長磯七半沢住宅を訪問…3月12日午後
旧新城小住宅での交流を終えて、次の訪問先の長磯七半沢へ移動する。自治会長をずっと続けておられる佐藤さんのおられるところで、一番濃くて一番長くお付き合いをしているところです。佐藤さんや村上さん、仮設を出て行かれた三浦さん畠山さん吉田さんも待っていてくださった。佐藤さんのいちご園でとれたイチゴを使った手造りの「イチゴ大福」で歓待してもらった。三浦さんのわかめの酢の物も美味しかった。
プロジェクトKの田中さんや北海道から来たという若いお医者さんと一緒に、おなか一杯のイチゴ大福!!会話の中に関西弁が聞こえる・・・びっくりぽん!宇治市在住のフィンランド人の宣教師ペウフクリネンさんもボランティアに来ておられた。しばらくの間、宇治や城陽の街の話題も。
訪問したての頃の人たちが新しい生活を築くために仮設を離れて顔見知りの人たちも本当に少なくなってしまいました。仮設の人たちがみんな新しい生活に旅立つことはいいことなのだけど、なかなか踏み出せないお年寄りや一人暮らしの人たちが増え、集会所に集まってくる住民の方々も減ってしまい少し寂しいとの声。これが5年目の現実。
「私は最後までここで頑張る」とおっしゃってる佐藤さんに「絆」の思いも託して、お別れした。
気仙大島の民宿に
気仙大島を訪れるのは、今回が初めてです。大きな被害に襲われた大島にも是非訪れたいと思っていました。フェリーに乗船して、気仙沼湾を30分弱。民宿「アイランドハヤシ」へ。島の中腹部で港からも近くて、震災前はたくさんのお客でにぎわっていたそうです。夕食時に82歳とは思えない元気なおかみさんがご挨拶。(宿泊客は「絆」の7人と福島の除染に旦那さんが来ていたという兄妹夫婦の4人)
久しぶりにあったかい部屋でフワフワの布団で寝られる…エアコンは冷房オンリー。石油ストーブとぺちゃんこの布団で、それでも、ぐっすりと。
次の日(3月13日)大島の亀山山頂の展望台へ。ここは「三陸復興国立公園」担っていて、気仙沼湾や唐桑半島が一望に。もちろん気仙大島の全容も見渡せた。
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気仙沼を後にして、帰路につく。帰りは日本海周りのルートで、久御山市番に22時30分頃に無事に到着した。
活動を支えてくださった方々に感謝!(^^)!
旧新城小住宅での交流を終えて、次の訪問先の長磯七半沢へ移動する。自治会長をずっと続けておられる佐藤さんのおられるところで、一番濃くて一番長くお付き合いをしているところです。佐藤さんや村上さん、仮設を出て行かれた三浦さん畠山さん吉田さんも待っていてくださった。佐藤さんのいちご園でとれたイチゴを使った手造りの「イチゴ大福」で歓待してもらった。三浦さんのわかめの酢の物も美味しかった。
プロジェクトKの田中さんや北海道から来たという若いお医者さんと一緒に、おなか一杯のイチゴ大福!!会話の中に関西弁が聞こえる・・・びっくりぽん!宇治市在住のフィンランド人の宣教師ペウフクリネンさんもボランティアに来ておられた。しばらくの間、宇治や城陽の街の話題も。
訪問したての頃の人たちが新しい生活を築くために仮設を離れて顔見知りの人たちも本当に少なくなってしまいました。仮設の人たちがみんな新しい生活に旅立つことはいいことなのだけど、なかなか踏み出せないお年寄りや一人暮らしの人たちが増え、集会所に集まってくる住民の方々も減ってしまい少し寂しいとの声。これが5年目の現実。
「私は最後までここで頑張る」とおっしゃってる佐藤さんに「絆」の思いも託して、お別れした。
気仙大島の民宿に
気仙大島を訪れるのは、今回が初めてです。大きな被害に襲われた大島にも是非訪れたいと思っていました。フェリーに乗船して、気仙沼湾を30分弱。民宿「アイランドハヤシ」へ。島の中腹部で港からも近くて、震災前はたくさんのお客でにぎわっていたそうです。夕食時に82歳とは思えない元気なおかみさんがご挨拶。(宿泊客は「絆」の7人と福島の除染に旦那さんが来ていたという兄妹夫婦の4人)
久しぶりにあったかい部屋でフワフワの布団で寝られる…エアコンは冷房オンリー。石油ストーブとぺちゃんこの布団で、それでも、ぐっすりと。
次の日(3月13日)大島の亀山山頂の展望台へ。ここは「三陸復興国立公園」担っていて、気仙沼湾や唐桑半島が一望に。もちろん気仙大島の全容も見渡せた。
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気仙沼を後にして、帰路につく。帰りは日本海周りのルートで、久御山市番に22時30分頃に無事に到着した。
活動を支えてくださった方々に感謝!(^^)!