goo blog サービス終了のお知らせ 

快気分析

何か快適な気分になれるような記事にしたいです。

仕組みとアプローチ -  上杉氏、長曾我部氏、毛利氏、後北条氏を本能寺の変後で比較する

2020-02-06 08:59:48 | 明智光秀
 本能寺の変の後、主な有力勢力だったのは上杉氏、毛利氏、後北条氏、長曾我部氏ですが、それぞれ異なる変化となりました。

           本能寺の変の前           本能寺の変の後 
上杉氏・・・本能寺の変の前は柴田勝家ら織田勢に対して戦闘状態(劣勢)だったのが、本能寺の変の後は織田勢に反撃攻勢。       

長曾我部氏・・・本能寺の変の前は約束を反故にした信長の方針で徐々に所領を縮小していたが、本能寺の変の後は反撃攻勢に転じ、所領を回復、拡大。

毛利氏・・・本能寺の変の前は秀吉ら織田勢に対して戦闘状態(と言っても兵糧戦や水攻めだけを受けていただけ)だったのが、本能寺の変の直後に突如として秀吉と和睦(後から作った形だったかも知れない事は以前の記事で書いた通りです)。

後北条氏・・・本能寺の変の前は織田勢と同盟状態だが信長はあまり縁戚関係になろうとしなかった。そして本能寺の変の後は同盟を破棄して織田勢が支配していたエリアに侵攻。
ただ甲州征伐で土岐頼芸が武田氏に身を寄せていたのが発覚した点から、後北条氏、武田氏、上総土岐氏、常陸土岐氏による連携の動きが織田勢に知られてしまった可能性が生じた為、反織田勢に転じた可能性は高い。

 以上からやはり毛利氏の動きは不自然。
 秀吉との戦いでは将兵や武器弾薬の消耗が殆ど無く、秀吉による軍資金のバラマキ(食料の買い占めや水攻めの土木工事など)で毛利氏所領もかなり潤っていて更に軍事力を増強していた可能性は有ったと考えられ、仮に秀吉が寝返れば織田勢の援軍と言えども勝てたかどうかはわからないと見ています。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする