百醜千拙草

何とかやっています

科学出版の崩壊と未来

2022-05-31 | Weblog
前回、論文レビューに関しての愚痴を書きましたけど、画像操作が明らかだった投稿例に関しては雑誌編集部が更に調査することになったと編集者の方から連絡がありました。真面目にやっている雑誌社は大変ですね。浜の真砂と研究不正、これが蔓延るのも研究業界のreward systemが論文出版に大きく依存しているからです。そのニーズに目をつけた金儲け主義の出版社がさらに低品質の論文の大量生産に加担し、それに巻き込まれる人々の時間を奪い、科学研究への信頼を損なって行っていると感じます。

多分、これは科学出版に関わる人々の共通の感想だと思います。私は一応、知らない雑誌からのレビューの依頼は、その雑誌のインパクトファクターとその雑誌がいわる”predatory journal”でないことをチェックしてから引き受けることにしていますが、その線引きは曖昧です。

Predatory Journal という言葉は、コロラド大の図書司書、Jeffery Beallによって広まった言葉で、彼のつくったリストが発端だと思います。リストが閉鎖された五年前に出版された彼自身の記事があることに気が付き、読んでみました。流石にアカデミアの科学出版を追ってきた人の考察は興味深く、少し前に私が論文評価というエントリで述べたように、今後の科学出版は商業出版ではなく、preprint が重要なプラットフォームになると予測しています。結局はカネの問題ですから、時間と共に、科学出版業界や研究業界そのものが腐敗してしまうのは避けられないことです。思うに、腐敗したシステムは丸ごと廃棄して、新たなシステムを構築しなおすしかないだろうと思いますし、そのときには、科学論文は、レビューなし、紙媒体なしで出版する形になると思います。その評価は専門家のピアによる実名での公開評価となと思います。これによって論文出版は、雑誌社の商業主義に影響を離れ、論文と個人ベースでの評価が主となり、かつ、これまで裏方であった査読者としての研究者も評価とクレジットを受けることなると思います。

下にBeallの論文の一部のDeepLしたものを添付します。学問の世界で研究に携わる人には一読をおすすめします。


(一部引用)、、、そして、自分たちの利益のためだけに著者報酬モデルを利用する、略奪的なジャーナルが現れ始めたのです。私が最初に気づいたのは、2008年から2009年にかけて、それまで聞いたこともないような、広範な分野を扱う新しく創刊された図書館科学の雑誌への投稿を勧誘するスパムメールを受け取ったときでした。そして、学術図書館員として、この新しい情報を整理し、共有したいと思うのは自然なことでした。私は、Posterousというブログ・プラットフォームで、略奪的出版社の最初のリストを公開しました。、、、

私が略奪的出版社から学んだことは、彼らはビジネス倫理、研究倫理、出版倫理よりもお金をはるかに重要視しており、利益のためにこれら学術出版の3本柱は簡単に犠牲にされるということです

所有者に利益をもたらすことを目的としているため、ゴールド(著者支払型)オープンアクセス学術誌は、査読に関して強い利益相反を有しています。彼らは常にお金を稼ぎたいと考えており、論文を拒否することは収入を拒否することを意味します。この対立は、現在進行中の学術出版の没落の核心にあります。

医学研究は現在の人類にとって最も重要な研究であるにもかかわらず、もはや本物と偽造の医学研究を明確に分けることはできないのです。、、、

かつて隆盛を誇った学術出版業界は、急速に衰退の一途をたどっている。学者の間では、学術出版は崩壊しつつある、という感覚が一般的です。、、、この業界は一貫して、自らを規制することに失敗してきました。略奪的なジャーナルが出現し、増殖し、繁栄することを許し、見て見ぬふりをしてきたのです。、、

略奪的な出版社は、学術出版業界を崩壊させ、科学と査読も一緒に崩壊させています。オープンアクセス・ジャーナルが登場する以前、学術出版は、研究者、ジャーナル編集者、出版社、読者の間の暗黙の「紳士協定」によって支配されていました(6)。この合意は、研究および出版プロセスのすべてのレベルにおいて、高いレベルのインテグリティを維持するというものでした。しかし、略奪的な出版業者とそれに加担する著者が、自分たちの目的のために学術コミュニケーションを堕落させたため、この合意はいまや破棄されたのです。

学術出版の未来
最後に、学術出版の未来について少し考えてみましょう。この未来では、プレプリント・サーバーとオーバーレイ・ジャーナルが役割を果たすと私は考えています。プレプリントサーバーは、arXiv.orgによって開拓され、その数は増え続け、より多くの学術分野にサービスを提供しています。私はこの状態が続くと予想しています。高品質の学術雑誌に比べれば、プレプリントサーバーは安価に運営できます。特に、査読の管理やコピー編集をする必要がないのですから。最低限の審査は行いますが、審査する場合は、論文レベルではなく、研究者レベルで行われるのが普通です。つまり、科学的コンセンサスから乖離した論文を提出した研究者をブラックリストに載せているのです。、、、、

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地味に怒る

2022-05-27 | Weblog
ようやく三年がかりの論文を投稿しました。予想通り、第一志望の雑誌は編集室レベルでリジェクト。同紙の姉妹紙に再投稿(この間、週末をはさんで三日)。これがダメなら次の雑誌は悪名高いN出版グループの一つか、臨床医学系雑誌を得意とする雑誌社の一つにするかを考えています。ま、第一志望以外なら、どこに発表しても大差はないですが。この論文は、頼る人手がなく、データの解析、図の作成、原稿書きも、ほぼ全部自力でやったので、なかなか大変でした。だんだんと運動能力や記憶力などが知らず知らずのうちに衰えているのもあります。最近、コンピューター画面を長時間眺めるのが辛くなり、タイプミスが多くなったことに気がつきました。指の協調運動機能の低下に加え、左目の視力が衰えてきており、集中力と思考力と記憶力は多分、ピークの1割ずつぐらいは減小しているようなので、これらの複合作用はなかなかバカにできません。

その後、依頼されていた二つの論文のレビュー。こういう与えられた仕事をこなすタイプのはまだまだ大丈夫です。経験とかで補えますので。
これらは、二つとも、某国からの投稿で、一つはリバイス。ちょっと分野を外れた雑誌でしたが、そこそこのインパクトファクターの雑誌からで、私が初稿をレビューして、出来が悪いのでリジェクトの判定をしたものであることが判明。どうもエディターが私の意見を覆してリバイスにしたようです。原稿の採否の判断は、雑誌のレベルを考えて、その論文がリバイス後にそのレベルに達するかどうかを想像して決めることが多いと思います。この論文には問題点が多すぎて、その理由を挙げて、リジェクトが妥当であると判断したものですが、その判断をエディターが正当な理由なく覆すということは、エディターが私の時間と労力を何とも思っていないということです。当然、そういう誠意のない編集室に二度も時間を割く理由もないので、依頼はサックリと拒否、雑誌はブラックリスト入り。ま、そもそもバカにされて雑誌社の金儲けに利用される私が悪いのですが。

もう一つは、とある学会の機関紙で、その専門分野ではNo2の雑誌。この国からの投稿原稿の九割以上でよくあることですけど、実験方法の記載がなっておらず、結論に沿ったデータを並べただけの評価不能の論文。こういうのは読んで内容を理解することさえ非常に苦労します。それでもなんとか解読して問題点を書き出して、コメントをしようとしたのですけど、論文からとにかく怪しさが漂ってくるのです。それで、ふと、バンドがいっぱいのウエスタンのデータの高画質画像をダウンロードし、二つの別の図で比べたら、明らかに古典的な手口のバンド画像の使い回し。バンドを小さな単位に切り刻んで、それを縮尺を変えたり反転させたりして組み合わせて合成し、画像処理をしてあたかも一枚のゲルのようにしてあります。わざわざ縮尺やコントラストを変えて反転させたり順序を変えたりした上で作ってますから、うっかりミスという言い訳はできません。それにしても、同じ論文の二つの図で使い回しますかね?わざとバレるようにやったのか、それとも単に知恵が足りないだけなのか。いずれにしても、明らかに犯意をもってやったことで、おかげで心置きなく最低評価でリジェクトを押すことができました。

ま、こういうことがあるので、他人のデータは話半分で聞く癖がつきましたし、そもそもこの国からの論文は最初から疑ってかかりますけど、それでも、科学出版というのは、著者がウソをついていないという前提で審査されるものなので、一応、読みにくい原稿に時間を費やして、不整合をチェックしてコメントを書いた後に、実際にこういうことを発見すると地味に怒りが湧いてきますね。

コミュニティーに多少でも貢献するという気持ちで、こうした仕事を引き受けているつもりでしたが、その善意を踏み躙られるような経験をするのは、自分のやってきたことを否定されているような気にもなります(ま、もうそういうことが、多すぎて慣れましたど)。

人間社会ですから、お互いがお互いを利用しあって生きているわけですけど、それでもそこに、誠意は不可欠でしょう。誠意は筋を通すとか建前を重んじるという形になって表れますが、最近は、筋とか建前を軽んじる傾向が強くなったと感じます。人々が人間としての成熟を軽んじ、刹那主義的になり動物化してきた結果なのでしょうか。

腐っていない部分がない業界などそもそもないですけど、私には腐っているものをつまんで捨てたりするだけの気力も体力ももうありません。この世に居場所がなくなっていっても、今後も臭いものにはなるべく近寄らない、危ないところには行かない、嫌なことからは素早く逃げる、というポリシーでやっていくつもりです。
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二流植民地から三流独裁国へ

2022-05-24 | Weblog
バイデンが日本に到着したというニュース。どの報道も当たり前かのように、バイデンが専用機で米軍横田基地に到着して、米軍のヘリで都心へ入ったと報道しています。トランプも同じルートで来日しました。しかし、それ以前の大統領は(一部、例外を除き)成田か関空といった普通の空港から正規の入国手続きを経て来日しています。しかし、トランプにしてもバイデンにしても直接在日米軍基地に入り、軍用機で国内を移動したということは、日本政府の正式な入国手続きを受けていない可能性が高いということです。この意味するところは、バイデンは、日本を独立国と見做しておらず、他国を訪問する大統領としてではなく、米軍の最高司令官として日本という植民地に来たということを示唆すると思います。バイデンは日本の軍拡とアメリカ軍事戦略への参加について話したそうですから、昔ながらのアメリカ軍事産業、戦争商人の代弁者としてきたのでしょう。幸い、バイデンも二期目はなさそうですが、トランプも御免です。

さて、大統領といえば、今年の選挙では、フランスでは極右候補ルペンを抑えたマクロンが二期目大統領、そして、つい先日のオーストラリアでは保守をおさえて労働党が下院の多数を握り、9年ぶりの政権交代となりました。この世界的趨勢を見ていると、全体主義と個人主義が拮抗しているなかで、それでも個人と庶民の権利を国家よりも上に置く政党が支持されているのかなと思います。問題は日本です。世界の中で日本だけ異常な気がします。

参院選が迫ってきました。先進国で唯一、経済政策の失敗で貧しくなった国、日本。ここまで国民が痛めつけられているのに、さらに消費税増税、改憲による全体主義、侮辱罪、などなど、数えきれないほどの悪法を強行採決し、格差を拡大し、国民の自由を奪い、独裁三流国家に向けてまっしぐらの自民党、その首相の支持率が高い。確かに前任者とその前にくらべては穏やかそうで反感を買いにくいとは言え、無能さにかけてはそれ以上です。アベは言うだけ(それもウソを)、スガはしゃべりもできず、そしてキシダは聞くだけ。その間に悪魔のアジェンダを粛々と実行していく自公維。ま、こういう連中が選挙で当選していくのだから、民意といわざるを得ないわけですが、半数の国民は政治や選挙に関心を持つ余裕がないと状況、貧すれば鈍する、下降スパイラルに入ってしまった以上、抜け出すのは容易ではありません。

れいわや共産党や一部の立民がいくら本気で訴えても聞く耳がなければ国民を選挙に向かわせることさえできませんから、残念ながらこの参院選で野党が逆転できる可能性は極めて少ないと言わざるを得ません。

その後の三年間は三流独裁国への道を真っしぐらでしょう。ヘタをすると自民党はこの隙に、改憲し、どこかの国の戦争にわざわざ介入して、非常事態を宣言し、自民党改憲案99条に基づいて、国政選挙を延期し、独裁政権を永久に続けようとするかも知れません。

その間、政権批判は、先日、成立した「侮辱罪厳罰化」でどんどん取り締まり、政府を批判するものは刑務所にぶちこみ、言論封殺する。ロック歌手が大統領を批判したら五万ルーブル罰金刑のような国になる(もうなってますかね?アベ批判で詐欺罪をでっち上げられて収監された籠池さんの例もありますから)。

いずれにしても、三流独裁国家の国民生活がどんなものか想像するのは難しくないでしょう。日本人で北朝鮮で生活したいと思う人は余りいないと思います。そうした国が栄えて、世界に貢献することはありません。

明治以後、国際社会で一定の存在感を発揮してきた日本でしたが、この参院選以後は急速に国際社会から脱落し、そして忘れ去られていくだろうと想像されます。上がれば落ちる、栄えれば滅びる、それは歴史の必然とはいえ、まだ日本が(少なくとも経済や科学技術で)一流国と思われていた時期に青春時代を過ごした者としては寂しい限りです。
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余剰動物と刑事告発

2022-05-20 | Weblog
以前、動物実験に関しての主にヨーロッパ諸国の対応について述べました。ヨーロッパ諸国ではanimal rightsに関する関心は高まる一方で、動物実験施設を閉鎖する研究施設もでてきました。確か、今年もスイスではこれまでも数回行われて僅差で否決されてきた動物実験全面禁止案の国民投票が行われる予定です。
最近のScienceのフロントページで、今度はドイツでの興味深い動きが報じられていましたので下にその一部を。

、、、、多くの国で、動物愛護団体は何千、何百万という動物が医学実験に使われていることを非難している。ドイツでは、活動家たちは新たな問題を取り上げていいる。研究の基準を満たさないか、研究系統の繁殖の過程で生まれたために、実験に使われることなく処分される多くの動物に注目したのだ。
 ドイツのヘッセン州の検察当局が、地元の大学やその他の機関によるこうした「余剰」研究用動物の殺処分が犯罪に当たるかどうかを調査していることが、サイエンスの取材で明らかになった。この殺処分は、合理的な理由なく動物を傷つけることを禁じた同国の厳しい動物保護法に違反するとして、2021年6月にドイツの動物保護団体2団体が検察当局に複数の訴えを起こしたことから、捜査が開始されることになった。、、、

ドイツの動物保護法は、EUの動物研究規制とともに、脊椎動物を正当な理由なく殺した者に罰金または最長3年の懲役を科すものである。、、、
2年前、EUの研究機関が940万匹の動物を実験に使用した2017年、約83%がマウス、7%がゼブラフィッシュの実験飼育動物で、それらの研究が行われないまま1260万匹が殺処分されたとEUは推定している。その過剰な研究動物の約3分の1がドイツで飼育され、殺されていたと、連邦食料農業省は推測している。
ドイツの過剰な研究動物をめぐる議論は、2019年に高等裁判所が「脊椎動物を経済的理由だけで殺すことはできない」という判決を下したことで盛り上がった。この事件は研究動物ではなく、世界では鶏しか評価しない卵生産施設で日常的に殺処分されている雄のヒヨコが対象だった。、、、

動物保護法に基づく10年前のドイツの判決では、「適切な動物飼育施設が確保されている場合に限り」動物園での繁殖を許可されるとしている。他の動物にも同じ原則が適用されるべきであると彼女は言う。研究機関は、少なくとも余った動物が自然に死ぬまで飼育するべきだが、そうするとすぐに現在の収容能力を超えてしまう。、、、

いくつかの研究機関からは進展が報告されている。ゲーテ大学フランクフルトによると、2017年以降、研究に使われない実験動物の数はほぼ30%減少したという。サイエンスが接触した他のドイツの機関も、同様にその数を減らそうとしていると強調している。

他の国では動物保護規制がそれほど厳しくなく、透明性も低いことが多いため、動物愛護団体の戦術がドイツを超えるかどうかは不明だ。米国では、研究に使われる動物の数さえも把握されておらず、年間1千万匹から1億匹以上と推定されている。その結果、米国の研究所は「社内の倫理委員会以外に数を正当化する(あるいは数える)必要もなく、過剰な動物を殺すことができる」と、ハーバード・ロースクール動物法・政策プログラムの客員研究員である獣医のラリー・カーボーン氏は言う。、、、

人々は、この刑事告訴がドイツの動物研究の将来にとって何を意味するのかを考えている。彼らはドイツの政治家たちに、動物保護規則を明確にし、いつ、どのような淘汰が許されるかを知るよう求めている。「しかし、最終的には良い議論になるだろう。

というわけで、動物を使った実験はますます制限されていきそうです。同じマウスでも、研究のために使われるマウスの命は尊重されるのに、一般家庭で出る害獣としてのマウスの命は誰も気にしません。鶏卵生産のために間引かれるオスの鶏の命にはこだわるのに、鶏肉採取のために鶏を殺すのは問題ありません。一種のダブルスタンダードですが、上にもあるようにこういう議論をすることは意味のあることだと私も思います。

人間は生きるために他の動植物を利用せざるを得ないわけで、動物実験の制限や食肉習慣の制限は、突き詰めれば、あくまで人間が人間自身の(満足の)ためにやっていることだというのは私は同意します。動植物を殺すことは人が生きていく上で必須ですからゼロにはできません。殺生は罪だと教えられるのに、殺生なしに生きてはいけないのが人間ですから、ダブルスタンダードとか偽善であるとか批判して切り捨てて終わりにするのではなく、万人が納得できる結論は得られなくとも、議論を続けていくことそのものに意義があると私は思います。

このヨーロッパ諸国の動きは遠からず、いずれ世界的に広がっていくと思います。こういう運動が広がると、動物実験が自由に行えなくなり、食肉が制限され、その生産価格は上昇します。本来の目的を達成するためには全てマイナス方向に動き、こうした仕事を生業とする人には死活問題となります。しかるに、失われるものがあれば得られるものがあるわけで、ゆえにこの活動が大勢の人々から支援されているのだと思います。経済効率、便利さと物質的豊かさを追求して、人間は動物や人間(奴隷)やその他の自然資源を一方的に利用してきました。それらへの反省の上に人間社会は成熟してきました。動物を人間のために利用することに対する継続的な反省は、動物よりも人間自身の成熟のために必要なのだろうと思います。

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脱フィンランド化するフィンランド

2022-05-17 | Weblog
フィンランドは100年ちょっと前のロシアとの戦争で一年にわたる抵抗を続けた後、戦争終結の合意に至り、軍事的に中立化することで独立を守りました。このために少なくない犠牲を払いましたが、それ以来、国境を接するロシアからの軍事的脅威に対し、中立を守ることで安全を保ってきました。この大国に隣接する小国の安全保障上の戦略はフィンランド化と呼ばれ、当初、ウクライナもフィンランド化への提案がありました。その隣国スウェーデンも同様に中立を守ってきました。
しかし、両国とも、今回のロシアのウクライナ侵攻がおこってから二週間後には、ウクライナ政府支援を表明し武器などの供給を決めています。

そして、この度、プーチンとフィンランド大統領の会談のあとで、フィンランドは、正式に中立路線をやめて、NATOに加入する手続きを開始すると表明しました。スウェーデンも同様の意思表明。一方、NATO国であるトルコは、トルコ政府がテロ組織と見なし、何十年も紛争を繰り返しているクルド労働者党(PKK)を、北欧諸国が支援しているとして、この二国のNATO参加に懸念を表明。しかし、他の加盟国は概ね賛成、ということで、この二国は一年以内にはNATO国になるだろうと考えられています。

NATOは1949年、ソヴィエト連邦に対抗する形で設立された。ロシアはかねて、NATOを安全保障上の脅威と見なしており、フィンランドの加盟申請に「対抗措置」を取ると警告している。ウラジーミル・プーチン大統領は、ウクライナがNATO加盟を示唆したことを、侵攻の理由の一つに挙げている。スウェーデンは第2次世界大戦中は中立を保ってきたほか、過去200年以上にわたり、軍事同盟への加盟を避けてきた経緯がある。 一方のフィンランドは、ロシアと全長1300キロにわたって国境を接している。これまではロシアとの対立を避けるため、NATO非加盟の方針を貫いていた。、、、

ということで、この両国の動きが意味することは明らかです。もはやロシアはかつての大国ではなく、ロシアに隣接するフィンランドでさえ、フィンランド化を維持しなくとも、NATO諸国の協力があれば、ロシアは安全保障上の脅威ではないと考えたということでしょう。これは、もしキエフが当初の予定通り数日でロシア軍によって陥落していたら、起こらなかったであろうと推測できます。つまり、侵攻後2週間の時点でこの両国は、ロシアは恐るに足らず、万が一侵攻された場合でもNATOの協力があれば撃退が可能であると判断したのでしょう。もう一つは、多分、この両国がプーチンは信用できない人間だと考えているのではないかな、と想像します。信用できない人間と協定を結ぶのは不可能ですから。

プーチンはこれでますます追い詰められました。NATOの東進を阻むどころか、逆にNATO勢力を増やす結果を産み、何も得るものがないまま撤退せざるを得ないような状況に追い込まれつつあります。

短期的には東ヨーロッパの平和を実現するであろうNATO勢力のさらなる拡大は、長期的にはかえってまずい状況を作り出すような気がします。バランスというものがあるわけですから。まず、ロシアが撤退したあと、東西融和が進むとは思えません。ならば、ロシアの豊富な天然資源に頼っている西側ヨーロッパ諸国は不便を被り、その輸出に頼っているロシア経済は打撃を受けるでしょう。自然と露中印の結びつきは強くなり、アメリカは今度は直接中国を相手にしないといけなくなる。アメリカも中露印が組めば、軍事的にかないませんし。また、仮にNATO諸国がロシアをもはや脅威でないレベルにまで押しやった場合にNATO諸国同士が平和に仲良くやれるとはとても思えません。今度は内ゲバがおこるでしょうし。そういう意味で90年体制(ベルリンの壁崩壊のときの東西合意)を維持する形でロシアと西側とのパワーのバランスが釣り合っているぐらいが長期的には良いのではないかと私は思います。適当に敵がいる方が身内はまとまりますし。
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キャンセルカルチャーと戦争

2022-05-13 | Weblog
前回、キャンセルカルチャーを煽る科学雑誌の話をしましたけど、そもそも、これは、#Me too ムーブメントなどで、本来弱い立場にある人々が声を上げる集団的なプロテスト行動から発したものです。物事は何でも二面あり、集団であることはプラスの部分もあれば、マイナスの部分もあります。集団が同方向に動けば、良くも悪くも、しばしばその個の単純な加算以上の効果を生み出します。そして個よりも集団の和を重んじる農耕民族の日本人は、付和雷同することに抵抗が少ないが故に特に危険だと思います。

今回のロシアのウクライナ侵攻に対する西側諸国と日本の態度もそれに近いものがあると私は思います。
ロシアは国際法に違反したという事実があります。それに関して、バイデン政権と多くの西側諸国は強く非難し、経済制裁を開始し、ウクライナにさらに武器を供与するという行動に出ました。日本も与野党そろって同調しました。これはまさにキャンセル カルチャーの国家版です。

大きく違うのは、ロシアはD.S.氏にように、叩きまくって抹殺できるような相手ではないということです。

そのことを深く考えてたのは、日本の政党では山本太郎の「れいわ」だけではなかったでしょうか。ゼレンスキーの国会演説に際し、全面的支持を表明しなかったのは「れいわ」だけでした。それ以外の日本の政党は、ロシアを非難し、自動的かつ短絡的にウクライナ政府支持を表明しました。「れいわ」が、無批判にゼレンスキー、つまりウクライナ政府、支援を表明しなかったのは、そうすることによってロシアを刺激し、状況を一層悪く可能性があると考えたからでしょうし(事実そうなりました)、またウクライナ政府はむしろこの戦争の原因となった当事者であって、本来、真に支援すべきは、その巻き添えとなって苦しむウクライナ国民であってウクライナ政府に支援を表明することはウクライナ国民の救済にプラスになるとは限らないと考えたからでしょう。

そして、武力で参戦しない場合に他国ができる介入は経済制裁ですが、ロシアに対する経済制裁に「れいわ」は反対。その際の説明には関心しました。経済制裁に反対する理由として、山本太郎は、過去の国際紛争における経済制裁の例を解析し、経済制裁はその国民に苦難を与える一方で、それが戦争終結に有効であった例は三割に過ぎず、しかも、その実現にも平均10年かかっているという事実をもとに説明しています。つまり、経済制裁は副作用は強いが効果の薄い手段であるということをデータに基づいて考慮した上の意見表明でした。

一体、どれだけの日本の政治家が、目的を定義し、データに基づいた仮説を立てて、最適のアプローチを選び、結果を想定し、プランBを考えつつ行動する、という科学的手法を使いこなせているでしょうか。こうしたやり方は科学者にとっては、当たり前に聞こえるかも知れませんが、実践するのはプロの科学者であってもしばしば易しいことではないです。

また、この戦争において、目指すべきところが何かを、最もよく考えていたのも山本太郎でしょう。特に自民党の発言を聞いていると、戦争の勝ち負けが何を意味するかさえ、理解している人は多いように思えません。

この戦争においてウクライナがロシアに勝利し、ロシアを降伏させることはあり得ません。ウクライナにとってのゴールは停戦に持ち込んで、紛争の原因になっている問題を先送りにすることでしょう。それがほぼ唯一、国土を救い、国民の生活と生命を守る方法だとゼレンスキーも考えているはずです。つまり、戦争が継続することそのこと自体がすでに敗北です。マトモに戦って勝てる戦力がないのに、戦争を仕掛けられるような状況を招いてしまった時点で負けです。しかし、現在のように一方的に暴力が振われる状況になってしまえば、最終的に勝てないわかっていても国を捨てるという選択をしないのであれば、とりあえず戦う以外にありません。ウクライナはそういう状況にあります。

一方、バイデン政権はロシアが戦争によって弱体化することは目的にかないますから、戦争が継続してくれる方を望んでさえいるかも知れません。ウクライナが荒土となり、大勢のウクライナ人やロシア兵士が死んでも、アメリカに対するダメージは少ないですから、ロシアとウクライナ双方が望んでいる「停戦合意」のための仲裁などやる気もないようです。

日本を振り返りますと、日本の政治家は中国を仮想敵国と考えているようですが、ウクライナがマトモに戦ってロシアに勝てないように、日本がマトモに戦って中国軍に勝てるわけがないです。だだでさえ、こちらは没落国、あちらは急激に発展中、こちらは少子化、中国は日本の十倍以上の人口、軍事予算も中国は世界第三位で日本の五倍、軍人の数も十倍以上、その他あらゆる戦闘能力の指標で、日本とは圧倒的な差があります。日米安保の在日米軍が仮に加勢に入っても焼け石に水でしょう。

政治家がすべきことは、戦争になったときに戦えるように備えることではなく、戦争を起こさないためにどうするか、それでも万が一、戦争になったときに、いかに国民の生活と生命と自由を守るかを考え準備することでしょう。軍拡して先制攻撃も可能になるように改憲をし、戦争になったら最後の一人になるまで戦い抜く、というのは、もっとも短絡的、短慮で最悪の手だと思います。

もっとも、日本で参院選後に自民党が画策している改憲の真の目的は、長期独裁政権を可能にするための緊急事態条項の導入でしょうから、戦争はおそらく単なる口実なのでしょうが。
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キャンセル カルチャーと敵意の世界

2022-05-10 | Weblog
セクハラで失脚したD.S.氏のNYUでの雇用の可能性を報じたScience誌ですが、その後、D.S.氏のNYUへのリクルートメントに関してNYUの学生と教官の強いプロテストがあり、結果、D.S.氏はNYU医学校と合意の上でNYU教官候補を辞退した、というニュースを報じています。

「キャンセル カルチャー」によって、有名人や一般個人が、徹底的に社会的に抹殺される近年の風潮について、少し前に述べました。今回の件や、それから過去の関連した例、ソーク大のI.V.氏の事件やHarvard MedicalのP.P.氏などのセクハラ事件、などを思うと、これらのスキャンダルをフロントページで大きく報じて、キャンセル カルチャーを先頭を切って煽っているのは、こうした一流科学雑誌の編集部なのではないかと感じざるを得ません。

結局、雑誌は読者の欲する記事を載せようとします。ゴッシップ記事というのは科学の知見以上に人々の欲望を刺激することを雑誌社も当然よく知っているでしょう。しかも彼らには「科学の健全なる発展を支援する」という大義名分がありますから、過ちを犯した研究者を写真入りで名指しで糾弾することは、彼らの使命に一致する(少なくとも表向きは)とその行いを正当化できます。

記事はあくまで事実の記者の解釈ですから、100%公平な報道はあり得ません。そこに編集室や記者の意思、読者や関係者への忖度が反映されます。メディアは第四の権力と言われるように、そのパワーはしばしば破壊的であり、週刊誌や新聞が意図的に個人や集団にダメージを与えるために使われるというのはよくあることです。そして、一旦、有力メディアによってスティグマを押された研究者に与えられるダメージは深刻で、その回復はそのメディアでさえ極めて困難です。ゆえにメディアの記者は良心とともに細心の注意をもって、公平な立場で読者が判断できる形で記事を書く義務があり、その権力をもって、公衆の利益を口実に個人の人権を損なうことを意図してはならないと私は思います。

アメリカでは裁判になった時点で、提出された文書は公文書になり、誰でもその内容にアクセスすることができます。この事件に関してはD.S.氏が研究所と告発者に対して裁判を起こし、それに対して告発者が訴え返したために、コトの詳細は裁判文書として公開されています。告発者の訴状には、告発者の氏名、経歴から、告発者とD.S.氏がどのような会話をして、何回D.S.氏とどこで性交渉をもったとか、などのことがこと細かに記載されており、誰でも見れます。(このシステム自体どうかと思いますけど)そして、今回、この個人の極めてプライベートな情報が満載の裁判文書を、わざわざツイッターで拡散し、D.S.氏を糾弾した女性研究者の人がいました。

しかし、拡散された文書は、あくまで告発者の主張であって、D.S.氏の主張とは食い違っているわけですから、それが事実であるという証拠はどこにもないのです。はっきりしているのは、D.S.氏が指導教官と学生との恋愛関係を禁じた施設のポリシーに違反したということです。

そのツイッターで裁判文書を拡散した人は、「研究に携わる大勢の人がこれを読んで、D.S.氏が告発者の人にしたことを知ってもらいたい」と書いています。この人は、この告発者の訴状にある記述、つまり告発者から見た事件の解釈が疑う余地のない事実であると信じているようです。そうかも知れませんけど、そうでない可能性も十分にあります。その一方の言い分を無批判に拡散し裁判当事者の一方を糾弾するというのは、科学者の態度ではないと私は思いました。相手の言い分、第三者の言い分は無視ですから。

それから、この人は、こうした情報を拡散し非難をすることの長期的な影響を深く考えているようには思えません。人々は、セクハラポリシー違反という事実があるからこそ、水に落ちた犬を遠慮なく叩きます。叩いて、プライベートな情報の入った訴状を晒して拡散します。彼らの目指すところは、罪を犯した個人の社会的抹殺であり、科学雑誌の編集部がそれを煽っているのです。

問題を起こした有力者を、集団で叩きまくって抹殺して問題を解決しようとする態度は、私はまずいことだと思います。一種の集団ヒステリーですから。

こういう傾向が最終的にどのような影響を当事者のみならず、社会全体に及ぼすか、何となく想像がつきます。一つの過ちを犯した場合に、それに応じて粛々と罰を与えられて事件を決着させるのではなく、直接の関係者でない一般の人々にも情報が拡散されて、彼らが懲罰に参加し、個人が集団によって社会的に抹殺されるところまで行き着くなら、人々は萎縮し、お互いを敵と味方に分類して牽制しあうような世界になるでしょう。戦前の日本のような全体主義国家を思い出させます。結果、大学からは自由な発想や創造性は失われ、社会はお互いを監視し合う敵意にみちた場所になるのではないでしょうか。

法律違反、規律違反に反したものは、それに応じた罰を受け、罪を償うべきだと思いますけど、定められた以上の罰を与えられるべきではないと私は思います。過ちを犯さない人間はいないのですから。
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ヘッドライン

2022-05-06 | Weblog
前回、チョムスキーの今回の戦争(ロシアは数日以内にウクライナに対し正式に宣戦布告をするようです)に関する解釈を紹介しました。かつて、著名人とはいえ、一介の言語学者にすぎないチョムスキーが、どのように情報を集めていると聞かれて、情報源は新聞やメディアであって特別なものはないと答えたのを覚えております。複数の情報から仮説を立て、それをpost-hocに検証していくことで事象の本質を解釈するということでしょう。論理と科学的アプローチで言語や社会を解釈するのがこの人のスタイルのようです。

昨日のウクライナ、ロシア関連のGoogle Newsのヘッドラインを並べてみますと、東西の対立とその狭間で苦難にあうウクライナという構造が見えます。

しかし、なぜそもそもアメリカがここまで反ロシア姿勢を強めたのかについては、私はよくわかりません。最初のクリミア半島へのロシアの侵攻時、アメリカの副大統領はバイデンでした。そして、ロシア疑惑のトランプ政権がおわり、バイデン政権になってから反ロシアはエスカレートしています。

ロシアが岸田首相、林外相ら63人の入国禁止
露外務省は入国禁止リストの発表について「岸田政権は過去に例のない反ロシア施策を推進した」と位置づけ、ロシアに対し「侮辱や直接的な脅威を含む、許しがたいレトリックを許容した」と主張した。(ついでに言うと、日本共産党の志位委員長もこのリストに入っています)

ドイツ大統領のウクライナ訪問を拒否
ドイツの国家元首のシュタインマイヤー大統領がウクライナから訪問を拒否された。ロシアに融和的とされる姿勢をウクライナ側が懸念したとみられる。

バイデン氏 ジャベリン工場視察
アメリカのバイデン大統領は3日、ウクライナに大量供与している携帯型対戦車ミサイル「ジャベリン」の製造工場を視察した。バイデン大統領は、ロシア軍の戦車への攻撃に最も効果的な兵器の1つだと称賛し、支援の継続を強調した。

EUが対ロシア追加制裁案 年内に石油禁輸へ

プーチン氏とマクロン氏、ウクライナ情勢巡り会談
プーチン氏は、ウクライナ側の停戦交渉での立場に一貫性がないと批判する一方、ロシアは交渉による問題解決に前向きだと主張し、欧米側がゼレンスキー政権に対し停戦実現へ働きかけを強めるよう求めた。

「編集長襲撃はロシア情報機関の犯行」 米国務長官が言及
ブリンケン米国務長官は3日、首都ワシントンで記者会見し、2021年のノーベル平和賞を受賞したロシア紙「ノーバヤ・ガゼータ」のムラトフ編集長が襲撃された事件について、「米情報機関はロシアの情報機関による犯行と判断した」と明らかにした。

これらのヘッドラインを眺めると、ウクライナは停戦に向けて、妥協案を表明してきているが、ロシアとは条件の合意に未だ至らず、一方で、ウクライナを西側に取り込みたいアメリカとEUはウクライナの徹底抗戦を望み、ロシアとプーチンに対する敵意と非難を煽っているのが分かります。一方で日本はアメリカと西側諸国の後を金魚の糞のようについて回るだけ。ロシアはアメリカのいいなりの世界9位の軍事費を費やす日本が加勢すると面倒だからと牽制。そして、当のウクライナはアメリカと西側諸国の態度に不満を募らせつつある状況が浮かび上がってきます。いまや、アメリカと西側諸国およびそれに追従するだけの日本、これらの国が停戦を望むウクライナとロシアの障害となっているのではないでしょうか。

ロシアの西側に対する反感を大きくし、今回の侵攻にいたったのは、ベルリンの壁が崩壊し冷戦の終結時にゴルバチョフが西側と結んだ約束(NATOの東方拡大はしない)をアメリカとNATOが無視にしたことでしょう。(少なくとも、ロシアはそれを直接の理由に主張しています)
しかし、もう双方、感情的になっていて、30年前の約束は水掛け論となり、子供の喧嘩しているわけですから、簡単には収まりません。ここはアメリカとNATOが大人になって、とりあえずその根本の問題を先送りにし、ウクライナの武力支援の停止を条件にロシア軍の撤退を提案し、他の国連メンバー、フランス、中国、イギリスに仲裁役を依頼するぐらいでないと前に進まなだろうと思います。

そして、この米露の対立の結果として直接の苦しみを受けているのはその狭間に位置するウクライナ。また、欧米と中露印の対立がエスカレートすれば、太平洋を挟んで、日本も米中の狭間、ウクライナの苦しみを味わうことになるかも知れません。
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チョムスキー インタビュー

2022-05-03 | Weblog
元朝日新聞記者のジャーナリスト、鮫島浩さんが、ウクライナ情勢についてのノーム チョムスキーの最近のインタビューの要旨を訳されていますので、リンクします。

、、、
ウクライナをさらなる破壊から救うために必要なことは、交渉による解決である。
この戦争が終わるのは二つのケースしかない。ひとつは、どちらか一方が破壊される場合だ。ロシアが破壊されることはない。つまりウクライナが破壊される場合である。もうひとつは、交渉による解決だ。ウクライナの人々をさらなる大惨事から救うため、交渉による和解の可能性を探ることが最大の焦点となるべきである。その際、プーチンや彼の取り巻きの胸の内を覗こうとしてはいけない。それを推測することはできても、それをもとに判断することは賢明ではない。

一方、バイデン政権の姿勢は明らかだ。それは「いかなる交渉も拒否する」というものである。この方針は、2021年9月1日の共同方針声明で決定的となり、その後11月10日の合意で強化された。その内容をみると「基本的にロシアとは交渉しない」と書いてある。そしてウクライナに「NATO加盟のための強化プログラム」へ移行することを要求している。その内容は、ウクライナへの最新兵器供与の増加、軍事訓練の強化、合同軍事演習、国際配備の武器の供与などだ。これはバイデンがロシアの侵攻を予告した前に提示した方針であり、ウクライナ政府がロシアとの交渉を通じて解決する選択肢を奪った。
バイデン政権の強硬姿勢が、プーチンとその周辺を軍事侵攻へ駆り立てた可能性がある。バイデンがその方針を貫く限り「最後の一人になるまで、ウクライナ人は戦え」というのと同じだ。
、、、
ゼレンスキーがウクライナの人々が生き残れるかどうかを気にかけているのは明らかだ。だからこそ、ロシアとの交渉の基礎となりうる妥当な提案を次々と打ち出している。政治的解決の大筋の方向性はロシアとウクライナの双方で以前からかなり明確になっている。もしバイデン政権がロシアの侵攻前から交渉による解決を真剣に検討する気があったのなら、今回の進攻は避けられたであろう。
、、、
ラブロフ発言が意味するのは、ウクライナを「メキシコ化」するということである。メキシコは自分の道を自分で選択することができる、ごくふつうの主権国家として存在している。しかし仮にメキシコが中国が主導する軍事同盟に参加して最先端兵器や中国製武器を米国との国境に配備し、人民解放軍と共同軍事作戦を実施し、中国から軍事訓練や最新兵器を受けるという状況が起きたら、米国は絶対に許さない。、、、しかし、米国は自分自身が絶対に許さないと考えていることを、ロシアに対して実行しようとしたのである。、、、

と、チョムスキーは、今回のロシアの侵攻は、アメリカが招いたものであり、アメリカとNATOが政治的交渉による戦争終結を阻み、徹底抗戦を煽っていると考えていることがわかります。続いて、ロシアに対する敵意を煽ってきたメディアの問題に触れています。メディアの問題は、アメリカ以上に日本で深刻であり、日本の大手メディアはNHKからして、すでにほとんどが政府広報機関と堕しつつあり、本来の機能を失ってしまっています。(鮫島さんが朝日新聞を辞めたのも、森友をスクープしたNHKの相澤さんが左遷され辞職に追いやられたのも、そういう事情でしょう)

(メディアに関して)
、、、国際安全保障を専門とする記者が「戦争犯罪人にどう対処すればいいのか?」という記事を書いた。「どうすればいいのか?私たちはお手上げだ。戦争犯罪人がロシアを動かしているんだ。どうやってこの男と付き合えばいいんだ?」と。この記事の興味深い点は、それが出たことよりも、世論がそのような記事を期待していたため、嘲笑を誘わなかったことだ。

私たちは戦犯の扱い方を知らないのか? もちろん知っている。
米国における最も代表的な戦争犯罪者の一人は、アフガニスタンとイラクへの侵攻を命じた人物である。戦争犯罪者として彼を超える人間はいない。
実はアフガン侵攻20周年にあたる2021年10月に、ワシントンポストがその男にインタビューをした。この記事は一読に値する。そこには、愛すべきおっちょこちょいの爺さんが孫たちと遊んでいる様子、幸せな家族、彼が出会った素晴らしい人たちの肖像画を披露している様子が書かれていた。つまり、米国は「戦犯の扱い方」をよく知っているのだ!
、、、

米国は、なぜ世界の一部しかロシアへの経済制裁に加わらないのかを理解していない。世界地図をみて「制裁国一覧マップ」を自分で作ってみれば一目瞭然だ。英語圏の国々、欧州、アパルトヘイトの南アフリカが「名誉白人」と呼んでいた日本、および旧植民地の数カ国。たったそれだけである。

米国は自国の文明のレベルを上げて、過去の被害者の立場に立って、世界を見なければならない。そうすれば、ウクライナに関してももっと建設的な行動を取ることができるはずだ。(日本はアメリカよりももっと深刻ですが)

(対談は、ウクライナ戦争でバイデン政権が仕掛けるプロパガンダに欧米メディアが加担し、権力者を監視する健全なジャーナリズムが機能せず、好戦的な世論が高まり、戦争の本質が見失われているという問題提起に行き着く。チョムスキーの締めのメッセージは善悪二元論に染まる日本社会にも当てはまると思うので、ここに引用したい。)

米国はいま、最後のウクライナ人まで戦わせようとしている。もしあなたが少しでもウクライナ人のことを気にかけているのなら、この事実を批判するのは正しい行動です。、、、

日本においても改憲して軍装化を進め、どうどうと戦争をできる国にしようとしているのが自民党。自民党は、アメリカに言われるがまま、アメリカからどんどん武器を買って儲けさせた挙句に、日本をウクライナのようにしたいらしい。為政者が日本と国民の安全を守ろうとするのではなく、日本人が最後の一人になるまで焦土になった国土でお国のために戦い続けるような状況に誘い込もうとしているかのようです。そして、恐ろしいことは、多くの日本の国民自身が、戦争をすることは日本を守ることで、最後まで戦い抜くことが尊いことだとでも、メディアに思わされているということでしょう。知恵ある人は、戦争のような状況に巻き込まれるようなヘマはしないし、金持ちは喧嘩しない。戦争になった時点ですでに負けです。

戦争に巻き込まれた時点ですでに恥ずべき失敗を犯したことになるのに、その当たり前のことを与党は言わない。
それは、与党政府は戦争をしたいからだと思います。与党政府が戦争を望む理由は複数考えられます。前にも触れましたけど、9条の改悪と同時に改悪される99条をもとに、9条で可能になった戦争を口実に非常事態宣言を出すことで、内閣が憲法を超えた権力を得て、恒久的な独裁国家を作り出すこと、それから赤字財政の一挙解決。彼らにとっては戦争の大義も勝ち負けも二の次です、ちょうどアメリカの最大の戦犯のように。それに、自民党のこれまでの行いから、彼らが国民と国土の安寧を屁とも思っていないのは明らかですし。
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