「館蔭の杜」を眺めつ つれづれに

窓外の森を眺めながら時々の想いを綴る

大義山覚照寺(大和町宮床)

2015年05月18日 | 日記
根白石から国道457号線を吉岡方面に車で15分ほど進むと、宮床の集落に入る直前の右側に「覚照寺」がある。
入口の脇には「覚照寺」の案内標柱や寺の沿革などを説明する案内版などが並んで立てられている。



石の階段を上った所に「臨済宗大義山」「覚照禅寺」と書かれた門柱があり、



正面に比較的小ぶりで質素な佇まいの本堂が建っている。



屋根には伊達藩の紋が掲げられている。



入口の説明版によるとこの寺は、



寛文6年(1666年)伊達政宗公の孫で宮床伊達家の初代領主である宗房公が生母の願いにより、伊達藩二代藩主忠宗公を弔うために創立したもので、はじめは「大義山慶雲院」と称していた。
その後、伊達藩五代藩主となった宗房の子・伊達吉村が宗房の三十三回忌の法要の際に、父親の戒名と同じ「覚照寺」と改称したといわれる。

観光協会の配置図が示すように、境内には伊達宗房公の墓をはじめ、宮床伊達氏累代の領主や正室などの墓があり、伊達御廟として保存管理されているようだ。



また、右奥の山裾には、累代住職の墓碑があり、



その付近では公園化に向けた大和町の工事が行われていた。



この寺は、七つ森を望むことができる広大な御苑といった印象であった。




深い森の中に、余り手を加えない自然な形で保存された御廟をひと巡りするには小1時間ほどかかった。

(※伊達御廟については改めて)