寒椿
1992年/日本
粗が目立ちだした脚本について
総合 50点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
昭和初期に、高知県で女性初のバスの女車掌として土佐乗合自動車で働いていたものの、父親の博打による借金返済のために芸妓娼妓紹介業を営む富田岩伍に買われ、高知の妓楼「陽暉楼」へ身売りされることになるのであるが、その美貌で「牡丹」という源氏名と共にすぐに売れっ子になった21歳の貞子が本作の主人公なのではある。しかし本作は富田岩伍の息子である健太郎がナレーションを務めているように、熱烈な恋愛結婚をしたものの、夫の選んだ仕事に馴染めず愛想を尽かせて家から逃げ出した妻の富田喜和から岩伍が息子だけを連れて帰るシーンが冒頭に置かれ、父親と息子が別れるシーンがラストに置かれているように、女衒の父親に対する息子の反発と、一緒に暮らしていくうちにお互いの理解が深まり和解へと至る過程がメインテーマになっている。
しかしながらそのメインテーマを支えるサブストーリーが良くない。例えば、牡丹を身請けした財閥の御曹司である多田守宏が銀行から横領したという証拠書類を牡丹に預けてしまうという頭の悪さも酷いものだが、田村征彦の片腕として働く元力士の仁王山も、どのように見ても頭が良さそうには見えず、やがて牡丹を救い出して夫になるという設定は、本当は岩伍を愛しており、父親に身売りされた日にプレゼントしてもらった反物で織り、お守り代わり着ていた和服を、誘拐された際に、犯人である仁王山によって引きちぎられたことを考えると心情として無理があると思う。
『化身』(東陽一監督 1986年)は単調なストーリーであったためにまだそれほど違和感を感じることはないが、本作あたりから那須真知子の脚本に粗が目立ち始め、次回作『霧の子午線』(出目昌伸監督 1996年)以降、悲惨な状態が続いている。しかし今年も『北のカナリアたち』(阪本順治監督)で起用されているのだから業界内のことはよく分からない。
上原さくら別居認める 夫は離婚強く望む(日刊スポーツ) - goo ニュース
フジテレビの「ごきげんよう」に上原さくらが出演していた際に、よく夫婦げんかをすると冗談
交じりに話しているのを聞いて、よく旦那は我慢していられると感心していたのであるが、
やっぱり我慢出来なかったのだと納得出来た。私は上原さくらは結婚不適合者だと思って
いるのであるが、gooメールのメルマガで、「ブログでは言えない上原さくらのリアル恋愛
トーク☆」なるものが存在しているところを見ると、そのような上原の、現実には何の役にも
立たない話を聞きたがっている女性たちが少なからずいることに驚かされる。