死(2020.9.30日作)
昨日 そこに居た人が 今日は
もう 何処にも居ない
昨日 そこに居たもの達が 今日は
もう 何処にも居ない
犬や猫 小鳥に馬や牛
いったい これは どういう事なのか
昨日は 確かにそこ居た
しかし 今日はもう
何処にも居ない
死
この言葉が 総てのけりを付ける
しかし 死
この言葉の意味するものの裏には いったい
どんな からくりが仕組まれているのだろう
昨日は確かだった存在が
今日はもう 消えて
何処にも無い
この 不思議な感覚
喪失感
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心の中の深い川(完)
好んで手放した幸福ではなかった。由紀子の裡に住み着いたもの、限りない怯え。自身にさえ分からない、深い川が心の中にあった。
余りにも鮮やかな記憶として、今も鮮明に焼き付いている。
一瞬のうちに変転する運命の過酷。幼い由紀子の心を内側から破り、切り裂いたもの。それが現在の由紀子に重なり合って来る。
泣きすがる由紀子。死んだ母。孤独。そして、幾多の変転。
一瞬の間の運命の激変に、幼い由紀子は戸惑うばかりだった。
何があったのかはよく分からない。父はある日、居なくなった。
母の心身共に荒んだ姿。髪に櫛を入れる事もなく、紅の色も消えてやつれた顔。
母は信じられない程に変わった。幼い由紀子に辛く当たった。
父の姿の消えた毎日の中で由紀子は怯えていた。
父の居ない事に、母の荒みが起因しているらしい事は、由紀子もうすうす感じ取っていた。
父と母の間に何があったのか ?
辛い日々ばかりが続いた。
由紀子は笑わなくなった。
一家の団欒はなくなった。
ほんの何日か前まであった父の笑顔と、美しく輝いていた母の微笑みのあった日々が、夢のように遠ざかっていた。
父は髪の濃い、額のきれいな人だった。長身で、眼鏡の奥の眼差しは優しかった。膝に抱かれた由紀子はその眼を見ようとして、眼鏡を取った。父は眩しそうに眉間に皴を寄せて、
「こら、悪戯すると食べちゃうぞ」
と言って、強く由紀子を抱き締めた。
幼い由紀子は声を弾ませて笑った。
母は小柄な、白い割烹着姿のよく似合う人だった。
父が会社から帰って来たあとの夕食のテーブルを整える母の姿は、いつも楽しそうで幸福感に満ちていた。
由紀子には、そんな記憶しかない。
大きな遊園地へ行った事、車で行った夏の海の日の事、デパートへ買い物にゆき、賑やかな食堂で食事をした事、それらの記憶は由紀子の心の中では、さしたる意味を持っていない。家庭での小さな一こま一こまだけが、張り付いた絵のように色鮮やかに浮かんで来る。
母は働きに出るようになった。
由紀子は幼稚園から帰っても、家へ入る事が出来ずに、母が帰って来るまでの時間を一人、近くの公園のブランコに乗って過ごしていた。
父が居なくなってから一年もしなかった。
母は体を壊した。
入院が必要だった。
田舎から祖母が来た。
母は退院すると、また働きに出た。
母は心臓病を患っていた。
十二月の冷え込んだある夜、母は仕事から帰ると急に苦しみ出した。胸を押さえ必死に、
「由紀ちゃん、電話、電話」
と言った。
幼い由紀子には母の言おうとしてる意味が汲み取れなかった。
「お母さん、お母さん」
と、泣きながら傍をうろうろするばかりだった。
母は服のボタンを引き千切り、胸を掻きむしった。苦しみ悶える蒼い顔に脂汗が浮かんでいた。
そのうちに母は全身を硬直させ、背中を丸めたまま動かなくなった。そのあと、母の体が前のめりに倒れた。母の死だった。
その時、由紀子には死の意味がよく分からなかった。何か重大な変化が母の身に起こった事だけは感じ取っていた。
それでも幼い由紀子には、ただ、息を詰めて動かなくなった母を見詰めている事より他に出来なかった。
やがて、いつまで経っても動かない母を見詰めている心細さが体の奥底から湧き上がって来て由紀子は、思わず母に取りすがり、
「お母さん、お母さん」
と、動かない母を必死に揺すりながら、泣き叫んでいた。
無論、母の答える事はなかった。
由紀子は答える事のない母を前にして、覚える心細さと共に、物音一つない周囲の静けさの中で恐怖感と孤独感に襲われ、なおも激しく泣き続けていた。
隣家の人が由紀子の泣く声に気付いて駆け付けてくれた。
由紀子は田舎の祖母に引き取られた。
以来、由紀子の変転の人生が始まった。
由紀子は今、思う。
あれは、なんだったんだろう ? なんだったんだろう ?
母の姿、父の姿、幸福な日々。由紀子は今、総てが幻だったように追想する。
由紀子は母の死のあの日以来、笑わない、無口な少女になった。
父が由紀子の前に姿を見せる事はなかった。
父と母の間に何があっのか、やはり由紀子には分からない事だった。
今でも由紀子には分からない。ただ、多少なりとも男女の愛を知るに及んで、今では、母の病弱が原因だったのでは、と考える。
性の絡み。父は他に女性をつくったのではないか ?
そのように考えると由紀子は父に対して、激しい憎しみを覚える。
病死し、最後には由紀子に辛く当たった母を哀れに思う。
父の思い出は甘く優しかったが、それゆえにこそ、憎しみが増すようだった。
祖母は由紀子を不憫がり、いとおしんだ。
その祖母も一年程して死んだ。
祖母が居た母の兄の家には四人の子供がいた。
無口で笑わない由紀子は、誰からも疎んじられ、邪険にされた。
祖母という庇護者がいなくなって、風当たりは一層強くなった。
伯母の邪険はひとしおだった。
事毎に四人の兄妹と差別した。
「可愛げのない子だよ」
憎憎しげに言うのが、伯母の口癖だった。
四人の子供達の悪戯でさえ、由紀子のせいにされた。
子供たちはそれをだしに由紀子をいじめた。
見兼ねた祖母の妹が由紀子を引き取った。
その人も亡くなった。
それからは何も分からないままに、あちこちの家をたらい回しにされた。
伯母程に由紀子に辛く当たる人はいなかった。
ある家では、優しく親切にさえされた。
由紀子の心の中ではしかし、氷の溶ける事はなかった。優しくされても、親切にされても、異質な感じは否めなかった。自分でも厄介者だという認識があった。反抗的ではないまでも、打ち解ける事が出来なかった。影のある、無口な少女だった。
小学校から中学卒業までは、一つの家に居た。大学生の息子と夫婦の家庭だった。それとない話しの端々から、祖母の遠い親戚に当たるらしいことが分かった。
その家では優しくされた。しかし、由紀子が考えていた事は、一刻も早くその家を出て、一人で生きてゆく、という事だった。その家の親切が重く由紀子の心に圧し掛かって来た。その人達の親切が真心からのものであっても、由紀子には心から溶け込んでゆく事が出来なかった。伯母の家での体験が由紀子の心を閉ざしたままにしていた。結局は、母でも父でもない、という感覚は消えなかった。そして、その感覚は現在までも生き続けている。由紀子に取っては、自分一人が頼るに足る存在だった。
他人との間の埋め尽くせない溝。他人の手の温もりを直接的に感じ取る事が出来ない。
由紀子が志村との間に見ていたもの。あの幸福感。志村が傍に居るだけで満たされた心。ーー有吉の場合は割り切れていた。心に絡み付いて来るものは何もない。志村を思う時、彼なら自分の背中になってくれる、という気持ちが湧いて来る。他人という関係を超えて、深い部分で結ばれ得るような気がする。初めて由紀子が経験する感情だった。自分と渾然一体に成り得るもの。愛。志村との間に育まれた愛。だが、そこまで来ると由紀子は、音を立てて崩れてゆくものを見る。志村との間に張り巡らされていた愛の綱が、ある日、プツンと音を立てて切断される姿が眼に浮かんで来る。強い絆で結ばれ、ピンと張り詰めていた綱が、強烈な反動を伴って切断される。その切断された愛の綱が、鋭い激しさで由紀子の顔面を打ち返して来る。
由紀子には信じ難かった。緊迫したものが、そのまま、永遠に続くとは。
あの幼い日の幸福だった家庭の崩壊が、由紀子を怯えさせる。父と母、そして自分と渾然一体だったものが、あれ程に見事に崩壊してゆく。
由紀子は見る。志村との愛の果ての崩壊。幼い日の由紀子の心に刻み込まれた苦悩が、志村との愛の上にも被さって来る。その前で由紀子は怯えるのだ。
由紀子は思う。志村との愛が、志村が求めるような深く踏み込まないものであるなら、まだ、続けられてゆけそうな気がする。これまでの志村への感情を抱き締めてゆきさえすればいいのだから。そこでなら、自分が自分で居られるような気がする。ようやく開けかけて来た、デザイナーへの道を歩みながら。有吉との関係も断ち切らずに済むだろう。
まだ一人歩きを始めたばかりの由紀子には、有吉との関係の途切れる事を恐れる気持ちがあった。自分がデザイナーとしてこれから成長してゆく上で有吉の力を断ち切るのは恐い・・・・。
由紀子は次から次へと煙草を吹かす。志村との愛を失った今、自分が生きている事を実感として感じ取りたかった。現実との繋がりを確保して置きたい。
レストランの触れ合う皿の音。人々の話し声。窓ガラスの下の大通りを行く人の群れ。由紀子に取っては総てが、遠い世界のものにしか見えなかった。自分が生きているという実感を与えてくれるものは何もない。ただ、自分の肺腑の奥深くへ吸い込む煙草の煙りだけが僅かに、現実の感覚を与えてくれるようだった。自分がこれから何処へ行くのか、これから何をするのかも、由紀子には分からない。志村が去って行き、人々の流れの上に、車のひしめく街の中に、空白があるばかりだった。
完
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takeziisan様
扇風機四台とは恐れ入りました
我が家もエアコン嫌いで扇風機派なのですが
近年の猛暑 年老いた体には もう
エアコンなしでは無理かな と
つくづく思い 来年は設置しようかと
考えています
金木犀 我が家の庭にも咲きました
春の沈丁花 秋の金木犀 この季節が好きです
御侍史 古い言葉ですね
わたくしも数年前 大腸がんを手術しましたが
紹介状にこの言葉は使われませんでした
年齢と共に体力の衰えの顕著になって来るのを
年毎に実感します 少しでもその体力を
維持したいと思い わたくしも毎朝自己流の
体操などしています
それにしても近年 テレビなどでは
八十代後半 九十代の人達の元気な姿が
よく映し出されて まだまだ老け込む歳ではないな
などと自分を元気付けています
いつもお眼をお通し戴き 有難う御座います
hasunohana1966様
最新の御文章 拝見しました
御謙遜なさっていらっしゃいますが
御立派な御文章です
どうぞ取り消しなどなさらないように
お願いしたいです
この御文章の中に わたくしの日頃
思い 考えている事が総て盛り込まれています
多分 この御文章を眼にした人達の多くは
共感を示すのではないでしょうか
現在のアメリカ大統領に関する
総ての要素が組み込まれているように思います
この事実 この文章を消してしまう事は
惜しい事です