さっきデザインナントカとかいう番組を見ていて、自分がここ数ヶ月ずっともやもやっと思ってことに、何か結論めいたものがひらめいたので書き留めておく。
まず、有名なコピーライターに大した奴は独りもいないんじゃないかと思った。何となく思ってたけど、今日、確信に変わった。余談だが引き合いに出せば、彼らに比べてデザイナーは、ビッグネームじゃなくても超すっげー奴はいっぱいいるなと思った。
誰でもが知ってるような有名コピーとかを考えた人やそいつの作ったコピーに対して、僕は畏怖の念を覚えたことがただの一度もない。なぜなら全部ラッキーパンチにしか見えなかったからで、これまでは、彼らはきっと、クライアントを騙す「提案力」つまりコミュニケーション力が補って余るほど飛び抜けてスゲんだろうな、と漠然と思っていた。でも、よくよく有名コピーライター何人かのことを知るうちに、マジでラッキーパンチだけだったんだな、ということが分かってきた。
そんな人たちをを不本意ながらも擁護するならば、コピーライターって立場的に不遇ではある。コピーは言葉だから、結局何を言い添えたとしても、それ以上のものを訴えることができない。いわば、ヘタな能書きは不要だし、能書きありきで認められたコピーなんかそもそも本末転倒。だから、はじめから放棄してる人がかなり多いのだ。そこに必要性がないから仕方ないといえばない。でも、言葉を仕事にしていながらそのスタンスに陥るのは。愚かでしかない。さらに、そいつらの多くはその弱みをカンチガイして、根拠とか必然性とかを捨てている。残されるのは、自己中心的な美学のみで、もう聞いてて不憫。一人でやってろと思う。ちゃんと社会で仕事するなら備わっていて欲しいようなロジックに乏しい。
それに対して、デザインとかはどうか。デザインについては、言語化することにおいてめちゃくちゃデリケートな代物だと思う。極論、言葉で表現することはナンセンス、それでも説明しなきゃいけないとしたら、やり方次第で、どこまでも陳腐になってしまうリスクを始めからはらんでいる。だって、そもそもデザインなんて見る方も見せる方も言語なんか使っちゃいないんだから。だから、目的とか意思とか、なんだりかんだりをひとまず発行者に伝える作業はすごい微妙で、それだけにデザイナーのコミュニケーション力は磨かれていて、アホコピーライターのそれをはるかに凌駕するのだと思う。あえて今一度逆を言えば、有名コピーライターのそれはもうホント聞くに堪えない。面白くないし大人としてかわいそうだし、夢を壊す。
僕がコピーライターという仕事を好きなことに変わりはないが、少なくとも日本で崇め奉られているコピーライターを尊敬できないから、ラッキーパンチ以外に具体性を帯びた自分の未来、キャリアビジョンが描けない部分は正直ある。だからそれはもがきながらでも超えたい。愚かな彼らがラッキーで得たものと同じように、自分も目標としてはデカイ仕事で多くの人に認められたいとは思うが、それよりも、そんなラッキーパンチャーを超えたい。てーか、もしかしたら既に超えてるかも、と思うくらいレベルが低いと感じた。正直、コピーライターとして一本で身を立てて行く気がしていなく、いまディレクションとか企画に積極的に取り組んでいる。それは別にやっていきたいのだが、コピーライティングってやっぱ素晴らしい!と思わせてくれるような人に早く巡り合ってみたくはあるかな。
まず、有名なコピーライターに大した奴は独りもいないんじゃないかと思った。何となく思ってたけど、今日、確信に変わった。余談だが引き合いに出せば、彼らに比べてデザイナーは、ビッグネームじゃなくても超すっげー奴はいっぱいいるなと思った。
誰でもが知ってるような有名コピーとかを考えた人やそいつの作ったコピーに対して、僕は畏怖の念を覚えたことがただの一度もない。なぜなら全部ラッキーパンチにしか見えなかったからで、これまでは、彼らはきっと、クライアントを騙す「提案力」つまりコミュニケーション力が補って余るほど飛び抜けてスゲんだろうな、と漠然と思っていた。でも、よくよく有名コピーライター何人かのことを知るうちに、マジでラッキーパンチだけだったんだな、ということが分かってきた。
そんな人たちをを不本意ながらも擁護するならば、コピーライターって立場的に不遇ではある。コピーは言葉だから、結局何を言い添えたとしても、それ以上のものを訴えることができない。いわば、ヘタな能書きは不要だし、能書きありきで認められたコピーなんかそもそも本末転倒。だから、はじめから放棄してる人がかなり多いのだ。そこに必要性がないから仕方ないといえばない。でも、言葉を仕事にしていながらそのスタンスに陥るのは。愚かでしかない。さらに、そいつらの多くはその弱みをカンチガイして、根拠とか必然性とかを捨てている。残されるのは、自己中心的な美学のみで、もう聞いてて不憫。一人でやってろと思う。ちゃんと社会で仕事するなら備わっていて欲しいようなロジックに乏しい。
それに対して、デザインとかはどうか。デザインについては、言語化することにおいてめちゃくちゃデリケートな代物だと思う。極論、言葉で表現することはナンセンス、それでも説明しなきゃいけないとしたら、やり方次第で、どこまでも陳腐になってしまうリスクを始めからはらんでいる。だって、そもそもデザインなんて見る方も見せる方も言語なんか使っちゃいないんだから。だから、目的とか意思とか、なんだりかんだりをひとまず発行者に伝える作業はすごい微妙で、それだけにデザイナーのコミュニケーション力は磨かれていて、アホコピーライターのそれをはるかに凌駕するのだと思う。あえて今一度逆を言えば、有名コピーライターのそれはもうホント聞くに堪えない。面白くないし大人としてかわいそうだし、夢を壊す。
僕がコピーライターという仕事を好きなことに変わりはないが、少なくとも日本で崇め奉られているコピーライターを尊敬できないから、ラッキーパンチ以外に具体性を帯びた自分の未来、キャリアビジョンが描けない部分は正直ある。だからそれはもがきながらでも超えたい。愚かな彼らがラッキーで得たものと同じように、自分も目標としてはデカイ仕事で多くの人に認められたいとは思うが、それよりも、そんなラッキーパンチャーを超えたい。てーか、もしかしたら既に超えてるかも、と思うくらいレベルが低いと感じた。正直、コピーライターとして一本で身を立てて行く気がしていなく、いまディレクションとか企画に積極的に取り組んでいる。それは別にやっていきたいのだが、コピーライティングってやっぱ素晴らしい!と思わせてくれるような人に早く巡り合ってみたくはあるかな。
できなくて
もどかしいです。
いつか
飲んだ時にでも。
コピーライターと
ライターは
同じくくり?