京都~東北 東北大震災復興支援 支援サークル『絆』の活動記録

2011年3月11日東北大震災復興支援の活動をしています。

Never forget ! FUKUSHIMA

2015-03-15 18:36:30 | 日記

2011年3月11日;1・2号機の緊急炉心冷却システムが崩壊。12日;1号機で水素爆発。14日;3号機で水素爆発。15日;2号機で爆発音,4号機で水素爆発か。

もう一つ忘れてはいけないこと

それは、東京電力福島第一原子力発電所の事故

ふるさとを奪われた人たちの怒りと悲しみ

 2013年7月に、友人とフクシマを訪れた。南相馬市・浪江町・飯館村・・・。浪江町の請戸地区に入ると、2年前に気仙沼や石巻で見た風景と同じように、荒れ果てた地が目の前に広がっていた。赤茶けて伸び放題の夏草。壊れて折り重なっているトラクターやトラック。大きく傾いて陸に上がったままの漁船。コンクリートや石の土台がむき出しの住居跡。ここには間違いなく人々の生活があったのに・・・。

  避難指示解除準備区域にある請戸小学校の校舎。右は体育館で左側は職員室や教室だと思います。(2013年7月撮影)黒板には様々なメッセージが残されていました。NHKで放映されたドラマ『LIVE!LOVE!SING!生きて愛して歌うこと』で主人公たちが訪れた母校の撮影に、請戸小の校舎が使われたと思います。

  請戸小学校の体育館は床がめくれ上がったままの状態でした。体育館の正面には巣立ちゆく日を目前にした「卒業式」の飾りつけが残されていました。放射能のために、何もかも奪われてしまったのです。(2013年7月撮影)

飯館村の中学校校舎です。まだ新しい感じの校舎には、歓声が響き渡るはずの生徒たちの姿はありません。(2013年7月撮影)

 3月7日に円山音楽堂で『バイバイ原発』集会がありました。雨の中、2000人の参加者で原発再稼働反対の意志を確かめ合いました。政府の「原発はコントロールされている」「完全にブロックされている」の声とは裏腹に、事故原因の究明は全く進まず、高濃度放射能汚染水は外洋に垂れ流され、原子炉内部の様子は全く把握できていません。作業する7000人の労働者の被ばく量は高く、汚染土の入った黒いビニル袋?は、各地に山積みの状態です。ようやく中間貯蔵施設への搬入が始まりましたが、そこで生活していた人たちは「永久に自分の故郷に帰れない=ふるさと放棄の宣言」でもあります。福島では今なお120000人が避難生活を余儀なくされています。

福島第一原発事故で『誰一人責任を取っていない。取ろうとしていない。処罰された人は0人。』原発再稼働推進の人たちはこの「無責任」を拠りどころにしている。『被害は、赤ちゃんや子どもたち・お年寄りをはじめ社会的弱者により多くのしかかってくる。』だからこそ、川内でも高浜原発3・4号機の再稼働は許してはいけない!集会に参加し、四条通をアピールデモをしながら心に刻みました。

 

 

 

 


Never forget 3・11 !

2015-03-12 22:40:34 | 日記

2011年3月11日 から 1461日。亡くなった人・・・15,891人                                      行くえが分からない人・・・2,589人

2011年7月  気仙沼市 唐桑半島

2011年7月 気仙沼市街

2011年7月 南三陸町防災対策庁舎

2011年7月 志津川病院

2011年7月 日和山から石巻港を

2011年7月 石巻市街

あの日から4年が過ぎました。大地震発生の時 3月11日の午後2時46分。今なお避難を余儀なくされている23万人の方々を、      気仙沼市の石巻市の東松島市の仮設住宅でお会いした人たちを思いながら、黙祷することしかできませんでした。

忘れない!忘れさせない! 私たちにできることは何?を問い続けながら・・・。

新聞記事やTV報道番組でお目にかかれる人たちの元気な姿に、希望と勇気をもらっています。

気仙沼市の仮設住宅で顔晴っておられる「西塚さん」「赤間さん」、南町紫市場の「坂本さん」、鹿折中学校仮設住宅の中学生。     南三陸さんさん商店街の「ちばのり店さん」。牡鹿半島の「民宿の目黒さん」「ヤマト水産の須田さん」・・・。

 


「絆」ニュース 3月号

2015-03-01 20:19:05 | 日記

支援サークル『絆』第8回支援活動の概要が決まりました。5月22日~24日で現地と連絡.調整をしています。

参加者を募集します。特技のある方大歓迎です。参加費は12000円を予定しています。

是非、お米や活動資金のカンパもお願いいたします。