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ビジネスにも料理にも役立つ“ネタ”が満載!社労士・診断士のコンサルタント立石智工による経営&料理ヒント集

報道より:『行政処分』は何のために行うか?

2007-02-16 | マネジメント
昨日のエントリでも触れましたが、金融庁から東京三菱UFJ銀行へ一部業務停止命令を含む行政処分が行われました。また、この他にも様々な「事件・事故」に関連して数限りない行政処分が行われており、さらには「あるある」捏造問題に端を発する放送法見直し等をはじめとして、「行政処分の強化」の動きも数多く見られます。

ただ、これらの「行政処分」に関する報道を見ていると「何のための行政処分なのか?」ということが曖昧なままでの運用や強化が行われているのではないかと危惧を感じる部分があるのではないかと私は思っています。

まず、行政処分の意味づけを考えてみますと、現在の行政処分の運用では概ね次の3種類に分類できるのではないかと考えています。
●緊急避難的処置としての行政処分
現状を放置しておくとさらなる被害の拡大がある場合において、これを阻止するために行う処置。典型的な例としては「鶏インフルエンザ発生地域からの鶏及び鶏肉の移動禁止」など。

●再発防止処置としての行政処分
ある事件・事故が発生した場合において、再度同種の事件・事故が発生しないよう対策を講じさせる処置。業務改善命令が典型。

●懲戒的要素を持つ行政処分
ある事件・事故が発生した場合において、制裁として何らかの不利益を与える処置。制裁・不利益を設けることで、間接的に義務の履行を促すことが本来の目的。

さて、これらの「処分」が行われる場面では「処分を求める者(≒処分の必要性を考える者)」「処分を受ける者」「処分を決める者」が登場します。通常の裁判の場面では、例えば民事裁判であれば「原告-被告-裁判所」、刑事裁判であれば「検察官-被告人-裁判所」という形で明確に分かれています。このように役割を分けることにより、「双方の意見を尊重しての客観的な検証に基づく処分」が担保される仕組みになっています。

しかし、行政処分の場合には「処分を求める者」と「処分を決める者」が同じ「行政」となります。このような状況では、そもそも仕組みの問題として中立的な判断というものが存在できません(野球で例えれば「一方のチームだけがストライク・ボール・ヒット・アウト等の判定を行っている」状況と同じです。) したがって、「行政処分」とは本質的に「処分を求める者の意思のみで不利益を与えられる性質」を有しています。

そうすると、「行政処分」を行うには「単独者による一方的な意思表示」だけでも処分の実行について合理性を失わないだけの理由が必要となると考えられます。この観点から考えれば、「目の前の被害拡大を阻止する」である緊急避難としての行政処分は、「意見のぶつけ合いを待っている余裕がない」と考えられますので適切な運用が行われていれば十分に妥当であると考えられます。

しかしながら、再発防止目的の行政処分については、少々事情が異なります。例えば「一般には禁止されており、免許や許認可に基づいて実施しうる行為」については、「行政によるコントロールが必要」と法律(=国民の意思)にて認められているわけですから、行政によるコントロールの一環としての「改善命令」を含めた行政処分は可能でしょうし、最終的には「当該免許等の剥奪(=再発しえない状況の構築)」ということもありうると思います。しかし、そのような許認可に基づく行為でないとすれば、そもそも「行政によるコントロールを必要とするか否か」といった部分から議論を始めなければならず、この部分まで「単独者による一方的な意思表示」である行政処分で対応すべきとは一概には言えないと考えられます。

さらに、懲戒的な行政処分においては、「単独者による一方的な意思表示」によって制裁を加える合理性は基本的にはありません。「求める者」「受ける者」それぞれの言い分を第三者である「決める者」が聴いた上で、冷静なジャッジを下すことが「懲らしめ」のためには必要であると考えられます。

したがって、行政処分は本質的には「目の前の切迫した状況を抑止するための、緊急避難的な措置」として行われるのが本筋であり、「行政によるコントロールが明示的に必要とされる範囲内」において行われるべきものであると私は考えます。ただ、こう考えてしまうと、再発防止の処分や間接強制となる懲戒的処分が行いにくくなるのではないかと考えられますが、これらについては「処分を求める者-受ける者-決める者」の分立を要する問題であり、例えば「原告を行政とする民事裁判類似の裁判手続き(≠行政機関による聴聞等)」にて対応するのが筋道であると考えられます。

この「行政処分」に関する問題は、企業マネジメントにおいても重要な示唆を与えていると感じます。特にリスクマネジメントの分野では、「現にリスクの発生や拡大が生じようとしている」場面では、トップによる迅速な意思決定と、強制的な指示命令を含めたトップダウンによるコントロールが求められるでしょう。しかしながら、一度起きてしまったことに対する再発防止の場面や、減給・解雇を含む懲戒処分等においては、相互に納得できる合意形成を行うことが基本であり、少なくともきちんと時間を設けて話し合う場が求められるでしょう。(ISO系のマネジメントシステムでの内部監査において、『不適合』に対する合意形成が求められるのはこの理由によります。)

安易に「処分範囲の拡大や処分の強化」を求めることは、「コントロールを委ねる範囲の拡大」に繋がります。例えば現在放送事業者に対する処分の強化が検討されていますが、これは『放送事業者のコントロールを行政に委ねるか否か』という点が本質的な論点であると考えられます。委ねる範囲を広げるということは、「国民が国家に権限を与える=権力の拡大を認める」ということであり、これが国家のあり方と望ましい姿であるかどうかという点についてしっかり見据えていかないと、表面上の課題にとらわれて思わぬ方向に「国」が進んでいってしまう可能性があると私は考えます。

長くなりましたが今日はここまで。ご意見を頂ければ幸いです。

飲酒運転:「厳罰化」を一部軌道修正とのこと

2007-02-16 | イッポウ
今日のasahi.comのニュースから。

飲酒運転の厳罰化「後退」 改正試案の「目玉」一部変更(asahi.com)


飲酒運転対策を柱とする道路交通法改正試案への意見(パブリックコメント)を募っていた警察庁は15日、運転者に酒を出した場合には運転者並みに厳しい罰則を設けるとしていた当初の方針を変更し、罰則を緩和することを明らかにした。同乗者についても、酒を飲んだ人に運転を求めた場合でなければ罪を問わないことにするという。 (以下略)

警察庁が発表したパブリックコメントの結果を見ると、非常に数多くの意見が出されておりますが、その中でも「飲酒運転に対する罰則」については「条件付賛成」がもっとも多く、これを踏まえての軌道修正を図ったというところではないかと思われます。(ただ、誰がどのような意見を述べたかという「生の意見」がほとんど見えないので、何ともいいがたい部分がありますが・・・)

そういう意味では、今回の軌道修正は「必ずしも世間が望んでいる方向性とは異なる部分がある」という結果を反映させたものであると考えられます。そうなると、報道の見出しにある「厳罰化の後退」という表現は適切ではないと感じてしまいます。

ちなみに、この資料の中には厳罰化の理由について
飲酒運転による事故は、平成13年の道路交通法改正での罰則強化以後、減少を続けておりましたが、昨年上半期は前年同期と比べ飲酒死亡事故が増加したほか、8月には、福岡市で飲酒運転により幼児3名が死亡する事故が発生しました。9月以降は、警察による取締りの強化や各方面での飲酒運転防止の取組みなどにより、飲酒死亡事故も減少しましたが、依然として飲酒運転による悲惨な事故が後を絶たず、その根絶は強い社会的要請となっています。

と述べられています。これを読むと
●平成13年の罰則強化で、飲酒運転事故は減少傾向だった
●平成18年上半期は飲酒運転事故が増加した。
●その中で、大きな報道として取り上げられた飲酒運転事故が発生した。
●9月以降、現行法の枠内で飲酒運転防止の取組を行った結果、死亡事故は減少した。

ということがいえます。そうすると、「罰則を強化しなくても、飲酒運転防止・減少の取組は可能」という推論も成り立つのですが、これにはきちんと応えられてないのではないかと感じる部分もあります。

今回の厳罰化は、その内容そのものよりも、「刑事罰の強化・新設」の論拠を「一時の目立った出来事」としてしまう前例となってしまうのではないかという点で、非常に気になります。飲酒運転でなくても「死亡事故」は当事者にとっても社会にとっても悲惨なものなわけですし、誰かに対して制約を課すことができる刑事罰の強化というものを「強い社会的要請」という一言だけで片付けてしまってよいのかどうか、疑義が残ると私は感じます。