快気分析

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仕組みとアプローチ -  本能寺の変 直後には明智光秀が毛利氏と足利義昭に支援要請したはず

2019-06-13 13:00:33 | 明智光秀
 本能寺の変については明智光秀が首謀者かどうか疑問に思っている事は以前の記事で書いた通りですが、いずれにせよ変が起きた以上、信長の警護隊長だった光秀に疑惑と責任追及が来るわけで、光秀としてはもう逃げ場がなくなってそのまま打倒織田勢で突っ走るしかなくなったと考えています。
 それでではすぐにどうするか?と言えばそれはまず当時の征夷大将軍であった足利義昭に上洛要請、そして毛利氏へは秀吉勢の上洛を阻止するための戦闘開始、そして足利義昭の上洛はおそらく秀吉が何としても妨害するだろうからそこを毛利氏の力で四国経由でも何でも良いから何とか足利義昭の上洛強硬支援と言うあたりの内容だったかと思われます。
 その密書が果たして届いたのかどうかはわかりません。
 仮に届いたのだとしたらおそらく6月4日から5日位ではなかったかと思えます。
 その場合、通説では秀吉と既に和睦がなされていた後に毛利氏が本能寺の変を知ったと言う事にはなっています。
 しかし個人的にと言う程度ではありますが、実はそうではなく和睦は実は密約だったかもっと遅かった、或いは和睦の前から毛利氏も変の事を知り、更に明智光秀からの上記支援要請の密書も届いていた可能性もゼロではない、と考えています。
 なぜそう考えるのかと言うと、毛利氏が和睦の前に光秀からの密書を得ていた場合、ほぼ100%秀吉を明智勢に勝たせる事ができるからです。
 その台本とはこうです。
 光秀から毛利氏への支援要請に対して、無回答かあるいは密書が届かなかったフリをする。或いは光秀からの要請をすべて快諾し光秀を油断させる。
 そして一方では秀吉とこの件を詳細に打ち合わせ、秀吉が毛利氏との戦いで畿内へもどれない偽装、将軍足利義昭が上洛に向けて準備する偽装をし、実はその反対に秀吉には中国おお返しの支援、足利義昭の上洛阻止を徹底し、秀吉に勝たせてやる代わりに、秀吉が覇権を握った時にはその見返りを貰う。
 織田氏にはもう二度と力をつけさせないように三法師を擁立させ、実権は秀吉が握るようにする。
 そして結果はそうなりました。
 



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