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「対論・異色昭和史」鶴見俊輔/上坂冬子

2015年05月27日 21時00分32秒 | 読書(昭和史/平成史)


「対論・異色昭和史」鶴見俊輔/上坂冬子

確かに異色対談。
鶴見俊輔さんと上坂冬子さんで共通項目があるのか?
意見がかみ合うのか?
私は知らなかったのだが、上坂冬子さんは元々『思想の科学』出身。
『思想の科学』は鶴見俊輔さんが丸山真男さんらと立ち上げた。
すなわち、鶴見俊輔さんが上坂冬子を見いだして育てたようなもの。
少なくとも、切っ掛けを与えた。これは重要。
立場と主張を異にするようになっても、鶴見俊輔さんは上坂冬子をかわいがっていたように感じる。
上坂冬子も憎まれ口をたたきながらも、慕っていた。
少なくとも、この対談を読む限り、そのように感じる。

まぁ、そんなことより、実際の対談を一部紹介する。
歴史秘話ヒストリアじゃないけど、エピソード満載。

P102
鶴見:天皇の人間宣言の原文は英語ですよ。あの英語に強い印象を受けた。それもアメリカ人が関与する前に首相の幣原喜重郎が書いたんだ。彼は非常に英語がうまい。明治10年代に習った英語です。だから『天路歴程』のバニヤンや『ガリバー旅行記』のスウィフトなんかをきちんと読んでいる。人間宣言は17世紀のとんでもなく古い英語が原典になっているんですよ。
(中略)
上坂:天皇制を温存しようというのは、最初からアメリカの方針だったんでしょうか。
鶴見:違います。私が都留重人さんから聞いたところによると、途中から変わったという。開戦後にすぐ委員会ができて、日本をどうするかと検討した文書が残っていますけど、まず、この国は工業をつぶしたら立ちゆかないとはっきり書いてある。日本にとって必要最小限の工業が検討されていたわけだけど、その時の最長老の委員はヒュー・ボートンという農民一揆の研究者なんだ(笑)。200年くらいのスパンで見てたんだなぁ。

P105
鶴見:皇室に美智子さんが入ったのはいいことです。彼女は立派だ。
 実家は群馬県館林市の裕福な商家です。伯父さんの正田健次郎さんはドイツに留学して、自分では商売をやらず、数学の業績で阪大に呼ばれて学長になった。おじいさんは醤油屋です。そのおじいさんが、粉を持って軽井沢の私の家にきていました。
上坂:そんな頃から鶴見家と正田家とは関係があったんですか。
鶴見:そう。だから私も玄関先で正田家のおじいさんと会っています。戦争中に話したこともある。だけど美智子嬢に白羽の矢が立った時にお母さんは非常に悩みました。ロシアの歴史を知っているから、とばっちりを食って嫌な目に遭うんじゃないかって。

P110-117
憲法9条についての論争・・・読んでみて(鶴見俊輔さんと上坂冬子さんの意見は真逆)
また、P109では東京裁判について触れている。
共和党のH・タフト(ジュニア)が「retroactive law」、つまり「不遡及法」だと反対した話。
オランダのレーリンク判事がヨーロッパの法の精神に反すると悩み、広田弘毅の死刑に反対した話。

石川皐月さんの村八分騒動。
P123-124
鶴見:日本人が崇めるアメリカ流のデモクラシーのもとには、アメリカの魔女裁判がある。あれはハンチントン舞踏病が原因だった。二千年、三千年と続いてずーっと遺伝する病気です。それは医学的にもわかっている。これがキリスト教信仰と結びついて魔女として隔離することになり、しまいには焼き殺すことになってしまった。あの残酷に比べれば、村八分は相対的に正しい。焼き殺したりせず、あくまでも二分の余裕を残すという点で、あれこそ本来の苦い民主主義なんだと思う。
上坂:二分残すというところがですか。
鶴見:そう。二分というのは、まず水。水は断たない。もう一つは葬式の手伝い。
上坂:お葬式は手伝うわけですね。
鶴見:田植えは手伝わないけど、葬式の時はまわりが手伝いに出る。その二分残すところが、西洋の魔女裁判よりすごいわけ。千年の日本のデモクラシーは、たかだか二百年のアメリカ流デモクラシーを超えるんだ。

アメリカの原爆投下について
P132-133
鶴見:アメリカ大統領は、今日に至るまで誰1人として「我々は取り返しのつかない大罪を犯しました」と世界に向かって正直に詫びる勇気を示さなかった。アメリカって国は、大バカ野郎になってしまったんだよ。

P135-136
鶴見俊輔さんと上坂冬子さんの“馴れ初め”について触れられている。


鶴見俊輔さんが墓参りをする、と話をすると、上坂冬子さんが突っ込む。
P232
上坂:意外にご立派ですね(笑)。
鶴見:お袋に殴られて育っているから、それくらいの常識や根性はあります。
上坂:父上や母上の墓参りもなさるの。
鶴見:しますね。
上坂:誰でもまともなところが一つはあるのね。(笑)。

・・・鶴見俊輔さんも上坂冬子さんにかかると、ボロかす、である。
私は、この2人の仲の良さに驚いた。
鶴見さんの包容力というか、小さな子供がいたずらをしても許してしまうような親心に感心した。
2009年4月14日、この対談のあと上坂冬子さんは肝不全で亡くなられた。78歳。(合掌)

【おまけ】
心情として、私は上坂冬子さんを好きになれない。
しかしながら、その数々の著作、業績に対しては、敬意を表せずにいられない。

【ネット上の紹介】
雑誌『思想の科学』への投稿がきっかけで交流が始まった二人。半世紀ぶりに再会し、語り合った昭和の記憶とは?「戦時体制にも爽やかさがあった」と吐露する上坂氏に対して、「私もそう感じた」と応える鶴見氏。一方で、「米国から帰国したのは愛国心かしら?」と問う上坂氏に、「断じて違う!」と烈火のごとく否定する鶴見氏。やがて議論は、六〇年安保、べ平連、三島事件、靖国問題へ。護憲派、改憲派という立場の違いを超えて、今だからこそ訊ける、話せる逸話の数々。「あの時代」が鮮明によみがえる異色対論本。

[目次]

第1章 戦時下の思い出(戦時体制の爽やかさ
張作霖爆殺事件の号外 ほか)
第2章 戦時体制化の暮らし(翼賛議会に異を唱えた「一刻」な議員たち
ハーバード大学で都留重人と出会う ほか)
第3章 戦後日本をあらためて問う(八月十五日の記憶
ラク町のお時 ほか)
第4章 「思想の科学」の躍動ぶりと周辺の事件(ノーマン自殺の真相
跡取り息子の座からはずされた都留重人 ほか)
エピローグ 教育とは、そして、死とは(デューイと親交のあった校長先生の話
林竹二の授業について ほか)

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