京都~東北 東北大震災復興支援 支援サークル『絆』の活動記録

2011年3月11日東北大震災復興支援の活動をしています。

第13回『絆』支援活動;熊本益城編⑧…感謝

2016-11-21 15:47:33 | 日記

今回も沢山の方々から援助を頂きました。重ねてお礼申し上げます。

<<活動資金・物資購入費のカンパ>>
*大澤さん*北村さん*今村さん*中村さん*新井さん*宮本さん*吉田さん*青木さん
*福田さん*図師さん*中田さん*井上さん*中村さん*大澤さん*脇本さん*井上さん
*石野さん*中尾さん*新婦人コクリコ班*藤田さん*新屋敷さん*辻さん*池田さん
*茶谷さん*吉田さん*平田さん*金井さん


<<支援物資(お米)(バザー用品)の提供>>
*馬場崎さん*辻さん*村松さん*宮本さん*生健会*後宮さん*大谷さん*渕上さん
*牧野さん*若林さん*井上さん*吉田さん*中川さん*平田さん*谷口さん*荒木さん
*古谷さん*脇本さん*春日井さん*紺谷さん*松井さん*足立さん*薮田さん*堀江さん
*奥さん*草間さん*茶谷さん*三浦さん*道明さん*堀岡さん*荒木さん*福井さん
*四宮さん*石田さん*秋保さん*渡辺さん*帆足さん*桜井さん*吉田さん


足湯とお茶っこのスナップです。


内田さんの新聞記事です。

プロジェクトK から通信が届きました。



*今回のスケジュール表です。




第13回『絆』支援活動 熊本益城編⑦

2016-11-16 21:21:16 | 日記
10月30日益城町の午後の活動



 初めに馬水仮設住宅を訪問しました。熊本地震日本共産党益城支援センター長の甲斐さん達と一緒に行動しました。支援センターに農民連から寄せられた物資や野菜類も持っていきました。集会所の中では他の支援グループが歌声などで活動しておられました。終わるまでは外でテントを張ったり物資を並べたりと準備をしました。今日は『絆』は7人のフルメンバーです。私たちの時間になったので、ここでもお茶っこ・足湯・マジックを。そして、「絆」の支援物資と合わせて瀬戸市からの陶器なども合わせての無料バザーと農民連の野菜の配布も行いました。
 益城町の仮設住宅への入居は➀子どものいる家庭②高齢者や障がい者のいる家庭が優先されるそうです。だからどの仮設住宅からも元気な子どもたちの声がするのです。気仙沼や石巻・福島との違いを感じました。子どもも大人もお年寄りも同じ空間で生活する事がコミュニティの基本だと思います。手品の時も子どもたちの歓声がお年寄りの笑顔を生んでいます。
 二つ目の訪問先は津森仮設住宅でした。
新婦人熊本県本部会長の上田さんも来られました。「京都からよく来てくださいました。」の嬉しい言葉。そして、仮設住宅はどうしても手狭だから気仙沼のように棚を付けてほしいと、共産党や新婦人で要求されていることを聞きました。実現に向かって早速内田さん野々村さんと打ち合わせが始まりました。すごいですね!


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 益城町での支援活動を無事に終え、甲斐さんはじめ支援センターの人たちにお礼を言って宿舎に帰りました。買い込んできた豪華な(?)食品とビールで乾杯!






第13回『絆』支援活動 熊本益城編⑥

2016-11-11 20:43:16 | 日記
10月30日の午前中は益城町の被災の様子を見て回りました。益城救援センター長で日本共産党の前町議の甲斐康之さんに案内していただきました。
<堀江レポート>
 熊本の街ではブルーシートのかかっている家屋はあるにはあったが、人が住んでいたお家がほとんどだった。しかし、益城町に入るとぺちゃんこの家、一階がつぶれ二階だけの家、がれきの山・山・山。所々は更地になっていたが…。10人ほどの作業員が一つ一つ手作業で片づけをしておられるところもありました。つぶれた家に壊れた扇風機やテレビやお茶碗や服などが散乱していました。新しい着物、子どもの乗り物やおもちゃがそのままになっています。まだ新しいアパートの窓ガラスが割れ、窓越しに冷蔵庫やタンス・テレビなども見え、持ち出すことも出来ず新しい生活(仮設住宅でしょうか)でまた電化製品を買わなければならない若夫婦のことを思い、本当に大変だろうなあ…なんか物悲しくなりました。
 山と積まれたがれきに言葉を失っている時、「今日実家の家の解体作業があるのできました。」というご夫婦に出会いました。「自分の生まれた家がなくなるのは悲しいしさみしい。」と言っておられました。14日の地震で家が傾いたが次の日に家の片づけに来て、16日の地震で亡くなられた方もおられるそうで、やはり二回目で壊れた家も多いそうです。あと断層で1メートルもずれてしまった田んぼの畔も見学しました。
 午前中の被災地見学、会う人たちに何だか申し訳ない気持ちでいっぱいになりました




何よりも行政の手が差し伸べられなければならない!政府が本気になって復興に向けての施策を実行しなければ・・・。宮城も福島も熊本も鳥取も!

第13回『絆』支援活動 熊本益城編⑤

2016-11-10 22:05:10 | 日記
 10月29日その② 午後からの訪問は藤山仮設住宅です。およそ150世帯という大きな住宅です。物資を満載して集会所前に到着しました。幾張かのテントやテーブルやいすがセットされていた。『絆』のためにこんなに!と、一瞬ビックリした。が、次の日に沖縄からの支援の受入準備でした。
 まずは無料バザーの準備にかかる。ダンボールを解き品物ごとに並べていく。助っ人の人たちの手も借りて全員で取り掛かる。その間に少しずつ人の輪が大きくなっていった。いつものルールを理解してもらって無料バザーをスタートしました。
 集会所前では配布物資(お米とお味噌とティシュ)のセット造り。お湯を沸かしてほっこり足湯の準備も大急ぎで。抹茶でおもてなしのお茶っこはテントを一張お借りして野点風にする。マジックは何と屋外での披露になった。
 午後からは小谷さんは別の用事(八代の二硫化炭素中毒症の関係者との懇談と今なお苦しんでおられる患者さんの激励に)でいなくて足湯のお湯運びもてんてこ舞いでした。「欲しかったものがもらえてよかったわ」「お抹茶で落ち着きましたわ」「お米もありがたいけど、こうして集まれるのもいいねえ」「足をもんでもらって気持ちよかった!」とうれしい声を頂きました。




 たくさんの人に集まって頂いて、予定した支援活動は無事に終わりました。熊本市から派遣されている仮設住宅の生活支援員の男性は、以前城陽市で暮らしておられたという。不思議な縁でした。いっぱい手伝ってもらいました。
 藤山仮設住宅での活動を終えて、正式名称「熊本地震」被災者支援共同センターに引き返し、次の日の益城町支援の準備をした。全戸に配布する物資のセッテングに汗を流した。物資届だけの予定だったが、益城町の2か所の訪問先でも足湯・お茶っこ・マジックもすることになった。
 宿舎へ帰り風呂の用意をして、お風呂と買い物に。ビールで乾杯!しっかり食べて一杯飲んでZZZ…。