「館蔭の杜」を眺めつ つれづれに

窓外の森を眺めながら時々の想いを綴る

須賀神社(野村字萩塚)

2015年05月13日 | 日記
根白石から通称泉ケ岳通りを泉中央に向い、東北道を過ぎて300メートルほどの左側に「須賀神社」がある。


 ◇泉中央側から東北道方面を見たもの

鳥居は真新しく、社額の作りなども実沢にある「須賀神社」のものと同じものとの印象であった。
また、地図上の所在地が「野村天皇」という表示になっていて、実沢の「須賀神社」の所在地も「細椚天皇」となっていることにも何か関連があるのかと思われる。



一の鳥居の脇に沢山の石碑が立っている。
天明3年(1783)の飢饉供養の三十三観音碑や天皇大神宮、湯殿山、蔵王大権現、山神、馬頭観世音、南無阿弥陀仏など種類も大きさもさまざまであった。

これは、周囲の団地開発などに伴って各地から移建されたものだという。



急な石段を上ると二の鳥居・狛犬があり、境内は割と広く本殿とならんで社務所と思われる建物などがあった。



脇に市の「史跡めぐり」の説明書きがある。

これによると、伊達政宗が仙台に改国した際にお供してきた梅津氏の子孫梅津勇三郎が宝永4年(1707年)に福島県伊達郡から野村に遷座したものだという。



後に、この地に移住した根白石城主の子孫「白津勘之助」が野村の鎮守として奉斎したといわれている。

祭神は、スサノオノミコト・牛頭天王といわれ「疫病防止の守護神」として信仰されている。
供物として他の牛頭天王を祀る神社と同様、胡瓜を捧げる習わしがあるという。

この地域では長い間キゥリを耕作することも食べることもしなかったが、明治後期になって祈祷し許しを得てからは耕作するようになったと言われる。



本殿の脇や裏には数多くの古い石碑が立っていた。