少しだけ秋を感じることができるような朝が来るようになりました。
活動報告の最終は、恒例の「ほりえレポート」です。
支援活動に協力していただいた方々に、あらためて感謝いたします。
ありがとうございました。
少しだけ秋を感じることができるような朝が来るようになりました。
活動報告の最終は、恒例の「ほりえレポート」です。
支援活動に協力していただいた方々に、あらためて感謝いたします。
ありがとうございました。
支援サークル『絆』の支援活動で訪れた、気仙沼市内の仮設住宅や復興住宅の方々を(昨夜の仲舘さんの重い言葉・・・妻と従業員はまだ帰ってきてくれないけれど13回忌をしました)思い出しながら、18日の宿である牡鹿半島の「めぐろ」に向かった。
旧気仙沼向洋高校の東日本大震災遺構・伝承館を訪れてから、何度も宿泊や活動をした長磯七半沢仮設住宅はすっかり撤去されていたが、お世話になった自治会長(当時)の佐藤さんにお会いすることができた。
南三陸町さんさん商店街は沢山の人でにぎわっていた。旧防災庁舎はかさ上げされた土地の底のほうに移転され静かにたたずんでいた。
震災遺構・大川小学校も以前訪れた時から整備されて、伝承館も設置されていた。プール壁の子ども達の描いた作品は鮮やかによみがえっていた。
『絆』として初めて訪れる女川の新しい街並にも、命を守るための様々な工夫がされているように感じた。
いろいろな「ところ」に大震災と津波を忘れない!忘れさせない!ための遺構・モニュメントが整備されていた。それらの一つ一つに生きていた証が込められている。
「めぐろ」でおかみさんの出迎えを受け(福幸丸は港に係留中)、夜は石巻民商の方と交流した。
19日の明け方には震度4の体験もした。
忘れてなんかいない!
忘れられてなんかいない!
今回の支援・訪問活動のメインは、「第30回気仙沼本吉民商まつり」に参加し、『絆』として出店することでした。民商事務所の二階にゴザを敷いて宿泊し活動しました。
京都で仕入れた「うどん」や抹茶を持ち込んで、京風うどん約300食と抹茶・グリーンティーの接待です。今回の参加メンバー6人(内田・山内・堀江・岸本・大西・井上)力量不足で、訪問のたびにお世話になっている千葉さん夫妻にもお手伝い頂き何とか出店にこぎつけました。
現地で準備してもらった器具や燃料を屈指し、内田シェフ自らの手による「自慢の出汁」京都で仕入れた「うどん」薬味は京野菜の「九条ネギ」で、祭りに参加された沢山の人に味わって頂きました。抹茶コーナーでは、ほっこりした一時を過ごしていただきました。
「まつり」の舞台発表は(九条太鼓演奏)(ちびっ子ダンスパフォーマンス)(中学生のブラスバンド演奏)(踊り)(スコップ三味線)(フラワースカイの演奏)・・・多彩なものでした。最後に【餅まき】も行われました。何と餅の巻き手に、『絆』の代表者も指名されました。
わたし達のコーナーも「おいしかったよ」「この出汁がうまい」「うどんも出汁も九条ネギも完食!!」など、好評でした。舞台パフォーマンスに出演した子ども達には、もちろん無料で、味わってもらいました。
今まで訪問した仮設住宅時代の顔なじみや懐かしい人達も、テントを訪れてくださいました。
四年ぶりの祭りを終えての打ち上げ交流会では、女性部の皆さんの元気さに圧倒されました。
明日の朝、京都を出発します。支援・訪問活動に必要な道具や物資で個人で運びきれない物資類は、現地の気仙沼本吉民商様あてに宅配便で送りました。活動に参加する人数が 当初の8名から諸事情により6名になってしまいましたが、持てる心意気で、出来るだけの精一杯の動きをする覚悟です。
民商まつりは、かって訪問した気仙沼市の仮設住宅の隣・条南中学校のグランドで行われます。「京都のうどん玉」と元食堂市番の料理長手作りの京風出汁で、召し上がってもらいます。野点コーナーでは、宇治茶をたてて京都のおたべを頂いてもらおうと準備しています。バザーの品物として衣類なども送付しました。
今は、天候や暑さなどが気になります。参加者の健康も十分注意しながらの出発目前です。
帰りの行程では(南三陸町)(大川小学校)(女川町)なども訪問するつもりです。牡鹿半島の「めぐろ」では石巻の方々との交流もできたらと願っています。
今回の活動にあたり、沢山の善意をお寄せいただきました。改めて感謝申し上げます。
しっかりと届けられるよう頑張ってきます。