武本比登志ポルトガルスケッチ&油彩

ポルトガル在住絵描きのポルトガル淡彩スケッチ日記と油彩

武本比登志の画歴

2018-10-11 09:33:49 | 武本比登志画歴

武本比登志 画歴

元サロン・ドートンヌ(パリ)会員

ル・サロン(フランス美術協会)会員

NACK会員・日本美術家連盟会員

美術年鑑・洋画家無所属欄記載

1946

大阪市東住吉区に父・憲太郎(1911,12,18 新居浜市生れ―2012,05,27)、母・千登瀬(旧姓・山下)(1924,03,23 久留米市生れ―2001,07,28)の次男として生まれる。2歳上の兄・亜基良(1944,06,30-)と3歳下の妹・世津子(新姓・西村)(1949,07,29-)がいる。元、行動美術協会会友、創造美術協会委員、日本民芸協団理事の父武本憲太郎が主宰する自宅での土曜日児童画教室で絵に親しむ。「行動美術児童画展」及び「創造美術児童画展」でたびたび金賞を受賞。育和幼稚園、桑津小学校、東住吉中学校卒業。

1962

私立・浪速高校(当時は男子校・現在は共学)に入学。浪速高校で美術部に入部。デッサンを学び油彩を描き始める。一年先輩に六車隆一(1945-2015,9,25 画家)同期に上久保良文、波多野友久(イラストレーター)柴村夢二(Gデザイナー)加藤正雄(1947-2017)、辻清行(画家)小笠原玖(1946-2017 1級建築士)一年後輩にはるき悦巳(漫画家・じゃりん子チエ))二年後輩に故・松岡豊(1948-1999 画家)などがいる。恩師・藤井満先生(1935-2020,3,9)に師事。藤井満先生よりデッサンや油彩の他に課外授業で「印象派以降の西洋美術史」を教わり、感銘を受ける。大阪府私学高校美術展で大阪府教育長賞など3年連続受賞。3年の時に田中繁、森栄、末永らとビートルズバンドを結成。西岡たかし氏の知遇を得、採譜と歌唱指導を受ける。高校文化祭でビートルズを演奏。以前から友人であった、藤原秀子(1946-2013)さん(当時中川イサト氏らとPPMスタイルのバンドをやっていた)を西岡たかし氏に紹介。その後「五つの赤い風船」が結成される。

1965

ナンバ一番」のコンテストに出場。グループの森栄、末永、武本のそれぞれがリード・ヴォーカルをとり、後の2人がコーラスにまわるというかたちで3曲を歌う。武本が「ツイスト・アンド・シャウト」末永が確か「アンド・アイ・ラブ・ハー」を唄ったが落選。森栄が「プリーズ・ミスター・ポストマンPlease,Mr.Postman」を歌って50組中2組の最終審査に残るが、自らプロへの道を断念。
普通自動車免許/自動二輪免許取得(大阪・鳳自動車学校)
浪速高校卒業。大阪市立天王寺美術館研究所で石膏デッサンを学ぶ。

1966

東京高円寺のフォルム洋画研究所で石膏デッサン、裸婦デッサンを学ぶ。

1967

東京芸術大学受験不合格

1968

大阪芸術大学美術部洋画科に入学。現代彫刻グループに入部。初渡欧。大学企画の3週間欧州10カ国美術研修。 (オランダ・ベルギー・ルクセンブルグ・ドイツ・スイス・リヒテンシュタイン・フランス・イギリス・スペイン・イタリア)
在学中に西岡たかし氏の紹介で「高石事務所のち音楽舎と改名・別名/アート音楽出版/URCレコード」にアートディレクターとして入社。月刊誌「フォークリポート」のレイアウト、イラスト、表紙。コンサートポスター、レコードジャケット等を手がける。関西フォークのコンサートポスター以外にも藤圭子やザ・ベンチャーズなどのポスターも制作。編集長村元武氏の知遇を得る。
小笠原玖(vo,b)、武本比登志(vo,g)、岡本睦子(vo)でフォークバンド「GTM」を結成。

1971

睦子と結婚。大阪芸術大学中退後、二人でヨーロッパ放浪の旅に出る。新潟港から大荒れの日本海を渡り、ナホトカ、ハバロフスク、モスクワを経由してストックホルムへ。「ヨーロッパを3ヶ月程で見て歩いて、目指すはインドで1年程暮らしてみる。」と言うのが当初の目的であったのだが?ヨーロッパを3ヶ月で!とは短すぎて僕たちには無理な話であった。結果ストックホルムで4年半を過ごすことになる。

1972

1月から5月まで在パリ。アリアンス・フランセーズで語学研修の傍らパリの美術館を観賞。
大学の先輩で当時パリ在住のあまのしげ氏(現代美術家/当時は菅井汲氏の助手)や豊住和廣氏(現陶芸家/日本工芸会正会員)、あーたん(シャンソン歌手、美術家、本名、薮内明子)らと親交。

1971~75

ストックホルム大学の夏休み等を利用してヨーロッパ24カ国[ロシア・フィンランド・スウェーデン・ノルウェー・デンマーク・ドイツ・オランダ・ルクセンブルグ・ベルギー・フランス・スペイン・モロッコ・イタリア・リヒテンシュタイン・スイス・オーストリア・ポーランド・チェコスロバキア・ブルガリア・旧ユーゴスラビア(スロヴェニア・クロアチア・ボスニア・ヘルツェゴヴィナ・ユーゴスラヴィア)・ギリシャ・トルコ]5万キロをおんぼろVWマイクロバスでキャンピング踏破。

1975~76

在ニューヨーク。ヨーロッパ滞在中に当時難しいと言われていた、アメリカのヴィザが取れてしまったので、ニューヨークへ。ニューヨークではハーレムに程近いマクロビオティック(自然食)のレストランでコックのアルバイトをしながら、美術館、画廊、ジャズ、ミュージカル、ニューヨークフィル等を堪能。
[42,West 75th.St.NewYork NewYork USA]

1976~77

中南米12カ国(ブラジル・パラグアイ・アルゼンチン・チリ・ボリビア・ペルー・エクアドル・コロンビア・ホンデュラス・グアテマラ・メキシコ・ベリーズ)を10ヶ月かけて踏破。

1977~90

在宮崎。睦子の両親とも教員であったが、ドライブインも経営。そのドライブインを引き継ぎ、ジャズとカレーが話題の喫茶店を経営。絵画や陶器の展覧会を催す。講師を招いて「ジャズマニア集中講座」や音楽ライブ(加川良(1947-2017)/村上律)(高田渡(1949-2005)(大石隆文)等も開催。月刊ミニコミ誌「山あいVOICE」を発行、他の2誌と共に朝日新聞で紹介される。
大型自動車免許取得(都城自動車学校)牽引免許取得・大型特殊免許取得(宮崎自動車試験場)
5万株のエビネカンアオイを栽培。宮崎カンアオイ愛好会をたちあげ、自ら事務長に就任。宮崎市の百貨店で「宮崎カンアオイ展」を開催。
かたわら油彩「霧島百景」に挑む。 インドネシア、マレーシア取材。ポルトガルを1ヶ月ずつ数回取材

1987

ポルトガルをテーマに制作開始。在パリ30年の長尾淘太先生に出会い、薫陶を受ける。

1990

ポルトガルに移住。現在ポルトガル・セトゥーバル市に在住。不定期ミニコミ誌「ポルトガルのえんとつ」を発行。現在はブログに移行。
ポルトガルに住み始めてから、ポルトガル国内をくまなくスケッチし、旅を続けているが、
ポルトガル以外にも時々旅を楽しんでいる。

Setubal

宮崎でのキース・ジャレットコンサートのポスター、チケットデザイン制作。ポスターはパリのグラフィックショーに出品される。

1996

月刊『日経アート』にカラー4ページで紹介される。写真と文・奥村勝之

1997

オフィシーナ美術画廊(セトゥーバル)と契約

1998

アンティックス美術画廊(リスボン)と契約
ポルトガルの自動車免許取得

2002

ホームページ「武本比登志ポルトガルの仕ゴト場」開設。その後、ブログに移転。

2004

ル・サロン会員推挙
浪速高校美術部OBホームページ「NACK」開設。その後閉鎖。
ホームページ「武本比登志ポルトガルの画帖」開設。その後ブログに移転。

2009

サロン・ドートンヌ会員推挙

2010

画像ブログ「武本比登志ポルトガルスケッチ」開設

エッセイのブログ「武本比登志端布キャンバス」開設

   


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