数」とかを使ってみたらどうでしょう。アベ氏が顔の自民党もそう長くはなく、前回の総理のたらい回しと同じように、早晩、看板を架け替えざるを得ないことになるのではないでしょうか。

いや、だんだん、この国の腐り具合を知るにつれて、こんな話は、どうでもよくなってきました。ネットではフクシマの震災の後からずっと、富士山が大噴火するというウワサが絶えません。原発事故の後に富士山が噴火となれば、これは黒沢明の「夢」の中の「赤富士」そのままです。ニュースを見る度に私の頭も噴火してしまうこの頃、この際、富士山大噴火で、永田町も霞ヶ関もキレイさっぱり消え去ったらスッキリするだろうとさえ思ったりします。

今後は、なるべく明るい話をしたいと思います。
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英語について

2013-03-26 | Weblog
週末に溜まっていた論文とグラントのレビューをしました。そのうちの一つは日本のグループからの大変出来のよいもので、久しぶりにいい気分になりました。N紙が最近始めたオンラインジャーナルに投稿されたものですが、もっと上のランクの雑誌に載るべきだろうと思いました。日本の機関からの投稿は同じ内容でもアメリカの機関に比べて、雑誌レベルが二ランクは落ちるといいますから、まだまだ偏見があるのでしょう。そう言えば、この一、二年で中国からの投稿をレビューする機会が随分増えました。総じてレベルはまだまだ低いです。ただ、一流紙に載るような仕事も中国からどんどん出ていますから、中国が日本レベルになるのは時間の問題なのではないかなと思います。今回の週末の仕事に限って言えば、最高得点は日本からの論文、続いてフランス、中国からの当落微妙な論文、最低点はイギリスからのグラント申請でした。私はイギリスの科学には尊敬をもっていたのですけど、これまでやったレビューでは私の分野ではイギリスからのグラントや論文には当たりはありません。ヨーロッパで研究レベルが高いと思うのはベルギーです。感覚的にはドイツやフランスよりレベルが高いような気がします。あと意外なところでスペイン。スペイン政府が最近、科学研究に力を入れているからでしょうか。研究レベルと研究費は比例しますし。

論文で雑誌のレベルが下がるのは英語の問題もあると思います。科学論文の英語は高校生英語のレベルで十分なのですけど、それでも必要十分な内容をなるべく少ない文字数で論理の流れに沿って、自然な言葉遣いで書くというのは、外国人にも英語圏の人にも難しいようです。わかりにくい英語だと、それだけでレビューする気が失せますから、通るものも通らなくなります。スペル間違いや文法間違いは論外です。そのようなケアレスミスをするような著者の研究ならデータも怪しいだろうと想像してしまうのが人間ですから。

英語に関して、最近、岩下おじさんのブログの日本人の外国語について書かれているエントリー、「外国語ができるって?へ~見上げたもんだカラスのションベン」、内田樹の研究室での関連したテーマのエントリー「言語を学ぶことについて」を読んで、補足的に私も書いてみようと思います。

私も以前、社内公用語を英語にした日本の会社の話を聞いたときに、「何と恥知らずなことよ」と批判した覚えがあります。恥知らず、というのは、これは、売国政治家と同じ、国の宝を外国に売りわたすに等しいことだと私が思うからです。社内とは言え、日本語で仕事をするのをやめろ、というのです。
ヨハネは世界の始めにあったのはロゴスだと言いました。ならば、日本のはじめは日本語に間違いありません。日本語がなかったら日本という国はありません。私はそう思っております。文部省はその日本語も満足にしゃべれないような年端もいかない小さな子供のころから英語を教えようとしているようですが、正気ですかね。もしも、その目的が英語を使える勤勉な日本人奴隷を国際企業に供給することなら、英語教育は立派な売国計画と言えるでしょう。

私は、論文やレビューやグラントやメールを英語で書く必要があるので、英語は毎日使います。しかし、これは本来の言語の目的、意思疎通のための道具として使っているだけのことです。内田樹の研究室のエントリーでは、なぜ日本人の英語能力が上がらないのかという理由について、利益誘導型の教育が悪いのだという教育方法の問題点が指摘されています。私は、仕事用の英語は仕事で必要になったから覚えたので、そうでなければ覚えなかっただろうと思います。私の場合は立派に利益誘導が効きました。文法的に誤った英語、読みにくい英語、意味がはっきり伝わらない英語、そういう英語を使うと、論文もグラントも通らず、死活問題になるので、英語の技術が上がったと思います。対して、英語が仕事で必須でない場合に、日本人が英語をしゃべれなくても聞き取れなくても生きて行けるというのは素晴らしいことです。日本語だけで生活できる社会なのですから(今後、日本での国内の職が減って行けば、これは変って行くかもしれません)。他の国々の人は、経済の問題や安全の問題で国を追われ、見知らぬ外国で覚えたくもないその国の言葉を必要に駆られて覚え、それで安い賃金の仕事に就いている大勢の人々がいます。日本でもかつてハワイ、カリフォルニア、南米などに移民した人々はそうでした。しかし、現在、移民せざるを得ない日本人は余りいないでしょう。なのにどうして英語を学ばなければならないのでしょうか。そのうち、日本人は国内では生きて行けなくなるから生き残るために準備せよ、ということでしょうか。文部省が「グローバルな人材」がどうとか言うのは、実は国際企業で使いやすいチープで従順で使い回しが効く労働力、という言う意味ではないのですかね。

ところで、持たざる二流のアメリカ人が日本人や他の外国人を見下すほとんど唯一の理由は「英語が自分ほどうまくない、あるいは人種が違う」です。それだけが彼らの自尊心の最後の拠り所となっています。(もちろん、教育があって努力の意味をしっている成功しているアメリカ人は、外国人を英語ができないとか人種が違うからという理由で見下したりしませんが)「英語が十分に喋れない」からお前たちは下層階級である、という劣等意識を植え付けるのに言語は大変有用です。戦争に勝って植民地にした場所で最初にすることは、言語教育です。戦時中に日本軍がフィリピンや植民地としたところで、現地人に日本語を教えたように、敗戦後の日本は英語が義務的に教え込まれます。言語を使って植民地の人間を支配し利用しやすいようにするためです。かつてのヨーロッパ帝国主義時代の植民地では、宗主国の言葉がその国の言葉となっています。カリブやアフリカのフレンチクレオール、ブラジルのポルトガル語やその他南米のスペイン語。言語は人間を支配する有力なツールです。それはカネと同じかそれ以上のパワーがあると思います。

日本で英語が義務教育であるのは、戦争に負けたからに間違いありません。それは仕方ありません。しかし、日本企業が日本国内の会社で仕事用の言語を英語にするというバカげた発想は、これはもう、マゾとかではなくて、すっかり洗脳されてしまったか、あるいは確信犯でしょう。
これからの世界は、国というエンティティーが仮に崩れ去っても、国際企業というものは残っていき、カネを使った世界支配を資本家が進めて行くことになります。彼ら支配者には国籍はどうでも良いのです。彼らにとっては、日本という国が放射能にまみれようが、日本語が消え去ろうが、日本の美しい文化が失われようが、知ったことかで、目先のカネの方が百倍も大切なのでしょう。そんな国際企業にとって使いやすい人材とは、かつての社畜とよばれた会社には絶対服従の従順な日本人でかつ英語ができる使い勝手のよい労働者でしょう。すなわち、文部省が英語教育を推進して幼稚園から英語を学ばせると言っているのは、私にとっては国際企業オーナーたる支配者層に使い勝手の良い奴隷を準備しようと言っているに等しいです。ゆえに社内公用語を英語にするようなことは露骨な売国行為であると私は思います。言葉を意思疎通の道具として使うのではなく、支配の道具としての言葉によって「使われてる」のが日本人ではないのか、と思わずにおれません。

正論を言えば、英語より日本語です。日本語がしっかりできれば英語を道具として学ぶことは簡単だと私は思います。正直、道具として英語を学ぶのであれば、英語は義務教育にする必要は全くないのです。英語が義務教育になっているのは70年近く前に戦争に負けて以来、日本がずっとアメリカの植民地だからでしょう。宗主国に対して日本人に劣等意識を持たせるのに英語は都合がよいのです。
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奴隷の国

2013-03-22 | Weblog
研究はなかなか進みませんが、〆切のある仕事は押し寄せてきて、ストレスとフラストレーションが溜まる日々です。特に動物実験のプロトコールを書くのは気が狂いそうになります。これは多分、もっとも面白くない仕事のうちのトップ3に入ると思います。他にやらないといけないのは、論文のrevisionと、二、三の論文とグラントのレビューですけど、自分の論文のrevisionはもちろん強いモチベーションが湧きますし、人の論文やグラントのレビューをするのも、必要なコミュニティーサービスだし、学ぶ点もあるのでいいのですけど、動物実験プロトコール書きは本当に気が進みません。もっと重要なグラントや次の論文に向けての実験の時間をさいて、こういうことをしているので、余計にストレスです。ま、どんな状況にあっても正気と希望を保てるようになるための修行をしているのだと思おうとしています。

正気と希望を保つ修行にうってつけの環境がいまの日本ではないでしょうか。このブログ書き始めた時は、個人的な記録が目的でした。日記をしばらくつけていなかったので、日記代わりに思いついたことを書き留めて差し障りのないものは公表すればよいだろうと思って始めました。ところが、日本社会でおこっていることが、余りにデタラメで、黙っていてはいけないような義務感を感じるようになって、本当は書きたくないような話も書き出しました。正直言って、疲れてきました。日本の社会、政府、官僚組織、政治、マスコミ、余りに程度が悪くて、デタラメで、何を言っても改善する見込みはなさそうに見えます。一人一人の日本人は、優秀で、勤勉で、他人思いなのに、組織に入るとどうしてあのように身勝手で近視的に振る舞えるのでしょうか、私は本当に不思議です。

「日本はそもそも奴隷の国だ。かつては領主や城主の奴隷で、その後は国の奴隷であった。戦争の後はアメリカの奴隷となったが、それでも単に「主人」が変っただけのことだから、彼らは気にしない」第二次大戦後にアメリカの誰かがこのような主旨の発言をしたと聞いた覚えがあります。日本人が自立を嫌い、自分の意見を自分の価値判断に基づいて発言するのを嫌うのもこの長年染み付いた奴隷根性ゆえではないでしょうか。「和」を尊ぶ日本人、その「和」は付和雷同の「和」の字です。組織の中に入った瞬間から思考放棄し、自ら考え行動するような出る杭は打ち、いじめ、抹殺しようとします。
多くの「発言する」言論人がマスコミの組織から排除されてきました。最近では、原発批判をしたNHKアナウンサーが左遷されて辞任に至った話とか、TPPを批判して12年続いた番組から降ろされた人とか、痴漢をでっち上げられた人とか、数え出したらキリがありません。ま、組織に入った日本人は組織の奴隷ですから、原発が悪かろうとTPPで国が破壊されようと、主人の命令に逆らうわけにはいかないのでしょう。
日本人が自立できるようになるには、日本人自らが気づいて努力するしかありません。少しずつ自立する日本人は増えてきているように思います。これから奴隷搾取の程度が強くなればなるほどその割合は増えて行くでしょう。日本にローザ パークスやマーティン ルーサー キングが出てくる日も近いように思います。

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TPPと核廃棄場

2013-03-19 | Weblog
前に首相になったときから、アメリカ様の軍事力を頼み、日本を「戦争のできる美しい国」にしようと企んで来たアベ氏、しかし当時は落ち目の自民党、勢いをつけた小沢民主党に軽くいなされて、逆境に弱い坊ちゃん育ち、体調不良を口実ににあえなく沈没、そのまま消え去るかと思いきや、このたびの民主党の自滅のおかげで首相に返り咲く。うらぶれた三年あまりの野党暮らしで溜まった恨みもあって、さていよいよ軍国日本へと雄々しく突き進もうとしたものの、この数年で頼りのアメリカ様の事情も様変わり、日本の軍事力を強化して中国を刺激したりするようなことには協力できない、と冷たくあしらわれ、これまで尽くして尽くし尽くしたアメリカ様に捨てられてしまっては明日からどう生きて行けば良いのやら、捨てられたくない一心で、これはもう貢ぎ物が少なかったのだと、国民の大多数が反対するTPPにすっかり前のめり、国民に対しては「国益、国益」と念仏を唱えては、その実、オバマの歓心をかいたい一心で、ついに正式に交渉参加を表明、との哀れにも救いようのない話。(なぜか野坂昭如調)

私は、汚い言葉や悪い言葉を使うのを自制しているので、ゆるい目に言いますけど、この人には、三つの重大な弱点があると思います。頭と身体と精神力です。正直なところ、どれ一つ欠けてもでもリーダーとしては致命的だと私は思います。三つ揃って欠けていてもそれでも何とかなるのは、振り付け師が全てを仕切っているからでしょうか。

TPPは参加国の国の法律を越えて、国際企業に多大な権利を与える条約です。つまり、日本という国が国際資本主義の蹂躙からその国民を守ることができなくなるということです。かつては、武力で世界各国を植民地にし、人々を奴隷にしていったヨーロッパ諸国でしたが、TPPは経済によって世界を国際企業の植民地とする現代版帝国主義です。違うのはそれによって搾取される人間の国籍は関係なく、搾取する側は国ではなく、国よりもつよい国際企業だという点でしょう。植民地化するのに軍隊はもはや必要ないのです。
TPPの短期目標は、アメリカ企業が日本国内で保護されている産業、農業や社会のインフラを担う産業、にアメリカ企業が参入して、市場原理の名の下にハゲタカさながら、社会を破壊して日本から絞り取れるだけ絞りとることでしょう。日本がわざわざ、そんな国を破壊することになることがわかっているような条約に、しかもその内容も十分に知らされず、条約内容を交渉する権利さえも与えられないまま参加しようとしていることに対して、TPP参加各国の人々がその危険性を指摘しているビデオを下のブログが紹介して下さっています。


ワラック氏の「TPPは日本に対する二重の侮辱である」という言葉が端的にその性質を表しています。TPPはかつての植民地政策そのものだからです。植民地の国の独立性を侵し、その人間の権利を蹂躙して搾取するシステムだからです。そんな外国からの攻撃から国民と国を守るのが仕事であるはずの誰かさんは、同胞たる近隣アジアの国々には勇ましいことを言うくせに、宗主国には奴隷未満の卑屈さでひざまずくのです。

この短期的目標、日本の富を吸い上げること、に加えて、長期的なTPPのプランの一部は、ちょっと前の「反戦な家づくり」の記事で考察されているように、日本を最終核廃棄場にすることではないかと私も恐れています。今回のTPPの交渉参加表明ニュースを聞いて、あの傲慢不遜のラリー サマーズが原発事故の後に吐いた不気味な予言、「日本はこれからとても貧しい国になるでしょう」を思い出しました。原発問題とTPPがサマーズの言葉でしっくりリンクしたのです。アメリカは最初からコレを企んでいたのか、とサマーズの言葉が腑に落ちました。
以下に一部、「反戦な家づくり」から抜き書き、転載しますが、是非、原文をご一読下さい。

今後の原子力マフィアの最大のビジネスは、原発の輸出である。その際の一番のセールストークは、「ゴミは引き取ります」

客観的に考えれば容易に想像がつくことだが、世界の原子力マフィアの目は、福島第一原発そのものではなく、その周辺に注がれている。周囲20キロに建設されるであろう、核廃棄物処分場。世界で2番目になるはずのオンカロ。すでに、IAEAは福島現地事務所を開設し、着々と準備を進めているように見える。

TPPが発効すれば、米国の核廃棄物であっても、IAEAのお墨付きがあれば、断ることはできない。もちろん、日立や東芝や三菱が他国に作った原発の核ゴミも、お持ち帰り自由である。

3.11以降、福島周辺をめぐるすべての事態は、ここに世界の核の墓場をつくることを中心に回っているように思える。
ばらまかれた放射能を放置し、被曝を強要し、癌になっても「原発事故とは無関係」と言い続ける人殺しどもが横行しているのも、元はと言えばここに端を発している。

当然ながら核廃棄場を作るには、周囲を無人化する必要がある。
さすがの原子力マフィアの力をもってしても、原発は作ることができても、核処分場は作ることができなかった。それは、そこに人が住んでいたからだ。だったら、最初から無人化して地元住民というものが存在しなければいい。そう考えるだろう。

しかし、強制移住は費用がかかる。
いちばん手のかからない無人化はどうすればいいか。簡単に言うと、皆殺しである
正確には、健康被害の激発を放置して、いたたまれなくなって住民が勝手に逃げ出していくように仕向ける。
どんなに健康被害が出ようと、死人が出ようと、ぜんぶ「因果関係が証明できない」と言い続けるのである

そうなることは、残念ながらチェルノブイリですでに証明済みだ。
数十万人の癌や健康被害が誰の目にも明らかになり、健康な子どもが5人に1人くらいしかいないような状況で、それでも住み続けるという人がどれだけいるだろうか。
そうなる前に避難、移住をしなければならないのだが、今おこなわれていることは、あえて健康被害の激発をあからさまにすることなのである。

小泉進次郎を顔にして参議院にも圧勝するだろう自民党が、わざと被曝障害を激発させながら、どこまでも「因果関係は証明されない」と言い続ける。
それでも福島に住み続ける人には、進次郎がこれ見よがしに「温情」政策をとって懐柔し、数年の後にはオンカロの建設が決まり、世界の核廃棄物が押し寄せる。
8000兆円の国民資産と、毎年500兆円の国内生産は、かなりの割合を米国に吸い上げられ、日本の主力産業は、廃炉と核廃棄になる日は、そう遠くないのではないか。

どこまで抵抗できるのか、いつになったら逆転できるのか、今は分からないけれども、このまま唯々諾々と流されていくことは、私には耐えられない。少なくとも、子どもに顔向けができない。



あたらずとも遠からずでしょう。
頭と身体と精神力の弱いリーダーは、日本の企業がカネを稼げるのなら「国益」であり、国益のためなら、一般国民の生活がいくら破壊されようとも、日本が核の最終廃棄場となって、日本の半分に人間が住めなくなっても、「ボク知らない」のでしょう。
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あと二年

2013-03-15 | Weblog
ここ数ヶ月、次のグラント申請のことを考えています。この二年ほどアレコレと有望そうなところを開拓しようとやってみました。将来につながるような研究ネタは萌芽の兆しは見えるものの次のグラント申請までに成熟するかどうか全くわかりません。あと二年ですが、私のようなマウスの研究をしているものにとって二年という時間は短いです。残された時間とその間に出さないといけないデータのことを考えるとちょっと心配になります。過去、二回、研究廃業の瀬戸際の立場に立たされて、多少、勝負強くなったとは思うのですけど、商売と同じで研究も水もので、相手次第のところもありますのでどうなるかはわかりません。しっかりした研究であればお金が貰えた時代は過ぎ去ってしまったようです。ある程度、流行のものを扱っていて、そこそこ見栄えのするもの、かつ自分独自の分野で個性と有利性をアピールできるもの、一般人にも意義がよくわかるもの、そしてサイエンスとしての厳密な論理性を備えているもの、が望ましいです。もちろん、この条件を満たすだけでも大変です。そして、もっと重要なことはその研究の成功の可能性をデータや論文で示せないといけません。いくら良いアイデアでもデータがサポーティブでなければ絵に描いた餅ですから。ま、ベストと思える選択を日々、積み重ねて行くだけです。(頭ではわかっているのですけどね)
 そんなプレッシャーとストレスを感じる毎日ですが、一方で、残り何年あるかわからない人生を、グラントの心配をしてばかりで過ごしてどうするのか(ああバカらしい)とも思います。普段、私は資本主義で人間がカネの奴隷になってしまって、生きることの本質を見失っている、とエラそうに批判しているわけですが、グラントのことを考えてあれこれ心配している私は、それこそ、グラントの奴隷だなあ、と思ったりします。そんな時は、人はグラントの心配をするためにこの世の生まれてきたのではない、人間はみな死ぬまでの日々を充実して楽しくいきるために生きているのだ、ということを思い出すようにしています。研究者を廃業になったところでそれで人生が終わるわけではありませんし。何か別のこと、たとえばギリシャの田舎でオリーブ畑をするとかして余生を過ごすのも楽しそうだなと思ったりします。(知り合いによると、経済危機のギリシャでも田舎にいってカネと無縁の生活をすれば生きて行けるのだそうです)

ところで、バチカンの新法王はアルゼンチンからでした。フランシスという名前になったそうです。本名も別にペトロでもありませんでした。(そもそもカトリック法王はペトロの末裔なのですからペトロという名前そのものに意味はなかったのかも知れません)ローマ人でもありません。しかし、新法王の両親はイタリアからの移民なので、ひょっとしたら両親はローマ出身だったのかも知れません。マラキーの予言は果たして当たったのでしょうか外れたのでしょうか。

もう一つのニュース、久しぶりに怒りと情けなさで切れそうになりました。陸山会事件で虚偽記載とかいうイチャモンをつけられた元小沢氏秘書らの控訴審の結果が出て、なんと!有罪となったというニュースです。どこまで腐っているのでしょうか、日本の司法は。検察のメンツを立てるためだけに出した判決です。この陸山会事件の本質は、検察、マスコミと最高裁が共謀してでっち上げた虚構に過ぎません。単純に事実関係だけに着目すれば、ここに犯罪の「は」の字もないことは小学生にでも明らかです。犯罪でないものを「犯罪の疑いがある」と言い張り、小沢氏個人の政治的失脚を狙って、国家権力が束になって襲いかかり、何十億という税金をかけてバカげた捜査を行い、数々の人々の人生を破壊した、近代法治国家の建前からはあり得ない下劣極まりない事件です。まったく恥知らずとしか言いようが無い検察、そのいわば身内をかばい、そうすることで己が安泰を図りたいがための司法制度、国民の税金に群がるシロアリ官僚という組織の一部となって、我が身さえよければと、法を弄び、国民を陥れて、恥じません。国の根幹が腐り切っているのですね、この日本という国は。信なくば立たず、この国のシステムは遠からず崩壊することになるのでしょう。
この判決については、次のブログの記事をリンクします。

小沢氏元秘書3名の控訴を棄却、「最初から冤罪ありき」それでも責任を問われない司法は腐っている
 歴史に残る腐敗判決を出した二人「登石郁朗、飯田喜信」をよく記憶しておこう。

 弁護側が提出した新証拠を却下した時点で既に、飯田裁判長の黒い腹の中は、「小沢秘書3名の控訴棄却」で決まっていた。飯田裁判長は、新証拠に基いて審理すれば、「控訴棄却」も「二審有罪」も出せないことがわかっていたが故に、「新証拠を却下」せざるを得なかったに違いない。

いや、もっと正確に言えば、二審裁判に飯田裁判長が指名された時点で、「控訴棄却」が決まっていたものと推測する。

飯田裁判長は、東電OL殺害事件で「一審 無罪判決」を「逆転有罪・無期懲役」にしてゴビンダさんの自由を15年間奪った。無罪を証明する証拠がありながらそれを採用せず、ゴビンダさんに冤罪を着せたいわくつきの裁判長である。

 まさに、今回の秘書3名の「無罪を証明するに足る新証拠」を却下したところは、「ゴビンダさん無罪を証明する証拠」を無視して有罪を作り出したときとそっくりではないか。そのようないわくつきの裁判長をわざわざ「小沢氏元秘書3名の裁判」に任命したのは、事務総局だろ?

 その最高裁事務総局が「小沢氏裁判」で、検察審査会のでっち上げの「架空議決」をしたとされていることを「一市民が斬る!!」(「最高裁の罠」)さんが暴露している。 http://civilopinions.main.jp/ 

 「小沢秘書3名無罪」の判決を出せば、「小沢裁判」の根底から崩れる。一連の「小沢裁判」は「一体何だったのか?」ということになる。

 一連の裁判はすべて、小沢氏排除のためだった・・・・「法と証拠」に基づき法の番人としての役割なんて嘘っぱち! 「巨悪は眠らせない」ではなく[巨悪に溺れる売国腐敗司法官僚たちだろ?」、国民はそれでもまだ目覚まさないのはマスコミもグルだからだ。裁判官は「冤罪」を出しても、何らの責任も問われない世界、無責任体制(天国)だ。



いまや、国民の多くが、政府を信用しておらず、マスコミはウソを垂れ流すプロパガンダ機関にすぎないと考えてるようになってきています。まるで、昔のソ連のようです。日本の政府は国民の税金をくすね取るための互助会であり、その互助会の親団体は赤門クラブでしょう。政府も赤門クラブも一度、潰れないといけないと切実に思います。以前にも書きましたが、チェルノブイリの4年後に不沈艦と思われたソ連が崩壊しました。チェルノブイリが腐ったソビエト共産党連邦政府崩壊のきっかけになりました。今の日本はそのころのソ連に近いのではないのでしょうか。フクシマの4年後と言えば、後、二年、その時に、日本の社会が崩壊しても、私は驚きません。日本の官僚政治もここまで露骨になって浅ましさを隠そうとさえしないのですから。末期的としかいいようがありません。
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ローマ人ペトロ

2013-03-12 | Weblog
思えば、二年前のフクシマ原発事故から私の不安な気持ちがずっと続いて来たように思います。何か大切なものを失ったという喪失感がまずあって、これからも、もっと失われていくだろうという不安感です。実はこれまでもそうだったのかも知れません、変化は世の常ですから。しかし、大切なものを失うのは苦しいことです。昔から、人間は、地球を破壊し、戦争し、多くのものを失ってきました。そして、今や資本主義が社会や国家や安全な環境を破壊して、人類自身を破滅に導こうとしています。フクシマの事故は破滅へ至る人類の未来を示す象徴的な出来事でした。人間によって、失われたもの、失われていくものを、強烈に端的に、目の前に突きつけました。その喪失感とそして未来の更なる喪失に対する不安が私の心の中に暗い影を落とし続けています。
原発事故から二年経っても、不安は消えるどころか大きくなるばかりです。そんなことをこの3-11に思いました。

さて、次のローマ法皇を選ぶ密室会議、コンクラーヴェが始まります。世間では次のPopeが誰になるのか予想をして楽しんでいるようです。現在カトリック教会はヨーロッパよりもアジア、アフリカ、南米などの方が勢力も大きくなりつつありますから、次の法皇は非ヨーロッパ国からの可能性も高いと私は思います。事実、アルゼンチン、フィリピンの候補者が有力との予想があります。思い出すのが聖マラキーの予言で、次の法皇がカトリック教会最後の法皇となって多大な苦難を受けるとあります。予言ではその法皇を「ローマ人、ペトロ」と呼んでいます。候補者の中に、二人ほど名前が合致する人がいます。1人はハンガリーのPeter Erdoで、もう1人はガーナのPeter Kodwo Appiahという人です。次の法皇が本当にペトロであれば、どちらかの可能性が高いのではと思うのですが、いずれもローマ人ではないのでどうでしょうか。イタリアではミラノのAngello Scola大司教が最有力とのウワサ。しかしこの人もイタリア人とは言え、ローマ人でもペトロでもありません。私、個人的には、ガーナ人の人になれば面白いと思います。非ヨーロッパ系、おそらくフリーメイソンとの関係もない、黒人、とういうことで、カトリック教会の腐敗と戦い、苦難を受け、最後の法皇となるにふさわしいような気がするのですが。
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チャベス大統領死去の後

2013-03-08 | Weblog
チャベス大統領死去とのニュース。これから南米はどうなるのでしょうか。
オバマは多分、南米をこれまでのように力ずくでコントロールしようという気持ちは余りないでしょうから、チャベス大統領が居なくなったからと言って、何か劇的なことが起こる事はないだろうと思います。しばらく前のシリアの内戦からイラン侵攻という筋書きも実現しませんでしたし、アメリカの(すくなくともオバマの)本音としてはち外国に構っている余裕はないというところでしょう。
世界でやりたい放題やってきた無法者アメリカの時代が終りつつあるような気がします。これからは、ちょうどかつてのヨーロッパ諸国が植民地主義で諸外国の犠牲の上になりたっていた物質的な栄華を失ったように、アメリカも単なる一つの国になっていくのかも知れません。それによって中国やインドがアメリカに取り代わって世界を支配してやろうという野望を拡げないのであれば、アメリカの没落はよい傾向ではないでしょうか。しかし、もはや、国境はあってないに等しく、国よりも企業の力の方が強い時代です。日本が消滅しても日本発の企業は残るでしょう。国という概念はそこに住む人々の安全と生活を確保するものでした。それがグローバル企業の台頭や彼らが後押しするTPPなどによって、国の機能が制限されていっています。逆に国民を守るはずの国が、国民の富を狙うそうした企業の手先となって「改革」を進めようとしています。鳩山政権を除いてこの十年余りの日本の政権のしてきたことを見れば明らかです。

ともかく、カストロが引退し、反米チャベスが去って行ったことによって、アメリカと南米の関係は新しい局面に入って行くことになります。それはこれまでよりも穏やかなものになるでしょう。アメリカの力がなくなり「国」というものの力が無くなれば、自然とそうならざるを得ません。

ところで、チャベス大統領は、オバマになってからアメリカ批判が少なくはなっていましたが、一年ちょっと前にも、次のような発言をしています。


チャベス大統領、相次ぐ南米首脳のがん「米の陰謀」
2011/12/29 7:43

 【サンパウロ=檀上誠】ベネズエラのチャベス大統領は28日、同国軍の式典で演説し、自身を含む南米の首脳が次々とがんを患っている背後に米国の陰謀があるとの見方を披露した。「確率論的に考えて非常に不可解」とした上で、1940年代に米研究者が中米グアテマラで行った人体実験を引き合いに出し、「既に、がんを引き起こす技術が開発されていると考えるのはおかしいか?」とした。

イラン大統領もアメリカの陰謀を糾弾していましたが、世界の事件の様々な面で表にウラにアメリカの関与があると考えるのが、これまでの世界の常識です。

ただ、これからアメリカは多分、力を失って変って行くでしょう。それはアメリカにとっては必ずしも悪いことではないと思いますが、他の国々にとってはどうでしょうか。
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Sequestration発動

2013-03-05 | Weblog
驚いたことに、アメリカ政府の強制歳出削減 (Sequestration)が発動してしまいました。いつもの民主党と共和党のチキンレース芝居とタカを括っていた多くの人は、共和党が期限の二月末まで突っぱねて、交渉決裂にいたるとは思っていなかったようで、私も正直驚きました。加えて、今月末にもアメリカ政府はカネがなくなり機能停止に陥る可能性が(理屈上は)あり、今回のSequestrationが回避できなかったということが、人々の不安を高めています。この歳出強制カットがこのまま執行されると、国防、社会保障、教育制度など、税金に依存するプログラムの縮小が進み、結果として、おそらく立場の弱い人々(例えば一時雇用の人々)から、解雇が進むことになるでしょう。結果として消費は冷え込み、経済は縮小し、中小企業から倒産していき、研究者は廃業となる、負のスパイラルが始まると思います。必ず弱いものから犠牲になっていきます。それと同時にそれを利用して焼け太りするいつもの懲りない面々がいて、結果、社会格差はますます広がって行くことでしょう。予想としては、3月末までに妥協案が出てSequestrationは再び一旦、中断、延期されるのではないかと思うのですけど、そもそも、発動を回避できなかった(しなかった)という今回の予想外の成り行きを見ると、よくわかりません。共和党の下院議長のベーナーは下院の過半数を占めていることを良いことに、これを期にオバマ民主党を攻め込む大チャンスとみてかなり強気に出ています。ねじれに弱いのはアメリカ議会も同じ事、オバマは最後の4年で思う通りにやりたいと思っても今後の共和党との交渉には困難が多いでしょうね。
 しかし、いずれにせよ、それでも人は毎日、起きて働いて食事して寝る、という生活を変えるわけにはいきませんし、成り行きを見て最善を尽くすしかありません。興味深いのは、日本の新聞がSequestration回避ができなかったことを一斉に非難していることです。3K新聞は「歳出強制削減 世界経済への責任果たせ」という見出しの社説。それにしても、誰に向かって説教しているのですかね、この新聞は。「責任をはたせ」とエラそうに宗主国の政治を批判して何とかなるとでも思っているのでしょうか。非難する理由は、Sequestrationが引き金となって世界不況を引き起こせば日本の輸出産業に悪影響が及び、そして国防費の大幅カットで日本の安全保障(その実、米軍基地利権)にも影響するという利己的な理由のようです。一般日本人の立場であれば、アメリカの財政危機を見たら、それではアメリカの経済や安全保障に依存しない国づくりをしよう、という理屈に普通なりませんかね。アメリカが実質、経済破綻しているのは明らかであり、このままアメリカべったりでは将来が危ないと思うのが普通の人の感覚だと思うのですが。しかし、どんなにつれなくされてもアメリカに寄り添いたいアベ自民党、選挙前には「TPP断固反対」と書いた党のポスターを貼りまくったくせに、政権を取ったらいつもの手口で180度の手のひら返し。国民にはウソをつき、その富を売り払い、ととことんアメリカ様に尽くすつもりのようです。私、すっかりドジョウといい、アベ氏といい、平気でウソをつく日本の首相を見続けて、もう批判する元気も失せました。ウマの耳に何とやら、両耳の間の頭蓋骨の中は空洞だとしか思えません。

ところで、売国協定TPPについては、アメリカの一般市民の中にも危機感を持つ人々がいるようです。これはアメリカとか日本とかという国を越えて、企業が利潤追求のために一般人から搾取するためのスキームですから、アメリカ人であっても一般人はそれなりに危機を感じているのでしょう。
 つむじ風ブログで、「TPPは国家間の貿易協定ではない、国家権力から、企業権力への移行協定である!」と端的にその本質を指摘してあります。すなわち、カネで世界を支配している本当の世界の支配者が、国民を守るための国家という枠組みを越えて、更に支配力を強めるためのシステムだといってもよいでしょう。そこには日本もアメリカもなく、カネで人々を支配する少数の連中と支配される大多数という世界の仕組みを更に押し進めようとする意図が見えます。

アメリカ市民団体がTPPの秘密性と内容を警告しているビデオ(字幕)があるのを知りましたのでリンクします。(上記ブログにもリンクされています)

アメリカ市民団体がTPPについて報道した驚異の内容とは
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それはきっと愛

2013-03-01 | Weblog
零細研究者にとっては住みにくい世の中になってきました。中小企業と同じで、必要なのは売れる商品とよい人力と資金です。どれ一つ欠けても成り立ちません。資金というのはとにかく一番の問題で、これだけ研究をめぐる資金環境が悪くなってくるとストレスを感じることも多くなりました。余計な精神的ストレスは百害あって一利なしです。自然で自由な環境で楽しく、のびのびとやってこそ、研究も進むというものです。それで、ストレスを減らし楽しく毎日を充実して過ごすにはどうすればよいのか考えています。

一つはストレスを感じるのは環境や外部条件のせいだという考えを改める必要があるということがわかってきました。とは言っても不愉快な出来ごとは自分の意志とは無関係にしばしば人生におこり、それに対してはつい条件反射的にイヤな気分となってしまうのが凡人の常です。しかし、その不愉快な出来事の受け取り方を自ら変えていくことが唯一、自分にコントロールできる方法のようです。簡単には、不愉快な出来ごとは成長のための試練だと見なすことで乗り切ることですね。どこかのサイトで、イヤなことイヤな人は神があなたを磨くために与えたサンドペーパーである、というようなことが書いてありました。一歩進んで、イヤなことやイヤな人は「神の愛」の現われであると解釈すればよいとも言えます。困ったこと、困難なことが現実に起こるのですが、それを困ったこと、排除したいことと捉えるのではなく、あなたの人間を磨くために、神が愛ゆえに、与えた贈り物だと解釈することによって、人はそれを乗り越えて成長できるということですね。

それで昔の歌のフレーズをふと、思い出しました。「あれも愛、これも愛、たぶん愛、きっと愛、、、」というのです。誰の曲だったかよく覚えていなかったので調べてみると、五木寛之さんの作詞なのだそうです。五木寛之さんの仏教関係の本は何冊か読んで、その都度、共感を覚えたものでした。なるほど、五木さんの書く歌謡曲の歌詞も意味深いと私は納得したのでした。

困ったこと、ストレスを感じる状況、それを何とかしようとしても、しばしば、何ともなりません。良いジャーナルに論文を載せたくても、相手がリジェクトしてきます。次のグラントを取りたい、取れないと仕事を失う、と必死になっても、ダメなものはダメ、と非情な判断がしばしば下ります。その現実を変えることはできません。できるのは、その状況を建設的に受け入れ、よりよい将来を目指して歩むことだけです。嬉しい出来ごとに「神の愛」を感じることは易しいです。しかし普通の出来事、不愉快な出来事にも愛を感じるべきなのでしょう。つまり、困った状況もたぶん愛であり、本当にきっと愛なのだと考えることが大切なのでしょう。
それで、最近、嬉しくないことに出会ったら、その都度、この歌詞を口ずさむようにしているのです。
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