百醜千拙草

何とかやっています

アメリカ金融メルトダウンとそれを被る日本

2008-09-30 | Weblog
7千億ドルの税金をつぎ込んで、アメリカ金融業界の崩壊を支えようとした「Bail-out plan」が、議会で反対票が優勢となり、アメリカ株式市場は急降下しています。私はこの税金によるBail-outは、最終的には、行わざるを得ないことになると思いますが、金融機関の身勝手な行動の尻拭いに、税金が使われることに対する抵抗はよく理解できます。
 現代の経済はサービス業が引っ張ってきたと言って間違いではないと思うのですが、そのサービス業の中でも特に、お金そのものを扱う、金融、保険の業界が、アメリカ不動産不良モーゲッジのために、資金が回らなくなり、今回のメルトダウンに繋がりました。お金そのものを動かすだけで利益を出そうとする金融業というのは、言ってみれば、賭場の胴元みたいなもので、本質的に人間の生活のためになるものを積極的に創り出すわけではありません。その金融業界がこれほどまでに大きくなってきた背景には、ものを作るよりも消費する方が偉い、汗水たらして働くよりも、不労所得を沢山得るものの方が偉い、という昔の一部の特権階級だけにあった考えが、世間一般に広がったためではないでしょうか。「Rich Dad, Poor Dad」のロバートキヨサキ氏は、金持ちになれば、チャリティーに寄付したり、人を助けたりできるから、金持ちは貧乏人より、社会に貢献できる、金持ちになってネズミ競争から抜け出そう、とか言う訳ですが、彼がどのように金持ちになったかを見ていると、結局は、不動産や株、そうしたゼロサムゲームであるマネーゲームに勝ったからだと思えます。つまり、彼が金持ちになったかわりに誰かが貧乏になっているということです。不動産バブルのころ、土地を買っては、値段を上げて転売するのを繰り返して、一部の人は成金になりました。そのせいで、多くの人は土地や家の値段が高過ぎて、住居を手に入れて普通の暮らしをするのも困難になりました。バブルで一部が膨らんだら、膨らんだ分はどこかがしぼんでいるのです。そのようなマネーゲームで金持ちになった人が、多くの普通の人々の暮らしを無意味に圧迫して得た不労所得をチャリティーに回して節税した上に、それをもって、弱者を助けて社会に貢献した、などと胸をはってと言えるならば、それはちょっと勘違いでしょう。土地転がしや金融業などの不労所得で一部の人が良い思いをするからこそ、転がす資産を持たない一般人が苦しむのです。現在の格差社会は、まさにこの構図で、虚業ともいえる金融、不動産業が、大手を振って、あたかも高級な職業かのように振る舞い出し、金持ちが一般人を搾取することを肯定してきたために起こってきているのだと思います。金融業界が、不労所得でみんなが金持ちになれる、という嘘をまき散らして、虚業を正当化し、うまくいかなければ、市場のせいにしてきた、その嘘が破綻したということではないでしょうか。現実には、誰かが金持ちになれば、誰かが貧乏になっているわけです。皆が金持ちになったら、どこか他の国の人や未来の子供たちがその借金を背負わされているのです。にもかかわらず、キヨサキ氏らは、金持ちになるということは、金が貧乏人から金持ちへと偏在していくことであるとは言いません。あたかも、皆が勝者でだれも負けないゲームがあるかのように、あるいはゲームに負けたものは負けるべくして負けた一部の例外であるかのように言っているようです。今、二十年前の日本のバブル経済の終焉と同じことが、より大きな規模でアメリカで起こっています。悪いことに、そのツケは日本へ直接回ってきます。これまででも、アメリカの債券を国民の税金を使って、山のように日本は買い取り、そうしてアメリカにゴマをすってきた一部の自民党関連の政治家、官僚がおいしい思いをしてきました。その一方でアメリカに金を貸し過ぎて国に金が無くなり、国民への負担をどんどん増やしてきて、世界一の借金国にした日本です。日本国民から借金して、返ってくるかどうかわからないアメリカに金を貸してきたのです。今回ももちろん、返ってくる当てのないアメリカの不良債権を多量に買わされることになります。世界の経済がドルを基準の動いている以上、アメリカはいくら外国に借金しても平気です。いざとなれば、新ドルを発行して新ドルと旧ドルの通貨価格差をグンと上げれば、あっという間に借金の実際額を下げてしまうことができます。それはともかく、今回アメリカの不良モーゲッジ問題というのは、虚業の金融業の身から出た錆です。不動産バブルで、どんどん貸し付け、不動産の値段がつり上がるのを煽っておいて、一般人が手が出ないような値段になったら、今度は、返済困難なレベルの借金をむりに貸し付けたのですから、破綻して当たり前でしょう。一般人から絞れるだけ絞ろうとして、絞り過ぎて借金が回収できなくなったということで、その救済に巨額の税金が投入される、というのは、大多数の一般納税者には納得できないものがあると思います。しかし、この尻拭いをせずに放置すれば、影響が大き過ぎる、国民の福祉も株式投資でまかなっているわけで、やむを得ないという状況なのでしょう。虚業の金融業をここまで大きくしてしまったのは、政府の責任ですから、結局、そんな政府を間接的にでも選んだ国民の責任ということかも知れません。金融業という金を動かすだけで、なんら価値を生み出さないサービスは、社会全体の経済活動の交通整理員のような存在であるべき筈です。それが、いつのまにか、交通整理の警官があたかも交通そのものを支配しているかのように振る舞い出し、政府も目先の財政問題の対処にその方が都合がよいので、金融業の傍若無人の振る舞いに見て見ぬふりをしてきたのだと思います。過去にもこういうことはありました。人々は痛い目に会いました。それでも、去るものは日々に疎し、忘却とは忘れ去ることなり、人は過去から学ぶことなく、歴史は繰り返されるのですね。
  日本はどうすればよいか、まずアメリカのツケをずっと払わされることになるアメリカ追従をなんとかやめることです。アメリカ追従を続けてきたのは、そうすることによって癒着した政官財がよりおいしい思いをできるからに他なりません。アメリカ追従は一般国民には百害あって一利無しです。慇懃に礼を尽くして、アメリカのお願いをうまく断れるような政府が、この世界一の借金大国の日本の国民にとってベストであるはずです。そのためには、癒着した政官財をなんとかするしかありません。国民がなんとかできるのは政治家でしょう。とにかくまずは自民党に退場してもらうこと、とりわけ、親から票田から癒着企業まで臆面もなく引き継いで恥じることのない寄生虫のような世襲議員を排除しなければなりません。今度の組閣もヒドいものです。どうせ一ヶ月の命かと思っていますからいいですが、万が一、次も国民が自民党を選んだら、日本経済を崩壊させた小泉元首相から連綿と続く無責任政府が続いていくことになります。(ただし、今度の人は、失言を繰り返して、選挙までの一ヶ月ももたずに辞任と予測している人も結構いるようですが)
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ラスカー賞へと至る道

2008-09-26 | 研究
アメリカ版ノーベル賞とも言われるラスカー賞ですが、今年の基礎医学部門は、microRNAのパイオニア的仕事となった、二人の線虫遺伝学者、Gary RuvkunとVictor Ambrosに与えられ、そして、臨床部門は、日本人で初めて臨床部門での受賞となった、スタチンの遠藤章博士に与えられました。9/19号のCellの巻頭で、もう一人の受賞者、細菌学者のStanley Falkowと合わせて、その仕事と研究の歴史が紹介されています。microRNAにしてもスタチンにしても、最初の発見からブレークスルーに至るまで、紆余曲折を経てきています。発見の価値は、その後の多くの研究の成果によって、再評価され、そして研究界、医学界に大きな影響を与えるまでに成長してきました。研究の本当の価値を社会が認めるようになるまでには、長い時間がかかるのだなと思います。
 microRNAという言葉が発明されたのは2001年ですが、microRNAを記載した論文は、上記の二人がback-to-backでCellに1993年に発表した、線虫の変異株に関する論文が最初で、Ambrosは、最初のmicroRNA, lin-4,をsmall temporary RNAと呼んでいました。当時、調節性RNAという概念でさえ、そう一般的でなかった時代に、主にGeneticsの手法を使って、この発生タイミングの異常をおこしてくる変異が、DNAでも蛋白でもなく、小さなRNAであることを示したのみならず、そのターゲット遺伝子を遺伝学的手法で同定し、全く新しい遺伝子発現調節の作用メカニズムを明らかにした、AmbrosとRuvkinのElegantな仕事は、現在のmicroRNA研究の土台を作り上げました。この二人はMITのHorvitzの研究室の出身で現在、RuvkunはMassachusetts General Hospital、AmbrosはHarvard, Dartmouthを経てUniversity of Massachusettsで、引き続き線虫のgeneticsを研究しています。microRNAの再発見のきっかけになったのは、2年前のノーベル賞となったRNAiの発見によります。1998年のAndrew Fire (現Stanford)とCraig Mello(University of Massachusetts)のRNAiの発見の後、そのメカニズムの研究の過程において、siRNAが発見され、それがmicroRNAの再発見とつながり、2001年のScienceで、MIT出の3グループ、Ambros, Tom Tuschl, David Bartelによって「microRNA」という言葉生まれました。以後、7年間に、microRNAの研究論文は3,500本という数となり、一日二本ずつ新しい論文がでているという現在の状況に繋がってきます。もしRNAiの発見がなかったら、microRNAは未だにマイナーな例外的現象として扱われていたかも知れません。しかしRNAiがノーベル賞となったために、RuvkunとAmbrosはsmall regulatory RNAのパイオニアであってもノーベル賞となる可能性はなくなったと思われます。
 また、スタチンの遠藤博士の研究も、ノーベル賞となったゴールドスタインとブラウンのLDLコレステロール代謝の解明に加え、メルクがこの抗コレステロール薬を商品化してくれたおかげで、この賞に至ったものと思いわれます。遠藤博士は三共薬品の研究者で、コレステロールを下げる物質をカビから探すという研究で、目的通りにスタチンを見つけました。にもかかわらず、この発見が三共の薬とならず、メルクで日の目を見るという皮肉な結果となったのは、当時、コレステロールを下げることが動脈硬化の治療に有効であるという、確固としたデータが少なかったこと、コレステロールのような生理機能に重要な物質を人為的に下げればきっと凄い副作用が出るに違いないという妄信があったせいで、三共がゴーサインを出さなかったからではないでしょうか。一方、動脈硬化と高脂血症の程度が日本と比べものにならない大問題となっているアメリカでは、この新しい抗コレステロール薬への期待の大きさが、はるかにそのリスクへの恐怖を凌駕したのであろうと想像できます。結果、スタチンは革命的な高脂血症治療薬となり、成人病医療に多大に貢献し、莫大な経済効果をもたらしたのでした。もし、ゴールドスタイン、ブラウンの脂質代謝の研究がなかったら、あるいは、メルクが途中で開発から手を引いていたら、今日の遠藤博士の受賞はありませんでした。しかし、microRNAでのRuvkun、Ambrosと同様に、ゴールドスタイン、ブラウンが早々とノーベル賞をとってしまったので、遠藤博士がノーベル賞候補となることはないのではないかと思われます。
 賞のことはともかく、いずれにせよ、今回の受賞者の人々は、microRNAやスタチンなどの非常に重要な発見に関われたことを、大変幸運なことだと思っていると思います。研究とは、砂漠の砂の中から磨き上げる前の宝石の原石を拾い上げるようなもので、成功は努力する者のところに偶然やってきます。失敗にはたった一つの条件がそろわないだけで十分ですが、成功には全ての条件がそろった上に、幸運が偶然訪れてくれなければなりません。今回のmicroRNAとスタチンがラスカー賞に至ったのは、最初に宝石の原石を拾いあげることができたことに加え、他の研究者や研究施設が再発見してくれたり、開発プログラムを作ってくれたり、といった外部の助けがあったからこそでした。原石を砂漠の砂の中から拾い上げること、そしてそれが磨かれて美しい宝石になるのを見ることができること、研究者冥利に尽きるとはこういう経験のことではないでしょうか。

追記
トランスジェニック植物でcosuppressionとしられる現象にsmall RNAが関与していることを明らかにして、植物のmicroRNAの開拓者となったイギリスのDavid BaulcomeもAmbros,Ruvkunとともにラスカー賞を受賞したことを、追記しておきます。また、AmbrosとRuvkunの二人は同じ業績によって、Massachusetts General Hospital (MGH)の賞である「Warren Triennial賞」も受賞しています。MGHの創始者で、世界初のエーテル麻酔による手術を行ったことでしられるJohn Collins Warrenに由来するこの由緒ある賞の受賞者の中から、これまで22名のノーベル賞受賞者が出ています。
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責任があると認めても、責任をとらないのは詐欺だろう

2008-09-23 | Weblog
人の悪口を言うのは、よくないのは分かっていますが、言わずにいられません。この日本の危機的状況に際して、必要なのは本当に国民のことを考えてくれるリーダーです。詐欺を働いているという意識さえない詐欺師でも給料ドロボーでもありません。

会社が潰れたら、いかなる不可避の状況があっても、潰れたということに対して、社長が責任を負い、プライベートな会社であれば、家屋、財産を売り払い、自分の生命保険を担保にして、債権者に土下座してでも、後始末に当たるものでしょう。それが、責任をとるということではないかと思います。無責任を絵に描いたような福田首相、偽装食品事件で農相辞任に際して、「責任は私にある」と言ったという話を聞いて、この人は「責任」という言葉の意味を知っているのかと呆れてしまいました。植木等の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい程の、無気力で無自覚の無責任節のくせに、止めるとなったとたん、「責任」とかいう重い言葉が飛び出すのですから、何をか言わんや、です。自分の口から出た言葉をじっくり噛みしめて欲しいと思いますが、この福田さん、二代目のボンボンで育ちが良過ぎて、自分の尻も誰かに拭いてもらうのが当たり前と思っているのでしょうから、「責任」の二文字も誰か他の人に噛みしめてもらうつもりなのでしょう。この人は、在任中、自分の給料を集めること以外に、はたして何か有意義なことをただの一つでもしたのでしょうか、何も思い出せません。この人の口から、よくも責任などという言葉が飛び出たものです。やけくそですか?その責任、どう取る気なのでしょう。「責任は自分にある」とは言うが、「責任をとる」ことと「責任が自分にあると言うこと」は別だと、この人は本気で思っているのだと思います。自分に責任があると思ったら、まず国民に頭を下げ、善後策を提示して、国民の協力を得る努力をするのが、当たり前の人の行動です。この人のやっていることは、心にもないことを言って、口先だけで国民を騙して、問題を切り抜けようとするペテン師の業です。しかも、ボンボンで、自分のやっていることが詐欺だという自覚さえない。こうなると、ペテン師よりたちが悪い。病膏肓、付ける薬がない、そういう状況なのでしょう。次の総選挙ではさすがに自民党は負けてくれるものと思いますが、この際、「責任」をとって、今すぐ、自民党を解散してくれませんかね。
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株価は上がる

2008-09-19 | お金
日本では禿鷹ファンドとして悪名高いリーマンブラザーズの破産申告うけ、株価は急降下しています。さすがに半官の住宅金融公庫、Fannie MaeやFreddie Macの場合とは異なり、アメリカ政府は経営立て直しに補助を出すことを拒否、受けて、株式市場から資金が引き上げられていっているようです。この不良不動産モーゲッジ問題は、ドミノ倒しのように、大手金融、保険業界に悪影響を及ぼしています。最大の保険会社AIGも事実上破産、さすがにこちらには政府の救助が入ったようです。保険会社はともかく、投資銀行などの会社は、他人の金を右から左へ動かす間に、かすめ取った金(彼らは利益と呼んでいますが)で、社員に高給を与えてきました。その金とは元をたどれば、国内外の一般投資家の損失に他ならないわけです。破産宣告後も、日本リーマンブラザーズのホームページでは、良いスーツを着てにこやかに微笑む会長が、「リーマン・ブラザーズは、世界の主要な市場で確固たる地位を確立し、お客さまのビジネス戦略の成功を支援するサービスの提供に尽力しています。リーマン・ブラザーズの今日までの好業績は、徹底したお客さま第一主義という経営理念を追求することにより達成されてきました、、、」などと白々しいことを言っています。お客様第一とかいいながら、おそらく例によって、会社が潰れる直前に取締役連中は、たんまり臨時ボーナスをもらっていたりするのでしょう。
プロでさえなかなか勝てない金融業界、特に株式において、短期的予想は不可能であることは、複雑系の理論からも示されています。しかし、株式で負けない方法はあります。2つあると思います。一つは株式に手を出さないこと。もう一つは株を売らないことです。前者は負けもしませんが、勝ちもしません。「株を売らない」方式は、かなり高確率で勝てます。利益や損失は株を売った時に確定しますから、売らない限り、勝ち負けは決定しないので、売らなければ負けないのは当たり前ですが、最終的に売る時に高く売れれば勝ちです。歴史的に見れば、株価は上がったり下がったりを繰り返しながら、結局は上がっていきます。この歴史的事実が今後も継続していくと仮定すると、素人が、株式で「勝つ」もっとも確実で安全な方法は、多分、インデックスファンドを買って長期保持し、(可能であれば永久に)売らないことではないか、と思われます。事実、Warren Buffetをはじめとする株式投資の大成功者の多くは、株式の理想的な保有期間を訊かれると、「永遠」と答えます。株価の上昇によるCapital gainはむしろオマケで、配当金だけで十分に日々必要なお金ができるぐらいの規模の投資ができるのなら、それがベストでしょう。ロックフェラーも、楽しみとは何かを訊かれて、配当金の小切手が送られてくること、と答えています。401kやIRAなどの引退資金の積み立ては、基本的に売らずにできるだけ長く持ち続けるこのストラテジーを使っています。今回の株式市場のクラッシュから立ち直るのにどれくらい時間がかかるか分かりませんが、株式市場に引退資金の流入が継続してある以上は、株式市場はいずれ立ち直り、長期的には株式は全体として上って行くであろうと思われます。
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フロントページの功罪

2008-09-16 | 研究
購読していたNatureが突然、理由もなく雑誌を送って来なくなり、しばらく興味ある論文だけオンラインでかろうじて目を通すという日々が続いています。どういうわけかScienceも送って来なくなったように思います。Natureは何度も文句を言ってもサービスが改善しないし、しょっちゅう号を飛ばすので、もう次は購読を止めようかとも思ったりします。それで、このところ、「ゴシップセクション」と呼んでいる、NatureやScienceのフロントページからしばらくご無沙汰していたのですが、それで、つくづく感じたことが、私の専門外の科学界の知識の多くが、これらのゴシップセクションに多く依存していたということでした。実験のアイデアなども(殆どの場合、実行にまで到達しませんが)、このゴシップセクションでのネタから妄想が膨らんできたものもあります。しばらくゴシップセクションから離れていたためか、このフロントページというのは、実は結構、無害なようで危険なものではないかと、はっとしたのでした。こういう影響力のある科学雑誌のフロントページで、微妙なメッセージが流され、それによって、科学界の流行が決められていっているというのは多分ある程度あたっているでしょう。知り合いと科学ネタの雑談で盛り上がるとき、結構お互いに知識のでどころは同じで、これらの雑誌のゴシップ欄であることを発見して、ちょっと恥ずかしく思ったりすることが、そう言えばありました。ゴシップ欄をフォローしているときは、自分は科学界の中にいるのだという感覚がありました。ここしばらく、ゴシップ欄を読むことがなかったせいか、なんとなく、不安な気持ちを感じるようになりました。ファッションの世界と同じで、科学界にも流行があります。その流行を創り出す所、ちょっと目新しいことをやってみせて、あたかも大発見したかのように、ゴシップセクションを使って、宣伝する「流行の仕掛人」みたいなラボが、最もおいしい思いをします。それにつられて流行にいち早く飛び込むものは、二番目においしいところを取れます。流行のパターンを万人が読めるほど明らかになってくるころには、もうおいしい所は残っていません。NatureやScienceのゴシップセクションというのは、新聞やメディアが関連政党のプロパガンダを微妙に垂れ流しているのと同じように、ステルスに研究者を洗脳していっているのではないのかと、しばらくゴシップ欄から離れていて思いました。以前にも、何度も書きましたが、研究の世界も格差社会で、持てる所はどんどん富み、持たざるところはますます窮するようになってきています。研究の技術がだんだんと規格化されてくることで、研究はますます競争的な側面が強くなりました。とりわけハードコアな分子生物をやっている所は、お互いに疑心暗鬼で仲が悪いのが普通です。システムが淘汰選択されてきて、皆が同じような系を使って、同じ様な研究技術で、同じ様なことを研究しているのですから、そうなるのもうなずけます。そういう世界では、ライバルよりも一歩でも先んずることが大切です。そのためには流行をすばやく察知するだけでは足りません。流行を作る側に回らねば安心できません。NatureやScienceのフロントページというのは、そういう目的にはうってつけです。力のある大きなラボでないと情報操作はできませんから、そんな所は流行を作る側に回れて、ますます力を増大させていきます。であるなら、NatureやScienceのゴシップ欄という所は、持てる所がますます繁栄するためのメッセージが流されていて、持たざる所の研究者が読むと、知らない間に、健康が蝕まれてしまうような類いのものかも知れません。昔の禅寺では、お経を含めて文字に触れる時間は厳しく制限されていました。臨済も教典などを読むと肺を病むといい、古人は書を捨てて街に出よと説きました。科学とは現象の文字化、概念化に他なりませんから、文字を捨てるわけにはいきませんが、NatureやScienceのフロントページを読んで、研究界の動向を把握しておこうとすることは、あるいは流行の作り手にカモにされる最初なのかも知れません。フロントページは娯楽用と割り切って読み飛ばし、くれぐれも乗せられて要らぬ妄想をいだかず、余分な欲を出さず、雨にも負けず、自分の仕事に集中する、そういう研究者に私はなりたい、と思います。
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JoVEは科学出版を変える?

2008-09-12 | Weblog
アメリカ大統領選には触れないつもりだったのですが、オバマの「口紅を、豚に付けても、豚は豚」発言に対する、マッケーン側の冗談かと思う様な抗議反応に関して、言いたいことがいっぱいあるので、ちょっとだけ。共和党の党大会でマッケーンはワシントンを変えると言いいました。一方、民主党はマッケーンはブッシュ政権の継続であって、マッケーンになっても政治は変わらないと主張しています。マッケーンという大統領になっても共和党政権なら何も変わらないといういうことの例えとして、「豚に口紅」のことわざが使われました。そこで、これはオバマの、自称「口紅をつけた闘犬」ペイリンに対する、性差別的当てこすりであると、マッケーンキャンプが抗議したわけです。しかし、そもそも、この大統領選キャンペーンでは、マッケーン自身がクリントンのヘルスケアリフォームプランを指して、この例えを使っています。もちろん、クリントンを豚呼ばわりしたと騒ぎ立てるものは、誰もいませんでした。また、マッケーンの前相談役トーリークラークは「豚に口紅」という本まで書いてます。共和党のハカビーでさえ、オバマの発言をペイリンへの当てこすりととるのは、穿ち過ぎであろうとコメントしました。相手の足を引っ張ることしか考えていないようなマッケーンキャンペーンは本当に、見苦しい。マッケーン、その無能のキャンペーンチームを何とかしなさいよ、と言いいたくなります。おそらく、オバマはこの発言をただのものの例えとして使っただけで他意はなかったものと思いますが、聴衆は深読みしたようでした。オバマが「豚に口紅をぬっても、、、」と言って少し間を空けた時に、聴衆はどっとわきましたから、おそらく「闘犬に口紅」との偶然のアナロジーに気がついたのでしょう。それはオバマのせいではないですし、こんな瑣末時にいちいちいちゃもんをつけて、国民の注意をそらそうとするようなマッケーンキャンプのチンピラぶりは本当に情けない。そのチンピラに乗せられるアメリカ国民もそうとう情けないとも言えます。

さて、今日の本題、オンラインビデオジャーナル、JoVE (Journal of Visualized Experiments: www.Jove.com) がPubMed/Medlineにインデックスされることになりました。生物科学論文出版におけるインターネットとコンピュータ技術が及ぼした多大な影響を象徴するような画期的な出来事だと思います。
以前にも触れましたように、近代の生物学研究は、技術的進歩に先導されてきています。昔の野口英世のように顕微鏡をひたすら覗けば答えが見えてくるというような時代ではありません。電気生理、マウス遺伝学、分子構造解析などなど、思いつくだけでも、職人的技術が実験の遂行に不可欠で、極端な場合、その技術の希少さ故に、技術さえ持っていれば、論文が量産できる場合もあります。そうした実験技術は、論文を読んで試行錯誤で身につけるのと、実際に弟子入りして実地指導を受けるのでは、おそらくその技術伝達の効率に5倍程の差は容易におこりうると思います。かといって、技術を習うために遠方の研究室に弟子入りするのは多くの場合、容易なことではありません。JoVEはその隙間を埋めるものだと思います。手から手へ伝達される程には効率的ではないでしょうが、百聞は一見にしかず、ビデオ映像であっても、論文の行間に埋もれて見えない多くのことが、その作業の映像には自然と含まれています。また、これはエンタテイメントとして見ても楽しめます。にわか俳優となった研究者が、カメラに照れながらも、実験手技を解説するのを見るのは、微笑ましいです。一方、このままアナウンサーや政治家にでもなれるのではないかと思うほど、堂々としゃべる人もいます。また、その専門家でなければ、実際に目にすることがない実験の様子を見るのもなかなか楽しいものです。科学コミュニケーションがオープンになっていくことは、研究者間にも、あるいは一般の人への啓蒙効果という意味でも、喜ばしいことだと思います。
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無党派マッケーンの戦略

2008-09-09 | Weblog
いい加減に大統領選の話はやめようと思ってはいるのですが、マッケーンのスピーチについて何も言わないのもどうかと思い書き留めておくことにしました。これで終わりにして、少なくとも11月の投票までは大統領選については触れない予定です。
 先週末、共和党党大会で共和党大統領候補のマッケーンが演説をしました。マッケーンの大統領候補指名受諾の演説は、さすがにオバマの悪口に終始したペイリンの演説とは違い、党派をこえてアメリカ人全体に呼びかけるような形となりました。政策面で、オバマとの対比を用いることはありましたが、オバマへの攻撃は殆どなし。ある意味、非常に優等生的で好かれるスピーチ、悪く言えばピンボケという感じでした。共和党の悪政を叩き、力強い政策をアピールできる民主党と異なり、マッケーンはリベラルとはいえ共和党候補、立場上言いたくないこと、言えないことが多いわけです。ブッシュの悪政で一番困っているのは、実は同じ共和党のマッケーンでしょう。演説中にブッシュに触れたのは、イラクへの増員を決めた時の話のみで、なるべく現共和党政権には触れないようにしていました。民主党は、マッケーン政権は第三期ブッシュ政権に他ならないという批判を展開していますから、マッケーンとしては、それを肯定する様な言動は一切できませんし、かといって、同じ共和党の現政権をおおっぴらに批判することもできません。なんといっても、ブッシュ政権を成立させたのはマッケーンの力によるところが大きいわけですし。マッケーンは政治をよくするためにワシントンに「Change」をもたらすと言いました。これはとりもなおさず、現共和党政権に対する自己批判ですから、オバマが「Change」を叫ぶようには、大きな声では言えません。しかし、実際のところはマッケーンは共和党と言っても、がちがちの保守派ペイリンとは違い、リベラル中道ですから、本来、共和党の中核をなしている田舎の時代遅れの白人を支持基盤とする保守派とは相容れない所があります。どう考えても都会に住む現代人とは頭の作りが違うとしか思えないペイリンをVP候補にしたのも、おそらく田舎のガチガチの保守派票を確保するという目的もあったのでしょう。スピーチでは、マッケーンは自ら、Maverickであるといい、共和党であるが、ガチガチではないリベラルであることを強調し、民主党派、共和党派という党派以前にアメリカ人は、みなアメリカ人であり、自分は、党や自分自身やある特定の人のために働くのではなく、一般アメリカ人のために働いていくのだということをアピールしました。これによって、民主党票や独立票の一部を取り込もうという戦略です。マッケーンとしては微妙な立場です。共和党保守派からはリベラルで信用できないと思われる一方、民主党をはじめとする党外からは、なんだかんだ言ってもマッケーンは共和党でブッシュ路線と思われています。共和党でありながら、ブッシュから距離を取らねばならないマッケーンはリベラルであることをむしろ強調して、「共和党も民主党も関係なく、皆のために働くよ」と言うしかないわけです。うまくいけば、オバマを支持したくない非共和党の人々が、「皆のために働いてくれるマッケーン」に投票してくれると期待しているのでしょうでしょうが、一方では、これは立場のしっかりしない頼りがいのない八方美人ととられて、逆効果にもなりかねませんし、共和党の中核をなす保守派の反感も買いかねません。このあたりがピンボケスピーチの原因ということでしょう。ペイリンをVP候補に選んだことで、保守派を押さえる一方、自分のリベラル派としての寛容さを全面に出して、共和党外にもアピールするという戦略でしょうが、二兎を追うもの一兎も得ずの喩えのように、プラスとマイナスが打ち消し合って、共和党外からも共和内からも敬遠されてしまうことも考えられます。8年前のブッシュ、ゴア選の時には、マッケーンが大統領選脱落後、マッケーン支持のリベラル層の票のおかげで、ブッシュが勝てました。8年後、マッケーンは、そのブッシュの悪政のために恩を仇で返された形となり、苦しい立場に追い込まれています。土俵際に追いつめられて、捨て身のペイリン抜擢という奇策を繰り出したところに、その苦しさが見てとれます。ここで唯一、マッケーンがとれる手は、彼自身の人間的魅力、包容力を見せて、一政治家ではなく一人の人間としてアピールし、党派を越えて、個人のレベルで語りかけることしかありません。そして、実際、マッケーンはそうしたのでした。オバマのようなプリーチャーではないマッケーンは、いつもの朴訥としたしゃべりで不器用に語りかけました。民主党を強く攻撃することもできず、共和党の自己批判を展開するわけにもいかない八方ふさがりのマッケーンに残された戦略、同胞アメリカ人に個人レベルで語りかけること、においてマッケーンの不器用なしゃべりはかえって誠実さのアピールに役立ったかもしれません。私は、マッケーンを個人的には嫌いではないし、こんな状況で選挙戦を戦わなければならなくなったことに、むしろ同情しています。しかし、いくらリベラルのMaverickとはいえ、共和党は共和党、坊主憎けりゃ袈裟まで憎し、共和党に次期政権を取らせるわけにはいきません。万が一、共和党政権となって、そして、大分勘違いが入っていそうなペイリンが余計なことをやりだしたりすると、良識あるアメリカのアカデミアと一般国民は引き続いて、不条理な困難を押し付けられそうな気がします。共和党保守の人には独特の臭気があって、今のアメリカ政治にもっとも相応しくない人々です。ブッシュやペイリンがそのステロタイプに思えます。
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口紅をつけた闘犬、吠えるばかりが能じゃなし

2008-09-05 | Weblog
引き続き、アメリカ大統領選のネタで恐縮ですが、アメリカ大統領選本選に向けて、共和党党大会がミネソタのツインシティーで開かれています。ミシシッピ川を挟んで隣接するミネアポリスとセントポールはまとめてツインシティー、双子の街と呼ばれていますが、先だっての民主党党大会で、マッケーンはブッシュ政権の継続に過ぎないと強調する民主党のクリントンは、ブッシュと双子のようにそっくりな政策をとるであろうマッケーンを批判し、マッケーンのノミネーションを正式に行う共和党の党大会がツインシティーで開かれることを皮肉りました。その共和党党大会で、昨日、例の副大統領候補のアラスカ知事、サラペイリンがノミネーションの受諾スピーチを行い、本日はマッケーンが締めのスピーチを行う予定です。当初共和党大統領候補として立候補したミットロムニー、マイクハカビー、ルディージュリアーニらのスピーチのあと、ペイリンがしゃべったわけですが、私の個人的バイアスを抜きにしても、どのスピーチもお粗末な内容でした。内輪で盛り上がるのはよいのですが、仮にも全国に放送される党大会のスピーチで、時期政権の具体的政策やプランは少ししか触れられず、一般国民にとっては、本当に共和党に政権となって生活が改善するのか、そのへんが全然わかりません。盛り上がっていたのは民主党の悪口を言っている時だけ、マッケーンの支持の根拠は、彼自身が軍人で捕虜の経験があり、長年ワシントンにいたというだけで、今後何をどうやってくれるのかについての議論は殆どなし。戦時中、腕を怪我しながらもお国のために戦ったマッケーンという、政治とは関係ない経歴で同情を誘うスピーチばかりで、これでは普通の頭を持っている国民は騙せないだろうと思いました。ペイリンのスピーチも空虚でした。最初と最後は闇雲にマッケーンを讃え、残りの半分は自分の家族の紹介と自分の経歴自慢、あとの半分はオバマとバイデンの悪口に終始しました。オバマの公約を聞いていたのかと思うほど、オバマの話をねじ曲げて、それを批判するのですが、批判するだけで何も具体的にどうするという話はなし。民主党党大会の舞台セットを揶揄してみたり、オバマの経歴の細かいところにケチをつけてみたりして、笑いをとったものの、それでは身内ではウケても、一般国民はシラケるだけでしょう。最もウケた話が、自分がPTAから政治活動に入った普通の母親だったということを紹介し、息子のホッケーを応援するホッケーママだったという話の中の冗談でした。アメリカの子供のホッケーを応援する親は熱心さのあまり攻撃的になって、他の子供の親としばしば場外乱闘になるというのは有名な話ですが、それを引いて、「ホッケーママと闘犬(Pit bull)の違いは、口紅をつけているかいないかだ」と述べ、アタックドッグとしての自分のアピールしました。早速、新聞はこのPit bullのジョークを使って、「オバマに牙を剥く闘犬ペイリン」という見出しで彼女のスピーチを紹介しています。私には、残念ながら、オバマに向かって吠えるだけの痩せ犬と見えました。誰かを攻撃することのみが存在理由みたいな人のようです。
 私は彼女の空虚なスピーチを聞いて、これでは国民はついてこないだろうと思ったのですが、アンケート調査によると、意外なことに、スピーチ前は7割近くがペイリンは副大統領には相応しくないと考えていたのに、スピーチ後は逆に6割近くが副大統領に相応しいとの回答であったそうです。これではアメリカ国民は共和党にナメられても仕方ないかも知れないと思ってしまいました。
 本日、マッケーン本人はさすがにまともなスピーチをするものと期待されますが、これまでの民主党の悪口で盛り上がり、内輪のウケ狙いに終始する空虚な党大会をシラケてみている国民にどうアドレスするのでしょうか。さすがに亀の甲より年の功でマッケーンは多少は、会場外の空気が読めているとは思いますが、オバマの言う通り、自分の持ち家の数さえ把握していないマッケーンは一般国民のことは何もわかっていない可能性もあります。
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パンダに一票、ペローシの見識

2008-09-02 | Weblog
選挙は水物ですから、蓋を開けてみるまでわかりませんが、マッケーンのrunning mateとして、44歳の政治経験浅く、知名度の低い、このアラスカ州女性州知事が、指名されたと聞いて、これは共和党の負けだと思いました。こんな分かりやすいピックはないです。オバマがクリントンではなくバイデンを選んだときは、選挙に勝つという点で不安を感じたのですが、バイデンの選択には政治的な必然性があり、納得できることでした。しかし、マッケーンがこの女性アラスカ州知事を選んだということことからは、マッケーンがそれだけ追いつめられており、選挙に勝つためには何でもやる、という浅ましさしか見えてきません。それに乗せられて、副大統領候補を受けたこの人も何を考えているのかよく分かりません。国民はこの人事を見て、白けてしまったのではないでしょうか。噂によると、マッケーンはこの副大統領候補とは、殆ど面識さえないらしいです。マッケーンが、この外交経験ゼロ、知事歴たった2年、知名度なしのアラスカ知事に、政治家としてなにを期待しているのか、たぶん、「何も期待していない」のでしょう。マッケーン(あるいはマッケーンの選挙戦略チーム)が期待していることは、クリントン支持者で反オバマ派の女性票以外の何ものでもないというのが、余りにあからさまです。副大統領指名にあたって、このアラスカ州知事は、ヒラリークリントンが女性に課せられてきた「女性の社会進出をはばむ見えない壁(Glass ceiling)」を打ち破ろうとしてきた努力について述べ、若い女性である自分が副大統領なることによって、更に女性の社会での権利の拡大を目指すことを、訴えました。本気で言っているのか、マッケーンの選挙キャンペーン上、そう言えと言われたのか知りませんが、余りに白々しい。この選挙のためだけの使い捨て候補としか思えない人事を聞いて、こんな女性や国民をナメているとしか思えない選択はないと思いました。万が一、このような子供騙しが功を奏するようなアメリカ国民であれば、アメリカに未来はないとさえ思えます。この人事といい、選挙戦の初期からオバマに対するnegative adによる攻撃を積極的にしかけていることといい、どう考えても、マッケーンの選挙戦略チームの頭は相当、低級であるとしか言いようがないです。私個人的には、この人事によって、むしろオバマがバイデンを選んだことの正当性が逆に強調される結果となったのではないかと思います。いわば、このアラスカ知事は、クリントン支持の女性票を集めるための「人寄せパンダ」にしか過ぎない。パンダを選挙に担ぎ出す方も担ぎ出す方なら、それに担ぎ出される方も担ぎ出される方です。急に思いがけなくスポットライトを浴びるチャンスが巡ってきて、血迷ったのでしょうか。8年のブッシュの悪政で国民の生活が蝕まれている状況下で、切実に国を良くして欲しいと願っている大勢の国民の前にパンダを出してきた共和党は、パンダ目当てに投票する国民がいると本当に思っているのでしょうか。これは、実は民主党スパイによる共和党の破壊工作ではないかとさえ思えてきます。本気でパンダで票を得ようとするなら、パンダを大統領候補にして、マッケーンを副大統領候補にしないといけません。だいたい、高齢のマッケーンが仮に大統領になったとして、任期中に倒れたりでもすれば、パンダが代行しなければならなくなります。この人のレジュメを見て、それが可能とはとても思えません。このマッケーンのVP候補のニュースを聞いて、アメリカ大統領選を見ているのが、急にばかばかしくなってしまいました。

 アメリカ、ハウススピーカーのナンシーペローシがG8議長サミット会議出席のため来日、広島入りとのこと。次期アメリカ政権を担う(と考えられる)民主党の代表としても、原爆に象徴される人権の問題にアメリカの政治家代表として、どういう見識を見せるのか興味深いです。彼女はなかなか切れ者だと思いますし、好かれる人柄なので、私は好感を持って見ていますが、リーダーとしての器なのかは知りません。彼女がどういう話をするのか楽しみです。

 日本では、福田首相辞意表明とか。遅すぎますが、前首相のタイミングよりは多少ましでしょう。いてもいなくても同じ人です。
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