快気分析

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仕組みとアプローチ -  家康の安全は保障されていたはずの桶狭間の戦い

2023-01-14 08:32:11 | 家康
 前回記事で多少触れましたが、家康と桶狭間の戦いの状況について記事にします。
 結論から言うとですが「桶狭間の戦いでは家康の安全は保障されていた」と言うのが個人的な見方です。
 何故か? それはまず桶狭間の戦いで信長の織田勢が勝利するようにするお膳立ては多くを水野信元が書いていたと思っているからです。
 自分はこの戦いの台本作家となる重要人物の一人が水野信元であったと思っているわけです。
 桶狭間の戦いの場所自体がそもそも水野信元の所領と織田方と今川方の城や砦の交錯するエリアであり、しかも当時の水野信元は知多半島を実質支配していました。
 仮に今川義元が桶狭間の戦いで勝ってしまむと水野信元は知多半島を今川勢に封じられてしまう事になり、信長の織田勢とは分断される方向に動いてしまいます。
 これはつまり水野氏が今川勢に専従する度合が高くなるわけで、それまでのようにやや織田よりでありながらも織田方と今川方の中間に近いようなある程度の独立性を保つ事ができなくなるはずなのです。
 なので当時の水野信元は織田方にかなりシフトしていたはずであり、そうした状況で表にはあまり出ずに裏方で織田方を勝たせるように仕向けるように動いていたと言う事になります。
 そして家康の伯父である水野信元は「織田方が今川方に勝利、或いは有利となるようなお膳立てをする見返り」として「家康を安全を条件とした」のではないかと考えています。
 だからこそ桶狭間の戦いで今川方が総崩れで大敗となっても織田軍は家康の軍勢を掃討しなかったと言う事になります。 
 つまり最初から家康の安全は保障されていたのではないでしょうか?

仕組みとアプローチ -  サッカーと桶狭間の戦い

2023-01-14 07:32:25 | スポーツ
 今日、Gooブログをログインしてみたら「お題投稿、募集中!」となっている1つにサッカーと有ったので、サッカーに関連する事で更に家康にも関連する話を記事にしてみようとなりました。
 サッカーは去年W杯カタール大会で盛り上がったわけですが、「勝利する仕組み」について桶狭間の戦いと共通点が有ると気がつきました。
 結論から書くとそれは「相手を油断させるようなエサを与えて、本陣の守りを手薄にし、相手が防御体制を十分に敷く前に大将を討ってしまう」と言うものです。
 桶狭間の戦いでは、家康が大高城に無事兵糧入れを出来、初戦では今川方が勝利していた為、今川軍は油断して乱取りで兵を分散させていたり、大高城に将兵を分散していたなどにより本陣が手薄になっていました。
 暴風雨が一時有ったと言う事も有ったのですが、織田軍は囮となる正面部隊と、もう一つは裏手の林から奇襲をかける「中入り部隊」に別れ、今川勢が織田方の正面部隊が未だ突撃して来ていない事で更に油断している所に林の中から奇襲をかけた「中入り部隊」によって、ただでさえ数が少なく、更にあまり戦闘体制でなかった今川勢は総崩れとなり、大将である今川義元が討ち取られて大敗してしまった、と言う見ているのは以前の当ブログ記事で書いた通りです。
 ではサッカーですが、やはり相手チームが攻めて来るのをある程度容認しながらも得点させず(或いは相手チームが本当に優勢で攻めていた場合もある)、その時に相手チームが油断して守りの人数配分が減ったり、或いは守りの選手がセンターライン付近前後までに出て来てしまい、守りが手薄になった所に、ボールを奪った側が速いパス回しやカウンター攻撃などでアッと言う間に相手チームのゴールにシュートを決めてしまう、と言うパターンが多かったですね。
 逆にうっかり守りを手薄にしなかったが故に日本に負けなかったのはコスタリカ、と言う所でしょうか。
 桶狭間の戦いでも長篠の戦いでも負けた側は拠点が2つ以上に分散していて本陣に兵力を集中できていません。
 サッカーで負けるパターンと似ているわけで、戦国時代以前からの戦いとサッカーの試合では勝敗の仕組みが似ている感じがします。
 尚、家康と桶狭間の戦いの状況については気が向けば今後の記事にしてみたいと思います。