百醜千拙草

何とかやっています

残虐性と非人間性と執拗性を持つ男

2018-06-29 | Weblog
私、本当に人の悪口は言いたくないし、明るく穏やかに、自分の仕事に集中して毎日過ごしたいのです。
正直、アベの顔を見るのも声を聞くのも名前を聞くのも気分が悪いです。しかし、この異常者が近代国家として戦後、日本が築き上げてきた社会のシステム、倫理観、いや、それ以前に日本語そのものを破壊し続けているのを、イヤなものを見たくないからといって、目と耳と口を塞いで、現実逃避するわけにはいきません。

先日の党首会談のアベ、その異常さに、まさに呆れてものが言えなくなったあと、強烈な怒りと嫌悪感が湧いてきて、頭が沸騰しそうになりました。
私は、アベは幼稚で自己中心的なだけだと思っていたので、時々、サイコパスとか狂人と人々がアベを呼ぶのには正直、違和感があったのですが、今回は納得しました。狂人を相手に論理を使っての議論が成り立つはずがありません。

くろねこの短語から
悲惨な党首討論。世の中には何を言っても無駄って輩が時たまいる。それが総理大臣ってところにこの国の最大の悲劇がある

何度も書くけど、「無学者、論に負けず」とはよく言ったもので、昨日の党首討論はペテン総理がいかにひとでなしかということを世間に晒してくれちゃいました。フランケン岡田君との討論では、制限時間の通告を無視してデレデレと話続けるという傍若無人ぶりを発揮。討論時間終了後にフランケン岡田君が「良心の呵責を感じないのか」と問いただすと、なんと「やっぱり岡田さん、ルールは守らないと」ときたもんだ。テメーのことは棚に上げての恥知らずな言動には、もはや総理大臣というよりも人としてどうなのよってレベルなんだね。それにしても、党首討論で捨てぜりふ吐くとはねえ。、、、
 「どういう育ち方をしたら、安倍総理みたいな人間になるのだろうか。安倍総理の最大の強みは、倫理や道徳心を全く持っていないことにある。国民にとっては戦慄の危機だ」って安倍国難論の小西君がツイートしていたのもむべなるかなってことだ。

同じく、小西議員 @konishihiroyuki
(岡田氏の「総理、良心の呵責感じませんか」との党首討論での発言に関して)
そもそも、安倍総理には良心がないとしか思えない。歴史上にこうした恐ろしい政治家は複数いた。いつの時代も、ある政治家が民主主義の敵であることを国民が知るのは、国民が大きく傷付いた後である。そうならないよう全力を尽くす。

私も確信したことは、アベはただの無能な3世議員ではなく、よくて人格異常、人として当然持っているべき共感性、情といったものを持ち合わせていないサイコパスだということです。

リテラの記事。元官僚の古賀氏の対談から。
古賀 それにはまず安倍首相の特異性から語らなければならないでしょうね。安倍さんは“目を合わせてはいけない”というたぐいの人なんです。たとえば、街に暴力団がやってきて「俺が仕切るぞ。逆らったらただじゃおかねえからな」という怖い顔をしていたとします。しかし、みかじめ料を払っておけば難癖もつけられないし、この前まであった喧嘩やゴタゴタもなくなる。商売が順調にできるようになったなと町人は錯覚するわけです。ただ、安倍さんが「この店、俺のものにしたいな」「ここに何か作りたいな」となったとき、「そんなのはダメです!」と反対したり抵抗する人がいると、バッサリやられる。だからなるべく、安倍さんとは目を合わせたくない。官僚もそうした安倍首相の特殊体質を熟知しているんです。、、、

、、、柳瀬くんも佐川くんも着々と上り詰めてきた。だけど、ここで安倍さんに逆らったらどうなるかというと、すべてが潰えてしまうわけです。次の人事で「あなたは勇退です」と簡単に切られる。いや、それで済めばまだいいけど。というのも安倍さんはものすごく怖い人物なんです。執念深くて残虐。これが安倍政権の異常性です。
、、、残虐性、非人間性、執拗性。これらをすべて持っていて、それが徹底している。「こいつは!」と思ったら、辞めたからそれで終わりじゃないんです。辞めたあとも徹底的にやってくる。たとえば、前川さん(喜平・前文科省事務次官)のように、人格攻撃もやるし、講演にも横槍を入れる。僕も講演は最初はいっぱいあったけど、なくなっちゃった。そういうことをされるのが見えているし、多くの官僚にとってそれは恐怖でしかない。、、、

だからといって、このヤクザのサイコパスを放置はできないでしょう。選挙で落とすしかないです。
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後進国化する日本

2018-06-26 | Weblog
国会集中審議。
例によって、またアベの時間つぶし答弁。委員長にアベのひどい答弁をやめさせるように委員が詰め寄るも、カエルの面にションベンのアベ。強烈ですな。

Buuさん@buu34
「いわば、私は総理大臣なのでありまして、私が総理大臣である中に於いて、その中に於いてですね、私が総理大臣であることは、事実、であると同時に、大切なことは、この、私が総理大臣であることであって、これは、まさに、私は間違いなく、総理大臣なんだろう、と、このように思う次第でございます」- これは創作です、ネタです、ネタなんです、ネタですってば。

〜 ネタとは思えない。

加計問題、立民福山「この集中審議に、愛媛県知事、加計理事長、総理夫人の国会招致をお願いしましたが、自民党は『組織をあげて』反対をすると表明され、拒否をされました。非常に遺憾であります」
 安倍晋三首相らが出席した参院予算委員会の集中審議は午後4時23分、散会した。森友・加計学園問題をめぐる質問に対し、首相はコメント拒否を連発した。

質問に答えられない時点で「真っ黒」、それを全員が知っているのに、こんな開き直りが通用するのですからね。 

山のような証拠を積み重ねられて、モリカケでのアベと夫人の関与が明らかになったのに、疑惑の張本人は国会招致どころか、マトモに会見もせず、アベ本人だけが歴然たる事実を認めない(森友調査報告書を精読する)。木下さんのコメント(@kemuchiman)
「ふつうに読めば総理の『関わり』はある」←そう、ふつうならこれで安倍内閣は終わり。しかし、いまだに安倍はのさばっている、日本は「ふつう」ではなくなってしまったという事。安倍内閣が終わったとしても、この国を軌道修正する事は困難を極める。

カジノ法案も、民間企業が賭博場を営むという明らかな法律違反。法律、憲法、常識、日本語、倫理、恥の概念、すべてを破壊していくアベ。それを止められない自民党。日本の後進国化は著しいです。

後進国化といえば、日本は軍事支出は世界8位の軍事大国、でありながら教育支出は先進国中、最下位なのだそうです(図表で見る教育2015年版OECDインディケータ)。Ryoznpaku(@gnpthnt311)さん、これで世界と戦えというなら、「低賃金と長時間労働」しかないじゃないか! いやー、昔は竹やりでB29を撃ち落そうとした国ですからね。アベは、戦前、戦中の日本に戻したいのでしょう。大和魂、カミカゼ、ハラキリ、バンザイ。

アソー氏、「10~30代、新聞読まない世代は全部自民党」

、、、自民支持が高いのは10~30代として、「一番新聞を読まない世代だ。新聞読まない人は、全部自民党なんだ」と持論を展開した。、、、

本人はメディアの批判をしたつもりなのでしょうが、私には自民党支持者は新聞もロクに読まない(今の政権がどれほどひどいかも知らない)若者で、自民党支持者は無知だとでも言っているようにしか聞こえません。彼らでも、国会中継をちょっとでも見てみれば、アベ、アソーの強烈な無知性と不誠実さは一瞬で理解できると思いますけどね。
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信号無視とご飯

2018-06-22 | Weblog
ゲス、クズ、カス、クソ、と日本語では2文字の言葉は、使わずに済むなら使わない方が良いです。言葉や力で、他人を貶すこと、他人を傷つけることは、人間としての大きな罪ではあります。しかし、日本国民に多大なる損害を与え続け、国の信頼を損ない、己の保身のために拉致被害者を利用し、国の財産を売渡す、これらの二文字の他にその人間性を形容しがたいXXに対しては、「たとえ人間なればとて、世を妨げ、仏法王法に敵する悪徒は一殺多生の理によって、忽ち切って捨つるべし」、ま、現代の世の中で、太刀打ちにするわけにはいきませんが、ペンは剣よりも強し、言葉で戦うよりありません。粘り強く、アベのデタラメさとその害を訴え続けることは大切です。
 なぜなら、「ハンナ・アーレントは『全体主義の起原』(1951年)で、独裁的権力がプロパガンダにおいてどうウソを利用するか、なぜ大衆が支持するかを分析し、ウソを信じることも、シニカルにやり過ごすことも、全体主義指導者のプロパガンダを成功さ せたと指摘しました。つまり、虚偽を信じることも、放置することも、全体主義を後押ししてしまうのです」(日比さん) という理由があるからです。アベはXXだから死ぬまで治らない、放置するしかないという態度、アベも人間だから人間の悪口を言いたくない、という良識を、邪悪な政権は利用しています。ダメなものはダメ、といい続けることが大切です。

朝日新聞が取り上げたので、ご存知の方も多いでしょうが、アベの不誠実極まりない答弁がいかにひどいかを分析した結果が興味深いです。この方もアベの不誠実な国会答弁にイライラされていたようで、アベの話法を、「信号無視話法」と名付けています。

総理答弁の信号無視話法を 3色視覚化 (2018年5月30日 党首討論 VS枝野代表)


2018年5月30日に行われた、安倍総理と野党4党首の党首討論。
安倍総理は論点のすり替え、全く聞かれていない話を始める等の時間稼ぎに終始し、大変不誠実な答弁を続けた。

本記事では、立憲民主党・枝野代表との討論を例に、安倍総理の答弁を直感的に視覚化していく。具体的には、信号機のように3色(赤はダメ、黄は注意、青はOK)で視覚化する。

また、聞かれていないことを話し続け(=赤信号・黄信号でも車を走らせ続け)、議論相手や聴衆(=周りのドライバーや通行人)に迷惑をかけ、時間を浪費させる答弁を 信号無視話法と筆者は命名する。(2018/6/1に筆者 命名)

詳細な解析はサイトを見ていただけると納得いただけると思いますが、この解析だと、アベの答弁時間の74%は、質問の回答とは無関係に費やされており、質問の回答に費やされたのは4%に過ぎない、という結果になっています。私、その4%でさえ、半分はウソとゴマカシだと思うので、実質、この男は、国会に費やされる人々の時間と金をほぼまったく無駄にし続けていると言っても過言ではないでしょう。私、まだ、のび太くんぐらいが首相をやった方がマシだと思います。

私もかつて、違ったタイプの信号無視話法の使い手と戦ったことがありますが、この人は、まるで、自分がそもそも一方通行を逆行してきているのに、意表をつかれた人に対してクラクションを鳴らして怒鳴り散らすような人でした。わざとやっていたのか、自分が絶対的に正しいと思っていたのかは不明です。アベの場合は、もちろん、マトモに答えられないやましいことをしているので、ゴマカして時間を潰すということをするわけですが。噂に聞くと、子供の頃からの年季の入ったウソつきに加えて、恥知らずなようで、一向に人々の不満も意に介せず、こういう馬の耳とカエルの脳みそを持つ相手は、どうすればいいのでしょうか。

言葉の意味をわざとずらして、自分に都合の良いように回答する「ご飯論法」もひどいものです。これは、法政大学の上西さんのツイートで広がったものですが、AREAの記事から引用します。

「政府は質問に答えず、論点をずらすことに終始していました。ところが、テレビや新聞で大きく報じられず、不誠実な答弁の動画がネットにアップされても多くの人は見ない。言論が冒涜される現場を知ってほしい」

 上西さんは、加藤勝信厚労大臣の追及をかわしていく手法を、下記のように例えた。
──朝ごはんは食べなかったんですか?
「ご飯は食べませんでした(パンは食べましたが、それは黙っておきます)」
──何も食べなかったんですね?
「何も、と聞かれましても、どこまでを食事の範囲に入れるかは、必ずしも明確ではありませんので」
──では、何か食べたんですか?
「お尋ねの趣旨が必ずしもわかりませんが、一般論で申し上げますと、朝食をとる、というのは健康のために大切であります」

アベの答弁そのままです。アベはこれに加えて、質問とは無関係の質問者の言葉尻を捉えて、質問者を攻撃してさらに時間を潰すという悪質なことまでします。こんな馬鹿げたことが国会で行なわれていて、多額の税金がこの茶番に費やされているのです。何れにしても、アベの国会答弁の不誠実さというのは、氷山の一角です。不誠実なのは答弁だけではなく、アベのすべてと言って良いでしょう。

恥知らずのウソつきは、アベのオトモダチの加計理事長も同じようで、地震とW杯が重なったタイミングを見計らって、通告二時間前の、しかも岡山地元のオトモダチのメディアだけに限って30分足らずの会見でお茶を濁そうとしたことが、大勢の人々の反感を買っています。なんとか駆けつけた中央メディアは会見場から締め出された由。単なるアリバイ作りなのが丸見え。これではむしろ疑惑ウィ確信に変えたでしょう。
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週末ごはん

2018-06-19 | Weblog
B級グルメブログ、最近の週末のごはん。
私、数年前から四つ足、鳥類は避けておりまして、最初は油っぽいものが偏頭痛のトリガーになっているように感じたことから始まった習慣です。最近はずっと偏頭痛もなく、獣肉を食べないという理由は別にないのですが、習慣とは恐ろしいもので、なんとなく食べずにいます。そういう理由ですから、主義的なものではないし、魚介類は食べるし、卵も乳製品も食べますが、野菜類が中心の食事になっております。そもそも油が頭痛を誘発するのではないかという仮説から始まったこの食習慣ですが、やはり、油と塩は体が欲しがるもので、時々、フライドポテトみたいなものが食べたくなります。

それで、最近、週末に、よく作るようになったのがファラフェルです。これは、レストランの厨房でアルバイトしている子供が買ってきたイタリアンパセリが大量に余っていたので、それを消費するために作り始めたのがきっかけです。パセリを使った料理といえば、同じく中東料理のタブリ サラダが有名かと思いますが、これは以前に、自分でもやってみましたが、納得できる味にならず、結局、ファラフェル(風)のものを作ることにしまいした。一口で言えば、豆のハンバーグです。私のはゆで卵とトマトが入っています。Wikipediaによると、そもそもイスラエル建国当時に深刻な肉不足が起こり、たんぱく質を補うために、広く食べられるようになったらしいです。
簡単なレシピは「超簡単!ひよこ豆コロッケ、ファラフェル」にあります。
玉ねぎ1/2、イタリアンパセリ1/2カップ、ゆで卵2-4個、水気を絞ったトマト1個、水を切ったひよこ豆の缶詰一缶、ニンニクをフードプロセッサーでみじん切りにし、小麦粉1/4カップほど、塩、胡椒、そしてクーミンを好みの量だけ加えて混ぜます。ゆるくてまとまりが悪い場合は小麦粉を増やします。適当な大きさに丸めて小麦粉をまぶし、カラリと揚げるか揚げ焼きにします。そのままで十分おいしいですが、ヨーグルトソースなどをつけてもいいと思います。
ピタパンに挟むというのもよくある食べ方のようで、コロッケパンみたいなものですね。
クーミンの香りと、作っている間のパセリの香りがいいです。
ビールによく合います。

ファラフェルとピタパン、タヒニ(練りゴマ)のソース添え。


ファラフェルのピタパンサンド、tzatziki sauce添え (グリーク ヨーグルトに、ニンニク、ディル、水気を切ったきゅうりのすりおろし、オリーブオイル、レモン、酢と塩コショウで味付けたソースです)。

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米朝会談

2018-06-15 | Weblog
米朝会談。私、トランプもキムも個人的には大嫌いですけど、彼らはパワーを持っており、世界への影響力はあります。ま、お互いの思惑がたまたまうまく一致したのだと思います。トランプの動機は単純でしょう。一つは彼自身のエゴ、名誉欲、それから節約のためにアメリカが世界から手を引く宣言をした手前、東アジアからは日本が金を出す在日米軍を残して撤退したいので、東アジアは安定化させたい、そういうことでしょう。トランプには軍事産業の意向を無視しているのか、あるいは軍事産業が朝鮮危機ではリスクばかりで金にならないと踏んだのでしょうか。

トランプにとっては一挙両。一方、北朝鮮の将軍家は、保身が第一、これまで「民主主義」を掲げて、他国を侵略して戦争をおこし、軍事産業を儲けさせる一方で、都合の良い政権に変えて、金儲けをしてきたアメリカのやり方に対する恐怖は感じているはずです。だからこそ身を守るための核開発をしてきたわけでしょう。別に日本を攻撃したり日本に侵攻したりするつもりで軍事強化をしているわけではない。イランも同様でしょう。将軍家にしてみれば、イラクのフセインやリビアのガダフィのように、アメリカにイチャモンをつけられて絡まれ、丸腰にされた挙句に殺されるというのは、相当に現実味の高いシナリオですから、どうすれば我が身を守ってこれからも金体制が維持できるかが最大の優先事であるのは間違いないと思います。

ここで、トランプが泥沼の朝鮮戦争の正式な終戦をして、本当にアジアから手を引くのであれば、北朝鮮はそれと引き換えに核武装の段階的解除をしても良いだろう、そしたらみんなハッピー。うまくいけば、トランプは朝鮮戦争の終結の業績でノーベル平和賞候補、北朝鮮の金体制は守られる、そう思ったのだと思います。もちろん、これからの交渉次第。北朝鮮はアメリカを簡単に信用するはずはないですから、当面、完全非核化はありえないでしょう。逆に言えば、アメリカ次第。アメリカが紳士的に振る舞えば、北朝鮮は核をちらつかせる必要もない。

なんとなく日本の明治維新を思い出させます。大政奉還しなければ、武力には圧倒的な差があるアメリカに侵略されて力づくで徳川幕府が潰され、一族は処刑されていたわけですから。ま、そのおかげで、薩長出身の3世議員のボンボンどもが現在の日本をメチャクチャにするハメになってしまったのは皮肉なものです。

北朝鮮の脅威はこれまでアメリカやアベにとっては都合が良かったのですが、アメリカはもうアジアから手を引くからどうでも良いということになったのですかね。こちらもその方がいいですが、きっと、日本政府はそのアメリカにすがって金だけ搾り取られるのでしょうな。

今後は、大国が仕切る世界ではなくなり、小単位に分割化していくと想像しますが、分割した単位どうしのコネクションはむしろ強まるだろうと思います。今や、世界は経済的にも情報的にも複雑につながりあっていますから、帝国主義の時代のようなやり方はもうできないし、ならば、今後、「国」というものが実務面は残るもののシンボル的なものに過ぎなくなっていき、国家防衛という考え方がすでに意味をなさなくなってくるだろうと思います。

情報交換において、マスメディアからインターネットが主体になってきたように、生活面でもフリーランスでボーダーレスで働く人が増えました。あとは、中央銀行が管理する貨幣制度が、仮想通貨など権力から切り離されたシステムで代替されると、現在の社会の権力構造は成り立たなくなると思います。そして「国」という概念があまり意味のないものとなり、よって国家防衛という議論が意味をなさなくなるのではないだろうかと思います。

だいたい、昔から「国」を防衛するというのは、その国の権力者の利益を守るということで、国民はそれに使われて犠牲になってきたのです。先の大戦がいい例です。

今後は「みんなと友達になって、相互の利益関係が確立すれば、いじめはなくなる」という理屈が真面目に成り立つような世界に将来的になっていくのではないかと思ったりするのですが。

まだ、アベのメディア戦術に多くの国民が乗せられているような状況では、先は長いですが。
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残念な新潟県知事選

2018-06-12 | Weblog
新潟知事選。接戦でしたが、残念な結果に終わってしまいました。与党の対立候補、千葉出身の落下傘候補だったようですが、巧みに原発推進色を決して、再稼働に慎重な態度を示したのが奏功したようです。与党候補ですから、原発利権団体の支援を受けているわけで、原発再稼働派でないわけがないのですけどね。これで新潟は一歩後退。投票率は58%強だったようで、自民、公明の地方の固定票は動かしがたいですから、もう少し投票率が上がっていれば、勝てていたのかも知れません。
 この選挙結果が、脱原発への動きに水を注すばかりか、狂人アベを勢いづかせてしまう結果に繋がりかねないことが心配です。ま、前を向いて進むしかありません。かなりの接戦ではありましたから。まだまだ地方では自民党を盲目的に支持する人が多いとは聞いています。しかし、アベが私物化している政府と自民党は、もはやかつての良識ある政党ではないです。現在、まだ与党の中で利害を抜きにしてアベのやり方を批判する人々は少数派です。福田元首相ぐらいですかね。小泉親子は信用できませんしね。野党は小粒、自民党も異常なスピードで劣化が進んでいる中で、狂人アベが独裁集権国家を作ろうと己に都合の良いように憲法でさえ変えようとしています。まさにナチスの手口です。この狂人を止めるのは最後は国民しかいないです。現在の国会前の10万人規模のデモが、韓国並みに10倍の規模に拡大すれば、アベは倒れると思います。しかし、この選挙の結果を見ると、多くの国民はこの狂人の奴隷でも良いと思っているとしか思えません。それなら行き着くところまで行かないとダメなのかも知れません。

ちょっと仕事が重なり、あまり、じっくり社会の出来事と向かい合えずにおります。
4ヶ月かけてリバイスした論文が返ってきて、再リバイスとなりました。最近、一回のリバイスで決まったためしがありません。これは昔にこつこつやっていたものを筆頭著者で書いたものなので、誰にもお願いできません。もう一本のリバイス中の論文ももうすぐ原稿が上がる予定ですがこれもリバイスに半年以上かかっています。その前にようやく出版できた5年越しの論文も締め切りを一ヶ月延長した挙句に複数回のリバイスをするハメになりました。最近、出版するのもが、昔よりも難しくなってきたなあ、と思うことが多いです。あと今月は、グラントの締め切りが一つ、総説の締め切りが一つ、論文レビューが三つ、他人のグラントのプレレビューがつが重なってしまいました。

その中でグラントの締め切りが取り敢えずの最優先です。お金に苦労していない研究者は少数です。研究資金は大抵、グラントへの応募で得るしかありません。今のところ、グラントは5連敗していますが、それぞれに結構な時間をかけた挙句、成果はゼロですので、かなり大きなダメージです。まるで「シジフォスの岩」です。ま、人生、何事もそんなものでしょうが。時間をかけ、関連論文を出版し、予備データを蓄積し、研究計画を練れば、当たるというものではありません。私の場合、かけた時間と成果の間に全く相関関係がなく、グラントが当たった場合は、偶然にホットな分野にすでに足を突っ込んでいて人よりもちょっと早くデータが出たというような、単なる「幸運」ゆえです。

また、グラントの評価システムは公平、公明正大とはとても言えません。というか、公平で明瞭なグラント評価システムなど存在しません。多くの同僚や知り合い、自分自身の感覚から、得た結論は、結局、「グラントは当てものであり、数打つしかない」というものだと思います。「じっくりと質の良いものを練り上げる」のではなく「いかに時間をかけずにそれなりのもの仕上げて数を増やすか」を優先し、期待レベルを下げて、淡々とやるのがおそらく良いのでしょう。私のかつての知り合いの一人は、研究時間の1/3を上限と定めてグラントをできるだけ応募するというポリシーでやっています。もう一人は一本のグラントは二週間以内で書くというルールを定めています。これは、かつてのアドバイスと逆です。かつては質の良いグラント書かなければ時間のムダだというスタンスでしたが、今や質の良いグラントでさえ滅多に当たらないのだから、質を上げるのに時間を費やす方がムダであるというように変わってきました。

私、細かいことに引っかかって墓穴を掘るタイプで、書きものにはとにかく時間がかかるのです。いつも延々といらぬ推敲をしてしまうことになります。論文ではそれがいいのでしょうが、グラントでは無駄なことです。期待のレベルを下げて、スピード重視で淡々とやるようにと言い聞かせてはいるのですが、ついついちょっとしたことに引っかかって横道に入り込んだりしてしまいます。とにかく、こだわり症はマズいです。昔は、要点を押さえて「仕事を捌く」のは得意だと思っていましたが、年々、ゴールに集中して最短距離を走ることができなくなってきました

申請書の筆は進まず、ポモドロ タイマーにお世話になりつつも、つい、現実逃避しています。
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癒される曲

2018-06-08 | Weblog
戦後の高度成長期からバブル、そして国際競争力が低下し、経済が低迷し、貧困化と少子高齢化が進み、と、この推移を見ていますと、人も国も同じように年を取っていくのだなと思います。自然の摂理でしょうけど、年を取ってアチコチにガタがくるのを実感するのは、自分の肉体であっても国であっても寂しい気分になります。ま、現実を肯定的に受け入れて、改善すべきことは改善する努力をしていく以外の選択肢はないのですが。

私も若い時は研究でいつかは何か意義のある発見をしたいと燃えていましたが、今は、日々の小さな事柄に一喜一憂しながら、生き延びるのが精一杯という体たらくです。気持ちはあっても、体とカネがついてこないのを実感するのは寂しいものです。

そんな時に、たまたま耳にして、とっても癒された民謡風音楽を紹介します。

一つ目はNeli Andreevaというブルガリアの歌手が歌うMalka Moma(少女)という曲です。かなり前にヒットした有名な曲らしいですが、私知りませんでした。ブルガリアの民族音楽風に作られています。

少女は神に祈る
私に鳩の目をください、私にはやぶさの翼をください
白いドナウ川の上を飛んで、愛しい人を見つけるのです
神よ、彼女の願いを届けたまえ、鳩の目とはやぶさの翼を与えたまえ
神ははやぶさの翼を与え、少女は愛しい人を見つけたのです

訳を読んでも、歌詞の深意はよくわかりませんが、メロディーと歌に加えて、コーラスのアレンジが素晴らしいです。



二つ目は、ロシアのBeloe Zlatoというグループの「Beyond (Behind) the Quiet River (英語曲名)」という曲です。シンプルな短調のメロディーと和音進行に伴奏なしの素直なコーラスが妙に心にしみます。素朴に歌っているのがいいです。

静かな川の後ろ、樺の木のくぼみに、春一番の花が咲きます。
素朴なお祈りをして、私は東を向いて十字を切ります。
真っ赤な朝焼けが空をいっぱいに染め、永遠なる太陽が昇る。
そして、白い鳥が地上を舞い、天から神の赦しをもたらすのです。
私の命では掴めないような果てしないものが心に開きます。
それは、子供の頃にお母さんが抱きしめてくれた時のような甘い安らぎ。
涙から聖なる祈りが生まれ、悲しみはキリストの愛で満たされる。
その時、私の魂は「Rus」と呼ばれる偉大なる宇宙に触れるのです。

という感じで、自然の中に宇宙を感じる神秘主義的な詩です。



民謡風の曲といえば、日本にもいい曲があります。わざわざ紹介する必要もないと思いますけど、Boomの「島唄」、先の戦争で本土の犠牲にされた沖縄の悲しみと苦しみを歌ったものですが、それを風景の描写の中に表現しています。永遠を感じさせるような、悲しくも美しい曲です。夏川りみさんの三線と歌声がいいですね。
、、、
でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た(1945年春、でいごの花が咲く頃、米軍の沖縄攻撃が開始された。)、、、
ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら(サトウキビ畑の下の洞窟で、愛するあなたと永遠の別れとなった。)
島唄よ 風にのり 鳥と共に 海を渡れ (島唄よ、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、神界 “ニライカナイ” に戻って行きなさい。)
島唄よ 風にのり 届けておくれ わたしの涙(島唄よ、風に乗せて、沖縄の悲しみを本土に届けてほしい。)


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ニーズに応える

2018-06-05 | Weblog
ちょっと前の内田樹の研究室ツイートを読んで思ったこと。

「大学教員に実務家を」という話があります。実務家が大学教育にも大学経営にも不向きであることは教員に実務家を取り揃えたかの「株式会社立大学」が次々と募集停止に追い込まれた歴史的経験から明らかであるはずですけれど、彼らはそのことはころりと忘れたようです。
問題は学校教育は「市場のニーズに応じるものではない」という基本的なことを実務家たちが理解していないということです。「教えたいことがある」から教育は始まる。「教わりたい人」がまずいて「代価を差し出せば教えてやる」という需給モデルで教育は語ることができません。
神戸女学院が開学したとき、二人の米人宣教師が「教えたいこと」に対する「マーケットのニーズ」は明治初年の日本には存在しませんでした。上陸の直前まで「キリスト教禁教」だったんですから、あるはずがない。でも、教えたいことがあった。そしたら、なぜか七人生徒が来た。この順番は変わりません。


これを「大学教員」を「研究者」に置き換えてみた場合に成り立つだろうか、とふと思いました。教員も学生も研究者も生活に困らないで好きなことに使える資金が潤沢にあれば、話は簡単なのだろうと思うのですけど、彼らも生きていかねばならず、教育や研究は、彼らがやりたいことであると同時に、収入や将来の就職口を得るための手段でもある場合がほとんどであろうと思います。加えて、理系の研究は金がかかり、研究費や研究施設なしには何もできません。教育も同様かと思います。教育機関を運営するには金がかかります。結局は、資本主義社会で、ほとんどの活動に「金」が必要とされる世の中で生きていかねばならないという「個人のニーズ」が根底にあります。

研究や教育にかかる「金」は誰が何の目的で出し、出資者はそれと引き換えに何を得ているのでしょう。そこに相互関係が成り立つには何らかの価値の交換があるはずです。"There is no such thing as a free lunch"という言葉もあります、お互いのニーズが合わなければ、物事は起こらないだろうと思います。先の神戸女学院建学のエピソードも、社会のニーズとは呼べなくても、ニーズはあったからこそ成り立ったのだろうと思います。当時、生徒となった人の「何か新しい、面白そうなものを知りたい」というニーズと「キリスト教に基づく教育をしたい人」のニーズがマッチしたから、相互関係が始まったのだろうと思います。

「金」と「生活の安定」を得ることが最重要視される現代では、学生やその親にとっては、大学に行く理由は資格を手に入れたり、より有利な就職口を見つけるための手段である場合がほとんどでしょう。とすると、上のツイートにある「株式会社私立大学」が失敗したのは、やはりニーズに合っていなかったからだとも解釈できます。学生やその親、それから企業は、「それなりに権威のある大学」を卒業したという事実が重要なのであり、新興の「株式会社私立大学」はそのニーズを満たさないからです。ウチの子供が行くことに決めた大学は、近年、その人気が急激に上がってきましたが、その理由はCo-opという在学中からの企業などでの実務実習をプログラムに取り入れているからです。つまり、すぐに使える人材を求める企業のニーズ、就職を有利に進めたいという学生側のニーズにマッチしたプログラムを提供しているからです。上の「株式会社私立大学」も企業とタイアップして、卒業すればかなりの確率でそれなりの企業の正社員で就職できることを保証すれば、間違いなく成功したでしょう(それなりの企業はこういう大学とは連携しないでしょうが)。

研究者にとってのニーズは、研究費の継続的な獲得によって、研究活動と職を維持していくことです。しかるに、研究資金の相対的欠乏によって、資金獲得は年々困難となり、研究室の生き残りのためにかつての倍の数の研究費申請を出さざるを得ない状況が続いています。もはや、研究のために研究費の申請書を書いているのか、研究費申請に応募するために研究をしているのか、わからないというような本末転倒が起こっております。

一方、研究費を出す側のニーズはどうでしょう。研究費申請の募集を見ますと、多くのものが、特定の目的に役立つ研究を探しています。金を出す方にしてみれば、当たり前のことです。そこに相互利益を生む関係が成り立たなければ、話は進まないでしょう。つまり、何かを求める人がいて、そのニーズを満たしてくれる相手に金を出すという当たり前の関係が研究費の提供側と受け取る側にもあります。研究者が主導して申請する税金がベースの研究費も基本的には同じで、「社会のニーズ」にあったものが採択される(表向きには)ことになっています。

これは、論文でも同じことだと思います。私の論文はまず「Nature」のような雑誌には載りません。それはNatureという雑誌に私のやっているような研究を出版するニーズがないからです。また私の研究は仮にソコソコのレベルの雑誌に掲載されてもcitationは稼げません。それは、私が興味を持っていて面白いと思っていることが、マイナーなテーマだからです。つまり、受け手の数(ニーズ)が少ないのでインパクトも低いのです。Natureなどの商業雑誌がもっとも求めるものはインパクトであり、それがなければ研究の質がいくら高くても採用されないと思います。私は、研究やそれを論文として発表する活動は、何らかの発見からできるだけ汎用性の高い結論を引き出すゲームのようなもので、論文は一種の「作品」と捉えています。ですので、ニーズの低い論文でもそのゲームの完成度を高めることによってソコソコの雑誌に載せることは可能です。研究テーマを選ぶのも何に興味を持つかもそれは偶然や個人の好みが絡むことなので、なかなか、ニーズにあった研究をやるというのは難しいですが、ニーズに合わなければ、現実的に研究を継続するのはなかなか難しいとは思います。

基本的に人は抱える問題を解決してくれる人を求めています。それがニーズというもので、研究も同じと思います。その研究が誰かの何らかの問題を「解決」しない場合は、なかなか資金を得るのは困難でしょう。トイレが詰まった時に、必要とされるのは配管工であり、パイプを使う芸術家ではないでしょう。

思うに、社会のニーズに合わない研究や教育が許される時でも、それはそれに金を出す側に必ず、それなりのJustificationがあるはずで、例えば「今は存在しないが将来的に生まれるような社会のニーズに対応するため」というニーズにやはり対応しているのであろうと思います。上の喩えで言えば、パイプを使う芸術家も、仮にパイプ芸術愛好家といういうニーズがなくても、パイプ芸術が将来的に新しい配管技術の開発につながるとか、現在の配管問題を解決するのに役立つ可能性がある、と金を出す側が考えれば、活動をサポートされる可能性はあります。

対照的な例を思い出しました。つげ義治の「無能の人」という漫画です。以前、映画化もされました。「石を売る」では、才能ある漫画家が社会のニーズに合う漫画を描くことを潔しとせず、河原の石を売るという商売をはじめて失敗するという話があります。ここには、全くニーズがなく、将来もそれが見込めない場合には、与える側と受け取る側との相互関係は成り立たないということが極端な例で示しされていると思います。
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うそつきを探せ

2018-06-01 | Weblog
この森友事件から発覚したアベの権力の不正使用、濫用は確かに問題なのですが、いまや、もっと深刻な問題は、そのアベが不始末を謝罪して物事を正す代わりに、本人がウソにウソを重ね、ごまかし、隠蔽するのみならず、その政権に巻かれてきた連中がこぞって、アベと同じようにあからさまなウソを重ね、公的文書を改竄するという重罪を犯すようなことまでする、前代未聞のレベルのモラルの崩壊、かつ、そのウソつきどもによって国民や県民、市民の財産が不当に特定の学園に流されたにもかかわらず、誰一人、今の所、犯罪に問われず、ろくに責任を取らずにいるという異常事態だと思います。

この戦後最悪のウソつき政権を支持する国民の気持ちが私は全くわかりません。想像するに、そういう人はロクに新聞も国会中継も見たこともないのか、コトの深刻さを理解できない知能の持ち主なのか、あるいはアベと同じ穴のムジナなのか、もしくはかつてのオウムの信者のように洗脳状態にあるのかいずれかでしょう。

アベがどうしようもないレベルのウソつきの恥知らずなのは、普通の人なら、今回の党首討論の映像をちょっとでも見ればわかるでしょう。
党首討論では、枝野氏は(アベは自分の答弁を都合のいいように後付けで解釈してごまかすことを指摘し)「卑怯」と面と向かって批判。志位委員長は、「改竄、隠蔽、廃棄、虚偽答弁。このような悪質極まる行為を引き起こしたのは、あなたの安倍政権が歴史上初めてである、、、、、国民はみんな解ってますよ。あなたのウソに辻褄を合わせるためだ」

党首討論で、「卑怯」「ウソつき」と、与党党首の人間性そのものが批判されるのを私はこれまで見たことがないです。
それほど、アベはひどすぎる。

朝日の社説では、「質問に正面から答えず、一方的に自説を述べる。論点をすり替え、時間を空費させる。……そんな『安倍論法』のおかげで、議論の体をなさない空しい45分となった」と述べ、アベの不誠実さを批判。

東京新聞も然り。両学園をめぐる問題は、公平・公正であるべき行政判断が、安倍晋三首相の間接的または直接的な影響力でゆがめられたのか否か、という極めて重要な問題だ。野党が追及するのは当然ではある。両学園の問題がいまだ真相解明に至っていないのは、政権側の不誠実な態度にある。

毎日新聞も同趣旨。、、、首相、論点外し長広舌。、、、 質問に直接答えず、持論を長く話す首相の答弁姿勢も論戦の低調さに拍車をかけた。、、、枝野氏は終了後、「意味のないことをダラダラと話す首相を相手に、党首討論という制度はほとんど歴史的意味は終えた」と批判。

対して、アベの広報新聞、読売と産経は、モリカケを中心に討論した野党を批判。そもそもの原因はアベにあるわけで、そのアベがここまで動かぬ証拠を山のように突きつけられても、その全く不誠実極まりない態度を改めないのに、すべての問題の元凶、膿そのもの、それを放っておいて、問題を解決し、膿を掃除しようとする野党の方を批判するとは、さすがにアベの機関紙だけあります。だいたい、言うことがコロコロ変わり、都合の悪い質問には答えず、逆ギレして質問者を批判するような、信用できないウソつきと何を議論しろというのでしょう。

アベのウソ、措置入院で隔離するべきレベルと思いますけど、ウソつきの心理について、ちょっと面白いコラムを見つけました。

(東京新聞)「うそつきを探せ」
、、、
 米・数理科学研究所のバーセロ副所長らがおもしろい実験結果を発表した。
 実験はインターネットを使って、約八百人の被験者に「ランダムに並んだ数字の中から指定された順番にある数字を答えれば、その数字分のお金を払う」と伝え、正直に答えるかどうかを調べた。報酬は最大でも約百円。
 80%以上の人が正直に入力したが、いつでも正直な人は全体のほぼ半数。残りの人は、報酬が不当に低いと分かるとうそをついた。副所長らは「怒り」と説明する。利害が絡めばうそをつく人は結構、多い。損になるうそをついた人はゼロ。適当にうそをつくことはなく、計算ずくらしい。
 これを基に安倍首相の「獣医大学いいね」発言を考えてみた。「県職員にうそをつく必要性はない」と中村時広・愛媛県知事は言った。メリットがないからうそではないという考え方は、実験結果と合う。
 安倍首相は愛媛県が文書を公表した直後、記者の質問に対して「無言で立ち去った」が、翌朝は加計理事長と会ったことを否定した。加計学園は、事務局職員がうそをついたというコメントを先週土曜日に発表した。
 実は、実験では正直さと反応時間は負の相関があるとの結果も出ている。うそをつくときは時間がかかるというのだ。 (井上能行)


ま、アベや加計学園の行動の遅れから判断しなくても、連中のウソは小学生並みですから、明らかです。アベの言動を見て、アベがウソつきとは思わないと言うようななら、それは間違いなくウソでしょう。
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