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快気分析

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仕組みとアプローチ -  笠森観音堂が家康と天海による軍事上の監視拠点の意味も有ったと思える理由

2020-11-02 12:21:16 | 明智光秀
 家康と天海により江戸防衛システムですが、これに関連すると考えられる建物が有るように思えたものが有りました。
 それは笠森寺(笠森観音)に有る観音堂です。
 ここは以前にドライブの途中で一度たまたま寄った事が有るのですが、ここの笠森観音堂は何か異様に高く作られていたのが印象的でした。
 それでこの位置を調べて見ると、千葉県長生郡長南町と言う事で、そこは天海がいた無量寿寺北院(喜多院)、そして江戸城と増上寺、万木城のライン上に当たるのでした。
 以前の記事で書いた通りで、このライン上には明智重五郎の名が有る墓(千葉県市原市不入斗)も有ります。
 そして笠森観音堂は文禄年間(1592年-1595年)の再建とされているようで、この時期、家康と天海は江戸、関東で多くの拠点を構築していた時期でもあります。
 この何か不自然に思える位に高い観音堂は、つまり軍事上の監視拠点も兼ねていた(・・・と言うよりも「観音堂とは名ばかりの監視台」が主目的だった)のかも知れません。


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