百醜千拙草

何とかやっています

夏の週末のどうでもいい話

2017-08-29 | Weblog
週末の、夏の夕暮れ、涼しい風が吹いております。
ふと思い立って、Isley Brothers版の「Summer breeze」をyoutubeで探します。この名曲は複数の人々がカバーしていますが、Isley Brothersがカバーしたものが、夏の夕暮れの気だるさにぴったりと思います。

夏になると食べたくなるのが、パセリのサラダ、タブリ、Tabbouli, tabouleh, tabboulehなどと様々に綴られます。地中海、中東あたりが発祥地と思いますが、Tabbouliのトマトとレモンの酸味、玉ねぎの甘みとパセリの風味、オリーブオイルのほのかな香り、ひきわり小麦の舌触り、これは夏の週末に、日の高いうちからビールと一緒に食べるのに最適です。それからHummus、これもHummos, Hommus, Hommos, Houmosなどと色々に書かれます。これは茹でたヒヨコ豆をペーストにし、タヒニと呼ばれる練りゴマとレモンをブレンドしたもので、昔のレバノン人の知り合いによるとタヒニの品質がどうも味を決めているのだそうです。かつて独特のルートで手にいれたタヒニで手作りしたHommusを食べさせてもらいました。豆料理というのはなんとなく力が沸いてきてポジティブになるような気がしますね。メキシコのrefried beans (frijoles refritos) 、 豆を茹でてつぶしたものにニンニクやクーミンで風味をつけたものですが、たまに食べると元気がでます。Hommusをたっぷりとつけたクラッカーを嚙りならが、ビール片手に夏風に吹かれる、ちゅーのは最高の贅沢ですな。メキシコ風に玉ねぎとチリペッパーがピリッと効いたサルサにトルティージャチップス、サワークリームとグアカモレというのも暑い夏には悪くはないですが、それだとビールはIPAではなく軽めのラガーですね。しかし、なぜメキシコ人は何にでもライムを入れるのでしょうか?

ビールはホップのきいたIPAをしっかり冷やしておきます。毎晩のように飲んでいた若い頃を思い出します。最近は、アルコール度数は低いが、これまでの不味いライトビールと差別化したセッションビールというカテゴリーがあるようです。確かに単に発砲水で薄めたようなライトビールと違って、結構美味しいものが多いようです。セッションするように、多分みんなでダラダラと何本も飲むように作られたビールでしょう。何本も飲める味とアルコールの低さを指して、セッショナブル、という言葉もあるらしいです。ちゅーわけで、週明けの仕事を考えて、日曜日はセッションIPAです。アルコールよりもホップが飲酒後の頭痛には悪いような気がしますが、、、実は、過去十年近く、偏頭痛の原因になると思って禁酒していましたが、偏頭痛はなぜか起こらなくなり、またビールが飲めるようになりました。その原因は分かりません。もっとも今は、週末に一本飲むだけですが。

若い時は、もちろんビール一本では飽き足らず、春、秋はウイスキー。繁華街をちょっと外れたところにあったカウンターが10客ほどの小さなバーで、マスターが独自にブレンドしたもの(中身は教えてくれませんでしたが、スコッチでした)を小さな樽からグラスにとってくれるのです。それをニートで舐めながら、松の実のおつまみを囓ったものでした。頭の中ではセロニアスモンクの「Straight, No Chaser」のリフが鳴っております。暮らしに疲れた寂しい男がしみじみしにくるような店で、今から思えば、その止まり木に背中を丸めて黙って小一時間を過ごすなど、若者が何をカッコつけていたのか、と恥ずかしいくなりますが、こういう演歌じみた世界も日本の文化だったのですな。そのうちそういうのがアホらしくなり、ま、飲めれば何でもいいや、と言う感じで、こだわりなく。冬は焼酎のお湯割り、夏は、ジンやラムやテキーラをロックかカクテルで。それから辛口のシェリー、おなじみのティオ ぺぺ、これもしっかり冷やしたやつ。もうビール以外のものは滅多に口にしませんが、これは夏の夕暮れを確実に幸せな気分にしてくれます。

懐メロ、70-80年代のかつて日本でAORと呼ばれたタイプの音楽を流しながら、若い頃を思い出して気だるい気分に浸るのがいいですね。
本国ではパッとしなくても日本人に人気のミュージシャンがいます。Bobby Caldwellをかけましょう。彼のデビューレコードはハートの形をしていました。


アメリカ文化がまだ眩しかった時代の終わりに私は育ちました。

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マルサの男

2017-08-25 | Weblog
スジの通らないことが私は嫌いです。今、ちょっと研究のことで忙しいので、世間に注意が向いていませんが、モリ、カケ問題、マスコミも国民も野党も追求をやめてはいけません。

大阪地検特捜の籠池理事長逮捕。
これは、どう考えてもおかしい。逮捕の意味がありません。本来、罪に問われるべきは、近畿財務局、その親元の財務省、そのウソつき佐川君、それから小学校を認可した大阪府知事です。何より、この事件を起こしたキーパーソンのアベ夫人が、国会招致も拒み、なんら捜査の対象となっていないのがおかしいです。真っ黒なのに。

大阪地検特捜は、村木さん事件で証拠をでっち上げたという黒い過去を持つ組織、またもや歪んだ捜査でその信頼を地に落とすつもりですかね。

ところでウソつき佐川君、森友事件でデタラメ、ゴマカシ答弁を繰り出して、政権を守った功績で、国税庁長官へ昇進したわけですが、いつまでたっても慣例の国税庁長官の就任記者会見をせず、それを新聞やメディアに散々に叩かれていました。ヘタに会見すると、あの森友事件での見苦しいまでの国会でのウソを追求されるから逃げているのだ、卑怯者め、と、アチコチで批判されていました。事実、罷免を求める運動で一万人以上の署名が集まったそうです。しかし、この佐川君、この度、かなり陰湿な報復に出たのではないか、という話。

佐川氏の逆襲?
財務省理財局長だった佐川宣寿国税庁長官。
早くも逆襲に転じたようだ。
些か旧聞に属するが、朝日新聞の関連会社、
朝日広告社が6年間で1億円の所得隠しを行っていた、
として5600万円の追徴課税。、、、
メディアは朝日広告社がやられたのを見て、
既に戦々恐々だろう。


しばらく前のリテラの記事。

森友疑惑隠しとパワハラ常習の佐川局長を国税庁トップに抜擢した意図
、、、佐川局長を国税庁長官に就任させることで、安倍批判をしてきたマスコミに徹底的に税務調査をかけさせるつもりではないか、というのだ。、、、、これは陰謀論でも過剰反応でもない。事実、国税庁は親玉である財務省のスキャンダルや増税反対キャンペーンなどを張った報道機関や記者に対しては、厳しい税務調査を行うことで“報復”してきた。
「報復調査のときの国税のやり口はすさまじいですからね。新聞販売店への押し紙や奨励金など、新聞社のブラックボックス部分を突いてくるのはもちろん、記者の出した領収証を1枚1枚チェックして、いったい誰と会ったのかを厳しく調査するんです。調査は長期に及び、日常業務にも支障が出てくるし、記者の人脈や情報源が筒抜けになってしまう」(全国紙元国税担当記者)
、、、
たとえば、90年代終わり、それまで絶対タブーだった旧大蔵省にマスコミが切り込み、ノーパンしゃぶしゃぶ接待など、汚職事件の端緒を開いたことがあったが、その少し後、2000年代に入ると、国税当局は一斉に新聞各社に税務調査を展開した。


予想通りのことが起こりましたね。アベ政権は汚いですな。佐川君も今は政権に使われて守られていると思っているかもしれませんが、気をつけていないと、いつ第二の森友にされるかもしれませんよ。

マスコミは国税庁のパワハラによる言論封鎖に負けないでほしいです。

加計学園。
これは、森友と比較にならないぐらい悪質な事件。もちろん、主犯はアベ官邸。前川前文科省次官の勇気ある告発から、どんどん証拠が出てきて、アベと官邸がウソをついていた事実も明らかになりました。政権支持率低下の最大の理由は「アベが信用できないから」。そりゃそうでしょうな。アベは支持率回復のために、加計学園を不認可にするという技を考えているのではないか、という憶測もあります。森友を見れば、保身のためなら他人を平気で切り捨て、罪を被せてスケープゴートに仕立て上げるのもためらわないわけですからね。長年の腹心の友も我が身ほどには可愛くないでしょうしね。加計さんも気をつけておかないとね。
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アカデミアを去る理由

2017-08-22 | Weblog
論文の再投稿、共著者の強力なスペシウム光線が発射されましたが、それでもエディトリアルの鉄壁は突破できず、あえなく撃沈。小細工は効きませんな。結局、さすらいの旅に出ることになりました。

先日、二十年来の知り合いが電話をかけてきて、研究室を閉めると告げられました。研究室を構えて十五年、順調に教授となり、今年も複数のハイインパクト論文を出し、新規のグラントも当たったところで、外から見れば登り調子なのに、長年のアカデミアの生活を捨てて、バイオテクの開発部に転職するのだそうです。アカデミアに嫌気がさしたとのこと。

わからなくもありません。小さな分野でのアカデミアの研究というのはいわば、自慰的活動であり、論文は自己満足、研究費獲得のためにはやりたくないこともやらねばなりません。
人間が人生に意義を感じるのは、他人と喜びを共有し、他人の役に立つという経験です。アカデミアの研究者は孤独なもので、本当の仲間と言えば、一緒に研究してくれる数人です。その研究仲間の少なからずが、研究は、とりあえずの飯の種として、あるいはキャリアアップのための経験としてやっている人であり、真剣にアカデミアの研究に興味を持って将来も研究の道に進みたいと考えている人は非常に稀です。(ま、そういう人は私のような零細研究室にはきませんが)研究者として私がそういう人々にできることは、研究の面白さ、努力して何事かを成し遂げる喜び、学びの喜び、そうしたものを知ってもらうことぐらいなのに、彼らの多くはそうしたことに興味はなかったりします。そういう環境では、一生懸命努力していい作品を出版したところで、虚しさを感じることでしょう。若い人の研究ばなれは我々の世代から見ると加速しているようですが、研究者という職の不安定さ、割の合わなさを考えれば、やむを得ないのだろうと思います。

自分が長年、努力して得た技術や知識を使って、他人の役に立つことが人の生きがいであるとすると、小さな分野のアカデミアの研究者は、そうした生きがいを感じにくくなってきているのだろうと思います。また、研究も金次第ですから、貧すれば人も来ないし研究することもできず、能力を生かすこともできなければ生きがいもない、というのがアカデミアの研究者であり、私も彼女もそういう不遇の時期があり、そこで打ちのめされて、それで嫌気がさすのだと思います。私もまだ完全に立ち直れていませんが、支えてくれる共同研究者や友人のおかげて何とかやっています。不遇の時こそ、そんな人の暖かさが身にしみます。彼らの厚意に何とか答えたいというのがモチベーションの一つになっています。
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百閒に学ぶ?

2017-08-18 | Weblog
一応、論文を投稿し、一息と思いましたが、3日で帰ってきました。やっぱり小細工は通用しませんでした。相談の結果、Editorが勧める系列雑誌へ原稿transferをする前に、別の雑誌へ出し直そうということになりました。

論文のことは早く一段落つけて、実験とグラントに集中したいですが、なかなか思うようにはいきません。前回は構想五年、実験三年、論文を書くのに三ヶ月の力作が、投稿後一晩で返ってきました。その後、結局今の雑誌にようやく引っかかるまで2ヶ月以上かかりました。この論文、どうリバイスするかを筆頭著者の人と話あいました。editor/reviwerと著者という圧倒的な力関係の不均等があるので、こちらにはほとんど選択の余地はありません。言われたことにできるだけ要求に沿うような形になるように、最大の努力をするだけのことです。それにしてもこの雑誌のeditorはどうしていつもこうも高圧的な言い方をするのでしょうかね。

迂闊だったのは、論文を書くときにレビューアのことを十分に考えていなかったことで、二人目のレビューアはコメントの内容から誰かはだいたい見当がついたのですが、彼の最近の重要な論文を引用ていなかったことに、ここで気がつきました。彼の論文の内容は直接こちらの論文の議論に関与していなかったからです。しかし、この論文が彼のところにレビューに回ることは十分、予見できたことでしたので、これを最初の投稿時にキッチリ引用して押さえておれば、おそらくリバイスの厄介な実験は要求されずに済んだのではないかと後悔しました。しかも、その彼の論文は私もレビューアを勤めたものだったので、あらためて自分のマヌケさに呆れてしまった次第です。最近、物忘れがひどくなってきて頭が悪くなってきたのを感じます。

結局、リバイス用の実験もちょっと厄介な交配実験がからみ、やや高額な試薬も買わないといけなくなりました。加えて非常識なレベルの高額の出版費用。追加実験と出版で70-80万円はかかりそうです。論文を書いたときにもうちょっと注意深くレビューアのことを考えておけば、ン十万円の実験費用と数ヶ月の実験労力は節約できただろうと思うとちょっと悲しいです。

とにかく、私、研究費に関しては余裕があった時期が思い浮かびません。ただでさえ赤字ギリギリの状態でやっていて、提出中と提出予定のグラントの獲らぬ狸の皮を当てにしているような状態です。ダメなら来年度分から借金をして、ツケを将来に回して、最終的に踏み倒して夜逃げするというプランだな、と思っていますが、夜逃げの後はもう日の目を見ることはないでしょうしね。

借金の天才として有名な内田百閒が言ったとされる言葉を思い出しました。「研究費」と言い換えれば、そのまま私の現状です。

「金とは、常に受け取る前か、または使かった後からの観念である」
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なぜシャーロッツビル?

2017-08-15 | Weblog
週末のニュース。
米、白人至上主義グループと反対派が衝突 3人死亡

 米東部バージニア州シャーロッツビルで12日、集会を開いた白人至上主義グループと、対抗デモを行った反対派が衝突した。反対派が集まっているところに車が突っ込んで1人が死亡、19人が負傷した。、、、、

アメリカでも世界のどこでもですが、「人種」とか「国籍」ぐらいしか、誇れるものを持たない連中はおります。彼らは幸せでない人々です。彼らは、その原因を己の未熟さではなく他人の転嫁し、もっともわかりやすい「人種」の異なる人々を、彼ら自身の不幸の元凶と見做して、鬱憤をはらそうとしている、と私には見えます。トランプはそういう現状に不満のある白人の不満や怒りを煽り、票を集めてなった大統領です。彼自身が間違いなく差別主義者でしょう。クリントンやオバマのこの件に関してのツイッターで、差別主義を非難するコメントを出したのと、トランプが白人至上主義者の批判を避けたところにその立場の違いが見て取れます。すでにこのトランプの態度に全米で抗議が巻き起こっている様子。この政権も遠からず退場することになりますが、人類の進化という大きな観点から見れば、それは必然だと思います。アベ政権の崩壊もしかりです。

私、このニュースを聞いた時に、なぜ、シャーロッツビルなのだろうと言う点がもっとも気になりました。ニュースではバージニアは東部と書かれていますが、バージニアは複雑です。北の一部はワシントンDCであり、アーリントン墓地がありますから、東部とも言えます。しかし、一般にはバージニアは南部の州と認識されていると思います。すなわち、プランテーションで富を築いた白人裕福層が黒人奴隷を使って優雅な暮らしをしていた過去を持つ場所であり、バージニアは独立宣言を書いた三代目大統領、トーマスジェファーソンの出身地です。ジェファーソンは、独立宣言で「すべての人間は平等」であると述べたわけですが、実際は彼自身も奴隷を使っていた白人地主であり、黒人奴隷との間に子供を作っています。彼自身が奴隷は人間ではないとでも思っていたのではないかと思います。南部白人に人種主義者が多いのは理解できなくもありません。

それはともかく、シャーロッツビルはバージニアの山奥にある田舎町。しかし、University of Virginiaがある関係で、バージニアのその他の田舎町と異なり、町そのものはリベラルだと思います。大学関係者は教育レベルの高い外国人が多いわけですし。ただ、私もずいぶん前に一度だけシャーロッツビルを訪れた経験がありますが、大都市に比べて、外国人にフレンドリーであると言う印象は受けませんでした。単に田舎だからなのか、南部の文化なのか、わかりません。不愉快ということもなかったですが、親しみやすさはなかったですね。大都市では南部の白人からは、言わゆる「Sourthern hosipitality」を感じることはありましたが、南部にかかわらず田舎ではそういう経験をしたことがありません。一度、ニューヨーク州のド田舎にある町で三軒しかないレストランの一つに行った時、半分の客(全員が白人)が我々をまるでパンダを見るかのようにチラチラと見てきたのには閉口しました。

今、調べているみると「なぜ、シャーロッツビル?」という疑問には、比較的単純な理由があったようです。
Why Charlottesville?によると、4月に町は南北戦争の南部の指揮官、リー大佐の銅像を撤去するという判断をしたそうです。南北戦争のリンカーンの勝利によって、奴隷解放が行われ、かつての古き良きアメリカが南部から失われたという思いが白人至上主義者の間にあるのだろうと想像します。そして、それを守ろうとして戦った「リー大佐」は彼らにとっては英雄だったのかもしれません。同時に、奴隷制、植民地主義という人類の進化という観点から、明らかに誤った制度や主義に反対する人々からは、リー大佐像は、逆に望ましくない過去のシンボルだと見なされていたのかも知れません。我々、東洋人にとっては、死んでしまえば、皆、等しく仏であり、銅像は単なる物体にしか過ぎないと思う人の方が多いと思いますが。

人間は思想の自由と言論の自由がありますから、白人至上主義者が何をどう思い何を言おうと、彼らの考え方をや言動を変えたりすることはできません。また逆もそうです。暴力や他人の人権への侵害も、結局、起こってしまってから、法律にしたがって、罰を与えるぐらいのことしかできません。彼らの考え方は彼ら自身にしか変えられないわけで、そういう点で、直接の衝突が起こるようなプロテストはちょっとまずかったのではないかな、と思います。そこにある「バカの壁」は越え難いものがある、と私でも容易に想像できます。
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論文の形

2017-08-11 | Weblog
論文、まだ投稿できていません。もうすぐと思います。
複数の著者が絡んでいますが、つくづく実感したのは、いわゆるエリートの人の頭の良さとエゴの大きさはかなりの相関がありそうだな、ということです。
そして、頭が良いはずなのに、エゴは放し飼いになっている場合が多くて、それゆえに物事に私情が挟まってきて厄介なのが、不思議です。

私のような二流大学出で、細々と小さな分野で生き延びてきたような人間は、長年生きていると、打ちのめされるような経験の連続なので、イヤでも、よい方で言えば謙虚さ、悪い方では卑屈さというものが身について、周囲に注意しながら、よく言えば、摩擦を起こさずに、悪く言えばオドオドと日々を送っているわけですが、そうする必要のないような環境で成功を積み重ねてきた人というのは、ちょっと違いますな。もちろん、エリートで頭が良くて、謙虚で思いやりのあるような立派な人もおりますが、それはそれで、眩しすぎて、かえって卑屈になりますね。難しいものです。

論文に関しては、結局、私が最初に臨んだような形、相撲で言えば「寄切り」で勝てるような、論文とはなりませんでしたが、(ま、そんな力強い論文は滅多に書けませんし、今回もどうあがいても、そこまでには達しないので仕方がないですが)、共著者のいう「うっちゃり」が決まる可能性のある形に落ち着きました。私的は不本意ですが、複数の人が絡んでいる以上、妥協点を見つけなればどこにも進みません。どんなこだわりのある論文も本人が思うほど、周りはなんとも思っていないものですし、どんな形になろうと出してナンボのもの、と軽く思っておく方が健康にも良さそうです。

そうこうしている間に、もう一本の論文のレビューも返ってきました。比較的、好意的でしたが、editorがreviewerの提案する新しい実験データをリバイスの条件として要求してきましたので、実験はやらないといけません。しかし、筆頭著者の人はすでに移動後、やれることも多少限定されるので、結局、またある程度は、私がやる羽目になりそうです。
今月は、グラントに集中するつもりでしたが、ちょっと無理かもしれません。
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ようやく投稿へ

2017-08-08 | Weblog
ようやく、予定より数ヶ月遅れで、三年越しの研究の論文の原稿がほぼ完成しました。私を含めて3人が分担して書きました。各人がそれぞれ細かいこだわりがあったので、体裁を整えたりするのが、非常に大変でした。臨床遺伝学専門の人、基礎の細胞分子生物学が専門の人と、骨格系マウス分子遺伝学の私という感じなので、各fieldでの言語も文化も常識も違うのです。科学という共通の言語を使っているようで、分野によってその言葉の定義や論理でさえ違うのだな、と実感させられました。

二人が主に書いてつなぎ合わせたものを、私が形を整えるというようなスタイルでやりましたが、一人で書く方がよっぽど気楽で早いです。誰かが何かを変えると別の誰かが気に入らなかったり、そうしている間に議論が感情的になってきたりと、これまで各研究室が対等な形の共同研究はほとんどやったことがなかったので、そのcoordinateがこんなに大変とは思いませんでした。誰か一人の有能な人が全部、書いてくれて、それをチェックするだけだったら楽でいいのですがね。
来週には投稿したいな、と思っております。何とかeditorial barrierを突破したいと思っていろいろ小細工も弄したりしていますが、どうでしょうか。

まだ五年越しでほったらしの論文もあって、なかなか進んでいません。こういうのは夏休みを当てるのが一番いいのですが、あいにく、次のグラントに集中したいし、面白そうなプロジェクトも舞い込んできたところだし、それから間も無く投稿中の別の論文のレビューも帰ってくる頃なので、集中できません。とにかく論文を塩漬けにするのが私が我慢できないので、なんとか出してしまいたいとは思っています。しばらく、忙しくなりそうなので、世間のことはちょっと忘れることにします
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これから本番

2017-08-04 | Weblog
加計学園、今治の市議のほとんどに賄賂が渡っていたと言うことで告発書が出たという話を聞きました。その元ネタを見てみようとすると、https://ameblo.jp/utumisinbun/entry-12296179885.htmlなんと、サイトごと消されてしまったようです。このブログの人はtwitterで情報発信を続けらてているようですが。その今治市議会での音声も流出。さて、また爆発しますかね。NHKが待ち構えているという音声もありました。

森友の逮捕劇、本当にハラが立ちますな。大阪地検もまた黄色のペンキを投げつけられることになるのではないでしょうか。数日前の郷原弁護士の記事から。

検察はなぜ”常識外れの籠池夫妻逮捕”に至ったのか

昨日、籠池泰典氏夫妻が、大阪地検特捜部に、「詐欺」の容疑で逮捕された。
驚くべきことに、この「詐欺」の容疑は、、、、「補助金適正化法違反」を、「詐欺罪」の事実に構成して逮捕したということなのである。

補助金を騙し取る行為は、形式上は詐欺罪が成立する。しかし、国の補助金は本来、当局による十分な審査を経て支給されるものであり、不正な補助金交付を行ったとすると、国の側にも問題がなかったとは言えないこと、国からの補助金の不正は地方自治体等の公的な機関でも行われることなどから、補助金適正化法は、不正受給の法定刑を、詐欺罪の「10年以下の懲役」より軽い「5年以下の懲役・罰金」とし、「未遂罪」が設けられている詐欺罪と異なり、未遂を処罰の対象外としたものだ。つまり、あえて「詐欺罪」より罪が軽い「補助金適正化法違反」という犯罪を定めたものだといえる。

このような法律の趣旨からすると、国の補助金の不正受給である限り、詐欺罪が適用される余地はない。
しかし、それなのに、なぜ、大阪地検特捜部は、「小学生レベル」とも思える誤った逮捕を行ったのか。
、、、
本来、詐欺罪が適用されるはずのない「国の補助金の不正受給」に対して、詐欺の被疑事実で逮捕したのは、余程の事情があるからであろう。、、、

しかも、籠池氏夫妻に逮捕の要件である「逃亡のおそれ」「罪証隠滅のおそれ」が認められるのか。前者がないことは明らかだし、この国交省の補助金受給をめぐる事実関係については主要な物証は大部分が押収され、関係者の取調べも実質的に終わっているはずだ。、、、

、、、検察の常識として凡そあり得ない逮捕であり、過去に繰り返してきた数々の検察不祥事にも匹敵する「暴挙」だと言わざるを得ない。このような無茶苦茶な捜査からは直ちに撤退すべきである。


ま、トランプにしてもアベにしても常識というものを知らない人間が力を握っているのですから、その下で顔色をうかがっている連中に常識を求めるのも無理なのでしょう。ひどい世の中になったものです。だからと言って、放っておいてはなりません。これから本番のつもりで、とことん追求してもらいたいです。
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トドメの籠池砲

2017-08-01 | Weblog
民進党、党首と幹事長がやめて、マシになるかと期待したものの、次の党首に立候補したのが、この二人でガックリ。K氏のメルトダウンを認めない言いのがれを延々とした姿を覚えているので、これはまたアベ政権と同じ言いのがれ体質、「記憶にない」、「記録がない」を強く感じます。またM氏も同様、これまでの言動を見る限り信用できるタイプではなさそうです。ま、この際、どちらが党首になっても、民進党としては先の見込みはないので、心ある人は離党して、民進党抜きで野党連合に加わってもらいたいと思います。

森友、籠池氏、逮捕とのニュース。何の目的で身柄を拘束?印象操作ですかね?証拠はとっくの昔にガサ入れで根こそぎ持っていっているというのに、わざわざ逮捕する意味が不明です。この事件を籠池氏個人の犯罪に矮小化して、アベ一味が逃げ切ろうしているのと、あとはどうも口封じのようです (が、遅かったようですな)。

籠池氏、5月の時点で国策捜査で逮捕のシナリオもあるということで、「逮捕後の報道」を条件に朝日新聞を含むメディアとのインタビューを行いました。この内容を報じているのは、今のところ朝日新聞と東洋経済オンライン。籠池氏の証言で、証拠を出したわけではないですが、この人の話は全て一貫しています。一方、アベ、財務省、大阪府は、「知らぬ存ぜぬ、記憶にない、文章は存在しない」、ま、加計学園の対応と同じですが、まず、アベ夫人からの寄付も間違いないでしょうし、アベ側が籠池側を切りしてようとしたのも間違いないでしょう。加計、森友、この事件で、ここまでアベは真っ黒なのに、まだ逃げ切れると思っているのですかね。この籠池氏の逮捕で、アベはトドメの墓穴を掘ったと言えるでしょう。検察も逮捕する相手を間違っています。

「逮捕後公開」を条件に籠池氏が明かしたこと (東洋経済オンライン)

なんで僕が逮捕されないかんのかなって思っているんですよ。なんで(自分を)貶めるかというと、森友学園の問題の本筋にある国有地の値引き問題は、全部あいつが悪いんやという方向に世論をもっていこうとしているわけ。それってすごくまずいことやないですか。3通の契約書について言うと、国土交通省に提出していた「23億8000万円」の契約書に、私自身はかかわっていないんです。あれは(設計会社の)キアラ建築研究所機関がやっていたことで、私は主体的にはかかわっていない。たしかに責任の一端はあるかもわからないけど、主犯じゃないことは確かなんです。

――籠池さんの宿願であった「瑞穂の國 記念小學院」の認可申請を、3月10日、急きょ取り下げた。裏ではどんなことが起きていたのか。(当時の弁護士で、北浜法律事務所の)酒井康生弁護士が「取り下げないと藤原工業が潰れてしまう」と言ってきたんです。それプラスね、3通の契約書の問題とかその他の私にふりかかっている諸々の問題について、今(認可申請を)取り下げたら全部チャラになるという趣旨のことを言われたんです。なんとなく、ピンとくるでしょう?
――政治的な取り引きを持ちかけられたということか。
はい、弁護士が僕に。そういう話だった。
―酒井弁護士を通じて「しばらく身を隠すように」と指示を出してきたのも近畿財務局だった?
そう。弁護士を通じて、そう指示をしてきた。
、、、
もしも政権側と手を握っておったら、ここまではこなかったのかなあという気持ちもある。3月10日に認可申請を取り下げたところで、この話をすべて終わらせておけば国策捜査はなかったと思う。2年くらいしたら「籠池君よくやったな、助けてあげるよ」という話になったんだと思うんです。
――「政権と手を握っておったら」というのは、やっぱり100万円の話を出さなければ、という意味か。
その話を言わざるをえんようになってしまったということ。そこに至るまで、シグナルは2、3回あった。
――シグナルとは?
2月22日、自民党の大塚高司・国対副委員長(衆議院議員、大阪8区)が僕のところに来たとき。
――他のシグナルは?
それは・・・言わんとく。
――逮捕されなければ出さないと約束するので話してほしい。
(籠池氏はその後しばらく重く口をつぐんだ。約30分後、ようやく口を開いた)3月15日、昭恵夫人から電話がありました
「かなり我慢をしてやってきましたのに、なんでこないなったんですか」と私が申し上げると「すみません、すみません、主人の意向なので」と。
私は「もう、あのことも言わざるをえんようになりました」と申し上げました。昭恵夫人が「あのこととは?」とおっしゃるので、「100万円のことです」と返しました。
――その時の昭恵さんの反応は?
「ああ・・・」と。沈黙されてました。
、、、
――他には?
昭恵夫人は「こういうことになるとは私は思わなかった、わからなかったんです」とおっしゃっていた。私は「わかりました、これが最後です、失礼します」と言って電話をきりました。


生々しいですな。それにしても、自らの身に関わるとなると、手のひら返して、弱い立場の者に全部罪を被せてスケープゴートにしたてあげ、「印象操作」で逃げ切ろうとするのだから、アベ一味、人間のクズですな(わかっていたけど)。

一方、先日、大阪地検、近畿財務局を背任剤で捜査とのニュース。当然のことですが、しっかりにやってもらいたいものです。8億の値引きを決めたのは森友ではなく財務局ですからね。知らぬ存ぜぬ、文書は2週間で自動消去、などと国会で失笑を買うような答弁を繰り返し、アベ政権擁護に回った前財務省理財局長のウソつき佐川君、おかげで国税庁長官に昇進できたわけですが、またここでウソをほじくり返されそうですな。あまりにウソが多い国会答弁は全て偽証罪の縛りをつけたほうがいいのでは。
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