百醜千拙草

何とかやっています

五年前と五年先

2020-12-29 | Weblog
まもなく2021年です。5年前に5年後のことを想像したことがあります。一応、5年の間に成し遂げたいと思うことを考えて漠然とした計画を立てました。5年は半昔、ずいぶん長い時間に思えましたが、あっという間に時間は経ち、望んだことの半分も実現はしなかったわけですが、それは、ま、想定内。ただ、今となっては、この5年という年月は本当に実在したのだろうか、ひょっとしたら、それらは非常にリアルな「胡蝶の夢」ではなかったのかと疑うほどです。

しかし、5年前に想像した通り、5年が経って暦は5年分進みました。このまま行けば、10年後は2030年、100年後は2120年で、500年後は2520年です。そうなりそうな気がします。100年先や500年先をいきなり想像するのは難しいですけど、100年前や500年前は残っている資料や映像から、世界がどんな風であったか具体的に想像できます。それを逆方向に考えてみれば、未来もなんとなく見えてくるような気がします。多分、テクノロジーは進化しているでしょうけど、人間や生物はそんな短時間では進化しないでしょうから、本質的には人々は物質的にも精神的にも今とさほど変わらないのではないかと思います。

むしろ個人的には今の日本人は30-50年前よりも精神年齢は退化しているように思います。つい先日、国会で「119回目のウソ」をついた人とか、こっそり憲法違反してバレたら「説明できることとできないことがある」と堂々とカメラの前で開き直った陰湿パワハラ親父とかを引き合いに出すまでもなく、精神年齢が小学生以下の「ありえない」レベルの大人というか老人が多すぎると思います。昔の大人なら、不正がばれたら「恥」を知って、自ら身を引いたものです。少なくとも、保身のために平気でウソを100回以上もついた上、ウソを追求されたら秘書にすべての責任をおしつけて逃げるような総理大臣はいなかったと思います。この大人の幼稚化の理由の一つは、戦争を直接体験した世代が少なくなったことが大きいのでは、と個人的に思っています。

話がズレました。人間の進化は遅いということでした。私が短いこれまでの人生を振り返っても、自分はそう変わっていません。なかなか成長しないものです。若い時は、何を知らないかも知らなかったぐらいの無知であったことから、思い出したら布団を頭から被って叫びたくなるような恥かしいことをいろいろしました。そういう経験から物事を少しずつ学んで、知恵の力で動物的な心を手懐けることが前よりは多少できるようになってはきました。だからといって「動物的な心」そのものがなくなるわけはありません。だから、きっと数千年ぐらい経っても人間の本質は今とそう変わらないだろうと想像できます。自己保存の本能に基づくと思われるその動物的本質を理性と知恵で手懐けることができるようになるのが「人間」ならではの成長であると思います。いつか人間が「種」として成長、進化する時がくるのでしょうか。

とにかく、まるで膿瘍が自壊したかのような2020年でしたが、これで来年からは徐々に好転していくのではないかという予感を感じます。その上昇気流を利用して私もこれから五年間のことを考えたいと思っています。
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来年の政権交代

2020-12-25 | Weblog
前の続きみたいになりますが、、、
年末の休みは、一年を無事に過ごせたことに感謝する機会であります。しかし、今年は大変な年でした。コロナで生活の術を失ったりした人や命を失った人に比べたら、私は全然ましな方ですけど、それでも、色々とダメージの大きい年でした。私自身は、コロナで施設閉鎖になった間かなり精神的にやられました。加えて、コロナやその他の事情で研究室から三人が抜け、プロジェクトが立ち往生しました。健康面では不整脈がひどくなり、心不全にまで発展して30年ぶりに入院する羽目になり、薬と医者嫌いの私が、薬を飲んで診察に通う日々になってしまいました。身の回りでは、大学院時代にお世話になった先生が二人ほぼ同時に亡くなりました。母と仲がよかった従姉妹の叔母さんも今月亡くなりました。他の親類にも深刻な健康問題が次々に起こりました。

主にコロナによる部分が大きいわけですが、2020年が困難な年だったという実感は世界中で共有されています。アメリカでは人々はヤケになっているのか、苦しい時こそのユーモアなのか、アパレルショップでは、「2020 SUCKS」と書かれたT-シャツが売られ、酒屋では「SUCKS」という名を冠した季節限定ビールも販売されているようです。

SUCKS シャツ

SUCKS ビール



このデザインには感心しました。
2020 middle finger シャツ

Snoopy, the middle finger.


今年は、誰かが、12年前のリーマンショック時に似ていると言っていました。その時も世界同時の経済危機、政情不安となって、日本では翌年の政権交代が起こりました。個人的には、もう一回りほど干支を逆のぼった25年前を思い出します。阪神大震災によって大勢の人々がなくなり、私の複数の友人や知り合いも亡くなった年でした。オウムの地下鉄サリンがあり、大手金融機関の連鎖的破綻と経済の低迷、と異常な出来事が続いた年です。この年は、社会党の村山氏を担いだ政権が行き詰まり、翌一月に解散総選挙となっています。干支の一回りぐらいの周期で歴史は繰り返し、政権移行がかかった解散総選挙の前年は、社会的に荒れるのであれば。来年は、早々とスガが行き詰まるのが目に見えていますから、選挙で三度目の政権交代もありうるかも知れません。ただ、野党連合の頭が枝野というのが大きな不安材料ですが。立憲にも若手で優秀な人材がいるのだから、若手を顔にすれば勝てるでしょう。個人的には、ここ数年、国会で大活躍した共産党の中堅、若手にやってもらいたいと思いますけど、まだまだ日本は共産党アレルギーは強いですから難しいでしょうね。
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希望

2020-12-22 | Weblog
今年も早くもあと10日ほどとなりました。今年は大変な年でした。
個人的にも実感しましたが、この数年の低調が今年になって岩底に達して、ガン、ガンと底を打つような出来事が連発しました。

古典ヨーガによると、世界は4つの時代を繰り返すそうで、現在はカリユガ(暗黒の時代)だそうです。それは物質主義で「目に見える物がすべてで一番大事」という時代で、徳が4分の1、罪が4分の3を占め、悪徳が支配する時代であり、善悪を区別する力すら失われ、教えを説くものが虐待される、そうです。日本の政治と社会を見ていると「なるほど」と思います。その何千年単位の時代のサイクルの中にも小さなサイクルがあるというフラクタル構造になっているらしく、星占いによると、今日は「木星と土星が水瓶座で大会合する」20年に一度の日らしく、これを境に、物質主義の「地の時代」から、精神主義の「風の時代」へと変化するのだそうです。

「夜明け前が一番暗い」という喩えでいうならば、今年は夜明け前のもっとも深い闇を経験した年だったように思います。これから三寒四温で春に向かうように、悪い出来事が減っていて、よい出来事が増えていくのではないだろうか、と期待しております。辛い人生を生きるのには、未来の良いことに対する期待、つまり希望が必要だと思います。

ユダヤ人収容所での経験を描いたフランクルの「夜と霧」の一節には、
「生死を分けたものは、未来への希望であった。わずかな希望を持っていた人が生き延びることができた。希望を失った人は次々に死んでいった」
という記載があります。

その希望は、それでは、どこから来るのでしょうか。中学生のころ、魯迅の「故郷」を読んで、心を動かされました。あのころの文学、中国であれロシアであれ日本であれ、いずれもが同じような空気を醸し出しているように感じます。その「故郷」の最後の「希望」についての一節は、ずっと心に残っています。
「希望は本来、有るというというものでもなく、無いというものでもない。それは、地上の道のように、初めからあるのではない。歩く人が多くなると初めて道が出来るのだ」
なるほど、希望は歩くことによって作られる、というのはいい喩えです。歩くとは多分、日々の生活を営むこと、「Show up for life」することではないかと思います。

このコロナ禍でうつになった人には、文字通り「歩く」ことが効果があると思います。可能であれば、ジョギングもいいでしょう。




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新人

2020-12-18 | Weblog
新しい人が来てくれました。化学エンジニアリングの細胞への応用が専門の工学者の人で優秀な成績で大学院を出ています。細胞工学的な実験をまかせたいと思って、生物学者ではないですけども来てもらうことを決めました。プレゼンテーションなどは得意のようですが、まだ細胞生物学の理解はちょっと不十分に思われます。

生物学研究に工学は不可欠ですが、それは生物学研究のためのツールとして必要という意味で、本来の目的はその先にあります。加えて工学と生物学ではそもそも目的も文化も違います。その辺が少し不安です。希望としては、この二年ほど苦しんできた細胞の化学的リプログラミングのプロジェクトをやってもらうつもりで、彼女のエンジニアのスキルが生かせたらいいなあと思っていますが、エンジニアであることが生物学とコンフリクトを起こすと逆効果になるかもしれません。

また、生物のような複雑でばらつきの大きい系では、実験では大多数のデータが玉虫色です。それをどうにかして解釈できるようにしていく作業というのはしばしば辛いもので、粘り強さが必要です。なので、テストで測られる大学レベルの優秀さと実際の研究に加えて求められる優秀さはちょっと質が違うものだと思います。実際、過去にも学校での成績は優秀なのに実地はだめという人が複数いました。

しかし、一般に、よい大学で優秀な成績をとってきた人と言うのは、自己の能力に挑戦しそれを示したいという欲が強い人が多いと思います。だれでもエゴがありますが、それがよいように仕事に昇華されると、優秀な頭脳をもつハードワーカーという理想の研究者になります。無論、強すぎるエゴは色々な問題のもとにもなるわけですが。

というわけで、うまく個人のエゴをモチベーションへ変換させて、自分のパワーと慣性で自律的に研究が進むように持っていければ最高なわけです。しかし、現実にはそんなことは稀にしか起こりません。幸いなことに大卒で技術補助できてくれた人々が、成長してきて、彼らが並のポスドク以上の働きをしてくれているので、最悪の場合でもなんとかなるのではないかなあ、と思っています。
予想がいい方向に裏切られたら嬉しいです。
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価格と品質

2020-12-15 | Weblog
このところ毎日やってくるメールの10以上は、怪しげな科学ジャーナルからの原稿依頼です。科学出版では原稿を書く方が出版料を支払うので、彼らは金儲けのためにやっています。そういったpredatory journalと言われて問題になっている雑誌以外にも、特に商業雑誌がからんだ場合の科学出版にかかるコストの問題は以前から何度も議論されてきました。科学出版の商業主義に反対して、アカデミア主体のジャーナルということで、PLoSやeLifeなどの試みがあり、近年はpre-printなども、ある一定の効果をあげてきました。オランダの科学出版最大大手の出版社、Elsevierはそのジャーナルの講読に非常に高額の料金を課することが問題となって、複数の一流大学の図書館では購読を打ち切るという問題も出てきました。そう言う事情もあり、また科学研究の多くが公的基金によって支援されているのだから科学の成果は誰もが無料でアクセスできるべきだ、という意見もあって、科学出版はオープンアクセス化へと向かっていっています。

科学出版において、科学雑誌のトップはやはりNatureでありつづけています。ブランドの力というのが大きいわけで、Natureは「Nature」をタイトルに含む数々のシスタージャーナルを作って囲い込み、ビジネスの拡大を図ってきました。そのシスタージャーナルに加えて、オープンアクセスが売りのオンラインジャーナル、Nature Communicationsを数年前に作りました。その出版料はオンライン雑誌でありながら$5,000を超え、多くの人々を驚かせました。通常の出版料はその半分ぐらい。紙媒体の雑誌だとカラー印刷のコストが加算されて$5,000になることもありますけど、オンライン雑誌でこの出版料は高いと思います。Nature出版グループは、品質をたもつための高いリジェクト率のために、投稿原稿のプロセスに人員と費用がかかると説明しますが、たとえそれが真実であっても、その価格はちょっと度を超えているのではないかと考えてきました。ガソリンの値段のようなもので、オイル会社は、いつも値段は需要と供給のバランスで決まっているといういうわけですけど、値段の設定のメカニズムは不透明です。いずれにせよ、エクソンなどの大手石油会社がオイルの値段を決めるとそれが通っていきます。科学出版では、Natureの言うことがスタンダードになっていきます。

そのNatureの12・3号のフロントページで、Natureのオープンアクセス化の計画に触れています。


興味のある方は、DeepLとかで読んでいただければと思いますけど、オープンアクセスのNatureの出版料の設定が$11,390 (9,500 ユーロ、120万円)というのには驚きました。当然、投稿数が出版数に比べて圧倒的に多いので、出版されない投稿論文のハンドリングに費用がかかり、それが出版論文著者への負担の増加となっているという説明しています。私はまた別の理由もあるのではないかと思います。ひょっとしたら、オープンアクセスになるとNatureは購読者が減って、広告収入が落ちると考えており、その埋め合わせを論文掲載者にさせようということではないかと想像しています。

システムはまだ企画段階で、オープンアクセスを選ばないという選択も可能で、その場合は従来の掲載料ということらしいです。また「論文査読前払い制」というビジネスも考えているそうです。これは、編集のコストを投稿者に前もって負担させることで、最終的な掲載料を抑えるというモデルなわけですけど、これも結構高額です。一応、この前払い制を使うと、Nature側がグループ雑誌での出版にむけて、いろいろ便宜を図ってはくれるのですが、最終的に採否は論文のクオリティー次第となりますから、受け皿となる他の下位ランクの姉妹紙にもリジェクトされてしまった場合は、投稿者は$2,000以上の丸損となります。

当面、Natureに投稿するようなネタはありませんけど、もし私がNatureクラスの発見をして、論文がNatureにアクセプトされるような自体が生じたら、オープンアクセスは選びません。まず投稿前にpre-printで成果を発表して、アクセプトされたらツイッターで拡散すればいいのではと思います。

出版費用は研究格差を産む一つの原因になります。貧乏だと仮によい研究結果がでても出版できないということにもなりかねません。(通常、資金の潤沢さと研究成果は正比例するものではありますけど)いずれにせよ、研究格差は研究業界全体の今後の発展ということを考えると良いものではないと思います。

また、ブランドの力というのはすごいもので、掲載料が高いほど、むしろ評価と人気は逆に上がるものなのかもしれません。客のこない店が値段を上げたら突然人気店になったという話も聞いたことがありますから、人間の心理は複雑です。逆に言えば、研究内容の評価をブランドとか価格とかインパクトファクターに頼る単純な人が多すぎるとも解釈できますけれども。
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優秀さ

2020-12-11 | Weblog
昔の知り合いからメール。随分前に頼まれて、彼の学生の学外学位審査員を引き受けた件でした。どうも、学生さんの学位研究計画書が、何度、言っても改善しないので、他の二名の審査員と一緒に口添えして欲しいということらしいです。

世の中のほとんどの悩みは人間関係らしいですけど、学生や部下との関係というのもストレスフルなものだと思います。人間だれでもエゴやプライドというものがあり、指導に素直に耳を傾けるというのは時に困難です。その辺りをうっかりヘタに傷つけてしまうとあっという間に関係は修復不能な状態へと悪化します。気づいた時にはしばしば手遅れということも多いと思います。

彼の送ってきた朱筆の入った研究計画書をみましたけど、彼のイライラが朱筆から伝わるのですけど、これは多分、感情的なレベルに触れているのではないだろうかと想像しまいした。確かに計画書は問題があり、彼の指摘はもっともです。しかし、思うに、学生さんは多分、彼の話はもう聞きたくないと思っているか、研究に全く興味がないかのいずれかではないかな、と思います。

話がずれますけど、人間は感情の動物であり、ゆえに、プライドの高い人、エゴの大きな人で挫折を知らない人、すなわち精神的に未熟な人、というのは、対処が難しいと思います。そのプライドやエゴは単に大きいがゆえに傷つきやすく、感情の対立へと発展します。何年か前、この手の人と一緒に働くことになったことがありました。この時は、専門英語の文法の誤りを指摘したのがきっかけで、相手の反感を買ったようで、相手はそれが誤りではないのだという反例を集めて延々と反論してきたので、辟易としました。誤った文法で書かれた英語論文など山のようにありますから反例はいくらでも見つかりますけど、われわれの分野の専門家なら必ず指摘する誤りです。こうなると、いくら下手にでても、こちらの言うことはいくら正しくても一切受け入れないぞ、という態度でやってくるので、重要な論点では深刻な問題になります。そのうち、こちらのいうことに100%同意しないということがわかったので、わざと間違ったことを言って思う方向に誘導するということをやっていたら、非常にうまくコントロールできました。エゴやプライドの大きな人は感情的なコントロールについてはその優秀な頭脳は使わないのかも知れません。

最近、別の学業優秀な人々と関わることがありました。かれらの大きなプライドは実績に裏付けられた自信なのですけど、それは結構なことですが、その自信はしばしば領域外まで広がって、学業だけでなく、他の分野において自分は優秀なはずだという思い込みに繋がっている場合があるようです。そういう人々は非常識な行動をしばしばとります。自分は優秀だから自分の行動は正しい、正しい行動だから非常識と非難されても「負けない」とでも思っているのかなと想像します。エゴやプライドの大きな人は「勝ち負け」にこだわりますしね。

しかし、真に優秀な人は常識をわきまえ、常識的に振る舞うものです。常識的であるとは、平均的であるということに近く、優秀であるということはある指標において平均からズレているということです。なので、平均的行動が意図的にできるということは、もう一段上の優秀さではないだろうかと思います。能ある鷹は爪を隠す、とも言いますし。


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友人からのメール  -  秋刀魚の味

2020-12-08 | Weblog
変わりない日々が続いており、心臓の状態もいいです。ストレステストをしていないので、どれほど心機能が改善したのかは今月末のMRIと来月のエコーまではわかりませんけど、とくに不整脈もなく、通常の日常の活動には問題ありません。運動すれば気分が上がりますけど、コロナでジム通いを止めてから随分たちますし、もともと運動が好きというわけではないので、そう不満はありません。なにより、毎日が平穏なのはありがたいと思います。普通の生活が送れるのは幸せだなと実感しています。

と思っていたら、スウェーデンの知り合いからメール。仕事がらみの連絡でしたが、家族全員コロナにかかってしまったということが書いてありました。娘さんと息子さんとの四人家族ですけど、コロナは熱もなく非常に軽い症状だったのに、大人二人は味覚と嗅覚がやられてしまったのだとのこと。香りが全く感じられなくなり、味覚は部分的に障害を受けたので、料理するときに塩加減が分からないので、無塩の料理をしているとの話。

生命に関わる症状ではないものの、食べ物の香りや味が分からないとなると、人生の喜びの1/3ぐらいを失ったに等しいのではないだろうかと思います。

今朝食べた週末作り置きしたカレーは、塩抜きができていない干し鱈をいれたので、大変塩っぱかったのですけど、しょっぱさがわからないというのはしょっぱすぎる食べ物を食べるよりも辛いだろうなあと想像しました。

適当な塩梅の味加減、普通の平穏な人生というのはありがたいものです。英語で、不良品の中古車などを酸っぱい経験をさせられることからレモンといいますけど、何の味もしない人生よりは、酸っぱくても味がする方がマシではないだろうか、と塩っぱすぎるカレーの味を思い出しながら考えました。そう思うと平穏で普通の味がする日々こそが最上なのだと感じます。小津の名作「秋刀魚の味」に秋刀魚が出てくるとしたら、それは、旨味とワタの苦味がちょっと混じった、普通に想像する通りの味がするのだろうと思います。
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友人からのメール

2020-12-03 | Weblog
大学院時代に小さな学会に出たときに、同じようなアイデアのプロジェクトをやっていたのが縁で知り合った友人からメールがきました。
 私より一世代弱上の方で、当時は外資系製薬会社の研究開発部門に所属されていました。やっていた研究は基礎研究だったので、当時の製薬会社は研究内容に鷹揚だったのだなあと思います。今ではアカデミアでさえ、応用研究的なヒネりがないと資金調達は難しいですからね。しかし、考えてみればさらに当時より10-30年前は、製薬会社の研究所が世界トップクラスの基礎研究成果を上げていました。ロッシュが資金提供していたバーゼルの免疫学研究所、ニュー ジャージーの研究所などなど。
 それから、世の中、世知辛くなりはじめ、カネもうけ至上主義で、企業はカネにならない基礎研究所を閉めはじめ、歴史あるバーゼルの免疫学研究所もロッシュの研究所もなくなり、優秀な研究者は各地のアカデミアに移りました。
日本でも、製薬会社は次々と研究所を統合、閉鎖し、研究開発はベンチャーにアウトソースしロイヤルティーを払って見込みのある成果を買い上げるというスタイルになりました。その波を喰らい、その昔の友人の所属していた研究所もまもなく閉鎖、その後、アカデミアに移り、アメリカ留学後、日本の研究所で研究をつづけておられました。広い意味で同じ分野ではありますけど、最初知り合った時の研究題材からお互いに多少離れたので、研究上の接点はないのですが、学会で会えば、一緒に愚痴を言い合うぐらいの関係がずっと続いていました。数年前に会った時に、ウチの研究所は定年が早いので、あと数年で定年になるので悩んでいるというようなことを言われました。私立大学などへの転職を考えていたそうですが、業績は十分なのですけど年齢がひっかかり、面接までいってもなかなかオファーをもらえないという話をされました。研究所の前の所長は医者だったので、定年後は地元に帰って一医師に戻ったのだが、自分はPhDだから、その選択はないのだとも。

メールは中国のベンチャー企業に就職したとの知らせでした。そのベンチャー創業者も研究者で、友人の研究を高く評価して、友人の前の職場での発見に基づいた薬を開発するというプロジェクトをまかせることになったそうです。
 すごいなあ、と感嘆しました。私はまだ彼の年齢までしばらくありますけど、言葉も通じない外国に住んで、研究の商品化を目指さなければならないというプレッシャーを受けながら働けるかと言われたら、自信は全くありません。
 それにしても、中国に研究の場を求める日本人が増えてきたというのは、中国の勢いが上がり、日本の研究レベルと活気が下がってきて、立場が逆転しつつあることを示しているのでしょう。

日本で問題になっている、反中嫌韓、人種主義というのは、中国、韓国の台頭によって、アイデンティティーや生活や職を失うかもしれない弱い立場にある日本人の恐れからきているのではないかと思います。苦しくなる一方の日々でも、日本人は優秀だという思い込みで日本人であることを自らの優秀さの拠り所としていた人たちの気持ちは想像できます。日本は没落し中国と韓国は台頭して、立場が逆転してしまいつつあり、日本人であることはそもそも何の優位性も意味しないことを突きつけられ、拠り所の根拠を失いつつある。その結果として、中国や韓国に責任を転嫁し、それは反中嫌韓は信仰となってエスカレートする。そういうメカニズムではないかな、と想像します。アメリカ白人の人種主義も同じ構造でしょう。差別主義者は不幸な人々ではありますが、同情はできません。

それはともかく、彼の今後の活躍が楽しみです。そのうちコロナが収束して、学会がリアルになったら、会う機会もあると思うので、たっぷり中国での研究話を聞きたいと思っています。
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喪中葉書

2020-12-01 | Weblog
随分前から、年賀状を出さなくなりました。年賀状を出すという風習はよいものだと思っていますけど、私の場合はいろいろな些細な事情が重なって出さないことになってしまいました。今はemailやその他の簡単な通信方法があるので、年賀状を出さないからといって別段、人間関係に不自由はいまのところありません。それでも年始の挨拶だけで繋がってる数人の人がおります。

そのうちのお一人は大学院時代に指導してくれた先生の一人でした。
最後に直接お会いしたのは、おそらく10年ぐらい前だろうと思います。奥さんが英文学の学者であったこともあり、夫婦で留学されて以来、海外の知り合いへの挨拶も兼ね、年賀状ではなく英語の詩が書かれたクリスマスカードを送ってきてくれていました。挨拶ごとが苦手な私はいつも遅れて日本語で思うところを書いて、来たる年もお元気でご活躍を、というような型通りの文句をつけくわえていました。
でも、先日届いたのは、いつものクリスマスカードではなく、日本語で書かれた奥さんからの喪中葉書でした。

大学教授として離れた土地に赴任されたのは随分前で、その数年前に地元に家を買われてからです。それ以来、ずっと大学所在地から挨拶状を貰っていたのですけど、喪中葉書は地元の家の住所になっていました。

先生には子供がいませんでした。奥さんと二人でローンを組んで家を買った時は、自分の方が生命保険に入らされたのだ、笑いながら言っていました。その家を買って、数年して大学教授で他県に赴任したと思いますから、奥さんと二人でその新居で幸せに暮らした日々はわずかだったと思います。その家に再び一人で帰ってきて、喪中葉書を書いていたのであろう奥さんの様子を想像して、なんとも言えぬ気持ちになりました。

思えば、大学院時代にお世話になったもう一人の先生も先月の終わりに亡くなって、早すぎる死にしばらく呆然としたのでした。それから一月経たぬ間に、このニュースで、ちょっと打ちのめされました。お二人とも私の大学院時代の指導者で、お二人とも同じ地域に家を買ってから、遠方へと教授として赴任され、お二人とも60台半ばという若さで亡くなられました。人間だから、いつかは誰もが死んでいくのはわかっていますけど、それはあっという間に近づいてきて、突然、予期しない時にやってくるものだと思いました。

お悔やみの手紙を書きながら、この一年弱に起こった出来事を思い浮かべました。一つ一つが破壊的なインパクトをもっているのに、これだけまとめてやってきたのは多分、25年ぶりです。25年前も強烈な出来事が複数起きて、数人の若い仲間や友人を亡くしました。その時に感じたやるせない気持ちはずいぶん尾を引きました。その感覚をまた味わっています。

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