ガンバレ、ニッポン

なんか、不安定なニッポンですね。

<野球>「日本唯一の400勝投手」 韓国系の金田正一氏が死去

2019-10-07 17:50:28 | スイーツ
名投手が亡くなりました。

子供の頃はスポーツと言えば野球だけの時代

金田投手はカネやんの愛称で呼ばれ巨人に入団した長嶋に対して4打数4三振に仕留めた。

有名な話だ。

晩年にジャイアンツに移籍して、400勝目は5回まで抑え降板して

勝利投手になり、400勝を達成した。

TVの中継で今も記憶にある。

ロッテの監督になり、少年キングで「おれとカネやん」原作、梶原一騎、漫画、古城武司の長期連載があった。

最近、マンガショップから単行本化された。

それほど人気なカネやんだった。

在日韓国人ですが高度成長期の日本を支えたスポーツ選手には在日がたくさんいました。

当時はまったく知らされていなくて、在日を隠していた時代だった。

王貞治は中国人というより台湾人、張本勲、プロレスでは力道山であり、TVが普及していない時代に

街頭TVにたくさんの人が集まった、外国人を空手チョップで倒す姿に日本中がわいた。

極真カラテの生みの親、大山倍達は今までの寸止め空手に反して実戦空手を行った。

高度成長期の日本人を勇気づけたのも事実だ。


後に色々なことが、素性が知らされる。。。


コリア人は日本で成功し、日本で家庭を持ちながら韓国でも家庭を持ていた事実。

力道山が亡くなった時に北朝鮮の妻から遺産金の請求があった。

大山倍達の場合は無くなった後に韓国の子供による父、力道山の出版本があったりした。

日本にいる時は日本名を使い、韓国では韓国名を名乗っていた。

両国にまたがり家庭を持っていたのだ。

表に出ない、両国に家庭を持つ在日は少なくないのでは、、

歌手の布袋寅泰は韓国に家庭を持つ父親であると母親から知らされている。

スポーツ界や芸能界は実に韓国人が多い、日本社会は在日で成り立っている事実。

日本には多くの韓国人コロニーがある、埼玉の高麗、東京の狛江市、山梨の巨摩などは

朝鮮半島で迫害を受けた韓国人が日本へ逃げ込んで集落を作った。

1300年前から日本と朝鮮半島とは関りがあるのだ。

ある大臣が日本は単一民族と発言していたが、はたしてそうだろうか?

今の日本は多くの在日に支配されている、反社会勢力も多くは在日である。

 スポーツ界のドンたち、主要ポストの役員など多くが在日であろう。

今騒ぎになっている「テコンドウ」会長しかり。


日本で成功した在日は多い、パチンコ企業の多くは朝鮮人で売り上げの多くは北朝鮮に流れている。

日本で学んだ技術が北朝鮮のミサイル開発に使われている。

こうなることをわかっていながら留学生として日本に招き入れるのか理解できない。


最も成功した在日韓国人はソフトバンクの孫さんでは?

年収は2億程度らしいが彼の株式配当は100億円という事実。

今の日本社会がおかしいのはいくら働いても従業員に還元されないことだ。

企業が黒字でありながら、その儲けは何処に行っているのかと言えば

内部保留もあるが配当金としてなくなっているのだ。

多くの経営悪化の企業は外国企業と資本提携している、何百億円とかの融資を受けているので

配当金としてごっそり持っていかれている。

技術も奪われている。

ソフトバンクがzozoを買収したが、いずれ買値の何十倍かで売り払うのは目に見えている。

日本人はさらに貧困へ、在日はさらに金持ちになる、、、

いい加減怒れよ!









ソースから

日本プロ野球で投手として400勝し、

通算最多勝記録を保持する韓国系の金田正一氏(韓国名・金慶弘)が6日、

死去した。享年86歳。共同通信やNHKはこの日、

金田氏が急性胆管炎による敗血症のため東京都内の病院で亡くなったと報じた。

韓国系の故人は日本プロ野球で400勝し、通算最多勝記録を保持している。

金田氏の通算400勝記録は米国を含む世界プロ野球で3番目。

20年間に400勝298敗をマークし、1950-1970年に日本プロ野球の国鉄スワローズ、

読売ジャイアンツなどで当代最高の投手として活躍した。

通算最多奪三振(4490個)、通算最多完投(365回)、

通算最多イニング(5526イニング2/3)という難攻不落の記録を築いた。

金田氏は通算防御率が2.34で、読売は金田氏の背番号34を永久欠番にした。

沢村賞を3度も受賞した。パシフィックリーグの最年少(18歳35日)ノーヒットノーラン投手でもある。

金田氏は在日同胞2世として愛知県で生まれた。親の故郷は慶尚北道の尚州(サンジュ)と大邱(テグ)。

同じく在日同胞の張勲(チャン・フン)氏(日本名・張本勲)と共に日本プロ野球で活躍し、

韓国国籍にこだわった張勲氏とは違って日本国籍に帰化した。

故人は2006年に東京ドームで開催されたワールドベースボールクラシック(WBC)アジアラウンドの韓日戦で始球式をした。

引退後には1973-1978年、1990-91年にロッテ・オリオンズの監督を務めた。

記念碑的な成績を残した選手だけが入会できる「日本プロ野球名球会」の初代会長にも選ばれた。


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