よれよれ日記

谷晃うろうろ雑記

変わらないものは、ない、壱。

2004年11月07日 | Weblog
文化の日、卒業した大学から「文化祭とホームカミングディへの案内」が届いたので、10数年ぶりに母校を、そして卒業して25年はじめて下宿先を訪ねる事にした。

 朝一番伊丹空港におりて阪急蛍池駅に行くべきところ、間違えて阪急伊丹行きのバスに乗ってしまった。気がついてJR伊丹駅前でおりて、JR宝塚線(旧福知山線?)で川西池田に。結果としては最初の目的地=阪急川西能勢口駅につくことは出来たが、なんだか出だしからして寝ぼけたような気分。

 駅周辺が阪急線高架工事で再開発され、もとの町並みがどんなだったかまるきりわからない。よく行った食堂、うどん屋、散髪屋、銭湯、どれひとつ見つからない。

 坂道を登り、高校を出て最初に世話になった下宿のある「花屋敷」に向かう。坂を上りきったところに30年前は商社兼松江商の社員寮とそのテニスコートがあったはずだが、その区画全部が低層集合住宅群のきれいな町並みに化けていた。青い空の下に白い壁がまぶしいくらい。

 その前の路地を入ったところに2階建ての下宿があったのだが、その場所には普通の庭付き住宅が建っていて、表札は当時の家主さんの名字と別の名字が並んでかかっている。病気療養中だったご主人が私が下宿している間に亡くなり、奥さんと二人の娘さんのどちらかが結婚後同居しているものと思われる。

 大家さんの家の前の角を曲がったところに「神戸屋のパン」の看板がかかった店が残っていた。もう廃業しているが、建物と看板は残っている。お金がなくなると、この店でパンの耳を一袋10円で買い、数日しのいだことが何度もあった。

 この日歩き回った中で30年前と変わらない、と確信できたのはこの看板だけだった。
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