百醜千拙草

何とかやっています

研究者の才能

2014-04-22 | Weblog
柳田先生の数日前のエントリー「研究者になるための幼児教育」を読んで、子供をわざわざ研究者にしたい親などいるのだろうか、と思いました。

こんな前振りで書いてみたかったのは、子供を優れた研究者にしようなどという、研究者の親などはいるのだろうか、という疑問です。すごい早熟の才能ゆたかな学生さんがいて、父親母親が誰かと聞いてなるほどとうなずくようなケースは今の日本あるのだろうか、ということです。若い学生さんの世界コンテストなどはありませんから、ちょっと分かりませんが、若くてすごいのが若年教育で出るだろうかという設問です。
わたくしはずっと否定的でしたが、というか今もあまり肯定的ではないのですが、昔ほど自信をもって否定的ではありません。
上手にやれば幼児から研究者教育はできるのではないか、と感じだしています。

研究活動でメシが喰えるというのは、大変、幸運なことだと私は思うのですけど、その不安定さと収入面での問題が難点です。超一流研究者でなければ、研究していて、高給が貰えて職の安定を望む方が都合よすぎるとは思います。それは零細企業の社長がリムジンで出社してファーストクラスでビジネストリップに行くようなものです。ま、不安定で綱渡りだからこそ、必死でやるようにもなるという面もあります。

私は、研究者をやめろ、と親にいわれたことはありませんが、家族にはあります。もっと安定してカネになる仕事をしろ、ということです。研究者の現実を知っていれば、子供の健康と安定した生活を願う親であれば、やめろ、というでしょう。研究者になりたい、というのはレベルは違いますが、プロの歌手になりたい、とか映画俳優になりたい、とかアーティストになりたい、とかと近いと思います。確かに、音楽やスポーツは親が物心つかないうちから英才教育を始めないと一流になるのはムリかも知れません。しかし、そういったものは比較的明確な「才能」のあるなしが子供のころからはっきりしているものだと思います。才能のある子供に英才教育を施し、その結果も比較的簡単にわかります。

一方、将来、一流の研究者になる素質、才能、というのが子供の時にわかるのかといわれたら、難しいだろうと思います。そもそも、研究者の才能とは何なのでしょう。思うにそれは、一瞬のユーレイカ的瞬間のために、成功する保障もない作業をあきらめずに長年継続できるぐらい「バカ」でありながら、貧窮生活をものともせず、論理的思考ができて、向上心があり、自分の活動に社会的意義を見いだせるぐらいのそこそこの「頭の良さ」を併せ持っていること、ではないかなという気がします。そして、多分、もっとも大切なのは情熱であろうと思います。情熱は内から涌き出るもので、教育ではなんとかするのは難しいと私は思います。
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