「白藤観世音」から70~80メートルほど手前(鼻毛橋寄り)のところに「千手観音堂」がある。
明暦2年(1656)開山の真言宗寺院千光山観音寺の観音堂と言われる。
(観音寺は明和7年(1770)無住となり,その後に廃寺となった)
木立に囲まれた細い参道の奥にあるので目につきにくいがよく見ると道路脇に小さなえ石柱が立っている。
お堂は銅葺き屋根の真新しい感じであった。
側に古い瓦が野積みされていたので、数年内に立て直されたのではないかと思われる。
隣接地に「千光山観音寺」という真言宗のお寺があったが廃寺となったといわれる。
本尊は7寸の木造で地域の人たちが祀っているというが、お堂の中は見ることが出来なかった。
周りに石碑が並べられていて
その中に「疱瘡神」(○應元年?)と読める石碑や
参道脇には「庚申供養諸願成就祈」(元禄八年<1695年>)と刻まれた大きな碑
など病いの忌避・回復を願う石碑も建てられていた。
明暦2年(1656)開山の真言宗寺院千光山観音寺の観音堂と言われる。
(観音寺は明和7年(1770)無住となり,その後に廃寺となった)
木立に囲まれた細い参道の奥にあるので目につきにくいがよく見ると道路脇に小さなえ石柱が立っている。
お堂は銅葺き屋根の真新しい感じであった。
側に古い瓦が野積みされていたので、数年内に立て直されたのではないかと思われる。
隣接地に「千光山観音寺」という真言宗のお寺があったが廃寺となったといわれる。
本尊は7寸の木造で地域の人たちが祀っているというが、お堂の中は見ることが出来なかった。
周りに石碑が並べられていて
その中に「疱瘡神」(○應元年?)と読める石碑や
参道脇には「庚申供養諸願成就祈」(元禄八年<1695年>)と刻まれた大きな碑
など病いの忌避・回復を願う石碑も建てられていた。