京都~東北 東北大震災復興支援 支援サークル『絆』の活動記録

2011年3月11日東北大震災復興支援の活動をしています。

2021.3.11 三陸新報

2021-03-25 16:10:32 | 日記
気仙沼の幸町住宅の高橋さんから、地元の新聞「三陸新報」3月11日号が届きました。


いくつかの記事を紹介します。


2011.3.11の余震と言われている地震が、この間、東北地方を襲いました。
まだまだ余震・余震~~と予断を許しません。
南海トラフ巨大地震も近い将来必ず襲ってきます。
今も続く厳しい被災生活から学びつつ、十分な心の備えが必要ですね。
新型コロナウイルスの感染拡大も連日報道されています。

今日、東京五輪の聖火リレーが福島をスタートしました。
が、今、日本で世界で平和の祭典といわれる東京オリンピック・パラリンピックを開催することに意義があるのでしょうか?
 新聞報道によると
『生業訴訟で追加提訴  第2陣;福島地裁に572人』
「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟原告団(中島孝団長)は、24日、第2陣の追加提訴を福島地裁に行いました。提訴したのは 南相馬市原町区、同小高区、浪江町などの住民572人です。・・・

フクシマの戦いも、まだまだ続きます。

忘れない!忘れさせない! 2011.3.11

2021-03-13 10:36:28 | 日記
 2011年3月11日午後2時46分
岩手県宮城県福島県の太平洋岸沖で発生したマグニチュード9.0の東北大地震。そして、海岸線を襲った想像を絶するような大津波は、20000人を超えるたくさんの人々の命と生業を奪い、東電の福島第一原発をも破壊してしまいました。
 十年目を迎えた現在、人々が望んでいる「真の復興」はどこまで進んでいるのでしょうか。
破壊された土地の形状は、巨大堤防の構築・嵩上げや盛土・高台への住宅移転・・・など、新しい姿を見せては来ていますが、人々の「いつもある暮らし」や、心の安定はまだまだ取り戻せていないように感じます。
あらためて、犠牲になった全ての人々に哀悼の意をささげます。
真の復興のために日々奮闘しておられるすべての人々にエールを送ります。
 そして、
私たち支援サークル『絆』は、忘れない!忘れさせない!と声を上げ続けていきます。

 城陽久御山民商を軸に宇治市・城陽市・久御山町の有志で始めた「支援活動」(後に支援サークル『絆』を立ち上げた。)は、主に気仙沼市・石巻市・南松島市で、現地での訪問活動や生活物資の支援を行ってきました。活動の一端を写真で振り返ります。





 まだ仮設住宅での生活を余儀なくされている人たちがいます。福島の原発事故(まさに人災!)関連を含めて、約41000人の方々が、47都道府県・928の市区町村に避難しておられます。
特に、東電福島第一原発事故の被災者には、今後数十年たっても、故郷への帰還のめどはたっていないのです。
 10年目の追悼式の言葉
・・・(傷ついた人を)無理捨て鼓舞しないでいただきたい。子どもだって大人だって、そっとしておいて欲しい時もあります。マラソンの伴走者のように粘り強く、見守っていただけたらと思います。・・・
 政府のあいまいな政策で、新型コロナウイルスの感染拡大が続いています。国民の命こそを大切にする「政府の公助」を求めていくとともに、もろくも崩れ去った原発の安全神話にも厳しい科学的な目を向け、トイレなき高額な高価なマンションといわれる原子力発電所の再稼働にも、大きな声を上げ続けていかねばならないように思います。
・・・原発はノーモアだけど、福島はノーモアじゃねえ!今だに原発事故・被災の真っただ中だ!・・・


明日へ・・・Never forget !!

2021-03-06 17:47:49 | 日記
あの日あの時から10年・・・
2011年3月11日 午後2時46分 

東北地方を襲ったマグニチュード9.0 最大震度7 最大40mの巨大津波。
たくさんの人の命と数えきれないほどの「生活」奪った『東北大震災』
長い長い仮設住宅での暮らし・・・
慣れない土地での避難生活・・・
原発事故により、未だに自分たちの街に帰ることのできない原発被災者・・・
 支援サークル『絆』として、可能な限り現地を訪問し被災した方々や仮設住宅の人たちと交流を重ねてきました。
(残念ながら、昨年は、新型コロナウイルス感染症が拡大する中で訪問支援活動はできませんでしたが)
一つの区切りとして、一歩一歩「真の復興」にむけて歩み続けておられる人々に、『絆』としてできることは何なのかを模索しながら、2021年3月11日迎えます。 

新たな道のりへの出発を全力で応援します。