京都~東北 東北大震災復興支援 支援サークル『絆』の活動記録

2011年3月11日東北大震災復興支援の活動をしています。

第8回支援活動報告その②

2015-06-01 21:21:47 | 日記

5月23日の活動は、まず鹿折中学校仮設住宅です。めいめいが昨夜コンビニで調達した朝食を終えた後、準備にかかりました。自治会の役員さんだけでなく、顔見知りになった方々もかけつけて下さいました。集会所の中では、「お茶っこ」「人形劇」「足湯」。外では、「焼きそば」です。そして、東一口(ヒガシイモアライ)の川崎さんから頂いた長大根やかぶらを全戸にお届けしました。

支援者から預かってきた様々な衣類や生活雑貨・おもちゃなどの無料バザーの準備も、お手伝いいただきました。

子どもたちも参加してくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

足湯はとても好評でした。ゆったりした気分になっていろんなお話も出ました。集会所まで来れない人への「出張足湯」も!

お茶っこのグリーンティで話の輪が広がります。

本格的な人形劇(人形劇団・虹色どんぐり)にも沢山の人の笑顔と拍手がありました。鹿折中のテニス部員も、顧問の先生のはからいで、練習を終えて人形劇の鑑賞に来てくれました。

焼きそば作りは、集会所前の広場にテントを張ってしました。焼きそば焼き以外は、ほとんど住民の皆さんがやってくださいました。できたての「焼きそば」と「大根」「生活雑貨」を持って、自治会役員さんと一緒に全戸を訪問しました。

午後の人形劇の後、アーカイブ仙台さんの協力で恒例の映画会でした。作品は「寅さんシリーズ」です。


第8回支援活動報告その①

2015-06-01 11:04:59 | 日記

 5月22日の早朝3時半に集合して、気仙沼に向けて出発です。4時までに高速に乗ればETC割引などでおよそ5000円の差が出ます。そのために、集合場所の「市番」に前泊した参加者も。今回はマイクロバスと乗用車の2台で出発です。

今回も日本海周りで行きました。京滋バイパス~名神~北陸~磐越~東北道と走り、一関ICから気仙沼を目指します。写真は磐越道を快走するマイクロバスです。赤い羽根の「災害ボランティア・NPO活動」のマークをフロントガラスに張って走行中です。

今回は、東北道の安達太良SAで昼食になりました。青空がきれいでした。 原発事故被災地の子供たちが、美しい青空の下でのびのびと活動できたら・・。第二の安全神話を振りまきながら、事故原因の追及や事故処理も置いてきぼりにして「再稼働」に突き進む安倍政権に、怒りがこみ上げます。

今回は。陸前高田の被災地と「奇跡の一本松」(残念ながら周辺への立ち入り時間を過ぎていて断念しました。)の視察をしました。早くから盛土された台地は草でおおわれていました。高さは4~5メートルもあります。市街地だったこの地を全て嵩上げして、新しい街を作るそうです。

ここで活躍しているのが『ベルトコンベヤー』です。山の砕石所から、ゴーゴーとうなりをあげてうごいています。夜になると大きな光の道が見られるそうです。かって見た被災直後の風景はありません。まるでピラミッドの土台のような台地が広がっています。

気仙沼本吉民主商工会を訪問して、千葉事務局長さんから現地の現状をお話ししていただきました。

仮設住宅入居から4年。災害公営住宅の完成などで徐々に退去者は増えてはいるが・・・。気仙沼市の現状は今年の3月末で、92か所2559世帯5922人で、アパートなどの「みなし仮設」で生活する人は2818人で、合わせて8740人が仮住まいのまま。26年時点で、何らかの形で事業を再開した水産加工関連事業所は約9割だが、生産額は5割にとどまっている。人手不足などの問題で、生産ラインがフル稼働できない状況になっています。住宅建設にしても建設坪単価はうなぎのぼりで、震災前の3~4倍になり、着工も難しい状態です。だまして誘致した(アンダーコントロールの安倍発言)オリンピックのせいで、被災地の人たちは甚大な困難さを背負わされています。

そして、鹿折中学校仮設住宅に向かいました。役員の方々ぬ迎えられ、集会所で荷物を解き、寝袋で寝ました。いびきに悩まされた方もいたみたいですが、我関せずで熟睡です。

支援活動へのカンパありがとうございました。(第2次報告)

三線と島唄参加者様 黒田様 平田様 高野様 高坂様 桜井様 吉田様 森本様 安岡様 辻岡様 松本様 新婦人福角・コクリコ班様 新屋敷様 四宮様 藤田様 太田様 渡辺様 堀江様 平田様 金井様