百醜千拙草

何とかやっています

消費税の意味(4)

2022-06-28 | Weblog
今回も随分、長くなってしまいました。同じ話を繰り返しているせいでもありますが、消費税に対する認識の歪みは深刻だと思っているからです。もうこの話題はこれで一旦、終わりたいと思います。長いので、これまでと今回の話の前半部を要約すると、1)消費税は社会保障の財源ではない、2)消費税は税の本来の目的に反する悪税である、3)消費税が今日の不況と社会格差を産んできた主原因となっている、ということなので、この話を聞き飽きたという人はとばしてください。

選挙戦が始まり、消費税は主な争点になりつつあります。れいわや共産党などの主張、消費税は社会保障の財源であるというのは建前に過ぎないこと、そもそもが消費税は法人税や所得税などの直接税の引き下げのために導入されたものであり、社会保障の財源であるというのは後付けの建前に過ぎず、実態は異なること、の認識が広まりつつあります。

「なぜ、政府は悪税である消費税を増税したがるのか」という話をしようとして、ついつい前置きが随分長くなってしまいました。結論から言うと、これは、日本に歴史的にある「島国根性」に由来する「陰険なみみっちさ」だろうと私は思っています。

その前に、もう一度、消費税の歴史的経緯を簡単にまとめたいと思います。
消費税の前にも間接税はありました。物品税とよばれていましたが、当時は贅沢品のみに税がかけられていました(現在、消費税率の高い諸外国でも、消費税は生活必需品は無課税もしくは低税率で、当時の日本と同様のシステムです)。が、80年代の終わりごろに、高い法人税を下げてくれ、という経団連からの要望が強まり、自民党政権は、間接税を上げて法人税減税の穴埋めをする目的で、消費税を広く生活必需品も含めてかけはじめました。当時、大蔵省は「直間比率の是正」というフレーズを編み出して、この言葉によって消費税導入を正当化しようとしました。つまり、税制的に問題があるから変えないといけない、という理屈で議論されました。

民主主義国家においては、富を再配分し、金はあるところから取って、ないところに回すことで、格差を是正し国家の安定を図るのが、政府の仕事です。富の再配分については、金持ちの中でも、アメリカで言えば「小さな政府」を望む共和党的小乗的金持ちと、積極的に自らの資産を広く投資することで共存共栄を図る大乗的金持ちや慈善家がおります。古代ギリシア時代から、いわゆる"noblesse oblige"という文化を受け継ぐ西洋では、富の再配分は富裕層の彼らの身分を安定化させるという利他利己両方の効果があることを知っており、多額の納税、寄付、社会への投資は彼らの義務でありかつ特権であると捉えていたと思います。しかし、経済成長に陰りが見え始めた80年代の日本においては、企業も金持ちも、高い法人税と所得税は彼ら自身の脅威となりはじめたのでしょう。経団連や富裕層の組織票で権力を維持してきた自民党政府は、貧乏は自己責任、と憲法に基づく政府の責任を放棄し、政府は国民のためではなく一部の支配者階級のために国民から年貢を取り立てるだけのヤクザ機関に成り下がりました。

結果、「直間比率の是正」という名目で導入された消費税ですが、いつのまにか社会保障財源という建前が全面におしだされ、野田政権の三党合意での消費税増税時には、財務省は「税と社会保障の一体改革」という意味不明の言葉を編み出し、消費税増税 = 社会保障財源 という実態とは異なる建前だけを主張しだして、今に至ります。

税金は社会保障にも使われるわけですから、(予算上は)企業や富裕層から集められ、再配分される富が一般国民の社会保障にあてられることになりますから、「消費税は社会保障に使われる」というのは100%ウソではありませんが、もちろん、これは建前です。そういう事情で、消費税は使用用途が制限されている「目的税」とされていないのです。消費税は、一般財源として国庫に入り他の一般税と一緒にされ、あらゆる用途に使われます。「れいわ」がデータで示してきた通り、消費税税収の7割以上の額が法人税の減税分に相当しますから、これは文字通り、「消費税によって法人税減税分が穴埋めされた」ということです。

ようやく本題。前回書いた通り、消費税は複数の悪い性質を持つ悪税です。実は悪税であること、それこそが、日本政府が消費税を増税したい理由の一つではないかと私は思っています。格差を広げ、雇用を不安定化し、国民がどれほど困窮しようと絶対に取り立てることができ、弱者がもっともその悪影響を被る、悪税であるからこそ、自民党は消費税を増税したいのだろうと思います。

つまり、意図的に国民を経済的に余裕のない状況に置いておくことが、自民党と経団連企業の互助利益にとって都合がよいのです。一般国民が選挙に行かず、企業従業員の組織票が与党を決める国、そして、「お上」の言うことに逆らわず、苦境を受け入れ、容易にプロパガンダに乗って付和雷同する国民性、それを利用して、意図的に一般国民を貧しくすることが、この国の支配者が権力を維持しつづけるために日本が江戸時代から採用してきたメカニズムであると思います。

カネは一般人にとっては力です。カネを操ることができるということは、人を操る権力を持つということです。人々が豊かな生活を送れるような社会ではカネの持つパワーは減弱するのです。権力者は、持てるものと持たざる者の間の格差に内在するポテンシャル エネルギーを利用して、カネと権力のパワーを維持しているのです。

国家で言えば、カネの配分をするのが財務省です。それゆえに彼らが全省庁の中で最大の権力を持っています。そして、彼らは、常に人々や(他の省庁)をカネ不足の状態に置くことによって、権力をより強固なものとしているわけです。そのために明らかにおかしい理屈をつけては、持たざる者により負担が大きい消費税を増税し、プライマリーバランスがどうとか政府の借金がどうとかという理由で緊縮財政を行っているのだろうと思います。

つまり、相手よりも優位に立つために自らを高めるのではなく、相手を下げるというみみっちい戦略の一つとして、権力(支配者)側が予算を絞り、消費税によって被支配者の力を抑え込むことを行っているのだと私は思います。
島国の小さな世界で完結し、鎖国がうまくいっている間は、その安易でみみっちい戦略が有効です。日本の支配者層に、このような島国根性、猿山のサル根性が脈々と受け継がれているのはその地形に応じた淘汰と選択の必然の結果ではないかと思います。

当然、そんな戦略では、より強大な力をもった外からの相手にはどうしようもありません。それが江戸末期の徳川幕府の崩壊であり、現在の日本だろうと思います。

端的に言えば、財務省と自民党が消費税を下げないのは、国民の困窮を望んでいるからに他なりません。国民が困窮すればするほど、カネを持つものの権力は増大し、持たざる国民をより安く使い捨てにできます。大企業にとっては困窮した国民は使いやすい。法人税引き下げを望んだ経団連は消費税増税によって二重の恩恵をうけることになり、国民は二重に苦しむことになりました。そして、自民党はその経団連の大企業から組織票を得ることで政権を維持しています。

つまり、日本が諸外国から「経済政策の失敗で貧しくなった初めての国」と評されているのは、実は失敗ではなく、この貧困は意図したことであったと私は思います。わざと貧しくなった。これは、他の大陸の諸国には理解できないことでしょう。どうして国をわざと貧しくし、人々が苦しむような政策を政府がするのか。普通の民主主義国家では、そんな政権はあっという間に倒されて、政権交代がおきます。だから、政治家は国民が喜ぶ施策をおこないます。日本のように消費税をどんどんあげ、年金はカット、財産はあれば株式市場にぶちこませて一文なしになっても自己責任、非正規雇用をどんどん増やし、国富を外国に売っぱらい、汚職腐敗が当たり前、のような政権が長期にわたって支持されるような異常事態は、ふつうの国なら起こりません。しかし、生活に余裕がなく、選挙に行かず、権力に牛耳られてマトモな報道がなされない国では、組織票さえあれば政治権力は維持できてしまうのです。

一般国民と「支配者層」の格差を保つことが支配者層のパワーを維持する戦略であるのですが、昔から日本においては、そのために自らのパワーをあげるのではなく、相手を下げるという陰険でみみっちいやり方をしてきたのです。

もちろん、多数の困窮の上に一部のものだけが得をする、そんな国が栄えるはずがありません。歴史の独裁国や江戸時代の鎖国下の日本と同じです。一部のものが権力を保持するためにわざと国を発展させず、人々を豊かにしなかった結果、外国との圧倒的な力の差が生まれて、力づくで開国させられ、300年に及んだ徳川レジームが崩壊しました。

そう考えると日本が再び多少マシな国になるためには、また外国によって屈服させられる経験が必要なのかも知れません。明治の開国も戦後の経済発展も外国の強大な力で屈服させられたあとに、西洋化、民主主義を受け入れ、体質を無理矢理変えさせられた結果として起こりました。結果、われわれは、下駄、着物に丁髷ではなく、体に合わない洋服を着て、蒸れる靴を履いて生活することになりました。屈辱ではありましたが、悪いことばかりではありません。

しかし、いい加減、日本も外国に叩かれてようやく変わるというような主体性のない国ではなく、一般国民の力で自ら変えていってもらいたいと私は望んでいます。それが、日本戦後史上、初めての国政市民政党である「れいわ」の躍進に期待する理由です。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

消費税の意味 (3)

2022-06-24 | Weblog
この話題をここまで引っ張る気はなかったのですけど、長くなってしまいました。歳をとると話がくどくなります。

一口でまとめると、この20-30年の日本の国力の急激な衰退は政治の腐敗が原因です。前世紀末以降、民主党政権の一年目(鳩山/小沢)を除く二十年あまり、利権でしか動かない自民党のみみっちい政治のツケが現在の惨状を生み出したと言って過言ではありますまい。経済は一流、政治は三流と言われ続けた日本が、いまや経済も二流、三流、政治といえば目を覆うばかりの腐敗ぶり。

われわれは、目の前の自分たちだけの利益のみを追い求めようとする賤しい根性で、政府も総理大臣も平気でウソをつき、法をねじ曲げ、国民、弱者を見捨て、強者に阿ねる、未曾有の政治腐敗ぶりを見せつけられてきました。その腐敗がピークに達したのがアベ政権、その腐臭を放つ政権のゴミ箱のフタとなったスガはそのあまりの無能ぶりがたたって、現職でありながら総裁選に出ることさえも許されずに終了、結果、「透明人間」キシダがその腐敗政治をつぐことになりました。この男には主体というものがない。それ故に、ゴミ箱のフタとしてはスガよりもはるかに役に立つのであるが、国民にとってはより厄介なのです。

さて、今回の参議院選挙後、3年間の選挙空白期間を利用して自公政権は暴走し、消費税はさらに上がることになります。一方で、国民へのサービスはますます悪くなり、貧困化は進み、格差は広がり、予算は軍事費にあてられ、日米軍産の金儲けとそのキックバックのために使われます。

日本経済がここまで衰退した直接の原因は消費税であるのは間違いないと思います。輸出産業は円安時代の戦後経済を引っ張りましたが、GDPの6割は内需です。国内の消費、経済活動の不振が主な原因であり、それを作り出した原因が消費税です。

その問題点を述べる前に、そもそも政府が消費税に関して国民に説明してきた「消費税は社会保障の財源」という短い言葉の中に複数の大きなウソがあることをわれわれは理解しないといけません。そもそもこの言葉自体が矛盾です。社会保障とは国民の経済の安定を主目的とするものです。5割以上の国民が生活苦を訴えている中で生活必需品にさえ課税して、その生活苦を一層強めている時点で消費税は社会保障を直接破壊します。
第二のウソは、前回、前々回と述べましたように、徴税の目的は財源確保ではなく、主に経済の安定化などの社会機能の調節のためであり、消費税は財源ではないこと。第三のウソは、先日NHKで自民党政調会長がどうどう言った「消費税を社会保障だけに使っている」というウソ。予算というものがある以上、財源と言う言葉を便宜上使うにしても、消費税に関しては一般財源ですから、社会保障に限定して使われているわけではありません。それどころか、アベはそれを社会保障以外の用途に使っていると国会で答弁までしている。

山本太郎が党首討論で述べたように、30年前、消費税が導入されたのは、直間比率(直接税と間接税の比)是正が名目でした。すなわち、そもそもが、法人税を減税してその穴埋めをするものとして導入されたものであり、「社会保障の財源」という新たな言い訳は増税に際して編み出されたものに過ぎない。

加えて、税金の中でも消費税は特別に悪い性質を持つ税です。消費税の大きな問題点については前々回に紹介したサイトでもまとめられてありますので、リンクしておきます。是非、一読をおすすめします。


このサイトでは、消費税の三つの大きな問題は、①安定化装置(ビルト in スタビライザー)の機能が無い ②消費性向の高い人ほど実質的な税負担が高くなる ③雇用を不安定化させる  と指摘してあり、その理由が述べられています。消費税こそが、現在のように非正規雇用が増えて雇用が不安定化した原因の主要原因となっています。そしてこのサイトは、山本太郎の指摘すると同じく、「消費税は、企業減税のために導入されたもので、日本経済や国民のことを考えた仕組みではない」と結論しています。繰り返しますが、消費税は、社会保障の財源ではなく、法人税減税の目的で導入されたものであり、税の本来の目的に反く悪税であるということです。

それでは、最初の疑問に戻って、そもそもなぜ日本政府やマスコミはウソの言い訳を主張して、国民を苦しめることばかりをするのか、なぜ日本政府は他の国がやっているような当たり前にやるべき経済政策を行わず、「先進国で唯一、経済政策の失敗によって貧困化した国」と評されるようになったのか、という本題ですが、また長くなってしまったので、続きは次回。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

消費税の意味 (2)

2022-06-21 | Weblog
参院選の争点は国民生活、すなわち経済政策にしないといけない、とれいわの山本太郎は言いました。事実、衣食足りて礼節を知るですから、今は防衛とか憲法9条の話をしているような余裕はありません。国防も憲法も、まず国民が普通に喰っていけてからの話ですけど、「透明人間」キシダは、改憲は喫緊の課題だと言う(というか、言わされている)。与党にしてみれば、経済の話をされるのが一番困るのでしょう。とにかくこの参院選さえ乗り切れば、あとの3年はやりたい放題だと思っているのです。

あえて、真面目に反応すれば、国民生活が困窮し、食料自給が不可能という時点で、日本の国防はすでに破綻しています。自前で食料もエネルギーも調達できない国が、戦争になって勝てるわけがない。戦争になってエネルギーと食料を絶たれたら、一週間ともちますまい。そうでなくても、ミサイルを数発、原発や都市部に打ち込まれたら即終了で、それを防ぐ方法はないのです。

現実をみれば、軍事費はいくら増やしても国は守れないのですから、こんな与太話を真顔でするのは、国民をバカにしているのです。与太話で国民を騙せると思っているのです。国防と軍事費増大の話をするのは、当然、彼らには、経済を争点にしたくないという目的以外に別の目的があります。大体、すでに世界五位の軍事大国である日本で、さらなる軍事費の増大を言うのは、さらにアメリカ製兵器を買ってアメリカ軍産と兵器をライセンス生産する国内軍需産業に儲けさせるためでしょう。これは、アメリカ主導での日本の軍事増強を義務づけた「日米相互防衛援助協定(8条)」(1954年締結)にはじまり、以後連綿と日本政府の対米隷属関係が現在にいたるまで強化固定されてきた結果であろうと思います。日米軍事同盟を利用して一部の国内企業が得をするシステムがあるのです。このことについては少し古いですが12年前の記事をご覧いただくと、防衛費が増えて儲かるのはアメリカ軍産に加えて、日本では三菱、川重、日本電気、富士通、東芝などなどと大企業であることがわかります。つまり、これらの国内軍需産業がアメリカにライセンス料を払った上で兵器を生産してもうけているということです。支払いは、言い値で日本政府。消費税によって企業減税を可能にし、防衛費の増大によってさらに大企業に金を回す、その見返りにそうした企業の組織票によって与党の権力と地位を維持してきたのが自民党の戦略だったわけです。投票率の低い日本では、企業にサービスすることが組織票によって自民党の地位を安定化することにつながるが、一般国民へサービスは票に結びつかないので、やらない。自民党のこの一貫した利己的態度は、原発事故への対処を見れば明らかに見て取れるでしょう。被害者を見捨て、加害者企業を助けるのは、被害者を助けても票にならないが、企業を助ければ票になるからです。利権でしか動かないのが自民党政治、と小沢一郎も言っています。

さて、今回のコロナと戦争の影響による不況と物価高という庶民の苦境に対して世界の国々がとってきた経済政策と真逆のことを日本政府はやってきました。いまや世界91カ国が今回の苦難に際して消費税減税に踏み切りましたが、日本政府は頑なに拒否しています。アメリカはやっていませんが、アメリカではそもそも消費税は日常必需品にはかかりません。日本では、生きていくのに必須のものにも容赦なくかけられ、国民がどんなに貧乏になって、収入がなくなったとしても、税金だけは取り立てられるという仕組みになっています。

与党政府、財務省は消費税は「社会保障の財源」として重要と言い続けてきましたが、このような状況では、消費税そのものが社会保障を破綻させていると言わざるを得ません。そもそも、前回、述べたように、税金は「財源の確保」が目的ではありませんし。

先日TVの討論会で、山本太郎はその与党政府の言い訳の矛盾をついて、消費税増税のときだけ「財源論」をもってくるが、企業減税や軍事費増強などに際して「財源」の話が出たためしがない、と指摘。なぜなら「財源」を云々するのは増税のためのただの言い訳に過ぎないからです。かつて自民党の会合でアベは「カネがないなら刷れば良い、20円のコストで一万円札が刷れる」と言いました。自民党も財源論はウソであることを解って言っているのです。

それに、消費税税収も他の一般税収も区別されて国庫に入るのではありません。納められた時点で一緒くたにされるのです。だから、れいわが主張するとおり、「消費税の7割以上が企業減税の穴埋めに使われている」という表現は全く正しいのであって、先日の日曜討論での自民党の高市氏の主張こそがデマです。

随分、脱線しました。日本政府は、本来、税を通じて行うべき景気の安定と格差の縮小(税金の4つの目的の1と2)の真逆のことを消費税を通じて過去30年間やり続け、「社会保障の財源にする」というウソの言い訳を続けてきたわけです。その理由は、すでにもう述べましたが、自民党と経団連企業との相互利益関係であるのは間違いありません。キシダは「財務省と資本家の犬」だと先日、国会で罵倒されましたが、飼い主にエサをぶら下げられて芸をさせられているという意味ではこの表現は的確と言えるでしょう。企業の組織票、全有権者の2割弱の票をもっていれば、余裕で与党でいられるような低投票率の国であるということが、自民党が一般国民ではなく、企業の方ばかりを見ている理由です。しかし、一般国民一人一人が「票」というエサを持っているのですから、国民がキシダに芸を仕込むこともできるのです。

また長くなってしまいましたので、続きは次回。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

消費税の意味 (1)

2022-06-17 | Weblog
まもなく、参院選の公示となります。不況と物価高の進む中で、「れいわ」の以前からの主張である消費税廃止の重要性を人々は切実に感じているのではないでしょうか。この参院選を前にして、与党は、国防や憲法を争点にしようと、テレビなどを使って動いています。経済を争点にされると困るのです。「国を守るということは、国民の生活を守ること」という民主主義国家で当たり前の主張を自民党はしない。彼らにとって、国とは支配者層のことであり、一般国民は、彼らにとっての国を守るための駒に過ぎないと考えているからでしょう。

現在、一般国民救済のための経済政策を強く主張しているのがれいわと共産党だと思います。国会閉会前の質疑で、共産党の大門さんは、「コロナと戦争で物価が上がり、人々の収入が減った中で、世界で89カ国が消費税の減税に踏み切った」とデータを見せて消費税減税を迫りましたが、キシダは、消費税を下げるつもりはない、と明言。山本太郎はキシダを評して、透明人間、味のないパスタ、全く存在感がないのにやることがエゲツない、だからこそ恐ろしい、と言いましたが、全く同感です。彼も「財務省と資本家の犬」と国会で罵倒されるだけの理由があります。結局、犬ですから、しつけられたとおりに芸をしているだけなのです。だから平気でエゲツないことができるのでしょう。慈悲深いキリストなら「父よ。キシダをお赦しください。彼は、何をしているのか自分でわからないのです」とでもいうかも知れません。

脱線しましたが、なぜ財務省と経団連とその犬は消費税減税をしたくないのか、という話をしたいと思います。

その前に、管理通貨性であり通貨発行権を持つ国において、「税金」を集めることの意味とは何か、ということをよく考えるべきだろうと思います。実は、徴税の目的については、高校の政経の教科書にもちゃんと書いてあるそうです。真面目な高校生なら、一般納税者よりもよく税のことを知っているかも知れません

税の目的については、この一般向けのサイトによい解説がありますが、このサイトの言葉を使えば、税金の本来の4つの目的は、1景気の安定化 2所得の格差縮小と社会の安定 3政策的目的 4国内通貨の固定、です。そして、その目的として現在、最も重要なのは 1 であろうと思います。山本太郎の言葉を借りれば、国家が行う徴税の主目的は、流通している通貨を間引き、通貨流通量を減らすことです。つまり、われわれ大勢が思うように「財源を確保する」ことは、税の主目的ではないのです。

つまり、自前で通貨を管理している国の政府が行う徴税と、通貨発行ができない地方自治体や一般の会社などでの会計での「税」では、その目的は違うのです。この一般家計での常識を国の財政にそのままあてはめてしまうことが、われわれ一般人が国の徴税の目的を勘違いする原因になっている思います。われわれ個人にとってはカネは実体のある現実ですが、国家にとれば、ただの口座の数字にしか過ぎず、しかも基本的にその数字は自由に変えれるのです。「税金を集めて何かに使う」という表現をよく聞きます。しかしこれはむしろ、単なる比喩表現であると考えるべきで、国家の税金は何かに使うために集めるのではなく、経済操作のためのツールであると理解すべきでしょう。

つまり、通貨流通量をコントロールすることによって、インフレ、デフレを調整し、経済を安定化させるために徴税や金利の調節や国債発行があります。格差を是正するために累進性課税があります。ゆえに、コロナと戦争でスタグフレーションとなっている外国の国々では89カ国が、一般市民の生活を救い、不況を脱するために、消費税を減税し給付金を出し、通貨量を増やして景気を刺激するという当たり前のことをやっています。それをしないのは先進国では日本だけです。むしろ、日本政府は、税の本来の目的である、経済の安定化、格差の是正に関しては、逆方向の行動をとっています。消費税を増税してより不況を悪くし、一般国民から消費税をとりたてて、金持ち企業は減税して、格差をより広げています。どうして、そんなアベコベのバカをするのか、そして、諸外国から「経済政策の失敗で貧しくなった唯一の国」といわれるようになっても、与党政府は経済政策を改めないのか、というのが本題だったのですが、すでにマクラが長くなり過ぎました。続きは次回にします。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

捏造の文化

2022-06-14 | Weblog
中国からの捏造論文は何年も前から問題になっています。大量に投稿されるこうした捏造論文は、プロセスする編集者や査読者の大きな時間と労力の無駄になっているだけでなく、一旦発表されてしまえば、本物か捏造かの見分けは困難ですから、その研究分野に少なからぬ負の影響を与える可能性があります。

Nature Medicine フロントページから。

(DeepL、一部引用)近年、世界最大の科学論文の供給源は中国からである。、、しかし、中国からの学術論文の大量撤回が懸念されるようになった。例えば、2020年1月から2021年3月にかけて、中国の病院出身の著者によって少なくとも370本の論文が撤回された。それらは主に捏造論文工場が作成した捏造論文であった。
、、、
影響力のある機関(復旦大学病院管理研究所など)が毎年発表する病院のランキングは、中国の病院の学術的パフォーマンスを評価する上で重要であり、国際学術誌への論文掲載が重要な指標となる。その結果、多くの大学病院や三次病院では、国際学術誌への論文掲載が昇進のための必須条件となり、学術的評価や報酬に関連する機関業績の重要なパラメータとなっている。
、、、
臨床医と患者の比率が低く、臨床と教育の仕事量が多いため、中国の病院のほとんどの臨床医は研究に十分な時間とエネルギーを割くことができない。言葉の壁もまた大きな課題である。また、多くの中国人臨床医が臨床研究に関する体系的で正式なトレーニングを受けていない。
、、、
しかし、大学の基礎科学研究者と大学教育病院の臨床医とは、通常、研究業績について同じ基準で評価される。以上のような要因が、キャリアアップのプレッシャーと相まって、学術的な不正行為のリスクを増大させたと考えられる。
学術的な不正行為を最小限に抑えるため、中国の政府機関は最近、ゼロ・トレランス・アプローチを採用している。、、、しかし、学術的誠実性における主要な課題に対処し、研究不正を最小限に抑えるためには、かなりの進歩が必要である。
(引用 終)

この大量の中国からの低品質の低品質の論文は、あきらかに科学界のエコシステムに悪影響を及ぼしています。正直、論文の体を成していないようなものが大量にレビュー出版パイプラインに投入されることによって、目詰まりを起こしている状況ですから、なんらかのフィルタリングをして、あまりに質の悪いものはシステムに入る前に弾いていくべきではないかとさえ思っています。それでも科学的に正直に行われた研究ならば救いもありますが、捏造論文工場で作った捏造論文が流入することは不法投棄ゴミによる環境汚染に等しいと思います。

ま、結局はカネと地位という人間の欲があって、医学や科学界での報奨システムが論文発表というポイントを集める競争に依存しているのだから、ズルをするやつが必ずでてきます。

もっと根本的には、医学科学の世界も、カネと地位をエサに競争させれば必死で働いて生産性があがるだろうと考える支配者層の思惑に踊らされているとも言えるでしょう。そうして競争によって階層化していき、「勝ち組」と「負け組」にわけて、持たざるもの同士を競わせるシステムが資本主義社会のエンジンになっています。

一方で真の支配者層は競争に勝つ必要もないので、最初からこの「Rat race」には参加しません。逆に言えば、子供のころから勉学に励み、競争に勝ち抜いて、一流企業で出世して大金を稼ぐ自称「勝ち組」の人でも、このRat raceに参加させられている時点で、ただの競争ネズミに過ぎないです。しかし、残念ながら、資本主義社会では、大多数の普通の人は、物心もつかぬ子供の時から否応なくこのレースに放り込まれることになっています。

研究費欲しさ、カネで簡単に転ぶ学者の世界、競争社会は欧米でも同様ですが、中国ほど露骨な捏造論文は乱発されていません。科学研究の歴史が違うので、研究倫理の成熟度の差もあるでしょうが、私は、この差はそもそも、一神教の宗教の上に成立した西洋社会とそうでない東洋との文化の差が大きいと考えています。西洋の神は誤魔化しの効かない裁きの神なのです。だから、絶対神を信じない日本でも「恥」の文化がなければ、中国なみに捏造論文は出るだろうと思います。事実、恥知らずの政権では、文書や統計の数字の隠蔽、改竄、捏造、虚偽答弁が大量発生しましたし。

競争によって勝者が報われるというシステムは、人間を何らかの価値を産む機械の部品として扱うわけで、学問の世界とそもそも相入れないものだと思います。捏造論文とはすなわち学問の精神の否定ですから。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新しい言語

2022-06-10 | Weblog
先日、日銀総裁、クロダ、「家計が値上げを受け入れている」という言葉を発して、大バッシングを受けました。この人の三文詩人なみのレトリック、恥ずかしくないのですかね。値上げを受け入れている「家計」って誰?あんたの知り合い?加計なら百億ほど受け取ってますけど。

そしてこの発言へのバッシングのあとの言い訳がまたすごい。
「企業の価格設定スタンスが積極化している中で、日本の家計の値上げ許容度も高まってきている。その理由として仮説と断った上でコロナ禍で消費が抑制され貯蓄が増えたことが影響している」と言ったそうです。
表現はポエム、内容はでたらめ、ちょっと何をいっているのかわからない。「価格設定スタンスが積極化」というのは、「気候変動問題にセクシーに取り組む」みたいな感じですかね?「家計の値上げ許容度が高まってきている」とか、「コロナ禍で貯蓄が増えた」という明らかな理解力の障害は、この人の脳神経接続フラクタル次元が減少している中で思考無秩序エントロピーが増大してきているとしか思えません。あるいは、頭脳がアルツハイマーを受け入れているのでしょうか。

さて、言葉といえば、Duolingoで続けているフランス語もあと数ヶ月で一通りのレッスンは終わりそうです。一通り終わりそうな段階でも、現在のところ、私のフランス語スキルは英語でいえば、高校一年生レベルぐらいで実用にはなりません。多分、あとはひたすら読み書き聞くを繰り返し、一つ一つ覚えていくしかないのでしょうが、これでは「エマニュエル夫人」を原語で観るとかいう目標は達成できそうにありません。フランス語の次はスペイン語もと思っているので、この際、フランス語は、「エマニュエル夫人」から「タンタンの冒険」ぐらいに最終目標を下げるしかないかな、と思っています。

実は、スペイン語の前にもう一つ覚えたい言語があって、ちょっとオンラインでやりはじめました。Pythonですけど、もう挫けそうです。Johns Hopkins大が提供しているゲノムデータサイエンス ビギナーのためのオンラインコース取り始めましたが、最初のモデュールの中頃なのに、課題のテストが強烈に難しく、10問の簡単なコーディングの問題を解くのに一時間ぐらいかかって、二、三度、挑戦してようやくパスできるかどうかという具合です。

コロナで仕事が中断した二年ほど前、一通りRの初心者コースをとったことがありましたので、ちょっと、ナメてました。と、いってもRもコース終了後も、せいぜいデータを読み込んで、グラフをつくったりする程度で、それなら市販のPrismなどのソフトの方がはるかに効率的だったので、使わなくなってほとんどRは忘れてしまいました。

今回の動機は、少し前のプロジェクトでRNA-seqのちょっと厄介な解析をお願いした大卒の若者が、ズブの素人だったのに、あっと言う間にシングルセル-seqの解析を覚えて、Pythonのプログラムを使ってやっていたことです。私は、最終的には、大規模データ解析で、パブリックデータベースにあるデータをいろいろ解析して楽しみたいと思っているのですけど、これもフランス語でいえば「エマニュエル夫人」クラスなら、結局は実用レベルに達しないかも知れません。

オンライン コースではターミナル ウインドウを使ってのレッスンですが、タイプミスの多い私は、ターミナルではやりずらいことに気づき、PyCharmという RでのR Studioみたいなものを入れてやっています。IDEというそうです。これで操作性は多少は向上し基本演習はやりやすくなりました。

そして、今回のレッスンからいよいよゲノム生物学に関連したレッスンが始まりました。が、始まる前からいきなり躓きました。Biopythonというパッケージをインストールすることさえできません。結局PyCharmを使っていたのが悪かったのですが、始まる前にすでに躓いている状態ですから、不安でいっぱいです。誰か本当の素人でも着実に学習できる方法を教えてもらえないでしょうか。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地獄の三年

2022-06-07 | Weblog
ロシアはまたキエフを攻撃しだしたようです。その目的はどうも西側から供給される武器を断つためのようです。そもそもロシアのウクライナ侵攻の目的が、近年、アメリカから大量の武器供給を受けてきたウクライナが露骨にNATO入りを希望している状況で、ウクライナがロシアの脅威となることを阻止すること(少なくとも表向きは)だったわけです。戦争の長期化に伴って、西側がどんどん武器を供給することは、対話の可能性を狭めて、火に油を注ぐようなもので、逆効果です。ロシアにしても攻撃を強めることは、マントを力ずくで脱がせようとする北風のようなもので、お互いに引くに引けなくなっています。こういうのを泥沼というのでしょう。

加えて、イギリスとアメリカがウクライナに前線に配備するための50マイル射程の長距離ミサイルを供給するというニュース。「専守防衛のため」とは言っていますが、その気になればロシア領内を攻撃することも可能であり、プーチンは「もしもロシアが脅威に晒されるなら、新たに攻撃を加える」と釘を刺しています。

いまとなっては、停戦を実現するためにはアメリカが逆方向に動くしかありません。戦争を煽るのではなく止めることに集中すべきでしょう(本気でウクライナのことを考えているならば)。アメリカでなければ他のNATO諸国が一致して、バイデンに停戦調停をするよう説得するしかない。戦争を止めるには、どう考えてもアメリカが、ロシアとウクライナの停戦交渉に当事者として臨むしか手はないのに、当のアメリカが、自国が戦場にならないことをよいことに、戦争を煽り立てているという救いのない状況です。終わったころにはアメリカの希望通りロシアは消耗しているでしょうが、ウクライナも激しく荒廃し簡単には立ち直れない状況になるでしょう。

さて、日本。岸田政権、最初からわかっていましたけど、無能、不誠実、悪質なのは、アベ スガ並み。アベのように聞いているだけで不快感を与えるようなアクもなく、スガのように喋れなくて立ち往生するわけでもないのが、却って悪性です。中身はあかわらずアベ スガ以上にスカスカ、対米隷属路線は全く変わらず。生活苦を訴える国民が5割以上もいるのに、バイデンに言われるまま軍事費をGDP2%レベルに引き上げ、戦争放棄している日本を世界第三位の軍事大国にしたいらしい。そんなレベルでは本気でやりあえば中露にはとても敵わないです。アメリカは、それでも有事の際は日本を東アジアでの中露の防波堤として使い捨てればいいし、それまではアメリカ産の武器を言い値で買ってくれればよいと思っている。戦争になれば、ちょうど日本を今のウクライナのように、武器だけ供給して「日本軍」に戦わせて、捨て石にするでしょう。

首相は「財源は?」と聞かれても、もちろん答えられない。消費税を上げ、年金額を引き下げ、社会保障予算を削ればよいなどと選挙前には言えないのでしょう。結局、選挙が終われば、与党にとれば無敵の三年が訪れるのです。その間、増税と改憲を進めて、アメリカに財産も生命も貢ぐ。国民にとっては地獄の三年。

日本が近年、驚くべきスピードで自滅し、地盤沈下し、世界から取り残され、貧困化してきたことの直接の原因は自公政権、それから、見境なくSLAPP訴訟を乱発し言論人に嫌がらせをする自民党の下請け、チンピラ政党の維新であることは間違いありませんけど、そもそも、彼らをのさばらせ、腐るに任せてしまったのは国民ですから、結局は自業自得ではあります。

参院選で与野党が逆転することは、まずないでしょう。その後の三年で、国民生活の破壊はますます進行することになります。希望があるとすると、唯一の市民政党である「れいわ」の躍進でしょう。かつて国民政党としてアメリカと企業と国民との利益バランスを調整していた自民党は二十年前に消滅しました。今はただの権力保持マシーンです。アメリカに逆らえば田中角栄のような目に遭い、隷属していれば権力の座を維持できる、故にアメリカの要求はすべて二つ返事。組織票だけで票が十分あるから企業を優遇し国民の富は彼らに付け替え、消費税を上げて企業は減税する。酒類供与をうけたサントリーには酒税法の改定を見送る(ああ、みみっちい)。かつての自民党のように面従腹背でアメリカの搾取から国民と国の富を守るという知恵も工夫もないただの権力の操り人形となりさがったのが、小泉政権以降の自民党で、アベ政権で腐敗が一気に進み今に至ります。

日本が立ち直る可能性があるとすれば、現時点ではまだまだ先が長いが「れいわ」勢力の拡大しかないように思います。山本太郎の「与党にも野党にも嫌われる政党を目指す」という言葉の意味は、政策実現のためには手段を選ばないということでしょう。逆に言えば、政策が実現するのなら、権力にはこだわらないということです。「れいわ」は、アメリカで温暖化対策を進めたい市民によるSunrise movementのやり方を参考にしているようです。アメリカではこの市民活動から数人の強力な議員が誕生し、民主党を動かしました。プロの政治屋ではない当事者市民による市民のための政治を支えたのは市民のSNSなどによる地道な運動でした。そう思いながら、これを書いています。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

凋落する日本の研究

2022-06-03 | Weblog
沈下する日本の学術レベルについての最近のScience紙の記事。

この記事を書いた記者はDennis Normileで、上海からの発信。かつては欧米企業のアジア支部は日本にあるのが普通でしたが、次々に中国、韓国へと移動。東京は、すでに東アジアの中心では無くなってしまいました。


(一部引用) 大学の地位が低下していることに危機感を抱いた日本は、大学の存在感を高めるために、一部の大学に年間23億ドルもの資金を投入することを計画している。、、、1年以上前から検討されていたこの動きは、沈む一方の日本の研究の運命をどう立て直すか、研究者の間で再び議論を呼んでいる。、、
 新計画は「世界のトップ大学が提供するはずの研究環境を若い有望な研究者に提供し、国際協力を劇的に強化し、国内外での頭脳循環を促進することを目指しています」、、、
 しかし、熊本大学の中国人発生生物学者であるGuojun Sheng氏は懐疑的である。「この計画が、日本の研究活動のランキングや国際競争力の低下を食い止めるのに役立つとはとても思えません」と、彼は言う。中国、米国、英国で研究・仕事をした経験を持つSheng氏は、新計画は、女性や外国人科学者が少なすぎる、変化を恐れる、若い科学者へのサポートがない、といった日本の研究機関の根本的な問題には対処していないと指摘する。、、、
 日本の科学的影響力の衰退に対する懸念は、何年も前から高まっている。経済協力開発機構(OECD)によると、2020年の日本の研究開発費は1670億ドルで、米国と中国に次いでトップである。しかし、研究生産性は「(20カ国)平均を著しく下回り、引用インパクトも低い」、、、
 日本は1997年から1999年まで被引用数上位10%の論文のシェアで4位だったが、2007年から2009年は5位に、2017年から2019年は10位に下がった。、、、カナダ、フランス、イタリア・オーストラリア、インドも日本を抜いた。、、、
 シンガポール国立大学の日本人幹細胞研究者である須田敏雄氏は、(日本の)トップダウン型のプログラムは、その規模と広大な課題により責任の所在が曖昧になり、パフォーマンスの評価を難しくしていると指摘する。また、基礎研究よりも応用に重点が置かれているという。一方、文部科学省が競争的に審査する科学研究費補助金は、過去10年間は年間20億ドル以下で停滞している。、、、
 「さらに悪いことに、日本の大学は固定的なブロック資金で運営されているため、若い科学者に(常勤の)職を与えることをやめてしまった」。また、幸運にも職を得ることができたとしても、スタートアップ資金を得ることはほとんどなく、「リソースの面では上級教授の言いなりになってしまう。
 このようなキャリアの見通しの悪さが、人々をアカデミアから遠ざけている。文部科学省のデータによれば、修士号取得後すぐに博士号取得を目指す学生の数は、20年間で25%減少している。そして、博士号を取得した人の中には、海外にキャリアを求める人もいる。、、、

という内容ですが、日本の問題は他国の組織と比べてみると明らかです。具体例として表れているのは、「アカデミアに職がなく、あっても不安定で将来が見通せない」、「資金配分を広く浅く行うのではなく、トップダウンで集中投下するため、研究格差が拡大し、底力となる裾野の研究者が育たない」、「組織の硬直化と過剰な雑用と報告書の強制によって、研究者なのに研究しているヒマがない」などなどですが、その根本的な問題は、日本政府の不勉強と不作為と短慮です。つまり、やる気がないのです。日本政府の無能さの例を挙げるときりがないです。例えばコロナ対策に30兆円の予算をつけておきながら、有効につかえず余らせる、挙句に何兆円もその使途さえわからない、というような政府です。これでは、小学生のお使いレベル未満です。

記事では日本は多額の研究開発費を費やしているが生産性が悪いと書いてありますが、しかし、この多額の研究開発費に占める政府資金は、諸外国と比べると驚くほど貧弱です。例が挙げられている文科省の科学研究補助金の年間20億ドル未満という数字は、アメリカの政府の研究予算の多くを占めるNIH年間予算の5%未満にしか過ぎません。政府は国の科学技術で世界トップクラスを維持したいのであれば、人口比から考えても、アメリカの1/4規模の予算を組む必要があるでしょう。つまり100億ドルぐらいは出せということです。そして政府が今回、投入しようとしているのが年間23億ドルです。しかし、これでは日本の科学研究を底上げするには全然、不十分なので、一部の大学に選択的に回すと言っているのです。これもマトモに科学振興を考えていない証拠です。これでは、一瞬はよくても10年も経てば元の木阿弥でしょう。その目先のことしか考えられない無能ぶりにくわえて、やることがみみっちくケチくさい。一部の大学だけ立派にして外国に見栄を張り、大半の疲弊する一般大学や研究室は見捨てるというわけです。張り子の虎作戦とでも言いましょうか。

一事が万事ですが、日本が経済的に凋落し、人々が貧困に苦しむのも、科学技術立国の地位を失ったのも、政府の失策。経済政策、科学政策の失敗が原因と言って良いと思います。政府がここまで堕落し無能になったのも、この10年ほどで極度に腐敗が進んだ自民党政治であると言えるでしょう。

2年前にNatureがアベ政権での日本の科学政策の失敗について述べていましたが、自民党政権は誰が頭になっても中身は同じです。失敗から学ばず、同じ失敗を何度も繰り返す。それは、志低くして、誠意乏しく、民間の努力の結晶と国民の富を吸い上げることしか興味がない与党政府が起こした人災です。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

科学出版の崩壊と未来

2022-05-31 | Weblog
前回、論文レビューに関しての愚痴を書きましたけど、画像操作が明らかだった投稿例に関しては雑誌編集部が更に調査することになったと編集者の方から連絡がありました。真面目にやっている雑誌社は大変ですね。浜の真砂と研究不正、これが蔓延るのも研究業界のreward systemが論文出版に大きく依存しているからです。そのニーズに目をつけた金儲け主義の出版社がさらに低品質の論文の大量生産に加担し、それに巻き込まれる人々の時間を奪い、科学研究への信頼を損なって行っていると感じます。

多分、これは科学出版に関わる人々の共通の感想だと思います。私は一応、知らない雑誌からのレビューの依頼は、その雑誌のインパクトファクターとその雑誌がいわる”predatory journal”でないことをチェックしてから引き受けることにしていますが、その線引きは曖昧です。

Predatory Journal という言葉は、コロラド大の図書司書、Jeffery Beallによって広まった言葉で、彼のつくったリストが発端だと思います。リストが閉鎖された五年前に出版された彼自身の記事があることに気が付き、読んでみました。流石にアカデミアの科学出版を追ってきた人の考察は興味深く、少し前に私が論文評価というエントリで述べたように、今後の科学出版は商業出版ではなく、preprint が重要なプラットフォームになると予測しています。結局はカネの問題ですから、時間と共に、科学出版業界や研究業界そのものが腐敗してしまうのは避けられないことです。思うに、腐敗したシステムは丸ごと廃棄して、新たなシステムを構築しなおすしかないだろうと思いますし、そのときには、科学論文は、レビューなし、紙媒体なしで出版する形になると思います。その評価は専門家のピアによる実名での公開評価となと思います。これによって論文出版は、雑誌社の商業主義に影響を離れ、論文と個人ベースでの評価が主となり、かつ、これまで裏方であった査読者としての研究者も評価とクレジットを受けることなると思います。

下にBeallの論文の一部のDeepLしたものを添付します。学問の世界で研究に携わる人には一読をおすすめします。


(一部引用)、、、そして、自分たちの利益のためだけに著者報酬モデルを利用する、略奪的なジャーナルが現れ始めたのです。私が最初に気づいたのは、2008年から2009年にかけて、それまで聞いたこともないような、広範な分野を扱う新しく創刊された図書館科学の雑誌への投稿を勧誘するスパムメールを受け取ったときでした。そして、学術図書館員として、この新しい情報を整理し、共有したいと思うのは自然なことでした。私は、Posterousというブログ・プラットフォームで、略奪的出版社の最初のリストを公開しました。、、、

私が略奪的出版社から学んだことは、彼らはビジネス倫理、研究倫理、出版倫理よりもお金をはるかに重要視しており、利益のためにこれら学術出版の3本柱は簡単に犠牲にされるということです

所有者に利益をもたらすことを目的としているため、ゴールド(著者支払型)オープンアクセス学術誌は、査読に関して強い利益相反を有しています。彼らは常にお金を稼ぎたいと考えており、論文を拒否することは収入を拒否することを意味します。この対立は、現在進行中の学術出版の没落の核心にあります。

医学研究は現在の人類にとって最も重要な研究であるにもかかわらず、もはや本物と偽造の医学研究を明確に分けることはできないのです。、、、

かつて隆盛を誇った学術出版業界は、急速に衰退の一途をたどっている。学者の間では、学術出版は崩壊しつつある、という感覚が一般的です。、、、この業界は一貫して、自らを規制することに失敗してきました。略奪的なジャーナルが出現し、増殖し、繁栄することを許し、見て見ぬふりをしてきたのです。、、

略奪的な出版社は、学術出版業界を崩壊させ、科学と査読も一緒に崩壊させています。オープンアクセス・ジャーナルが登場する以前、学術出版は、研究者、ジャーナル編集者、出版社、読者の間の暗黙の「紳士協定」によって支配されていました(6)。この合意は、研究および出版プロセスのすべてのレベルにおいて、高いレベルのインテグリティを維持するというものでした。しかし、略奪的な出版業者とそれに加担する著者が、自分たちの目的のために学術コミュニケーションを堕落させたため、この合意はいまや破棄されたのです。

学術出版の未来
最後に、学術出版の未来について少し考えてみましょう。この未来では、プレプリント・サーバーとオーバーレイ・ジャーナルが役割を果たすと私は考えています。プレプリントサーバーは、arXiv.orgによって開拓され、その数は増え続け、より多くの学術分野にサービスを提供しています。私はこの状態が続くと予想しています。高品質の学術雑誌に比べれば、プレプリントサーバーは安価に運営できます。特に、査読の管理やコピー編集をする必要がないのですから。最低限の審査は行いますが、審査する場合は、論文レベルではなく、研究者レベルで行われるのが普通です。つまり、科学的コンセンサスから乖離した論文を提出した研究者をブラックリストに載せているのです。、、、、

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地味に怒る

2022-05-27 | Weblog
ようやく三年がかりの論文を投稿しました。予想通り、第一志望の雑誌は編集室レベルでリジェクト。同紙の姉妹紙に再投稿(この間、週末をはさんで三日)。これがダメなら次の雑誌は悪名高いN出版グループの一つか、臨床医学系雑誌を得意とする雑誌社の一つにするかを考えています。ま、第一志望以外なら、どこに発表しても大差はないですが。この論文は、頼る人手がなく、データの解析、図の作成、原稿書きも、ほぼ全部自力でやったので、なかなか大変でした。だんだんと運動能力や記憶力などが知らず知らずのうちに衰えているのもあります。最近、コンピューター画面を長時間眺めるのが辛くなり、タイプミスが多くなったことに気がつきました。指の協調運動機能の低下に加え、左目の視力が衰えてきており、集中力と思考力と記憶力は多分、ピークの1割ずつぐらいは減小しているようなので、これらの複合作用はなかなかバカにできません。

その後、依頼されていた二つの論文のレビュー。こういう与えられた仕事をこなすタイプのはまだまだ大丈夫です。経験とかで補えますので。
これらは、二つとも、某国からの投稿で、一つはリバイス。ちょっと分野を外れた雑誌でしたが、そこそこのインパクトファクターの雑誌からで、私が初稿をレビューして、出来が悪いのでリジェクトの判定をしたものであることが判明。どうもエディターが私の意見を覆してリバイスにしたようです。原稿の採否の判断は、雑誌のレベルを考えて、その論文がリバイス後にそのレベルに達するかどうかを想像して決めることが多いと思います。この論文には問題点が多すぎて、その理由を挙げて、リジェクトが妥当であると判断したものですが、その判断をエディターが正当な理由なく覆すということは、エディターが私の時間と労力を何とも思っていないということです。当然、そういう誠意のない編集室に二度も時間を割く理由もないので、依頼はサックリと拒否、雑誌はブラックリスト入り。ま、そもそもバカにされて雑誌社の金儲けに利用される私が悪いのですが。

もう一つは、とある学会の機関紙で、その専門分野ではNo2の雑誌。この国からの投稿原稿の九割以上でよくあることですけど、実験方法の記載がなっておらず、結論に沿ったデータを並べただけの評価不能の論文。こういうのは読んで内容を理解することさえ非常に苦労します。それでもなんとか解読して問題点を書き出して、コメントをしようとしたのですけど、論文からとにかく怪しさが漂ってくるのです。それで、ふと、バンドがいっぱいのウエスタンのデータの高画質画像をダウンロードし、二つの別の図で比べたら、明らかに古典的な手口のバンド画像の使い回し。バンドを小さな単位に切り刻んで、それを縮尺を変えたり反転させたりして組み合わせて合成し、画像処理をしてあたかも一枚のゲルのようにしてあります。わざわざ縮尺やコントラストを変えて反転させたり順序を変えたりした上で作ってますから、うっかりミスという言い訳はできません。それにしても、同じ論文の二つの図で使い回しますかね?わざとバレるようにやったのか、それとも単に知恵が足りないだけなのか。いずれにしても、明らかに犯意をもってやったことで、おかげで心置きなく最低評価でリジェクトを押すことができました。

ま、こういうことがあるので、他人のデータは話半分で聞く癖がつきましたし、そもそもこの国からの論文は最初から疑ってかかりますけど、それでも、科学出版というのは、著者がウソをついていないという前提で審査されるものなので、一応、読みにくい原稿に時間を費やして、不整合をチェックしてコメントを書いた後に、実際にこういうことを発見すると地味に怒りが湧いてきますね。

コミュニティーに多少でも貢献するという気持ちで、こうした仕事を引き受けているつもりでしたが、その善意を踏み躙られるような経験をするのは、自分のやってきたことを否定されているような気にもなります(ま、もうそういうことが、多すぎて慣れましたど)。

人間社会ですから、お互いがお互いを利用しあって生きているわけですけど、それでもそこに、誠意は不可欠でしょう。誠意は筋を通すとか建前を重んじるという形になって表れますが、最近は、筋とか建前を軽んじる傾向が強くなったと感じます。人々が人間としての成熟を軽んじ、刹那主義的になり動物化してきた結果なのでしょうか。

腐っていない部分がない業界などそもそもないですけど、私には腐っているものをつまんで捨てたりするだけの気力も体力ももうありません。この世に居場所がなくなっていっても、今後も臭いものにはなるべく近寄らない、危ないところには行かない、嫌なことからは素早く逃げる、というポリシーでやっていくつもりです。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二流植民地から三流独裁国へ

2022-05-24 | Weblog
バイデンが日本に到着したというニュース。どの報道も当たり前かのように、バイデンが専用機で米軍横田基地に到着して、米軍のヘリで都心へ入ったと報道しています。トランプも同じルートで来日しました。しかし、それ以前の大統領は(一部、例外を除き)成田か関空といった普通の空港から正規の入国手続きを経て来日しています。しかし、トランプにしてもバイデンにしても直接在日米軍基地に入り、軍用機で国内を移動したということは、日本政府の正式な入国手続きを受けていない可能性が高いということです。この意味するところは、バイデンは、日本を独立国と見做しておらず、他国を訪問する大統領としてではなく、米軍の最高司令官として日本という植民地に来たということを示唆すると思います。バイデンは日本の軍拡とアメリカ軍事戦略への参加について話したそうですから、昔ながらのアメリカ軍事産業、戦争商人の代弁者としてきたのでしょう。幸い、バイデンも二期目はなさそうですが、トランプも御免です。

さて、大統領といえば、今年の選挙では、フランスでは極右候補ルペンを抑えたマクロンが二期目大統領、そして、つい先日のオーストラリアでは保守をおさえて労働党が下院の多数を握り、9年ぶりの政権交代となりました。この世界的趨勢を見ていると、全体主義と個人主義が拮抗しているなかで、それでも個人と庶民の権利を国家よりも上に置く政党が支持されているのかなと思います。問題は日本です。世界の中で日本だけ異常な気がします。

参院選が迫ってきました。先進国で唯一、経済政策の失敗で貧しくなった国、日本。ここまで国民が痛めつけられているのに、さらに消費税増税、改憲による全体主義、侮辱罪、などなど、数えきれないほどの悪法を強行採決し、格差を拡大し、国民の自由を奪い、独裁三流国家に向けてまっしぐらの自民党、その首相の支持率が高い。確かに前任者とその前にくらべては穏やかそうで反感を買いにくいとは言え、無能さにかけてはそれ以上です。アベは言うだけ(それもウソを)、スガはしゃべりもできず、そしてキシダは聞くだけ。その間に悪魔のアジェンダを粛々と実行していく自公維。ま、こういう連中が選挙で当選していくのだから、民意といわざるを得ないわけですが、半数の国民は政治や選挙に関心を持つ余裕がないと状況、貧すれば鈍する、下降スパイラルに入ってしまった以上、抜け出すのは容易ではありません。

れいわや共産党や一部の立民がいくら本気で訴えても聞く耳がなければ国民を選挙に向かわせることさえできませんから、残念ながらこの参院選で野党が逆転できる可能性は極めて少ないと言わざるを得ません。

その後の三年間は三流独裁国への道を真っしぐらでしょう。ヘタをすると自民党はこの隙に、改憲し、どこかの国の戦争にわざわざ介入して、非常事態を宣言し、自民党改憲案99条に基づいて、国政選挙を延期し、独裁政権を永久に続けようとするかも知れません。

その間、政権批判は、先日、成立した「侮辱罪厳罰化」でどんどん取り締まり、政府を批判するものは刑務所にぶちこみ、言論封殺する。ロック歌手が大統領を批判したら五万ルーブル罰金刑のような国になる(もうなってますかね?アベ批判で詐欺罪をでっち上げられて収監された籠池さんの例もありますから)。

いずれにしても、三流独裁国家の国民生活がどんなものか想像するのは難しくないでしょう。日本人で北朝鮮で生活したいと思う人は余りいないと思います。そうした国が栄えて、世界に貢献することはありません。

明治以後、国際社会で一定の存在感を発揮してきた日本でしたが、この参院選以後は急速に国際社会から脱落し、そして忘れ去られていくだろうと想像されます。上がれば落ちる、栄えれば滅びる、それは歴史の必然とはいえ、まだ日本が(少なくとも経済や科学技術で)一流国と思われていた時期に青春時代を過ごした者としては寂しい限りです。
コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

余剰動物と刑事告発

2022-05-20 | Weblog
以前、動物実験に関しての主にヨーロッパ諸国の対応について述べました。ヨーロッパ諸国ではanimal rightsに関する関心は高まる一方で、動物実験施設を閉鎖する研究施設もでてきました。確か、今年もスイスではこれまでも数回行われて僅差で否決されてきた動物実験全面禁止案の国民投票が行われる予定です。
最近のScienceのフロントページで、今度はドイツでの興味深い動きが報じられていましたので下にその一部を。

、、、、多くの国で、動物愛護団体は何千、何百万という動物が医学実験に使われていることを非難している。ドイツでは、活動家たちは新たな問題を取り上げていいる。研究の基準を満たさないか、研究系統の繁殖の過程で生まれたために、実験に使われることなく処分される多くの動物に注目したのだ。
 ドイツのヘッセン州の検察当局が、地元の大学やその他の機関によるこうした「余剰」研究用動物の殺処分が犯罪に当たるかどうかを調査していることが、サイエンスの取材で明らかになった。この殺処分は、合理的な理由なく動物を傷つけることを禁じた同国の厳しい動物保護法に違反するとして、2021年6月にドイツの動物保護団体2団体が検察当局に複数の訴えを起こしたことから、捜査が開始されることになった。、、、

ドイツの動物保護法は、EUの動物研究規制とともに、脊椎動物を正当な理由なく殺した者に罰金または最長3年の懲役を科すものである。、、、
2年前、EUの研究機関が940万匹の動物を実験に使用した2017年、約83%がマウス、7%がゼブラフィッシュの実験飼育動物で、それらの研究が行われないまま1260万匹が殺処分されたとEUは推定している。その過剰な研究動物の約3分の1がドイツで飼育され、殺されていたと、連邦食料農業省は推測している。
ドイツの過剰な研究動物をめぐる議論は、2019年に高等裁判所が「脊椎動物を経済的理由だけで殺すことはできない」という判決を下したことで盛り上がった。この事件は研究動物ではなく、世界では鶏しか評価しない卵生産施設で日常的に殺処分されている雄のヒヨコが対象だった。、、、

動物保護法に基づく10年前のドイツの判決では、「適切な動物飼育施設が確保されている場合に限り」動物園での繁殖を許可されるとしている。他の動物にも同じ原則が適用されるべきであると彼女は言う。研究機関は、少なくとも余った動物が自然に死ぬまで飼育するべきだが、そうするとすぐに現在の収容能力を超えてしまう。、、、

いくつかの研究機関からは進展が報告されている。ゲーテ大学フランクフルトによると、2017年以降、研究に使われない実験動物の数はほぼ30%減少したという。サイエンスが接触した他のドイツの機関も、同様にその数を減らそうとしていると強調している。

他の国では動物保護規制がそれほど厳しくなく、透明性も低いことが多いため、動物愛護団体の戦術がドイツを超えるかどうかは不明だ。米国では、研究に使われる動物の数さえも把握されておらず、年間1千万匹から1億匹以上と推定されている。その結果、米国の研究所は「社内の倫理委員会以外に数を正当化する(あるいは数える)必要もなく、過剰な動物を殺すことができる」と、ハーバード・ロースクール動物法・政策プログラムの客員研究員である獣医のラリー・カーボーン氏は言う。、、、

人々は、この刑事告訴がドイツの動物研究の将来にとって何を意味するのかを考えている。彼らはドイツの政治家たちに、動物保護規則を明確にし、いつ、どのような淘汰が許されるかを知るよう求めている。「しかし、最終的には良い議論になるだろう。

というわけで、動物を使った実験はますます制限されていきそうです。同じマウスでも、研究のために使われるマウスの命は尊重されるのに、一般家庭で出る害獣としてのマウスの命は誰も気にしません。鶏卵生産のために間引かれるオスの鶏の命にはこだわるのに、鶏肉採取のために鶏を殺すのは問題ありません。一種のダブルスタンダードですが、上にもあるようにこういう議論をすることは意味のあることだと私も思います。

人間は生きるために他の動植物を利用せざるを得ないわけで、動物実験の制限や食肉習慣の制限は、突き詰めれば、あくまで人間が人間自身の(満足の)ためにやっていることだというのは私は同意します。動植物を殺すことは人が生きていく上で必須ですからゼロにはできません。殺生は罪だと教えられるのに、殺生なしに生きてはいけないのが人間ですから、ダブルスタンダードとか偽善であるとか批判して切り捨てて終わりにするのではなく、万人が納得できる結論は得られなくとも、議論を続けていくことそのものに意義があると私は思います。

このヨーロッパ諸国の動きは遠からず、いずれ世界的に広がっていくと思います。こういう運動が広がると、動物実験が自由に行えなくなり、食肉が制限され、その生産価格は上昇します。本来の目的を達成するためには全てマイナス方向に動き、こうした仕事を生業とする人には死活問題となります。しかるに、失われるものがあれば得られるものがあるわけで、ゆえにこの活動が大勢の人々から支援されているのだと思います。経済効率、便利さと物質的豊かさを追求して、人間は動物や人間(奴隷)やその他の自然資源を一方的に利用してきました。それらへの反省の上に人間社会は成熟してきました。動物を人間のために利用することに対する継続的な反省は、動物よりも人間自身の成熟のために必要なのだろうと思います。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

脱フィンランド化するフィンランド

2022-05-17 | Weblog
フィンランドは100年ちょっと前のロシアとの戦争で一年にわたる抵抗を続けた後、戦争終結の合意に至り、軍事的に中立化することで独立を守りました。このために少なくない犠牲を払いましたが、それ以来、国境を接するロシアからの軍事的脅威に対し、中立を守ることで安全を保ってきました。この大国に隣接する小国の安全保障上の戦略はフィンランド化と呼ばれ、当初、ウクライナもフィンランド化への提案がありました。その隣国スウェーデンも同様に中立を守ってきました。
しかし、両国とも、今回のロシアのウクライナ侵攻がおこってから二週間後には、ウクライナ政府支援を表明し武器などの供給を決めています。

そして、この度、プーチンとフィンランド大統領の会談のあとで、フィンランドは、正式に中立路線をやめて、NATOに加入する手続きを開始すると表明しました。スウェーデンも同様の意思表明。一方、NATO国であるトルコは、トルコ政府がテロ組織と見なし、何十年も紛争を繰り返しているクルド労働者党(PKK)を、北欧諸国が支援しているとして、この二国のNATO参加に懸念を表明。しかし、他の加盟国は概ね賛成、ということで、この二国は一年以内にはNATO国になるだろうと考えられています。

NATOは1949年、ソヴィエト連邦に対抗する形で設立された。ロシアはかねて、NATOを安全保障上の脅威と見なしており、フィンランドの加盟申請に「対抗措置」を取ると警告している。ウラジーミル・プーチン大統領は、ウクライナがNATO加盟を示唆したことを、侵攻の理由の一つに挙げている。スウェーデンは第2次世界大戦中は中立を保ってきたほか、過去200年以上にわたり、軍事同盟への加盟を避けてきた経緯がある。 一方のフィンランドは、ロシアと全長1300キロにわたって国境を接している。これまではロシアとの対立を避けるため、NATO非加盟の方針を貫いていた。、、、

ということで、この両国の動きが意味することは明らかです。もはやロシアはかつての大国ではなく、ロシアに隣接するフィンランドでさえ、フィンランド化を維持しなくとも、NATO諸国の協力があれば、ロシアは安全保障上の脅威ではないと考えたということでしょう。これは、もしキエフが当初の予定通り数日でロシア軍によって陥落していたら、起こらなかったであろうと推測できます。つまり、侵攻後2週間の時点でこの両国は、ロシアは恐るに足らず、万が一侵攻された場合でもNATOの協力があれば撃退が可能であると判断したのでしょう。もう一つは、多分、この両国がプーチンは信用できない人間だと考えているのではないかな、と想像します。信用できない人間と協定を結ぶのは不可能ですから。

プーチンはこれでますます追い詰められました。NATOの東進を阻むどころか、逆にNATO勢力を増やす結果を産み、何も得るものがないまま撤退せざるを得ないような状況に追い込まれつつあります。

短期的には東ヨーロッパの平和を実現するであろうNATO勢力のさらなる拡大は、長期的にはかえってまずい状況を作り出すような気がします。バランスというものがあるわけですから。まず、ロシアが撤退したあと、東西融和が進むとは思えません。ならば、ロシアの豊富な天然資源に頼っている西側ヨーロッパ諸国は不便を被り、その輸出に頼っているロシア経済は打撃を受けるでしょう。自然と露中印の結びつきは強くなり、アメリカは今度は直接中国を相手にしないといけなくなる。アメリカも中露印が組めば、軍事的にかないませんし。また、仮にNATO諸国がロシアをもはや脅威でないレベルにまで押しやった場合にNATO諸国同士が平和に仲良くやれるとはとても思えません。今度は内ゲバがおこるでしょうし。そういう意味で90年体制(ベルリンの壁崩壊のときの東西合意)を維持する形でロシアと西側とのパワーのバランスが釣り合っているぐらいが長期的には良いのではないかと私は思います。適当に敵がいる方が身内はまとまりますし。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キャンセルカルチャーと戦争

2022-05-13 | Weblog
前回、キャンセルカルチャーを煽る科学雑誌の話をしましたけど、そもそも、これは、#Me too ムーブメントなどで、本来弱い立場にある人々が声を上げる集団的なプロテスト行動から発したものです。物事は何でも二面あり、集団であることはプラスの部分もあれば、マイナスの部分もあります。集団が同方向に動けば、良くも悪くも、しばしばその個の単純な加算以上の効果を生み出します。そして個よりも集団の和を重んじる農耕民族の日本人は、付和雷同することに抵抗が少ないが故に特に危険だと思います。

今回のロシアのウクライナ侵攻に対する西側諸国と日本の態度もそれに近いものがあると私は思います。
ロシアは国際法に違反したという事実があります。それに関して、バイデン政権と多くの西側諸国は強く非難し、経済制裁を開始し、ウクライナにさらに武器を供与するという行動に出ました。日本も与野党そろって同調しました。これはまさにキャンセル カルチャーの国家版です。

大きく違うのは、ロシアはD.S.氏にように、叩きまくって抹殺できるような相手ではないということです。

そのことを深く考えてたのは、日本の政党では山本太郎の「れいわ」だけではなかったでしょうか。ゼレンスキーの国会演説に際し、全面的支持を表明しなかったのは「れいわ」だけでした。それ以外の日本の政党は、ロシアを非難し、自動的かつ短絡的にウクライナ政府支持を表明しました。「れいわ」が、無批判にゼレンスキー、つまりウクライナ政府、支援を表明しなかったのは、そうすることによってロシアを刺激し、状況を一層悪く可能性があると考えたからでしょうし(事実そうなりました)、またウクライナ政府はむしろこの戦争の原因となった当事者であって、本来、真に支援すべきは、その巻き添えとなって苦しむウクライナ国民であってウクライナ政府に支援を表明することはウクライナ国民の救済にプラスになるとは限らないと考えたからでしょう。

そして、武力で参戦しない場合に他国ができる介入は経済制裁ですが、ロシアに対する経済制裁に「れいわ」は反対。その際の説明には関心しました。経済制裁に反対する理由として、山本太郎は、過去の国際紛争における経済制裁の例を解析し、経済制裁はその国民に苦難を与える一方で、それが戦争終結に有効であった例は三割に過ぎず、しかも、その実現にも平均10年かかっているという事実をもとに説明しています。つまり、経済制裁は副作用は強いが効果の薄い手段であるということをデータに基づいて考慮した上の意見表明でした。

一体、どれだけの日本の政治家が、目的を定義し、データに基づいた仮説を立てて、最適のアプローチを選び、結果を想定し、プランBを考えつつ行動する、という科学的手法を使いこなせているでしょうか。こうしたやり方は科学者にとっては、当たり前に聞こえるかも知れませんが、実践するのはプロの科学者であってもしばしば易しいことではないです。

また、この戦争において、目指すべきところが何かを、最もよく考えていたのも山本太郎でしょう。特に自民党の発言を聞いていると、戦争の勝ち負けが何を意味するかさえ、理解している人は多いように思えません。

この戦争においてウクライナがロシアに勝利し、ロシアを降伏させることはあり得ません。ウクライナにとってのゴールは停戦に持ち込んで、紛争の原因になっている問題を先送りにすることでしょう。それがほぼ唯一、国土を救い、国民の生活と生命を守る方法だとゼレンスキーも考えているはずです。つまり、戦争が継続することそのこと自体がすでに敗北です。マトモに戦って勝てる戦力がないのに、戦争を仕掛けられるような状況を招いてしまった時点で負けです。しかし、現在のように一方的に暴力が振われる状況になってしまえば、最終的に勝てないわかっていても国を捨てるという選択をしないのであれば、とりあえず戦う以外にありません。ウクライナはそういう状況にあります。

一方、バイデン政権はロシアが戦争によって弱体化することは目的にかないますから、戦争が継続してくれる方を望んでさえいるかも知れません。ウクライナが荒土となり、大勢のウクライナ人やロシア兵士が死んでも、アメリカに対するダメージは少ないですから、ロシアとウクライナ双方が望んでいる「停戦合意」のための仲裁などやる気もないようです。

日本を振り返りますと、日本の政治家は中国を仮想敵国と考えているようですが、ウクライナがマトモに戦ってロシアに勝てないように、日本がマトモに戦って中国軍に勝てるわけがないです。だだでさえ、こちらは没落国、あちらは急激に発展中、こちらは少子化、中国は日本の十倍以上の人口、軍事予算も中国は世界第三位で日本の五倍、軍人の数も十倍以上、その他あらゆる戦闘能力の指標で、日本とは圧倒的な差があります。日米安保の在日米軍が仮に加勢に入っても焼け石に水でしょう。

政治家がすべきことは、戦争になったときに戦えるように備えることではなく、戦争を起こさないためにどうするか、それでも万が一、戦争になったときに、いかに国民の生活と生命と自由を守るかを考え準備することでしょう。軍拡して先制攻撃も可能になるように改憲をし、戦争になったら最後の一人になるまで戦い抜く、というのは、もっとも短絡的、短慮で最悪の手だと思います。

もっとも、日本で参院選後に自民党が画策している改憲の真の目的は、長期独裁政権を可能にするための緊急事態条項の導入でしょうから、戦争はおそらく単なる口実なのでしょうが。
コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キャンセル カルチャーと敵意の世界

2022-05-10 | Weblog
セクハラで失脚したD.S.氏のNYUでの雇用の可能性を報じたScience誌ですが、その後、D.S.氏のNYUへのリクルートメントに関してNYUの学生と教官の強いプロテストがあり、結果、D.S.氏はNYU医学校と合意の上でNYU教官候補を辞退した、というニュースを報じています。

「キャンセル カルチャー」によって、有名人や一般個人が、徹底的に社会的に抹殺される近年の風潮について、少し前に述べました。今回の件や、それから過去の関連した例、ソーク大のI.V.氏の事件やHarvard MedicalのP.P.氏などのセクハラ事件、などを思うと、これらのスキャンダルをフロントページで大きく報じて、キャンセル カルチャーを先頭を切って煽っているのは、こうした一流科学雑誌の編集部なのではないかと感じざるを得ません。

結局、雑誌は読者の欲する記事を載せようとします。ゴッシップ記事というのは科学の知見以上に人々の欲望を刺激することを雑誌社も当然よく知っているでしょう。しかも彼らには「科学の健全なる発展を支援する」という大義名分がありますから、過ちを犯した研究者を写真入りで名指しで糾弾することは、彼らの使命に一致する(少なくとも表向きは)とその行いを正当化できます。

記事はあくまで事実の記者の解釈ですから、100%公平な報道はあり得ません。そこに編集室や記者の意思、読者や関係者への忖度が反映されます。メディアは第四の権力と言われるように、そのパワーはしばしば破壊的であり、週刊誌や新聞が意図的に個人や集団にダメージを与えるために使われるというのはよくあることです。そして、一旦、有力メディアによってスティグマを押された研究者に与えられるダメージは深刻で、その回復はそのメディアでさえ極めて困難です。ゆえにメディアの記者は良心とともに細心の注意をもって、公平な立場で読者が判断できる形で記事を書く義務があり、その権力をもって、公衆の利益を口実に個人の人権を損なうことを意図してはならないと私は思います。

アメリカでは裁判になった時点で、提出された文書は公文書になり、誰でもその内容にアクセスすることができます。この事件に関してはD.S.氏が研究所と告発者に対して裁判を起こし、それに対して告発者が訴え返したために、コトの詳細は裁判文書として公開されています。告発者の訴状には、告発者の氏名、経歴から、告発者とD.S.氏がどのような会話をして、何回D.S.氏とどこで性交渉をもったとか、などのことがこと細かに記載されており、誰でも見れます。(このシステム自体どうかと思いますけど)そして、今回、この個人の極めてプライベートな情報が満載の裁判文書を、わざわざツイッターで拡散し、D.S.氏を糾弾した女性研究者の人がいました。

しかし、拡散された文書は、あくまで告発者の主張であって、D.S.氏の主張とは食い違っているわけですから、それが事実であるという証拠はどこにもないのです。はっきりしているのは、D.S.氏が指導教官と学生との恋愛関係を禁じた施設のポリシーに違反したということです。

そのツイッターで裁判文書を拡散した人は、「研究に携わる大勢の人がこれを読んで、D.S.氏が告発者の人にしたことを知ってもらいたい」と書いています。この人は、この告発者の訴状にある記述、つまり告発者から見た事件の解釈が疑う余地のない事実であると信じているようです。そうかも知れませんけど、そうでない可能性も十分にあります。その一方の言い分を無批判に拡散し裁判当事者の一方を糾弾するというのは、科学者の態度ではないと私は思いました。相手の言い分、第三者の言い分は無視ですから。

それから、この人は、こうした情報を拡散し非難をすることの長期的な影響を深く考えているようには思えません。人々は、セクハラポリシー違反という事実があるからこそ、水に落ちた犬を遠慮なく叩きます。叩いて、プライベートな情報の入った訴状を晒して拡散します。彼らの目指すところは、罪を犯した個人の社会的抹殺であり、科学雑誌の編集部がそれを煽っているのです。

問題を起こした有力者を、集団で叩きまくって抹殺して問題を解決しようとする態度は、私はまずいことだと思います。一種の集団ヒステリーですから。

こういう傾向が最終的にどのような影響を当事者のみならず、社会全体に及ぼすか、何となく想像がつきます。一つの過ちを犯した場合に、それに応じて粛々と罰を与えられて事件を決着させるのではなく、直接の関係者でない一般の人々にも情報が拡散されて、彼らが懲罰に参加し、個人が集団によって社会的に抹殺されるところまで行き着くなら、人々は萎縮し、お互いを敵と味方に分類して牽制しあうような世界になるでしょう。戦前の日本のような全体主義国家を思い出させます。結果、大学からは自由な発想や創造性は失われ、社会はお互いを監視し合う敵意にみちた場所になるのではないでしょうか。

法律違反、規律違反に反したものは、それに応じた罰を受け、罪を償うべきだと思いますけど、定められた以上の罰を与えられるべきではないと私は思います。過ちを犯さない人間はいないのですから。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする