あの日から13年経っても、悲しみは消えることはない。
2011年2月22日・・・ニュージーランド;クライストチャーチ
2011年3月11日・・・東北大震災
2016年・・・熊本地震
2018年・・・大阪北部地震
2018年・・・北海道胆振東部地震
そして、筆者のふるさと丹後地方も地震に襲われていた。
(1927年3月7日・・・北丹後地震)
いくつかの新聞記事の掲載で『鎮魂』にかえます。
2024年3月 京都 支援サークル『絆』
あの日から13年経っても、悲しみは消えることはない。
2011年2月22日・・・ニュージーランド;クライストチャーチ
2011年3月11日・・・東北大震災
2016年・・・熊本地震
2018年・・・大阪北部地震
2018年・・・北海道胆振東部地震
そして、筆者のふるさと丹後地方も地震に襲われていた。
(1927年3月7日・・・北丹後地震)
いくつかの新聞記事の掲載で『鎮魂』にかえます。
2024年3月 京都 支援サークル『絆』
まさか!2024年の幕開けが 大地震・大惨事で・・・。
明けましておめでとうございます。真の復興に向けて 今年も歩んでいきましょう!
こういった挨拶を交わして、新年のスタートを切りたかったのに・・・。
今日の報道では、亡くなった方が126人に!安否の不明な方は210人も!
最大震度7の強大な力で襲いかかった「平成6年能登半島地震」。
死者が100人を超えるのは、2016年の熊本地震以来。
亡くなられた方々のご冥福を祈るとともに、被災され厳しい状況の下で懸命に生きておられる被災者の方々の健康と安全を祈念いたします。
支援サークル『絆』として「出来ることは何か。しなければならないことは何か」熟考していきます。
2018年の西日本豪雨で被災した岡山県倉敷市真備町で頑張っておられる方の記事が掲載されたので紹介します。(真備町には『絆』として2回 支援活動で訪問しました。)
*一刻も早い全面支援をしてください。
*「日本の国民を守る」ことを 今こそ行う時です。
*浮ついた言葉ではなく、被災者に寄り添った行動を!
岸田政権に強く強く要望します。
2023年もあと2週間で終わりです。
支援サークル『絆』として、気仙沼市や石巻市を訪問できたことは 貴重な取り組みでした。熊本や朝倉や岡山も訪問したいと思っていましたが、実現できませんでした。
新しい年に向けて、まさに金まみれ・不正だらけの政治に終止符を打つべく声をあげ続けて行きたいと思います。
支援者の皆さん!よいお年をお迎えください。
明日から「大寒波」が襲ってきそうです。十二分にお気を付けください。
少しだけ秋を感じることができるような朝が来るようになりました。
活動報告の最終は、恒例の「ほりえレポート」です。
支援活動に協力していただいた方々に、あらためて感謝いたします。
ありがとうございました。
支援サークル『絆』の支援活動で訪れた、気仙沼市内の仮設住宅や復興住宅の方々を(昨夜の仲舘さんの重い言葉・・・妻と従業員はまだ帰ってきてくれないけれど13回忌をしました)思い出しながら、18日の宿である牡鹿半島の「めぐろ」に向かった。
旧気仙沼向洋高校の東日本大震災遺構・伝承館を訪れてから、何度も宿泊や活動をした長磯七半沢仮設住宅はすっかり撤去されていたが、お世話になった自治会長(当時)の佐藤さんにお会いすることができた。
南三陸町さんさん商店街は沢山の人でにぎわっていた。旧防災庁舎はかさ上げされた土地の底のほうに移転され静かにたたずんでいた。
震災遺構・大川小学校も以前訪れた時から整備されて、伝承館も設置されていた。プール壁の子ども達の描いた作品は鮮やかによみがえっていた。
『絆』として初めて訪れる女川の新しい街並にも、命を守るための様々な工夫がされているように感じた。
いろいろな「ところ」に大震災と津波を忘れない!忘れさせない!ための遺構・モニュメントが整備されていた。それらの一つ一つに生きていた証が込められている。
「めぐろ」でおかみさんの出迎えを受け(福幸丸は港に係留中)、夜は石巻民商の方と交流した。
19日の明け方には震度4の体験もした。