サルトルとボーヴォワール 哲学と愛
2006年/フランス
容貌と思索の関連について
総合 70点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
元々はテレビドラマとして制作されている『サルトルとボーヴォワール 哲学と愛』は、当然のことながら2人の思索の全てを把握しきれていないのであるが、アグレガシオン試験で首席を争った辺りから、サルトルがメスカリンで見る幻覚や、1943年のサルトルの戯曲『蝿』の初演、雑誌『レ・タン・モデルヌ』の発行、アメリカへ旅行した際のボーヴォワールとネルソン・オルグレンとの出会いと別れまでが丁寧に描かれている。
冒頭のシーンでボーヴォワールの父親がシモーヌに向かって「おまえは美人ではない」と語っていて違和感があった。ボーヴォワールを演じたアナ・ムグラリスは誰もが認める美人であるからで、実際のボーヴォワールの写真を見てみたが、確かにブスではないが美人でもない。この微妙な容貌がシモーヌの哲学にどのような影響をもたらしたのかアナ・ムグラリスが演じてしまっては分らないのであるが、顔の容貌など二の次でいられる男性のサルトルであってもサルトルを演じたロラン・ドイチェは斜視ではないため、サルトルが自分の容姿を心の底ではどのように受け止めていたのかは分らない。
サルトルとボーヴォワールの自由恋愛による‘契約結婚’は、後のフランス社会に多大な影響を与えたと思うが、そもそも男性優位の社会における‘契約’はサルトルに都合の良いものでしかなく、それは頭の良い二人ならばお互い気がついているはずであるが、サルトルはともかくとしてボーヴォワールの真意が気になる。ネルソン・オルグレンによってボーヴォワールはセックスの快楽を知ることになる。逆に言うならばサルトルは回数をこなしている割にはセックスが下手だったということであるが、それでもボーヴォワールがサルトルを選んだ理由は、男性に心身共に支配されたくないという思いと、親友のローラの死による女性の地位向上に尽力したいという思いからだったのだろうか?
ボーヴォワールの部屋の壁にはポール・コラン(Paul Colin)の「タバラン(Tabarin)」のポスターが貼ってあった。ボーヴォワールに欠けていたものがあるとするならば、‘タバラン’のようなユーモアだと感じた。彼女は余りにも真面目過ぎたと思う。
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