京都~東北 東北大震災復興支援 支援サークル『絆』の活動記録

2011年3月11日東北大震災復興支援の活動をしています。

支援サークル『絆』 第7回支援活動報告用ニュース原稿

2014-12-07 22:47:06 | 日記

支援いただいた方々への「報告用ニュース原稿」です。

** お 知 ら せ **

木津川マラソン大会実行委員会では、大会のボランティアを募集しておられます。

実施日;2015年2月1日  連絡先;木津川マラソン大会事務局

                   大植さん  ℡ 090-6987-6261

 

 

 


支援サークル『絆』第7回支援活動報告 その④

2014-12-01 14:09:30 | 日記

 城陽久御山民主商工会の会長で、支援サークル『絆』の副代表でもある 内田さん から手記が届きました。内田さんは大震災直後の2011年3月28日29日に、2トントラックに支援物資を満載して、被災地に駆けつけました。その後も東北・宮城への支援活動を続けて、支援サークル『絆』の誕生の原動力になり、今も強力なリーダーとして活躍中です。手記を紹介します。

震災の現場から  あなたは被災地の今を知っていますか。

 支援サークル『絆』第7回(城久民商18回)東北大震災支援交流を気仙沼市・東松島市・石巻市で、バンド満月兄弟のライブ・うどん・たこ焼き・お茶会・無料バザー映画会を開催しました。朝4時出発夕方5時と早く着いた気仙沼鹿折中学校仮設住宅で満月兄弟のライブで交流。翌日、満月兄弟は「南町紫市場」と、震災後小さな商店が共同して開店した「さかなの駅」で、お客さん呼び込みのライブ。市場は激しい経済情勢に消費税8%が追い打ちをかけ営業は大変です。他の市場では開店したがやめてしまったお店もあったと聞きました。

 嵩上げの土盛りが進み左右は土壁で見渡せないところがあります。瓦礫撤去のダンプが今度は土砂運搬でたくさん走り回っています。嵩上げが進むと、津波で壊れなかった家を修復して住んでいますが、移転しなければなりません。修復にかかった費用の補償はなく「嵩上げよりも高台へ逃げるために広い道を整備した街づくりを」という声が聞かれました。4歳の女の子のお母さんが「震災の時まだ8か月、寒くミルクもなく、泣くとみんなに迷惑がかかると苦労した」と語っていました。副自治会長さんは「津波から逃げる途中、車に水が入って動かない。ドアーは開かない。窓が少し開いて外へ。中の奥さんを引きずり出して逃げた。今ここにいることがうれしい」と話していました。気仙沼で初めて完成する災害公営住宅の入居抽選会が10月おこなわれました。来年春やっと160戸が完成します。まだまだ足りず、旧新城の皆さんは「あと2年は仮説です」と言っていました。

 支援の最中、沖縄の知事選でオナガさんの当選が有り、ボランティアの中に辺野古の座り込みに参加した人もいてみんなでバンザイをしました。

 次の日、東松島の月浜では民商会員の民宿「山根」で、満月兄弟のライブ・厨房を借りて京風うどんや・映画社のたこ焼きの炊き出し、仙台アーカイブ映画社の「釣りバカ日誌6」に笑い声が起きていました。高台に整地された宅地には工事中を入れてもまだ4戸ほどしか建築されていません。無料バザー用にダンボール箱で送った衣料・ティッシュ・日用雑貨などは見ている間に無くなりました。「3年過ぎて医療は足りてる」と聞きましたが、狭い仮設住宅に余分なものは置けずセーブしておられるのでしょう。

 最終日は5トンの釣り船を送った石巻牡鹿半島小渕浜の割烹民宿「めぐろ」へ。船は『福幸丸』と名を変え、宿泊客に提供の魚を取るのに役立っています。震災前には及びませんがお客も少し戻っているそうです。

 なかなか進まない被災者のなりわい再建ですが、毎回聞く「いつまでも忘れずにいてくれて、京都からの支援がうれしい」との声にこたえて、「絆」を支援してくださる皆さんや現地の仲間と手を取り合って支援を続けていきます。皆さんのご協力をお願いいたします。

 

 


支援サークル『絆』 第7回支援活動報告 その➂

2014-12-01 10:13:57 | 日記

現地のみなさんと一緒の、作りながらの、食べながらのおしゃべりも とても楽しいひと時でした。

*鹿折住宅での「たこ焼き」・・・慣れた手つきの子どもたち!

民宿山根では、厨房をお借りして、従業員の力もお借りして・・・キャベツきざみ。

 

*ちびっ子たちも来てくれました。京風うどんに舌鼓。元気いっぱいです。大きなタコの入ったたこ焼きも!

*お茶っこサロンでも、京風うどんも食べながらの大人トークに、思わず笑顔が・・・。

*宇治・城陽・久御山のたくさんの支援者から届けられた、衣類などの「無料バザー」も好評でした。

 鹿折中住宅・旧新城小住宅・東松島市月浜の民宿山根の3か所で行いました。

*四日目は、牡鹿半島の中ほど小渕浜にある 割烹民宿めぐろ を訪問しました。

 リニューアルした海の見えるお部屋(中村雅俊さんもおとずれたそうです。)で、目黒さんから、震災当時のお話をお聞きしました。

 かろうじて「大津波」をまぬがれた大広間で、地元の人たち50人のお世話を無料で一か月ほどされたこと。

 流れ着いたガスボンベを加工してコンロにし、瓦礫(ではない!人々の生活財産だ!)で煮炊きなどもしたこと。

 まだ7人が発見されていない・・・ことなど。

*思いっきり広くとった窓から、漁港や防波堤も見えます。そこには5トンの漁船「福幸丸」が係留されていました。

 この漁船は、2011年8月に、福井県の小浜港から石巻港に陸送し(愛知ボランティアセンターの協力を得て)、牡鹿半島の小渕浜の目黒さんに届けた「孝広丸」です。改装されて、釣り船としても活躍しています。

<石巻港での船体整備と出航準備>                   <小渕浜の 釣り漁船「福幸丸」>