霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

夏の雑感  2

2013年08月17日 | 心霊現象
暑い毎日です。暑中お見舞い申しあげます。
(もうそろそろ、残暑見舞いになるのでは?・・)

四十度を四日連続で味わった地方の人達は、どんな思いで過ごされたのでしょう。
毎年、「今年の夏が一番暑い」と言い続けて、もう何回の夏を重ねてきたことでしょうか。
東京の練馬は、都心よりは1度から2度高いといわれています。
ですから東京が35度のときは、練馬は37度と思ってすごしていれば間違いがない。
そんなところに、私はもう35年以上住んでいます。
まさか、高齢者になるまで生きているとは、つゆ思ってもいなかった私ですから、内心少し慌てています。


『日本の戦没者は、軍民で約300万人。その数は戦争の末期に激増し、最後の一年で200万人近 くが落命した。
 特攻、沖縄、空襲、原爆、悲劇の多くがこの間に起きている。
 最後の一年を逆回しして、玉音放送を早めてみれば、死なずにすむ人は増々増える。(略) 』

8月15日の天声人語から拾った「見逃せない」一言である。
1941年12月8日から始まった「第二次世界大戦」は、1945年8月15日をもって終わった。かの言葉のごとく、天皇の戦争終結を伝える「玉音放送」から一年前は、100万人の死者ですんでいた。つまりその後の200万人は、死なずともよかった人々だと、言っているのだ。
「こんな戦争、早く終わらせたい!」と、誰もが思ったすえ、人類歴史で初めて経験する「魔の手法・原爆」が人間を狙って「とどめ」を刺す。
先の言葉を借りれば、これ以上続けたらもっともっと死人が激増しただろう、だから「これでよかったのだ」と、聞こえてくる。
米国の歴史認識は、「原爆投下」を「是」とすると聞いた。

これから先、同じことが起こるとしたら、きっとそのときには「核爆弾」が使われたとしても、どこかで「是」だったと認識されて、生き残った人間は次の是なる核戦争へと突き進むに違いない。


同じ日。TV番組「ミヤネヤ」では特攻隊の実体を知らせるべく「知覧」からの生中継をしていた。
『神風特別攻撃隊』といい、別名「神風特攻隊」、そして「特攻」となった恐るべし「日本の人権を無視した作戦」に、世界とりわけ米軍は震えあがった。
一時ではあったが、実際米軍兵は怖れで闘うどころではなく、そのパニック状態に軍部は頭をかかえたという。その結果が、ゼロ戦一機に3000から4000機の米軍機が攻撃に当たり、間違いなく「落とす」という作戦に出た。
たまったものではない。ゼロ戦は蜂の巣のように打ち落とされて、海に沈んだ。
魂と魂の闘いから、物資の闘いとなり日本は完全に負けた。
最後には「ベニア板」を張り合わせた舟に乗った、人間爆弾まで登場させたというではないか。
そして最後のとどめを刺す日。広島も長崎も「暑い夏の午前中」を迎えていた。

「あの戦争は、何だったのでしょうね・・・」と、最後に宮根氏はそう言って番組を結んだ。



「アーサー・ビナード」、彼は米国生まれの詩人である。
「ピカドンの日」と称して、ある朝4時20分から30分までTVで話をしていた。
詩人でありながら絵を描き、「絵本」を出版。
彼は「原爆投下」とは言わない。「ピカドン」という言葉が一番「それ」を言い当てているとして、詩でも会話でも、そう言う。
その時、「人」が何をしょうとしていたか・・・。
「物」、そうだ残された物が語るすさまじいまでのリアリティに迫る。
○○ちゃんが着ていたワンピース。焼けただれた布が無言で叫ぶその声を、彼は代弁して詩を書く。
朝ごはんを食べるつもりで用意した弁当。中身はまっ黒く焼け焦げている。
○○君は箸を手にして、さあいよいよ一口を食べようとしていた、かもしれない。
いつもの、変わらない平凡だがたのしい暮らしがそこにあった「証し」の数々は、焼けてその場に残され、あるものは解けて黒い影だけを残して「ピカドン」の何たるかを「無言」に語っている。
彼は日本に住み続け、決して二度とこのようなことが人類歴史上あってはならないと、詩を書き、絵を描き、講演をして「ノーモア・長崎」「ノーモア・広島」を訴え続ける。

最近では米国の○○氏。名前を失念したが、有名な映画監督らしい。
来日し、今回はようやく広島、長崎を回ることが出来たと語る。
二度とあってはならない「人類の蛮行」と吐き捨てるように言う彼もまた、米国人の一人である。



靖国神社は、形としてみればいつも変わらず居住まいを正して静寂の中にある。
しかし、目を転じて「魂」を見ようとする者がもしいたら、その姿はどうだろうか・・・。
彼らは人の心しか見えない。
日本の国民が何を思い、国家の首長が何を思っているか全てお見通しだ。
靖国に限らず、300万人の戦没者の魂は、はたして鎮魂されているであろうか?・・・。
形だけが全てではないが、はたしてあの日正午丁度に、わずか一分間の黙とうをささげた人は、何人いたであろうか・・・。
「死にたくなかった!」その人達の霊を慰め、鎮魂を祈るには、どんな言葉でどれだけの深い想いで
国民は相対さなければならないか・・・、お分かりになるだろうか~。

最後に私は、また言わばければならないようです。
化けてお出なさい!・・・と。
官邸も幽霊が出るのなら、靖国だって出たっていい。
日本中「幽霊やしき」になったって、いいじゃないですか。
ふぬけた民族の、性根を叩き直すのは、生半可なことじゃぁ出来ません。
この暑い夏の夜。皆様のお力?ならぬ霊力をお借りして、「ショック療法」とまいりましょうよ。

私?、もちろん大丈夫。
それどころか、早く、いつでもお待ち申し上げておりますぞ!
(どうせ暑くて、眠れないのですから、歓待いたします~)





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