寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

枝豆

2005年06月28日 | 家飯
畑でとれたもので一杯やった。全然塩がきいていないので美味しさも半減。調理法を聞いて納得した。肝心のポイントが省かれていたのだ。塩水で茹でただけでは塩分が浸透しない。冷却した豆に更に天塩を振って揉みこんで冷蔵庫で少し寝かせる。これをやるのとやらないのでは大違いである。
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鰻丼

2005年06月21日 | 家飯
蒸し暑さでバテ気味である。家の者が高知産の養殖鰻(二匹で1360円)を買ってきたので、七輪で自ら焼いた。私の地方では蒸しの工程はない。白焼きした後に自家製タレで二度つけ焼きにする。

タレは関東風と言ってよい。丸大豆醤油(濃口)と本味醂を1:1で合わせたものを軽く煮詰めたものだ。下手な鰻屋より、はるかにうまい蒲焼を焼くことができる。


今日のは合格点を出せた。地元の鰻専門店で満足することがない理由の一つはタレが甘過ぎることであろう。タレで鰻の味を殺してどうするのか(怒)。
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マニア

2005年06月13日 | 日記
他人からそう呼ばれるのは好きではない。私は若い頃、ブート基地、ブートヲタと蔑まれても当然の生活をしていたことがある。西新宿の某店(現在は店名が変わっている)で新作が出るとほとんど買っていた。

そういった馬鹿げた熱病が治ったのはつい最近のことだ。★○最高という日本語を軽々しく使う人間があまりにも増えたことに違和感を感じる収集家もかなりいると私は思うのだ。限定という煽り文句も非常にあやしいものがある(笑)。

棚の整理をしていたら、こんなブツが出てきた。今ではただのゴミである。これに価値を見い出せる人はほんとにマニアと言えるのであろうか?

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描かれたHIROSHIMA展

2005年06月07日 | 日記
現在、広島市公文書館で被爆前の広島を中心とした展示会が開かれている。戦前の珍しい絵葉書や写真が多数あり。注目すべきは原子爆弾投下直前・直後に米軍が撮影した広島市の航空写真である。原爆の凄まじい破壊力がよく理解できる。

会場:中区大手町四丁目1番1号 大手町平和ビル7、8F
会期:6月6日(月)~9月30日(金)

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土曜のライブ(その2)

2005年06月04日 | 日記
Kishida Kunio氏をまったく知らない私は少し不安であった。20時、バンド登場。ギュイーンというギターの音を聴き、安堵した。アコギの「仙台」という曲は良かったし、「ブルース」での泣きのフレーズてんこ盛りに痺れまくった。

観客が自然にノッてきているのがわかった。キーボードのおっちゃんの熱演もその要因の一つであろう。アンコールで何と(事前の打ち合わせはなかったと思われる)「クロスローズ」のリフが出てくるではないか。


この曲での会場の盛り上がりはほんとに凄かった。Dr.Gen氏のソロも冴えていた。終演は22時10分。『いいコンサートだった。』と心から思えた。外に出ると涼しい風が吹いていた。
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土曜のライブ(その1)

2005年06月04日 | 日記
本通りには露店が出ていた。夜店が始まったようだ。18時半、会場へ。ジントニックを持って2列目の席に座った。

19時、前座のDr.Gen & The Sunsets登場。数曲アコースティックでやった後、エレキに持ち替えた。ブルースを1曲演奏してからクリームのナンバーをたて続けに5曲。

「悪い星の下に」がセットリストに入っていたのは予想外であった。「サンシャイン・オブ・ユア・ラブ」が終わったのは19時50分頃である。
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若かりし頃(その10)

2005年06月04日 | 学生時代
〝ろくでなし〟は兵庫のN田高校出というのが信じられないほどの天然ボケであった。彼はマンドリン部に入っていた。その腕前をほめた者を私は知らぬ。

博多っ子の〝ひでえ〟は、〝元締め〟に冷たくあしらわれると『ひっでえ~』と口癖のように言っていた。痩せの大食いとしても知られていた。

広島時代の写真は皆無に近い、あれほど付き合いがあったにもかかわらず、私達は写真を撮らなかった。卒業間際に元締めの部屋で撮った四人一緒の写真が二枚現存するのみである。
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若かりし頃(その9)

2005年06月04日 | 学生時代
英語の時間に私の近くに座っていた〝元締め〟と話をするようになった。そして〝ろくでなし〟と〝ひでえ〟が加わり、四人組のようなものができた。

リーダーは決断力のある大阪出身の元締めであった。彼は何度か自分の下宿で食事会を開き、貧しい私達を招いてくれた。

ただし、雨の日は必ず中止になった。私はその理由がよく分からなかった。後年、彼の口から『わざわざ雨の中、来てもらうのは申し訳ないというのもあった』と事実が語られた。
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若かりし頃(その8)

2005年06月02日 | 学生時代
裏モノ映像コレクターとして有名だった〝裏美〟に対し、〝くわ太〟はCDの所有数でおそらく学部一という噂であった。彼は中核派のアジト(前進社)から近くのひどく狭い部屋で暮らしていた。

彼はいろんなジャンルを収集しており、ロックとジャズにしか興味を示さない私など敵ではなかった。遊びに立ち寄った際は初期のビートルズのCDなどを貸してもらった。

つい先日、彼からゆうパックが届いた。開封すると名前も知らぬオッサンのCDが入っていた。


ペーソスの「霧雨の北沢緑道」を聴いていると自分のことのようにも思え、彼の意図が理解できた。
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若かりし頃(その7)

2005年06月01日 | 学生時代
私達の学部は関西出身の連中が多かった。広島で関西弁をガンガン聞かされるとは思いもしなかったが、そのうちに慣れた。ボケとつっこみの学習を受けたのもこの時期だ。

〝裏美〟という和歌山出身のとぼけた感じの男は赤いTシャツをよく着ており、教室で異様に目立っていた。彼とはその後、麻雀つながりで仲良くなった。
 
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