2011年3月11日;1・2号機の緊急炉心冷却システムが崩壊。12日;1号機で水素爆発。14日;3号機で水素爆発。15日;2号機で爆発音,4号機で水素爆発か。
もう一つ忘れてはいけないこと
それは、東京電力福島第一原子力発電所の事故
ふるさとを奪われた人たちの怒りと悲しみ
2013年7月に、友人とフクシマを訪れた。南相馬市・浪江町・飯館村・・・。浪江町の請戸地区に入ると、2年前に気仙沼や石巻で見た風景と同じように、荒れ果てた地が目の前に広がっていた。赤茶けて伸び放題の夏草。壊れて折り重なっているトラクターやトラック。大きく傾いて陸に上がったままの漁船。コンクリートや石の土台がむき出しの住居跡。ここには間違いなく人々の生活があったのに・・・。
避難指示解除準備区域にある請戸小学校の校舎。右は体育館で左側は職員室や教室だと思います。(2013年7月撮影)黒板には様々なメッセージが残されていました。NHKで放映されたドラマ『LIVE!LOVE!SING!生きて愛して歌うこと』で主人公たちが訪れた母校の撮影に、請戸小の校舎が使われたと思います。
請戸小学校の体育館は床がめくれ上がったままの状態でした。体育館の正面には巣立ちゆく日を目前にした「卒業式」の飾りつけが残されていました。放射能のために、何もかも奪われてしまったのです。(2013年7月撮影)
飯館村の中学校校舎です。まだ新しい感じの校舎には、歓声が響き渡るはずの生徒たちの姿はありません。(2013年7月撮影)
3月7日に円山音楽堂で『バイバイ原発』集会がありました。雨の中、2000人の参加者で原発再稼働反対の意志を確かめ合いました。政府の「原発はコントロールされている」「完全にブロックされている」の声とは裏腹に、事故原因の究明は全く進まず、高濃度放射能汚染水は外洋に垂れ流され、原子炉内部の様子は全く把握できていません。作業する7000人の労働者の被ばく量は高く、汚染土の入った黒いビニル袋?は、各地に山積みの状態です。ようやく中間貯蔵施設への搬入が始まりましたが、そこで生活していた人たちは「永久に自分の故郷に帰れない=ふるさと放棄の宣言」でもあります。福島では今なお120000人が避難生活を余儀なくされています。
福島第一原発事故で『誰一人責任を取っていない。取ろうとしていない。処罰された人は0人。』原発再稼働推進の人たちはこの「無責任」を拠りどころにしている。『被害は、赤ちゃんや子どもたち・お年寄りをはじめ社会的弱者により多くのしかかってくる。』だからこそ、川内でも高浜原発3・4号機の再稼働は許してはいけない!集会に参加し、四条通をアピールデモをしながら心に刻みました。