「去田のみちしるべ」から「賀茂神社」方面に向かって400メートルほどの右手に「小峰山柳澤寺」の白い標柱がある。
なだらかな坂を上ると広大に開けた土地の中にまだ新しい豪壮な山門が立っている。
この山門は平成7年に建立されたといい、左右には、色も鮮やかな仁王像が通路の中心を睨んで立っていた。
山門から50メートルはあると思われる先の中央に本堂が、左側には鐘楼が建っている。
いずれもそう年数は経ってはいないと思われる。
柳沢寺(りゅうたくじ)は古刹「山の寺洞雲寺」の流れを汲む寺院であり、実沢の林泉寺が仮寺で正保元年(1644年)伊達2代藩主忠宗の時代に林泉寺五世悦叟良観により開山されたと伝えられている。
この寺は住職の異動が激しく、幾多の荒廃の危機に晒されたが、29世中興丹山雲鳳和尚が本堂を再建して現在に至っているという。
本堂の正面には「柳澤寺」の金文字の扁額がかかげられ、屋根には伊達の紋も輝いていた。
本堂の右には、当山鎮守「稲荷大明神・白山妙理大権現」の社が立っている。
この寺は学制頒布に際して、明治6年から9年まで、本堂が上谷刈小学校の仮校舎として使用されたといわれる。
なお、3年ほど前まで道路入口に「真田幸村の墓」という案内版もあって、通るたび興味を持って見ていたが、今はその案内版がなくなっているのがなんとなしに気になる。
なだらかな坂を上ると広大に開けた土地の中にまだ新しい豪壮な山門が立っている。
この山門は平成7年に建立されたといい、左右には、色も鮮やかな仁王像が通路の中心を睨んで立っていた。
山門から50メートルはあると思われる先の中央に本堂が、左側には鐘楼が建っている。
いずれもそう年数は経ってはいないと思われる。
柳沢寺(りゅうたくじ)は古刹「山の寺洞雲寺」の流れを汲む寺院であり、実沢の林泉寺が仮寺で正保元年(1644年)伊達2代藩主忠宗の時代に林泉寺五世悦叟良観により開山されたと伝えられている。
この寺は住職の異動が激しく、幾多の荒廃の危機に晒されたが、29世中興丹山雲鳳和尚が本堂を再建して現在に至っているという。
本堂の正面には「柳澤寺」の金文字の扁額がかかげられ、屋根には伊達の紋も輝いていた。
本堂の右には、当山鎮守「稲荷大明神・白山妙理大権現」の社が立っている。
この寺は学制頒布に際して、明治6年から9年まで、本堂が上谷刈小学校の仮校舎として使用されたといわれる。
なお、3年ほど前まで道路入口に「真田幸村の墓」という案内版もあって、通るたび興味を持って見ていたが、今はその案内版がなくなっているのがなんとなしに気になる。