根白石から県道35号線(泉ケ岳通り)を泉中央方向に向い「八沢川」というバス停からおよそ200メートルほどの右手の小高い杉林の中に「八木沢神社」がある。
北環状線から泉パークタウンに通じる道路との交差点に近いが、道路からはその存在に気付くことができないような所である。
森に入ると右に上るしっかりした石段があり、その先に石の鳥居が立っている。
鳥居に「八木澤神社」と書かれたやや古い感じの社額が掛けられている。
境内は割と広く、正面に3メートル四方くらいの小さな祠が建っていた。
この神社は、上谷刈の若有家(平泉藤原の家臣で藤原氏が滅亡した後に地侍となって土着したとされる)の屋敷神だったが、大正時代に賀茂神社に合祀され、戦後に分離されて最初の鎮座地である現在地に祭られているものだという。
祠の中には本殿が納められており、中を見ることはできなかったが、ご神体は「古い兜」とも「馬具の鐙(あぶみ)」ともいわれる。
現在のお宮は、地区の人々が用材を持ち寄って建立したものといわれ、現在は、若有家の屋敷神というよりこの地区の氏神様として祀られている。
周囲には「松尾観世音」「出羽三山」「山神」などの石碑や古い陶製の小さな祠が立っていた。
直ぐ脇を七北田川が流れていて神社の真下からは勢いよく水が吹き出し周囲の田圃に取り入れられていた。
これは「明神堰」というようだ。
帰りに振り返って森を眺めると、高いところにはっきりと祠を見ることができた。
北環状線から泉パークタウンに通じる道路との交差点に近いが、道路からはその存在に気付くことができないような所である。
森に入ると右に上るしっかりした石段があり、その先に石の鳥居が立っている。
鳥居に「八木澤神社」と書かれたやや古い感じの社額が掛けられている。
境内は割と広く、正面に3メートル四方くらいの小さな祠が建っていた。
この神社は、上谷刈の若有家(平泉藤原の家臣で藤原氏が滅亡した後に地侍となって土着したとされる)の屋敷神だったが、大正時代に賀茂神社に合祀され、戦後に分離されて最初の鎮座地である現在地に祭られているものだという。
祠の中には本殿が納められており、中を見ることはできなかったが、ご神体は「古い兜」とも「馬具の鐙(あぶみ)」ともいわれる。
現在のお宮は、地区の人々が用材を持ち寄って建立したものといわれ、現在は、若有家の屋敷神というよりこの地区の氏神様として祀られている。
周囲には「松尾観世音」「出羽三山」「山神」などの石碑や古い陶製の小さな祠が立っていた。
直ぐ脇を七北田川が流れていて神社の真下からは勢いよく水が吹き出し周囲の田圃に取り入れられていた。
これは「明神堰」というようだ。
帰りに振り返って森を眺めると、高いところにはっきりと祠を見ることができた。