寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

広島県福山市西深津町7丁目の巖山観音堂(前編)

2012年07月21日 | 郷土史
福山市民にとって馴染みの深い蔵王山(ざおうざん)に最後に登ったのは確か中学一年の時(遠足)だ。テレビ塔の下まで行って弁当を食べたような微かな記憶が残っている。住宅地図を使って調べ物をしていた私は昔を懐かしむのと同時に思いついたのである。山から市街を見下ろせば起伏や宅地化の状況がよくわかるのではないか、と。

奈良津町3丁目から蔵王町へと向かう川沿いの道の途中に「ミュージアム花」の大きな看板が出ている。北へのびる小道から左(西)が西深津町7丁目1番、右(東)が同7丁目2番になる。

福山西国第九番巖山観音堂へ向かう道

道を少し登ると排水溝側に「福山西国第九番 巖山観音堂」という標識が見える。そしてきつい上り坂となる辺りに「巖山大悲閣」と刻まれた立派な石柱が立つ。

巖山大悲閣と刻まれた石碑

石碑の裏面(昭和七年建立の文字)

裏の文字から昭和7年(1932)1月に建立されたことがわかる。私は舗装された道から少しそれた山道を駆け上がった。観音堂の背後の岩場には穴が開いており上と下に何やらあるようだった。

岩場

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ひまわりにまつわる夏の思い出

2012年07月21日 | 日記
炎天下、野原のひまわりを横目に虫捕りに出かける子供たち。昭和40年代後半から50年代の初めにかけてはごくありふれた光景だった。私も朝早くから網と虫かごを提げて蝉を捕りに行った記憶がある。

かごに入れられた蝉の命は数日だった。自然と親しみながら生物の残酷さを知る、野原や公園は重要な学びの場であった。幼年期にやっていいことと、絶対にやってはいけないことを自ら悟ることは重要だ。

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美しい朝顔の癒し効果 

2012年07月20日 | 日記
湿度の高い広島の夏。汗びっしょりになって目が覚める、こんな感じが9月の末まで続く。紫色の朝顔を眺めていた私は花に癒し効果があることに気付いた。涼しげな色合いは不快さを吹き飛ばす。我々は普段文明の利器に頼り過ぎて大切な感性まで無くしているような気がする。

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今年は土用牛の日となりそうだ

2012年07月19日 | 日記
セブンイレブンで買い物をしたついでにうなぎの蒲焼の予約ちらしを持ち帰った。稚魚の不漁が影響して国産物の価格が上昇している。

うなぎは関東で生活していた頃にしこたま食べたので、今年は土用牛の日でいこうかと。もちろん上品な牛丼ではなくて単価の安いモツ丼にするのだ。

随分昔の話になるが、土曜日、屑高校からの帰りに同級生と新町遊廓入口手前の食堂に寄り昼飯を済ませることがあった。私はかんと(福山市中心部で関東煮と言われる牛肺臓煮込み 通称:黒)と飯を注文し、勝手に丼仕立てにしてかき込む(店のメニューにはない)のが常だった。近々若き日の思い出の味を再現してみよう。

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JR西岩国駅から錦川清流線・きらめき号に乗る 

2012年07月18日 | 
レトロな造りの西岩国駅の真ん前にくるりん(バス)が何十分も停車しているので横から写真を撮らざるを得なかった。時間待ちのバスは端っこに停めるべきだと私は思う(駅の写真を撮るためにやって来る人も多い)。岩国市と運行を委託されている会社には改善をお願いしたい。

西岩国駅の由来

西岩国駅の由来

昭和四年四月十五日岩徳線の一部麻里布‐岩国町間が開通して、岩国駅として開業しました、昭和九年十二月一日には岩徳線が全通して山陽本線となり、当時が当駅全盛時代で、錦帯橋を中心とした観光客は殆ど当駅を利用していました、
易者は大正末期から昭和初期の代表的な洋風建築で、錦帯橋にちなんだところが随所に見られ往時の名残をとどめています、
その後麻里布地区の発展と交通の要衝上の点から、昭和十七年四月一日麻里布駅を岩国駅に、岩国駅(当駅)を西岩国駅と改称され、昭和十九年十月一日再び岩徳線となり現在に至っています、

駅前に設置された西岩国駅の由来を読むと岩国駅と西岩国駅、山陽本線と岩徳線の関係がよく理解できるであろう。あき書房が復刻した昭和十七年発行の地図では確かに現在の岩徳線が山陽本線と記載されている。

西岩国駅から錦川清流線に乗る

錦川清流線の車内

無人駅のホームでしばらく待つと錦川清流線のきらめき号が入ってきた。とりあえずこれに乗り岐路につく。岩国駅までの所要時間は6分である。

錦川清流線のトイレ

錦川清流線のトイレ2

トイレが綺麗なのには驚いた。手洗い場に竹炭の入った網かご(天然の消臭剤)が置かれている。ローカル線のイメージがいい意味で覆された。

用を足して運転士の背後に座ると車両は室の木3丁目の焼野第6踏切にさしかかるところであった。

先頭車両から岩国市室の木町3丁目付近を望む

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広島県がついに梅雨明け

2012年07月18日 | 日記
昨日広島地方気象台は広島県が梅雨明けしたとみられると発表した。外はカンカン照りで頭から湯気が出そう。この夏初めての猛暑日となりそうな感じである(笑)

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岩国市錦見1丁目の普済寺山門前に立つ

2012年07月17日 | 
普済寺は岩国市錦見1丁目7‐30にある。私が寺に立ち寄った時には山門の改修工事が進行中だった。

巖國山(山号)と記された扁額

巖國山普濟寺と塋域の由来

巖國山普濟寺と塋域の由来を目で追う。裏山から石材を切り出し運んだ歴史などにも言及している。左下の地図に砂走側という文字があるのを私は見逃さなかった。

巖國山普濟寺と塋域の由来

普濟寺は金光公(吉川広家)が森脇飛弾守春方に賜った所で山下に無量寿寺という古刹があった。いまの普濟寺は、その大寺の再興と伝える。
当時は七堂伽藍を備えていたが、荒廃し住職は洲鶴和尚であった。
寺の用材は飛弾守春方の用材に転用されたと思われる。
吉川広家公が飛弾守春方に与えた覚書の内に「無量寿寺寺跡悉相渡候条寺再興勝手次第之事」という一条がある。
飛弾守春方は、慶長六年二月(一六〇一)その地に小庵を建立開基となる。
元和年間(一六一五頃)巖國山普濟寺と寺号を申請、また藩祖に請うて藩士の墓地とした。春方は隋浪公(吉川元春)父子に從って婁々奇功をあらわし岩國城本丸の城代となり老後剃髪して玄角と名乗る。十一男あって山中での最大石は、その兄弟自ら之を運んだもので普濟寺で最も大きい。

普済寺山周辺の地図を拡大

当寺は岩国南八十八霊場の第十八番にあたる。本尊は薬師如来(十一面観音菩薩)。河上徹太郎(河上家は元士族で肇とは親戚筋)の菩提寺でもある。

普済寺山門(撮影時は工事中)を望む

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初採りゴーヤを味わう

2012年07月17日 | 食材
我が家のゴーヤが実り始めた。初採りを洗い縦に包丁を入れる。白いワタをスプーンですくい取り5ミリ幅に切る。

ゴーヤに軽く塩をあてうっすら汗をかいてきたら湯通しして氷水に取る。水気をペーパータオルでふき取り下処理は終わり。

ポン酢をかけたお浸しは目の覚めるような苦味がある。汗ばむ日にこういうおかずが出てくると嬉しくなる。

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山口県立岩国工業高校正門前の首斬地蔵尊

2012年07月16日 | 
部外者の私は岩国工業高校(錦見2丁目4-85)の教員室を訪ねた。出て来たのは中年の女性教諭だった。手短に用件だけ伝えた。

「首斬地蔵尊の場所を探しておりまして…」

教諭は少し強張った表情になったが、大人の対応をしてくれた。

「正門前に祀られています」

私は頭を軽く下げて学校を後にし、見落としていた首斬地蔵尊と対峙した。城下町の歴史を研究する者にとってここは重要な場所だ。

正門前に移され今も地元の人に手厚く祀られる首斬地蔵尊

地蔵は元々砂走(さばしり)刑場内にあったが、諸事情で現在地に移された。数多の刑死者を供養するために今も地元の人達が花を手向け大切に守っている。

山口地方裁判所岩国支部

山口地方裁判所岩国支部の一般駐車場を望む(砂走刑場跡)

山口地方裁判所岩国支部(錦見1丁目16-45)に移動し一般駐車場を望む。(造成で山の一部が削り取られたが)砂走刑場はこの辺りにあったと言われている。念仏を唱えた私は山裾に広がる墓地の前を通り最終目的地を目指した。

山の麓の墓地

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自家製ちりめん山椒おにぎり

2012年07月16日 | 家飯
夏バテ気味の時にちりめん山椒をご飯の上にのせてかき込む人は多いと聞く。ちりめん山椒を飯に混ぜ込んだおにぎりは私の好物である。

じゃこの塩気と山椒の適度な辛みと芳香が減退した食欲を回復させる。またおむすびは冷めても美味しいので弁当の素材としてもおすすめだ。

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岩国中学校(ガンチュウ)の生徒に県立岩国工業高校の場所を教えてもらう

2012年07月15日 | 
岩国市の錦見五丁目交差点を北上する。岩国中学校のグランドでは部活が行われていた。フェンスの外から一人の生徒を手招きした。

左手が岩国中学校(ガンチュウ)のグランド

「ちょっといいかい。岩国工業高校はガンチュウから近いのかな?」

「近いも何も高校はすぐそこですよ」

呆れ顔の男子生徒は山の麓の辺りを指差した。私は「おーあれがそうか。手間を取らせて悪かったね。助かったよ」と言って緩やかな傾斜の坂を上り正門へ向かった。

山口県立岩国工業高校を望む

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現代版・極悪人の仕置

2012年07月15日 | 暗黒の無政府時代
法の弱点を熟知した上で悪事を働く知能犯を放置する無責任な社会。無政府状態の上に警察・司法・報道機関のすべてが腐っているとしたら、犠牲者は永久に浮かばれない。滋賀県大津市のいじめ・偏向教育問題を広く世間に知らしめたのはインターネットの力であった。

極悪人を炙り出そうとする中村主水のような仕置人が全国に何人もいたということか。仕置人時代の主水は毎回刀を抜いていたわけではない。頭脳を駆使して悪党を精神的に追い詰め、念仏の鉄と棺桶の錠に始末させるパターンも多かった。つまり頭も剣もキレる元締め的存在であった。

都合の悪い情報を毎日垂れ流されて(※もっとも一部はガセネタだったようだ)面子丸潰れの警察が漸く動き出した。そして許し難い事実が次々と明らかになっている。国民や生徒が一番と奇麗事を口にする輩ほど実は己の地位と食い扶持のことしか頭にない小物である(彼らをエリートと呼ぶのは大間違い)。屑の晒しは今後もネット主体で行われるだろう(決してこれがよいことだとは思わぬが)

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岩国市錦見5丁目・岩国南八十八霊場第二十一番・観音堂

2012年07月14日 | 
薬局駐車場の横から小道に入り北へ向かう。路上に無人の野菜売り場がある。各種100円という安さである。街の中ではまず見かけることのないほのぼのとした光景で少し羨ましい。

無人市(野菜にはそれぞれ100円の値札がついている)

岩国南八十八霊場第二十一番・観音堂

私は程近くの岩国八十八霊場第二十一番・観音堂(本尊は聖観世音菩薩)前で足を止めた。最上部の石段にはいくつもの窪みがある。専門用語では盃状穴(はいじょうけつ)と言い、昔の信心深い人は鯨の油などを入れて灯りをともし夜な夜な願をかけたという。

岩国刑務所を望む

更に進むと右手に岩国刑務所(官舎)が見える。公園そして丸久・西岩国店の横を通り過ぎて錦見五丁目交差点に着いた。

錦見五丁目交差点を望む

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日本の夏には蚊取線香が似合う

2012年07月14日 | 日記
真夏日が続くにつれて蚊は益々元気になる。部屋に侵入して悪さをする蚊に私は殺虫スプレーをあまり使わない。密室にして蚊取線香を焚き我慢比べである。

腹一杯血を吸った蚊はへたるのも早い。自重に耐えられずに急降下し板間へ激突する様は滑稽ですらある。残骸をティッシュペーパーで包み込み念を入れて圧をかけて潰す。人間とはまことに残酷な生き物だと思う。

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岩国市のJR岩徳線・散畠(さんばた)第1踏切を渡り西岩国駅通りに戻る

2012年07月13日 | 
岩国遊廓跡の調査を終えた私はJR岩徳線・散畠(さんばた)第1踏切を渡った。何も貼られていない掲示板が近くにある。この辺りは新小路下自治会に所属しているらしい。

新小路下自治会掲示板

戦前の西岩国駅通り

戦前の西岩国駅通りに出るやいなや、大きな音がした。何とサンダル履きの女性が万歳状態で道路中央に倒れているではないか。心配になった私は彼女に声を掛けた。

「お母さん、大丈夫?」

「あらやだ。恥ずかしいところを見られたね。すっかり足腰が弱ってしまって…でも大丈夫よ。この通り血は出てないし」

起上がった彼女は照れ笑いを浮かべた。残り時間の少なくなった私はガンチュウへの最短ルートを聞いてみた。

「ガンチュウへ行くの?勝田薬局さん分かる?」

「ええ場所は分かります。さっき見て来たから」

「じゃーねー。薬局の先を左折して暫く真っ直ぐ歩いて行くとガンチュウが見えるわ」

「ありがとう。気をつけて下さいよ」

親切なお母さんに見送られ通りを東に進む。彼女の言う通り薬局の先から小道が北方向にのびていた。

岩国市錦見5丁目の勝田薬局

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